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dream fantasy2の
アミグリさんが2022年11月に描かれた鬼娘の萃香
本日は「鬼は外~」でおなじみの節分でもあるのですけど、節分というのは2月3日のいわゆる「豆まきの日」の節分
だけではなかったのですね。
本来は一年を通して、計4回の節分があり、立春・立夏・立秋・立冬の前日がそれぞれ節分なそうです。

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恵方巻の一例
4回もある節分ですけど、一般的には節分というのは豆まきをしたり恵方巻を食べるのは2月の立春の節分のみとい
うイメージは結構あると思います。
ここ最近では関東でもコンビニやスーパー等でも節分というと恵方巻の販売が盛んに行われていますけど、
数年前にコンビニでの売れ残った恵方巻の廃棄問題や過剰販売が問題になり、以前に比べるとそうした無茶な商品展開が
行われていないようにも感じられるのは自然なような気もします。
埼玉でも数年前に真夏の季節に恵方巻が売られていたこともありましたけど、たしかあの時は店頭でも全然
売れなかったようで相当数廃棄されていたように感じましたが、廃棄するならいっその事半額引きで売ればいいのに・・
もったいない・・と感じたものでした。
それ以降は関東ではどちらかというと恵方巻は2月の節分の時のみの取り扱いに落ち着いてきたような印象もあります。
クリスマスケーキや恵方巻き等の季節もの商品に関しては、店内では基本的には商品を置かず、事前に予約が
あった数だけを生産し、極力売れ残りによる廃棄や食品ロスを取り組む方にコンビニ全社がシフトしてほしいと思いますし、
そうした方がコンビニオーナーにとっても廃棄処理の費用の軽減化につながり、むしろ利益をもたらしているそうですので、
消費者としても過剰な商業ベースに乗せられず、「本当に必要なものだけ購入する」という原点も忘れたくないものですね・・
豆まきというのは全国的な風習と言えるのかもしれないですけど、恵方巻を食べるという習慣は元々は関西方面がメイン
であったのを、「2月3日はがぶりと恵方巻をかぶりつきましょう!」とコンビニ等が
2月の立春の節分と恵方巻をセットにしてキャンペーン展開したのがそもそもの始まりなのだと思います。
東北生まれ・東北と関東育ちの私にとっては、「恵方巻」って言われてもいまだに今一つピンとこないのですね。
関西方面の行事をいつの間にか「日本の伝統行事」として全国展開するコンビニの商魂逞しさには圧倒されてしまいます。
節分というともちろん恵方巻や豆まきという行事も大変尊いものがありますけど、もしかしたら節分の陰の主役は
鬼なのかもしれないですね・・
冒頭の鬼らしき美少女は
dream fantasy2のアミグリさんが2022年11月に実に13年ぶりに描かれたという東方Projectでは鬼の四天王の一角でお馴染みで、
大変な力持ちで大酒のみでもある鬼の萃香です。
鬼というとイメージとしては畏敬とか恐怖という印象が大変強いですけど、常識に囚われてはいけない幻想郷の世界観に
あっては鬼すらもアミグリさんが描かれた通りすてきな美少女と化してしまいますので、
やっぱり東方の奥深い世界には惹きつけられてしまうものがありそうです。
このアミグリさんが描かれた萃香は後半に改めて転載&ご紹介をさせて頂きたいと思います。

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歴代ピンク系プリキュアたちによる節分の豆まき
2月3日の節分の豆まきというと力士やアイドルたちといった著名人による豆まきは昔も今も相当人気があり見学客が
たくさん押し寄せてきそうですけど、私的にはもちろんアイドルたちの豆まきもいいけど、一度見てみたいのは
歴代プリキュアたちによる豆まきなのルン~♪
数年前にも都内の池上本願寺でも歴代ピンク系キュアたちによる豆まきが実施されていたようですけど、あれは是非
行ってみたかったですルン!
ちなみにですけど、2012年放映の「スマイルプリキュア」の敵幹部の一人がアカオーニという鬼キャラでしたので、
そうしたプリキュアたちによる節分の鬼役にはいうまでもなくアカオーニが一番適役といえそうです。
外界では節分本来の意義を忘れてやたらと恵方巻きの販売ばかりがクローズアップされてきたのがコロナ禍前後の節分の
状況でしたが、果たして外界の常識に囚われてはいけない幻想郷においては、「節分」とはどのように
認識されているものなのでしょう・・?
というか、それ以前に幻想郷において節分という季節の行事自体存在しているものなのでしょうか・・?
実は幻想郷にも「節分」という行事は既に定着している模様です。
霊夢が博麗神社にお賽銭を参拝客にたくさん放り込んでもらうために、神社での豆まきイベントを以前から
実施していたような描写が東方茨歌仙にもありました。
東方Projectにおける節分は、その公式書籍と公式漫画において、
霊夢のように豆をまいて鬼を追い払う側からの視点とレミリア様は厳密には鬼ではなくて吸血鬼ですが追い払われる側の
両方の視点から語られていて、その見解の違いが大変興味深いものがあります。
パチュリーさんの節分に対する見解として、
「あれは鬼が決めたお遊びというか、人間に対する皮肉なの。 鬼は人間が嘘吐きである事を一番嫌ったから、
炒った豆を持たせた 」
「豆をまくという行為は、本来は芽が出てそのまま農作に繋がるの。
その豆に火を加えてしまうと芽が出なくなってしまう。つまり人間は偽りの農作を演じることになる……と 」
「最初は恐らく、人間が自分を退治出来る様に鬼の方が決めた弱点だったんでしょう 。
本当は致命的な弱点も持っているけど、それを見つけられる前に代わりの弱点を作る。
強い物ほど、変な弱点を持っているのよ 」と述べられたうえで
文ちゃんはパチュリーさんに対して
「吸血鬼も炒った豆に弱かったのは、日光に弱いことを隠すためって事ですか? 」とツッコミを入れているのですけど、
「日光に弱いのもカモフラージュかもしれない。日傘一つで外を出歩いてるし ・・」と
暗に「レミリア様は実は鬼・・?」という事をはからずもパチュリーさん自身が示唆されているのは面白いと感じたものです。
さてさて、それでは人間として「鬼退治を行う側」としての博麗神社の霊夢はどんな感じなのでしょうか・・?
博麗神社の霊夢が行おうとしている節分は言うまでもなく日本古来からの伝統的ないわゆる「豆まき」です。
つまり、霊夢が意図する節分とは鬼退治の行事であり、つまり、鬼と人間を結びつける儀式でもありますし、それは同時に
鬼は人間を襲う代わりに人間は鬼を退治するという幻想郷内の妖怪対人間の絶対的なお約束ルールでもあります。
霊夢から「華扇もうちの神社の豆まき手伝って!」と頼まれる華扇ですけど、 明らかに困惑して嫌そうな華扇がそこにはいます。
だって、そりゃ、そーですよね~
茨歌仙は無事に最終回を迎えていますけど、公式としては、「華扇の正体は鬼である」と表明した事は一度もないのですが、
ここまでの 様々な状況証拠から見て「華扇=実は鬼」というのはほぼ誰の目にも明らかなのだと思います。
この話が収録されている「東方茨歌仙」第21話のラストのト書きにおいては
「鬼の気持ちは鬼のみぞ知る」という事が書かれていましたけど、公式でも既に半分認めているという事なのかも しれないです。
上記でも書いた通り、鬼は炒った豆を体に投げられるのが苦手との事で、 華扇もレミリア様も、炒った豆が皮膚に触れると
水ぶくれを起こすとの事です。
その事を相談された小野塚小町は腹を抱えて大爆笑しています(小町は華扇の正体を知っているからこその反応なのでしょうね)
小町は華扇に「紅魔館の節分」の話を紹介し、 「紅魔館では豆をぶつけ合わない節分を模索している」という事を
華扇に教えます。
この辺りは上記の「パチュリーさんの話」と矛盾する点もあるのですけど、
パチュリーさんが提唱した「無鉄砲に豆を投げ合う事」にそれに参加できないレミリア様が不機嫌になり、
「そんなつまらない節分はやめちまえ!」みたいな事を咲夜さんに伝え、咲夜さんとしては「それだったら・・」という事で
「豆を投げ合わない節分」、つまり・・・太巻きを食べるすなわち恵方巻きを食べるという行事に変容させていったという
解釈が妥当じゃないのかなと思ったりもします。
華扇は咲夜さんの話を聞き、それだったら・・と思いついたのが「豆料理大会」だったのです!
華扇としては、豆をぶつけ合わないですむような「豆料理」をテーマとした節分を意図していたのかも
しれないですよね。
霊夢としてはあまり面白くはありません。霊夢としては、豆をぶつけての鬼退治こそが私の本分と思って
いたでしょうし、その準備も珍しく(?)ちゃんとやっていましたからね・・・
(霊夢が豆を炒る際に霊夢が着用していた割烹着姿はとてもかわいかったです~♪)
この際に華扇が霊夢を説得した論理がとても面白いです。
(華扇としては、霊夢と一緒になって豆まきをさせられることを回避するために必死だったのかもしれないです)
華扇は霊夢に語りかけます。
「豆まきという豆という食べ物を粗末にするイベントよりも、豆を素材にした食のイベントの方が参拝客は集まりやすいし、
お賽銭も集まるのではないのかな?」
(このあたりの華扇の話術はとても巧いですね~)
「節分でどうして豆がまかれるようになったのかというと、節分の時期は天候の変わり目という事で、こうした不安定な時期は
鬼がやってきやすいから、鬼を追い払うための行事が必要で、そのために語呂合せとなるけど、豆=マメ=魔目という事で
摩滅という言葉に繋がる豆をまく事が奨励された」
その一方で華扇はこうも霊夢に語っています。
「豆が魔目というならば、どちらかというと豆は魔そのものである。
結果的に豆まきで家の中のあちこちに魔をばらまいているし、特に節分の豆まきの「福は内」の掛け声の際は、結果的に
自ら魔を家の中に呼び込んでいるようなもの」
「どうしてそうした誤解が起きたのかというと、人間達は鬼という存在を外部からやってきたと錯覚しているけど、
鬼は元々人間の内部から生ずるもので、その証拠に多くの鬼は元・人間であった」
「そうした意味では本来の節分における豆の役割とは、豆を食べて体内から人間の心の中に潜んでいる鬼を追い払うという
事でもあり、天候の変わり目で体調が崩しがちな時期に豆を食べることで健康になるのではないの・・?」と霊夢を諭し
結果的に霊夢は節分行事としての豆まきを中止し、代わりに豆料理をみんなで食べよう!という食のイベントに変化させ、
結果として博麗神社の節分は大賑わいとなります。
まとめると・・
「鬼は元々は人間が変化したもの」→「人間誰の心の中にもそうした鬼みたいな要素は内在している」
→「それだったら人間の体内に潜んでいる鬼を追い出すために、鬼が嫌いな豆料理を食べることで
体内の鬼を追い出そう!」という理屈であるのですけど、
これってもしかして・・・?
「華扇は元々は人間で、人間から鬼になったもの」という事を示唆しているのかな・・・?
そしてこの話が示唆している事はいうまでもなく、誰の心の中にも実は鬼が潜んでいて、それをギリギリの所で制御しているから
人間は自らをヒトたらしめているのかもしれないです。
警察関係者がよくいわれるように「人殺し等の犯罪者と普通の人たちは実は大体同じようなモノ・・人の心に内在している
鬼の要素を抑制できずに人殺し等の大罪を犯した犯罪者と鬼の心を制御している普通の人たちの心の境は紙一重の
ようなもの」というのは案外正鵠を得ているのかもしれないです。
そうした訳で博麗神社の「節分」は豆まきではなくて豆料理大会の屋台と化してしまいました!
そこに鬼のお面を付けた萃香が登場します・・「たーべちゃうぞー!」と萃香は人間を脅かします。しかし誰からも反応も無く
退治してもらえなくて涙目になる萃香がロリかわいいです。。
そこで華扇が「豆が無ければ雪玉をぶつけて鬼を追い出せ!」とこっそりアシストし、雪合戦?になって
無事に終了と言う流れでした。
幻想郷の人間は、を怖がらないし平気で雪もぶつけられるんだ・・という点に関しては、
上記で記したとおり、節分とは鬼と人間を結びつける儀式でもあるのですけど、
鬼は人間を襲う代わりに人間は鬼を退治するという一つの信頼関係が復活したことで萃香としては
喜んだという解釈も取れるのかもしれないですね。
本記事は節分という事で、節分の陰の主役は「鬼」ということで、
dream fantasy2 のアミグリさんが描かれた東方鬼娘の中から、
星熊勇儀・華扇・萃香の3人のすてきな鬼娘を皆様にご覧いただきたいと思います。

まずはアミグリさんが2012年7月に描かれた星熊勇儀と水橋パルスィです。
(パルスィは鬼ではないのですけど、東方地霊殿においては勇儀と共に各ステージのボスも務めていましたので、
勇儀とのツーショットというのは全く違和感ないです)
それにしてもこの二人のイラストはとてもかわいいですね~♪
阿求の「東方求聞口授」においては「嫌われ者」と名指しをされている 勇儀とパルスィの二人ですけど、
アミグリさんが描かれたこのイラストからは
「いやいや、そんな事無いよ!」と阿求に反論したくなるようなかわいらしさに溢れた二人なのだと思います。
星熊勇儀は、見た目の一角とか大酒飲みとか鬼ゆえの恐怖という事で、一般的には「ちょっとこわい」といったイメージで
描かれる絵師様が多いようにも感じられますし、鬼っぽいイメージで描かれる絵師様が多いのだと思います。
そうした鬼=こわいのイメージの星熊勇儀をここまでかわいく描かれた絵師様も珍しいように感じますし、
とても貴重なイラストと言えるのだと思えます。
そして勇儀の隣にいるパルスィは「嫉妬に狂う女の子」というよりは「恥じらいの乙女」という雰囲気が漂っていると思います。
勇儀は大酒飲みとか鬼とか角とか怖い印象を持たれがちなのですけど、
アミグリさんの色彩がとっても優しい感じで暖色みたいな雰囲気もあるので
怖いというよりは頼りになるお姉さんみたいな感じでまとめられていると思います。
こうやって二人並んでいると「姉妹」のようにも見えたりもしますね~
このツーショットの勇儀の手首の鎖は、ブレスレットみたいな感じになっていて、
ファション性重視みたいな鎖になっていてとてもおしゃれっぽい感じが漂っているのがすてきでする

続きましてアミグリさんが2019年3月に描かれた華扇です。
華扇というと原作では必ずしも華扇=鬼というのが明確に確定されたという訳ではないのかもしれないですけど、
「東方茨歌仙」の最終話を読んだ限りでは、誰がどうみても華扇の正体はやっぱり鬼だったんだ・・という事になるのかも
しれないですね。
(最終話に登場していた天子ちゃんが何気にいい味を出していました!)
背景を入れない事で華扇のかわいらしさを強調していると感じますし、ちょっときょとん・・とした表情もとてもかわいいです!
導師服がとってもよくお似合いだと思います。
ゆかりんや隠岐奈の導師服はロングスカートなのですけど、華扇はミニスカという事で
黒ニーソとの合せ技ともいえる絶対領域がとてもお美しいです!
華扇は雰囲気的には霊夢・魔理沙のお姉さん的な印象と役割があるのですけど、
そうしたすてきなお姉さんがミニスカ・黒ニーソ・絶対領域を纏われていると
キュン!とときめくものがありそうです!
ゆかりん・隠岐奈・華扇の3人は共通して象徴的な装飾の付いた導師服の前掛けを着用していますけど、
この中では最も少女らしい雰囲気を残しているのが華扇ですけど、
アミグリさんの描かれる華扇はそうした少女の面影を大切にされているという印象を強く感じたものでした。
華扇というと最大の特徴はツインのお団子とそれを隠すシニヨンキャップで、
上記で書いた通り華扇の真の正体である鬼としての角を隠すためのものなのかもしれないですけど、
鬼とか角隠しとか抜きに考えて普通のお団子ヘアとして見てみると、少女らしさがより強く感じられると思います。
華扇というと勇儀と萃香同様に手首の手鎖もかなり目立っているのですけど、アミグリさんが描かれた華扇においては、
手鎖はスカートに隠れてチラっ・・としかお見せしていないというのは、アミグリさんとしても華扇の鬼要素を弱めたいという
演出もあるのかもしれないです。

本記事のフィナーレを務めさせていただくイラストは冒頭の鬼の萃香です。
それにしてもなんという美少女の鬼娘の萃香なのでしょうか!!
元ネタが鬼の四天王の一人とは思えないかわいらしさに溢れていると思います!
鬼というと昔から怖い存在とかとてつもない怪力とか人間を食らうこともあるなど恐ろしいイメージ以外の何物でもないですけど、
そうした鬼や天狗、妖怪すらもかわいい美少女として展開する東方キャラは魅力的ですし、
それを実際に一枚のイラストとして表現されるアミグリさんの表現力も素晴らしいなと改めて感じたものでした。
萃香というと「東方茨歌仙」ではどちらかというと幼い幼女という雰囲気もありましたけど、
今回描かれた萃香はいかにもお年頃の女の子という雰囲気に満ち溢れていて、この柔和な屈託のない優しい表情や
手をあげて誰かに挨拶しているような仕草の自然さや
怖い存在の象徴でもあるような角や鎖に対して、髪のリボン・流れるように美しい金髪ロング・二段スカートの
かわいらしさとのギャップがさらに女の子らしさを醸し出していると感じられます。
ここにいるのは鬼ではなくてお年頃の普通の女の子という感じすら漂っていると思います。
やっぱり東方は改めて常識に囚われてはいけない世界なのかもしれないです。
華扇・星熊勇儀・萃香は幻想郷の鬼娘たちですけど、そうした東方の鬼の視線から見てみると
「人間たちは自分たちを恐れているようだけど、鬼の視点で見てみると、平気で人間が人間を傷つけたり
時に平気で殺傷したり、これまでの凶悪犯罪史をひも解いてみると、ここまで残酷なことをやるのか・・!?と
感じさせてしまう残忍な事を平気でやっているのは実は人間たちであり、鬼の視点から見てみると実はこわいのは
むしろ人間たちの方である・・」ということなのかもしれないです。
そうした意味においては「鬼」というのは人間たちが勝手に恐れてきた存在というよりはむしろ、
意外と人間の内なる心に誰にでも潜んでいるのかもしれないですし、人は誰でも鬼の要素を秘めているのかも
しれないですし、なにかのきっかけで人は鬼にもなりうるのかもしれないです。
そしてそうした鬼と化する事を防ぐものが人を人たらしめる理性とか相手への思いやりや愛なのかもしれないです。
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本日は節分。ぬくぬく先生様のブログも節分モードですね(^^♪
トップイラストのアミグリ様の描く萃香はもちろん、勇儀&パルスィ、そして華扇も大変美しく可愛らしいです(#^^#)節分という機会に自分自身の鬼と向き合うのも大事かもしれませんね。