昭和の頃の話ですけど「なんちゃっておじさん」という噂話というのか今風に言うと都市伝説みたいな話が
深夜ラジオを中心に流行っていた事があったものでした。
確かあれ・・私の記憶ですと朝日新聞の記事にて「実はあれは私の創作でした・・」と名乗り出た放送作家の話が出て、
なんちゃっておじさん自体のネタは下火になっていたような気もしたものですけど、
この「なんちゃって」という言葉自体は「死語の世界」とは必ずしもなっておらず今現在も会話としては結構普通に
未だに使われているような気さえします。
例えばですけど、とっくの昔に高校を卒業しているのに、セーラー服とかブレザー制服をこっそりと着用して
女子高生コスプレ気分を味合う事を「なんちゃって女子高生」とか「なんちゃってJK」みたいな言葉も一部では
あるみたいですね・・
あのなんちゃってJKですけど、面白いものでして現役女子高生さんが自分の通う学校とは違う制服を着たとしても
その雰囲気はいかにも現役JKみたいな雰囲気を醸し出しているのに、
女子大生さんとか社会人になったばかりのOLさんがJK制服を着たとしても
廻りからの雰囲気としては「あれれ・・この人なんでこんなコスプレしているのだろう・・」みたいに感じてしまうのは、
どうしてなんでしょうかね・・?
十代後半の女の子と十代スレスレの女の子または二十代前半の女の子の「見た目の雰囲気の壁」というものは
もしかしたら結構あるのかもしれないです。
私が男子高校生の頃は、吹奏楽部の部室によくすけべな本や雑誌が転がっていたものですけど、
(うちの高校は当時は田舎の公立男子高校ということもあり、制服も校則もほぼ何もない状態で、特に文化部においては
部室にそうしたすけべな本が露骨に頃が゜っていても顧問の先生は「こんな不健全なモノ学校に持ってくるな!」と口では
言っていましたけど、別に没収とか一時預かりということもなく「おまえら、本当にいいかげんにしろよ・・」みたいな感じで
ほぼ放任状態でもありましたけど、当時のそうした昭和の頃の自由な雰囲気は校則や管理が厳しい現代ではちょっと
ありえない話なのかもしれないです・・
それに現在の私の出身高校は数年前に学校統廃合の波を受ける形で男子高校から男女共学となり、吹奏楽部も現在は
部員の大半がJKさんであることを思うと「時代は変わったね・・」としみじみと感じてしまいそうです・・)
余談ですけど、当時の吹奏楽部の部室内のすけべな本の部類では、大人気??女性モデルは、
セーラー服がよくお似合いの小川恵子とか篠塚ひろ美とか寺山久美あたりだった記憶がありますけど、そうした本の大半は
当時は町はずれの成人雑誌専門自動販売機で堂々と売られていたというのも昭和レトロな話と言えそうです。
(当時はビ○本というのもありましたね・・)
ちなみにですけどその小川恵子はその当時で実は既に30歳を超えていたらしいですけど、あのロリロリっとした雰囲気は
本当に現役JKさんという感じでした・・
今にして思うとああいうのを「なんちゃって女子高校生」というのかもしれないです。
あの頃のモデルさんって今風に言うと「おばさんモデル」とか「いかにも年齢詐称みたいなモデルさん」が結構多かったような
印象もあり、当時のちょぃとエッチな雑誌に登場する「セーラー服の女子高生さんらしき皆様」は
どうみても高校を卒業して5~7年程度みたいな雰囲気の方たちばかりで
中には「こらこら・・おまえ・・どうみたって30代のおばさんじゃん!」と部員同士でツッコミを入れていたお姉さまたちも
結構多かったような印象もあったりしたものでした。
今現在の「なんちゃって女子高生」は高校生との実年齢差はせいぜい1~3歳程度だと思われるのですけど、
昭和の頃のその手の本の女子高生さんモデルは明らかに「なんちゃって女子高生」そのもので
どうみても20代後半~30代のお姉さまたちが相当無理してセーラー服とかブレザー制服を着ていたみたいな
印象があったりもしたものでした。

↑
アニメ「ご注文はうさぎですか??」にて、高校生のココアが中学生のチノの制服を着ていたシーン
アニメや漫画等でたまにですけど、10代後半の女の子や20代前半の女の子が、
JK時代に自分が着ていた制服がなつかしくなってしまい、その制服をついつい着用して
「なにこれ、かわいい~ 自分もまだまだ現役女子高生として通用するのかも~」と自画自賛のうっとり妄想をしていたら、
ドアがガラッと開いて、妹や姉から「あんた、何やってんの・・」と冷たい目で見られて
ハッ・・と我に返るシーンがあったりもするものですし、
古い作品ですけど「めぞん一刻」の中でも管理人の音無響子さんが高校時代の制服を何気なく着てみたところ、それを
一刻館の住人に目撃されてしまい、「管理人さんってそんな趣味あったのね・・」と言われて照れていたシーンが
とても印象的であったりもします。
「ご注文はうさぎですか?」第一期第3話のみんなでお泊り回の際に、
高校生のココアが中学生のチノの中学校の制服を着た時の周りからの「似合いすぎてかえってこわい・・」という反応は
極めて妥当というのもなんだかとても面白いものがありましたね~♪
確かに中学生の制服を着たココアはどうみても中学生にしか見えないですよね・・
というかココアはどんな制服を身に纏ってもよくお似合いと言えそうです。
そしてココアの場合は上記の「なんちゃってJK」ではなくて「なんちゃってJC」というのもココアらしい話なのかもしれないです。
あ・・なんだか話が思いっきりそれてしまいました・・
この「なんちゃっておじさん」なのですけど、要は1977~78年頃にラジオの深夜番組を中心に広まった
今風に言うと噂話・都市伝説みたいなものですけど、その実在については否定的な見解の方が強いみたいです。
中には「間違いなく実在していた・・」みたいな事を言う人もいるみたいですけど、
全体的には「あれはラジオ番組での視聴者投稿のネタ話」という見解の方が強いみたいですね。
朝日新聞の記事で「あれは実は私の創作ネタ・・」と名乗り出た放送作家の出現で、このなんちゃっておじさんの噂話は
急速にしぼんでいった感じもありましたし、当時は学校を中心に「口裂け女」みたいな都市伝説も流布していましたので、
当時の世相がどこかそうした都市伝説みたいなものでも受容してしまうような「おおらかさ」がまだあった頃の
ゆるいお話という感じなのかもしれないですね。
この「なんちゃっておじさん」なのですけど、
やくざ風の怖いお兄さんにからまれたおじさんが、 急にわんわん泣き出し、
周囲の視線に困り果てた怖いお兄さんが「おい、泣くのを止めろよ」と困惑して慌てだすと、
おじさんがニッコリ笑って「なーーんちゃって!!」というのが主な概要です。
その他のなんちゃっておじさんの関連ネタとしては、
・独り言を言っており、乗客たちが不審に思ったところへ「なーんちゃって」と発する
・急に泣き出し、周囲が心配していると、急に顔を上げて明るく「なーんちゃって」と発する
・腹をおさえて苦しみ出し、周囲が心配していると、元気な素振りを見せて「なーんちゃって」と発する
・麦わら帽子に半ズボンという子供のような服装であり、窓を開けて外の景色を楽しんでいると、
帽子が風で飛ばされて泣き出すが、実は帽子に繋いだ紐を手にしており、
帽子を手元に取り戻して「なーんちゃって」と発するなどなど色々な派生・応用ネタも当時なにかと多かったようです。
さてさて・・、クラシック音楽の中にもこの「なんちゃっておじさん」を彷彿とさせる交響曲も実はあるのではないのかなと
思ったりもしています。
それが、ショスタコーヴイッチの交響曲第9番だと思うのです。
「交響曲第9番」は交響曲を作る作曲家にとっては一つの壁にもなっているようです。
シューベルト・マーラー・ブルックナー・ドヴォルザークなど、交響曲第9番が結果的に最後のシンフォニーになってしまった
作曲家が多いというせいもあるのだと思います。
(マーラーは交響曲「大地の歌」を素直に交響曲第9番として発表すれば、完成された番号付の交響曲は
第10番という事になったと思いますし、
ブルックナーは交響曲第0番を一番とすればよかったのに・・とも思ってしまいますね・・)
「交響曲第9番を作曲するとそれが最後のシンフォニーになってしまう」というのは、
それはもしかして上記の話ではないですけどそれが既に都市伝説の領域になっているのかもしれないです。
ちなみに当ブログでもしはしば登場する20世紀のイギリスの作曲家のアーノルドもその最後の交響曲は交響曲第9番てした。
ショスタコ―ヴィッチは、交響曲第9番を作曲している頃は、丁度第二次世界大戦がソ連の勝利の
うちに終結し、嫌でも国家的祝典交響曲を書かないとまずいのではないかという
目に見えないプレッシャーはあったのかもしれません。
初演当時、恐らく聴衆は、ソ連の勝利を祝う大国家的祝典交響曲
(合唱付き? 別働ファンファーレ隊あり? 演奏時間120分?)を予想していたのかもしれません。
それを見事にすっぽかして出来た曲が、この25分程度の軽量級の交響曲第9番だったのです!
第一楽章のいかにも軽いノリやトロンボーンのダメだしみたいな展開
第二・三楽章の可愛らしい展開もいいのですが、
第四楽章の金管の重苦しい導入部に続くファゴットの悲痛で長大なソロは、
これはこれで聴いていて魅力もありますし「少しいたたまれない・・」みたいな哀しさ・憂鬱・メランコリーに溢れているのですけど
第五楽章に入ると、先程まで悲痛なソロを展開していたファゴットが唐突に何の脈絡も必然性も無く
軽いノリのメロディーを展開していく構成になっています。
この展開が上記で書いた「なんちゃっておじさん」みたいな雰囲気のように私には思えてならないのです。
ほんの寸前までさめざめと泣いていた人が急に
ニッコリして「バーーーカ!!、だまされてんじゃーねーよ!!」とかいって
ケタケタ笑い出すような感覚に近いのかもしれないです。
何度聴いても第四から第五楽章への展開は、毎回毎回脱力してしまいます・・・
ショスタコーヴィッチ自身も戦争に疲れ果てて、とても面倒くさくて国家を讃える大交響曲なんて
作曲する気になれなくて、こうした脱力系というか、おもちゃ箱みたいな曲を
思わず書いてしまったのかもしれないですけど、
この交響曲第9番は確かに重厚長大な深刻な内容の曲ではないのですけど、曲の隅から隅まで
才気煥発みたいな冗談とウィットと楽しさに溢れていて洒落っ気溢れるとてもすてきな交響曲だと思います!
ショスタコーヴィッチの交響曲第9番は重厚長大さを期待すると思い切り肩透かしを食らいますけど、肩の力を抜いて聞くと
とてもなく宝箱みたいな感覚に溢れた曲だと思いますが、その中でも第四楽章から第五楽章に移る際の
ファゴットの使い方は本当に巧みだと感じずにはいられないです。

ららマジ器楽部のファゴット担当は橘レイナです。
アルトサックス担当の橘アンナは、レイナの双子の姉の方です。
橘レイナは、橘姉妹のミステリアスな可愛いお姉さんの方でしてアンナの双子の妹の方です。
バトル時の武器はファゴット型の狙撃銃で、複数の銃を同時に発射することもできるそうです。
お顔は双子という事でアンナとかなり似ている雰囲気もありますけど、アンナがボーイッシュな雰囲気なのに対して、
レイナの方はいかにも女の子という感じで、かわいらしい!というオーラに溢れていると思います。
橘レイナの奏でるファゴットでショスタコーヴィッチの交響曲第9番~第四楽章から第五楽章に移る際のあの脱力感を
味わってみたいものです~♪
- 関連記事
-
スポンサーサイト
新年から濃い記事を楽しめました(笑)
小川恵子…画像検索で顔写真見つけました
伊藤つかさみたいな感じで良いですね♪
経緯は忘れましたがとある自販機本(笑)で
吾妻ひでおの漫画を読んだ事があったのを
懐かしく思い出されます
今時の子供たちは何でもスマホ検索だから
「紙の本」をドキドキして購入する、という
経験は無いのでしょうね~
女の子の「家に電話」して父親が出る、とか(笑)
本年もよろしくお願いいたします!