本日は冬至です。
2020年の冬至は12月21日でしたけど、2021年と今年・・2022年の冬至は12月22日です。
冬至は毎年同じ日という訳ではなくて、12月21日と12月22日の2パターンがあるようです。
(稀に1920年のように12月23日が冬至ということもあったようです)
冬至が過ぎてしまうと、クリスマス~お正月の準備~大晦日とあっという間に一年が駆け足で 過ぎていきそうな気がして
ならないです。
冬至とは一年で昼が最も短い日で、北半球において太陽の位置が1年で最も低くなる日で、日照時間が最も短くなります。
太陽の位置が1年で最も高くなる夏至と日照時間を比べると、
北海道の根室で約6時間半、東京で約4時間40分もの差があるとの事です。
そして冬至とは具体的にもっとわかりやすく言うと、一年の中でもっとも日照時間が短い日の事を指します。
感覚的には、一年で最も寒い時期が2月だから一年で最も日照時間が短そうな時期って1~2月というイメージも
ありそうなのですけど、実際は12月というのも子供の頃には意外に感じていたものです。
さてさて、冬至とか夜明けというワードを耳にすると、思い出してしまう吹奏楽オリジナル作品が一つあったりします。
それがP.ホヘアー作曲交響曲第1番「ストーンヘンジ」です。
この曲以前は「ストーンヘンジ交響曲」と表記されていましたけど、
ストーンヘンジの作曲以降、交響曲第2~4番が作曲されて、
交響曲第1番「ストーンヘンジ」というタイトルに変更されたという経緯があったりもします。
ストーンヘンジ交響曲は、 イギリスの平原の中にあるサークル上の巨石遺跡をテーマにした交響曲なのですけど、
どちらかというと、具体的なイメージに基づく音楽的風景と言うものではなくて、
イメージとか雰囲気に基づいた曲と言えます。
ストーンヘンジ遺跡は、夏至の日の太陽がまっすぐに祭壇石を照らすと言われていますけど、
そうした太古の昔の人達の儀式とかを抽象的に描いた作品とも言えます。
過大評価すれば、吹奏楽版「春の祭典」と言ってもいいのかもしれませんね。
私の感覚としては、ストーンヘンジ交響曲の第三曲の「いけにえ」とストラヴィンスキーの「春の祭典」第Ⅱ部~いけにえは
もちろん作風も表現スタイルも全然異なるのですけど、伝えたい事はどちらの曲も「なんか似ているよね・・」と
感じてしまいます。
このホヘアーの交響曲第1番「ストーンヘンジ」は、以下の三つの楽章から構成されます。
Ⅰ.冬至の日の夜明け
コンクールのプログラムや文献では、「冬至」と書かれていたり、「夜明け」と表記されていたり、
「冬至の日の夜明け」と記されていたり、不統一な感じもします。
私の感覚的には「冬至の日の夜明け」という表題の方が厳格さ・冷たさ・自然と神への畏敬という雰囲気が
よりイメージされやすいようにも感じます。
導入部分は、ウインド・マシーンが荒涼とした平原を吹きわたる風を表現し、
断片的 に加わる管楽器や打楽器が神秘的なムードを醸し出しています。
途中、ややテンポを上 げたところで音楽は大きく盛り上がり、ホルン、そして木管楽器による叫びが聞こえ ます。
その後、神秘的なムードが再現され、曲は静かに閉じられます。
Ⅱ.招魂
第一楽章からのアタッカで始まり、打楽器が刻む行進曲風のリズムにホルンの ファンファーレ風のフレーズに
呼応するようにトロンボーンとユーフォニアムの ユニゾンがテーマを歌いだしていきます。
その後、少しテンポを上げ、トムトムの刻む リズムに乗って鼓動は高まりますけど、
やがて速度を落とすと、オーボエがそれまでの雰囲気とは対照的に女神のような慈愛みたいな雰囲気の音楽が
奏でられていきます。
全体的には、古代の神や魂を呼び起こす情景を描いた音楽と言えると思います。
Ⅲ.いけにえ
曲全体を一言で言うと、とにかく打楽器の数が多いだけではなくて打楽器が最初から最後まで大活躍をします。
躍動感溢れるリズムの歯切れ良さと金管楽器の爆発は、大変迫力があります。
ミステリアスな部分と金管楽器が咆哮する大変スケールの大きな部分の落差と言うか
そのダイナミックスレンジの幅がかなり広いのが大変印象的です。
全体的に躍動感が素晴らしい曲だと思います。
私の個人的な感覚では、「非常にメカニックな曲」と感じています。
抒情的な雰囲気はそれほど感じないのですけど、
迫力と明暗の対比を音楽に求めるならば、これほどうってつけの交響曲はないと思います。
機械的な精緻な雰囲気が極限にまで拡大しているという印象も感じられたりもします。
第一楽章と第三楽章のラストでウインドマシーンが登場し、
曲全体のラストもウインドマシーンによる風の音で静かに閉じられますけど
この寂寥感が何とも言えないいい味を出していると思います。
本日のような冬至の日は、第一楽章前半とか第三楽章のラストの静粛さと荘厳さが雰囲気に相応しい感じもありそうです。
この曲は全国大会では一度しか演奏されていませんけど、この唯一の演奏がとてつもない名演だと思います。
それが1980年の天理高校なのですけど、
この時の天理は、珍しくも完全にあっちの世界にいっちゃっているような感じもあったりもします。
新子先生の天理高校というと大変知的で理性的という印象が強いのですけど、この年に限っては
「狂気」という側面がかなり濃厚に出されていると感じられます。
この年の天理の課題曲D/オーバー・ザ・ギャラクシーが大変理性的に精緻に表現しているのとは対照的に
自由曲のこの「ストーンヘンジ交響曲」は、感情や本能が命ずるままに自由に吹いているという印象が大変強いと思います。
ややヒステリックでクリスタルみたいな音質のトランペットセクションが気になりますが、
全体的には迫力満点の素晴らしい演奏です。
強いて難を言うと、ウィンドマシーンの効果は今一つのように感じるのですけど、後から聞いた話では、
天理はラストの場面ではあえてウインドマシーンを使用せず、楽器の口ではなくて楽器そのものに息を吹きかけて
「風」の音を表現したとの事ですけど、理性的と熱狂がうまくミックスしたと素晴らしい演奏だと思います。
そしてラストの音は確かツリーチャイム(ウインドチャイム)の静粛なシャラン・・という響きで閉じられていたと記憶しています。
全体的には、天理の「圧倒的な演奏技術の高さ」が一つの極限にまで達したようにすら感じられます。
全体を通して、情緒というものよりも、何となく機械的表現重視という感じもするのですが、冷静に知的に処理していたと思います。
技術的には一つの完成と言っても過言ではないと思います。
この曲は、前述の通り、吹奏楽版「春の祭典」といってもいい曲なのかもしれませんけど、
いかにも「いけにえの踊り」という感覚をよく表現していたと思います。
課題曲同様、金管の音が少々硬いものの、全体的に精密な設計図を寸分違わず施工しているという感じがします。
クライマックスのすさまじいfffもお見事!!
ラストの静粛も息を秘める緊張感が漲っていたと思います。
この交響曲、木村吉宏指揮/大阪音楽団の演奏で「吹奏楽・交響曲シリーズ」として発売された時は、
本当に私は狂喜乱舞したものです。
こうした知る人ぞ知る埋もれたマイナー名曲シンフォニーをああやって「陽の目」を当ててくれた功績は
かなり大きいと言えると思います。
天理の選曲はどちらかというと、スタンダードで正統派の曲を真正面から正攻法で捉えるパターンが多いと思うのですけど、
そうした天理の歴史の中でも、こういうマイナーなんだけど「埋もれた名作」を取り上げてくれることは
今にして思うと大変貴重だったのではないかと思います。

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ツリーチャイム(ウインドチャイム)
天理が最後の場面で静かな熱演のように厳粛に閉じられていた場面で効果的に知的に決めていた楽器が
ツリーチャイム(ウインドチャイム)でしたけど、
この打楽器は直径数ミリ、長さ数センチから十数センチの金属棒を、数十本、次第に長さが変化するように横に並べて
糸で吊り下げたもので、ビーターや手などを用いて金属棒を揺らすと、金属棒同士がぶつかり合って高い噪音を出すことが
出来ますし、その音色はとても繊細で神秘的です、

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参考までに、上記画像は「ウインドマシーン」という人工風製造機みたいな特殊打楽器です。
円形のドラムを回転させ布を接触させ、その摩擦音を風の効果音として人工的に作り上げています。
ドラムの回転速度によって音に強弱がつけられたりもします。
このウインドマシーンが効果的に使用された事例としては、ストーンヘンジ交響曲以外では、管弦楽作品においては、
R.シュトラウスのアルプス交響曲とグローフェの組曲「グランドキャニオン」、ヴォーン・ウィリアムズの南極交響曲が
挙げられ、吹奏楽ではスパークの「宇宙の音楽」において効果的に使用されています。
こうした冬至の日には、天理高校か大阪音楽団の交響曲第1番「ストーンヘンジ」でも聴いて、祖先の魂とか自然への畏敬を
感じてみたいものですね~♪
冬至というと日本人の感覚で言うとかぼちゃを食べるとかゆず湯というイメージもあるのかと思います。
かぼちゃがお菓子としては大好きだけど野菜としてはそれほど好きでもない私にとっては冬至と言うと
銭湯や日帰り温泉等でやっている冬至の日のゆず湯の方が印象度は強いです。
最近は銭湯やスーパー銭湯や日替わり温泉施設で冬至の日にゆず湯を提供している所もめっきり少なくなったようにも
感じられますけど、私が学生時代にアパートにお風呂がないために週に何度か銭湯を利用していた頃には、
冬至というと結構多くの銭湯でゆず湯をやっていましたし、あのゆずの香りを感じながらのお風呂も普段とは違う
リフレッシュ感はありましたし、ゆず湯に入っていると「間もなく一年も終わるよね~」としみじみ感じたものです。
本日の冬至においては、間もなく終わりを迎える2022年に思いを馳せながら、あと少しで到来する新しい年について
希望的観測を持ってゆず湯などを楽しんで頂ければ幸いです~♪
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出雲大社やストーンヘンジの如き古代人の祭礼施設の前に立つと、なぜか厳粛な気持ちになります。
我々と同様に数十年しか地上で生きない古代人は、一体何を祈っていたのでしょうか?
やはり我々と同じく「平和が長く続いて人々が幸せに暮らせますように」だったのかな?
その切なる願いは、数千年経った今でもまだ残念ながら叶ってはいません。