名取吾朗がご逝去されて彼岸の彼方に旅立たれたのが1992年でしたので、もう30年近い歳月が流れているのですね・・
最近の吹奏楽コンクールでは、名取吾朗の作品はアトモスフェアぐらいしか演奏されない気もしますけど、
時々ですけど、あの独特のおどろおどろしい陰鬱な情感の作風がなつかしく感じたりもします。
名取吾朗の作品は陰気で劇的要素が強く、ネリベルのように、強弱と明暗のコントラストが激しい作曲家という印象があります。
生前何回か吹奏楽コンクールの審査員をされていたのが記憶に残っていますが、どこかの県大会で
審査員代表として講評を述べていたのを耳にしたことがありますが、
作品の印象とは全然異なる柔和な人柄の先生という雰囲気がありました。
BJでもよく吹奏楽コンクールの講評を書かれていましたけど、的確でわかりやすいコメントは読んでいる人たちにもかなり参考に
なっていたと思います。
名取吾朗というと1990年にも「風の黙示録」が吹奏楽コンクール課題曲として選ばれていただけに、そのわずか2年後に突然の
訃報を耳にした時はとても驚いたものでした。
名取吾朗の陰鬱な音楽の背景には、自身の辛い戦争体験、特にフィリピン南島での兵士としての辛い体験が
ベースにあったとの事です。
(そのあたりは水木しげると境遇的には似ているのかもしれないです)
名取吾朗の作品は出版されていたりCD化されている作品自体はそれほど多くは無いのですけど、
〇アラベスク(1973年課題曲B)
〇風の黙示録(1990年課題曲B)
〇吹奏楽のための交響的幻想曲「ルソン」
〇交響的幻想曲「ポンドック街道の黄昏」
〇吹奏楽のための詩曲「永訣の詩」
〇吹奏楽のための詩曲「アトモスフェア」
といった作品が思い浮かびます。
何となくですけど、名取吾朗の作風と市立川口高校と愛工大名電の演奏は非常に相性が良かったようにも思えますし、
アトモスフェアは市立川口と名電は全国大会でそれぞれ2回ずつ自由曲として演奏し、いずれも劇的で緊張感あふれる
演奏を残しています。
課題曲としてアラベスクは瑞穂青少年吹奏楽団、風の黙示録は市立柏の演奏がとても印象的です。
ポンドック街道の黄昏は、関東大会銅賞ですけど真岡高校の演奏が大変印象的ですし、ソプラノサックスの長大なソロは
静かな熱演だったと記憶しています。
永訣の詩は、1984年の市立川口の素晴らしい説得力も素晴らしかったですし、1987年の花輪高校の怨念と暗い情感に
溢れたおどろおどろしい死の香りに溢れた演奏も大変よかったです。
でも私にとって名取吾朗の吹奏楽オリジナル作品というと吹奏楽のための交響的詩曲「地底」です!
名取吾朗の吹奏楽のための交響的詩曲「地底」は情報量が圧倒的に少なく、正直・・私自身もこの曲の事は
あまりよく分かりません。
音楽之友社から以前出版されていた本の中の「吹奏楽作品(邦人)総目録」を見てもこの「地底」に関しては、
「アンサンブル・アカデミーからの委嘱作品、未知の世界「地底」を想像して作曲された、グレード・中級」という記載しか
されていません。
この曲の音源は無いに等しいものがありますけど、どうしても聴いてみたいという場合は1984年の習志野高校の演奏を
収録した「日本の吹奏楽84」を探すか、ブレーンのレジェンダリーシリーズにおいて当時全集を購入された方限定特典の
ボーナスCDの中に確かこの習志野の地底も収録されていたと思いますけど、どちらにしてもこれらの音源は極めて入手困難と
思われます。
私は、ワールドレコード社のオリジナルカスタムテープで、1976年の富田中の演奏と1984年の市立習志野の演奏を所有
していますので、今となっては知る人ぞ知る隠れた名曲を一人こっそりと?堪能させて頂いております。
地底は一言で言うと、冷たいひんやりとした音楽です。
前半のひそやかさとは対称的に、後半の不気味な迫力と劇的雰囲気にはかなり圧倒されるものはあります。
打楽器もティンパニ・大太鼓・シンバル・ドラ・シロフォーン程度でそれほど多彩ではないし特殊楽器も使用されていません。
そうした普通の編成で、ここまで特殊な雰囲気が作れるとは驚異的だと感じています。
ラスト近くのいかにも地底から吹き上がるような音の絵巻はまさに圧巻です。
かなり陰気で怨念溢れるというかドロドロとした暗い情念に溢れた音楽なのですけど、冷徹さという感じではなくて、
聴き方によっては涼しい谷間での冷たい水の感覚といった感覚のようにも聴こえたりもします。
私自身が一番不思議に思っていることはこの曲の呼び方です。
1976年の富田中の演奏を収録したカスターテープにおいては、自由曲のアナウンスではなぜか「ぢぞこ」と呼んでいましたけど、
私自身も生演奏をこの耳で聴いた1984年の習志野高校のアナウンスでは間違いなく「ちてい」と呼んでいました。
多分「ちてい」という呼び方が正解だとは思うのですけど、富田中のあのアナウンスは単なる読み間違いという可能性が濃厚
なのかもしれないです。
富田中はやや荒っぽいつくりで習志野は対照的に洗練された感じです。
最近の吹奏楽コンクールでは地底自体が既に忘却の彼方の楽曲ですし、支部大会でも1987年の関東大会で演奏されて以降は
30年以上どのチームも演奏されていません。
この曲のプロの演奏も是非是非聴いてみたいです!
習志野高校は1984年の地底の演奏以降の自由曲は、ローマの祭り・海・ダフニスとクロエ・サロメ・交響三章・
ローマの噴水・スペイン狂詩曲など洗練されたフランス系アレンジ路線をメインに吹奏楽コンクールに臨んでいましたけど、
1984年だけ、どうしてこんな知る人ぞ知る邦人オリジナル作品を自由曲として選曲したのは少し謎ですね~
1982年も習志野は「呪文とトッカータ」というバリバリのオリジナル曲を自由曲にしていたことはありますけど、
習志野の地底と呪文とトッカータは伝統的な習志野の自由曲の傾向としては極めて異例ともいえますし、それだけに希少価値が
高そうな演奏と言えそうです。
1976年の富田中の地底の演奏は、おぞましい・不気味・おどろおどろしい・こわい・曲がドロドロしているという印象が
大変強いのですけど、1984年の習志野の演奏を聴くと、そうした印象は全く感じられません・・
むしろ、都会的・近未来の風景みたいな富田とはまるで180度異なる感想を抱いてしまうので、
音楽は指揮者の解釈によって全然異なるものだと改めて感じてしまいます。
この年から既に習志野高校は洗練・繊細・気品といった習志野サウンドは完成の域に達していたと思います。
音楽が大変洗練されていて、どの部分を演奏してもサウンドが大変美しくかつデリケートに優しく響いてきます。
強奏の部分も、サウンドが荒れる事も全く無く自然に響いてきます。
この年の演奏で特に印象的だったのは木管のしなりです。
特にクラリネットセクションの美しさとか音のひそやかさは本当に素晴らしかったですし、
この曲が本来有しているおどろおどろしさをいかにも和風のあでやかさとはかなさに変容させていたのは素晴らしかったです。
この曲は、ラスト近くでトランペットがかなり咆哮し打楽器の激しさと合せて
まるで「吹奏楽のための神話」の中間部の踊りみたいな雰囲気で終るのですけど、
そうした部分もうるさいという感じは全く無く、むしろあでやかという雰囲気がよく出ていたと思います。
当時の私としては「これはもう金賞以外絶対にありえないじゃん・・」と予想していたのですけど、結果は銀賞に留まり
邦人オリジナル作品を音楽的に深く掘り下げていたにも関わらず銀になった東海大四という事例もありましたので、
「やっぱり邦人作品は審査員に嫌われるのかな・・」と感じたものでした。

ここから下記は余談です。
上記において名取吾朗の「地底」を取り上げさせて頂きましたけど、小説における地底人に関する主な作品というと、
地底世界には原始人や恐竜が生息していることがモチーフになっているジュール・ヴェルヌの「地底旅行」や
80万年後の未来世界では人類の子孫として地下に住む白い類人猿「モーロック」が存在しているというH・G・ウェルズの
「タイム・マシン」などが印象的です。
特撮のウルトラシリーズとしては、ウルトラマンにて、地殻変動により地底に追われた種族として地底人が登場し、
地底怪獣テレスドンを操り地上を破壊した回や
帰ってきたウルトラマンにて、地底原始人キング・ボックルが登場した回もありました。
アニメ作品としては「六畳間の侵略者!?」が印象的でした~♪
父の転勤によって高校入学と同時に一人暮らしをすることになった里見孝太郎は、月5000円・敷金礼金無しの格安物件である
築25年のアパート・ころな荘の106号室へ引っ越すことになるというのがおおまかなストーリーですけど、
過去の106号室入居者は幽霊が出没するとの理由からことごとく短期間で引っ越してしまっていて、
入学式の晩、孝太郎の前にその幽霊である東本願早苗が現れ、早苗は孝太郎に対して106号室の先住権を主張し、
幸太郎を追い出そうと画策し、翌日には106号室の窓を突き破って自称・魔法少女の虹野ゆりかが、
翌々日には古代文明の地底人の末裔を自称するキリハが、
翌々々日には宇宙人の神聖フォルトーゼ銀河皇国第7皇女・ティアミリスが、
それぞれ理由を付けて106号室を占拠すべく乱入していたハチャメチャな内容でしたけどとても楽しかったです~♪

「地底人」というといしいひさいちの漫画、及びその登場キャラクターもとても面白かったです!
毎回地上への侵略計画を立てるがいつも失敗し、地底人の地底国のさらに下には「最低人」が生息していていたのも
楽しかったです~♪
最底人から地底人への攻撃というのも「おまえ、アホやろ~」みたいな感じだったのもとても面白かったです。
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その唯一の金賞が1975年の神話ですけど、あの神話の演奏は中学生初演とは思えない圧巻の名演だと思いますし、演奏終了後の客席からの「やったね!日本一!」の声援もわかる気がします。
翌年は記事にもあった地底で、翌々年が瞑と舞ということで当時としてはここまで邦人作品に果敢に切り込んできたことは大変価値があったようにも感じられます。