ショスタコーヴィチの交響曲というと圧倒的に交響曲第5番と交響曲第7番「レニングラード」が名高いですし、
特に5番の方は、プロコフィエフの5番・マーラーの5番・シベリウスの2番などと共に「20世紀に作曲された交響曲」としては
極めて人気が高く演奏頻度が高い素晴らしい名曲だと思います。
ショスタコーヴィチ好きの方ですと、交響曲としてはそれ以外にも9番や10番も根強い人気があるかとは思いますし、
コアなマニアックなショスタコーヴィチファンの皆さまですと、8番・13番・14番を推されると思いますし、
より病的な?ショスタコーヴィチ好きの方ですと交響曲第4番の謎めいた世界にはまる方もいるのかもしれないです。
ショスタコーヴィチの交響曲というと「政治に翻弄されて作曲者自身が真に伝えたいことを封印せざるを得なかったため
妥協的な作品が多い」という批評もあるのかもしれないですけど、そうした批判は一度でも交響曲第4番や10番や13番を
聴いていただけるといかに的外れであるかはご理解頂けるのかもしれないです。
ショスタコーヴィチの交響曲は本当に大雑把にざっくりというと、「音の絶対性」だけを追求したと思える純音楽的な曲といえる
交響曲第1番と生涯最後の交響曲でもある交響曲第15番のやはり音の絶対性を追求した純音楽の間に2~14番という
政治に翻弄された曲、メッセージ色を漂わせた曲、御用作曲家の要素がありそうな曲、政治からの批判に対して名誉回復的な
意味合いがありそうな曲、反体制的な香りもありそうな曲、第二次世界大戦という戦争の影が色濃く漂う曲などなど
さまざまな形式や心情を織り込んだ曲があるのですけど、交響曲第1番はそうした政治からの影響を一切感じさせない
あくまで音の絶対的価値観だけを追求した曲ともいえそうです。
同様なことは最後のシンフォニーでもある交響曲第15番にもいえそうですけど、15番のショスタコーヴィチは、
もしかして人生の終焉もみえてきて「最後に自分らしい曲を残しておこう・・」みたいな意識も多少はあったのかもしれないです。
最後の最後になってショスタコーヴィチ自身は自分自身の原点に立ち戻ったともいえそうです。
ショスタコーヴィチの交響曲第1番はわずか19歳の時に作曲されていて、
(厳密にいうと17歳の時点で既に第二楽章のスケッチも完成しています)
1925年5月6日、レニングラード音楽院作曲科の卒業試験において、2台ピアノ用に編曲した作品がまずはお披露目され、
翌年にレニングラードフィルにて初演が果たされています。
その初演は熱狂的な反応を得て大成功を収め、第2楽章がアンコール演奏されていますけど、ショスタコーヴィッチの
指導教員でもあったグラズノフは試演前に「和音がなっていない」と第一楽章冒頭部分等の訂正を要求し、一度は
ショスタコーヴィッチはしぶしぶその訂正に応じていますけど、最終的には初演前に元の形に戻され、グラズノフは気分を
損ねたというエピソードもあるそうです。
(グラズノフは確かに作曲家としては名高いですけど、ラフマニノフの交響曲第1番を無理解のまま指揮初演し大失敗に
導き、それによって長い間ラフマニノフは鬱病に悩まされますので、音楽教育家としてはダメな先生だったのかもしれないです。
ショスタコーヴィッチも自伝で師でもあるグラズノフに対しては時に辛辣におちょくっています・・)
当時レニングラードに客演していたブルーノ・ワルターは、この交響曲第1番に感銘を受けて1927年にベルリン・フィルを指揮して
国外初演を行い、それが契機となってオットー・クレンペラー、トスカニーニ、ストコフスキー、ベルクなどから賞賛され、
欧米諸国への紹介が行われるなど音楽界に衝撃的なデビューを果たすことになりました。
今現在でものちに大変な大ヒットクラシック音楽となった交響曲第5番よりもこの交響曲第1番の方を高く評価している人たちも
少なからず存在していることは、それだけこの交響曲第1番の意義が高いということなのかもしれないです。
この交響曲第1番は改めて聴くと奥が深いと感じますし、作曲者が19歳の時に書いたとは思えないほど
濃密な内容の曲だと思います。
ショスタコーヴィッチというとどうしても政治やスターリンに振り回されたという印象が付きまとうのですが、
この曲は、まだそうした政治との絡みが皆無の頃の作品なので、純粋に音楽を楽しもうとか新しいことに挑戦してみようという
気持ちが伝わってきて面白い曲だと思います。
楽しいという感覚の曲ではなくて、どちらかというと、無限の数学とかパズルゲームみたいな感覚の曲であり、
軽快さ・ウィットと無機質な操り人形みたいな感覚が混在した不思議な交響曲でもあるのですけど、
一見取っ付き難いような印象があったりするのもその後のショスタコーヴィチの「本音を隠して作曲活動をせざるを得ない」という
生き方を先取りしているようにも感じられなくはないです。
くすんだような第一楽章、ピアノが渋い働きを見せる第二楽章
瞑想的な第三楽章、そして第三楽章のラストから小太鼓のロールで第四楽章に繋がっていくのですけど
この第四楽章もも決して「楽しい」という感じではありません。
だけど何か純粋に音楽そのものをのびのびと楽しんでいるという感じが伝わってきていて、作風は全然異なるのですが
後の交響曲第9番の茶目っ気や皮肉にもリンクしているような気がします。
個人的には、第四楽章後半の大胆不敵なティンパニソロとそれに続くチェロのつぶやくような
くすんだソロの部分が大好きです。
その大胆なティンパニソロ直前には一旦激しく盛り上がりかなり紅潮した気分になりますけど、それが突然全和音により
休止し、静まり返った後でティンパニによる完全ソロによって強弱の変化を伴った不思議な音型を奏するのですけど、
あの大胆不敵な使い方がとても大好きであったりもします。
曲全体としてはミュートを付けたトランペットの使い方もとても巧みだと感じます。
この交響曲第1番は19歳の時に完成した作品番号10の若書きの曲ですけど、ショスタコーヴィッチにとって初めての交響曲
であることを考えると、凄い才能と感じてしまいます。
マーラーの交響曲第1番「巨人」も若書きで、初のシンフォニーにしては異常に完成度が高いとかよく言われますけど、
マーラーの巨人は、その前に書いたとされる北欧交響曲やイ短調交響曲もありますので、実質的には1番ではないのかも
しれないですけど、
(マーラーのこの二つの交響曲は破棄またはドレスデン絨毯空爆の際に焼失したといわれ、現在は影も形もありません)
純粋に10代のころの初交響曲としてこんなにも完成度の高い曲を残したショスタコーヴィッチの偉大さを改めて
感じてしまいます。
1991年にインパル指揮/都響でショスタコーヴィッチの交響曲第1番を聴いたことがあるのですが、凄まじい歴史的名演だったと
思います。
この演奏を聴くと、無限のパズルを一つ一つ解離していくというインパル流の解釈が感じられ当時はとても驚いたものでした。
演奏終了後、奏者は舞台から既に去っているのにただ一人インパルだけは、聴衆のカーテンコールに何度も何度も
応えているのがとても印象的でした。
吹奏楽コンクールとしてなんと驚くべきことにこの曲の第四楽章が全国大会で演奏されたこともあります。
それを演奏されたのはさすが・というか1979年の花輪高校吹奏楽部&小林久仁郎先生なのですけど、
カスタムテープを聴いた限りでは、課題曲B / プレリュードの静と動の対比も素晴らしいですけど、自由曲のこの
ショスタコーヴィッチの交響曲第1番~第四楽章も素晴らしい音楽域完成度だったと思います。
確かに部分的にトランペットの音色つぶれや破裂音やミスも目立つのですけど、小林先生の自由自在な解釈は
ショスタコーヴィッチの若かりし日の感情を瑞々しく反映したものだと思います。
ラスト近くのティンパニソロも原曲以上に大胆不敵な解釈をされていました!
この曲は21世紀にはいって湯本高校の全国大会演奏もありますけど、花輪高校の演奏には及ばなかっと思います。
個人的には1985年の東北大会で聴いた十和田高校によるこの曲の演奏も素晴らしいものがあったと思います。
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