「海」をモチーフにした管弦楽曲と言うと誰がなんといってもC.ドビュッシーの管弦楽のための三つの交響的素描「海」に
尽きると思いますし、ドビュッシーの「海」は全人類の宝物であり後世に絶対に受け継がれてほしい音楽だと思います。
吹奏楽オリジナル作品で「海」というと、私よりも一回り上の世代の皆様ですとラ・ガッシーの「海の肖像」を推される方も
多いとは思いますし、逆に私よりも一回り下の世代の皆様ですとR.スミスの「海の男たちの歌」を推される方は
多いのかもしれないです。
そして私の世代で海をモチーフにした吹奏楽オリジナル作品というとR.ミッチェルの「海のうた」を推される方は多いと
思いますし、事実私自身も高校2年の定期演奏会の吹奏楽オリジナル作品ステージの2曲目で演奏したのがこのミッチェルの
「海のうた」でもありました。
(ちなもにこの時のオリジナル作品ステージで演奏した曲はリードの「ジュビラント序曲」と同じくリードの第二組曲でした!)
余談ですけど、これまで支部大会でわずか2チームだけですけど、トーマス・ノックスという方の「海の歌」という曲を
聴いた事があるのですけど、
(具体的には1986年の関西大会の奈良コンサートファミリーの演奏のカスタムテープと1989年の都大会での創価大学の演奏)
ノックスの海の歌は構成が大変しっかりしていて聴き応えもありましたけど、誰もこの曲の事を取り上げないし
私もこの曲に関しては何一つ情報がないです。
ノックスの「海の歌」について誰が詳しく知っている人がいらっしゃれば教えて頂ければ幸いです。
R.ミッチェルの吹奏楽オリジナル作品というのは全体的に派手さは無いけどしっとりとした歌心を感じ、
メロディーラインが単純なのだけと「どこかで聴いたことがある音楽」といったようななんとなく懐かしい部分があり、
そのしっとりとした歌にしんみりとさせられるものが多々あると思います。
日本の高齢者の方たちが「日本の演歌」を好むのと同じような感覚と言うのか、
ミッチェルのあのメロディーにはどこか演歌っぽい「お涙ちょうだい・・」みたいなメロディーラインがあるように思え、
あの演歌っぽいノリの音楽にはどこか共感を覚えます。
そして似たような傾向の曲として推したいのがジェイガーの「シンフォニアノビリシマ」だと思います。
私、実はミッチェルの作品とはかなり深い縁がありまして、
ミッチェルの曲は、高校~大学時代に何と4曲も吹いています。
高校時代の定期演奏会で、2年の時に「海のうた」を吹き、そして翌年の3年の時には「コンサート・ミニアチュア」を演奏し、
大学時代の定期演奏会とチャリティーコンサートで、「大草原の歌」と「序奏とファンタジア」を演奏した事があります。
ミッチェルの吹奏楽作品と言うと、上記の他には
序曲「スターフライト」・「祝典讃歌」ぐらいしか私は知りませんので、私は、ミッチェルのメジャーな作品はほとんど過去に
吹いていると言えるのかもしれないです!
一人の作曲家の曲を複数曲吹いた経験があるというのは他の作曲家としては
リードの「アルメニアンダンスパートⅠ」・「ジュビラント序曲」・第二組曲・序曲「インペラトリクス」 ぐらいだと思います。
(リードというとオセロとエルサレム讃歌は一度ぐらいは吹いてみたかったです!)
ミッチェルというと最も有名で演奏頻度が高い吹奏楽オリジナル作品というと「海のうた」だと思います。
吹奏楽コンクール的にはこの曲は2019年時点でこれまで4回全国大会で演奏されていて、1981年の逗子開成高校の
演奏で一気に注目が集まったという感じですけど、残念ながらこれまでの4回の全国大会での演奏はあまり印象に残る
名演も無く、の曲自体支部大会でも2006年を最後に一チームも自由曲に選んでいないという事で「忘却のオリジナル曲」に
なりつつありますけど、どこかうまいチームがこの曲の新しい魅力を発掘して欲しいです!
ちなみにですけど、中澤忠雄先生が野庭高校時代に一番最初に関東大会出場を果たした時の自由曲はこの海のうたです。
演奏自体は中間部が異様に速くて違和感を感じますけど、前半部分は後年の中澤節を感じさせるロマンティックな歌い廻しが
聴かれます。
「海のうた」は、吹奏楽オリジナル作品って吹いていて自然に涙が出そうな曲は少ないと感じられる中で、
前半のあのしみじみとするメロディーラインをクラリネットで吹いている時は何回か
唐突に何か胸にこみ上げてくる不思議な感情が自然に湧いてきて、決して涙が出るとかそういう訳ではないのですけど、
自分の感情の中に「言葉にならない感情の高ぶり」みたいなものを自然に感じる曲だったと思います。
ラストの静かに回想する終わらせ方も実に秀逸だと思います。
この曲構成的にも少し珍しいものがあり、一般的に平易な吹奏楽オリジナル曲の傾向としてリードやスウェアリンジェン等に
代表される通りA-B-Aという速い-遅い-速いの三部構成が一般的だと思うのですけど
コンサートでチャイムで開始される序奏→ゆったりとした抒情性が伝わってくる前半の展開部→激しく動く中間部→
しっとりと静かに回想しながら終わらせる終結部という吹奏楽作品としては珍しく、
前半とラストで「静のドラマ」を盛り込んだ曲と言えるのかもしれないです。
そして私が感じた事はどうやら私以外の方もそのように感じていたようでして、先程も触れましたけど、
野庭高校吹奏楽部をテーマにした「ブラバン・キッズ・ラプソディー」とい本の中でも、中澤先生が初めて野庭高校を指導して
吹奏楽コンクールに臨んだ年の自由曲がこのミッチェルの「海のうた」だったのですけど、
あの本の中でもクラリネット奏者の皆様たちが
「吹いている内に自然と涙が流れそうな不思議な感覚の曲」と評されていましたけど、この言葉は私自身も同感ですね~!
私的には、前半のヴィヴラフォーンのソロ・中間部の盛り上がりの一つの頂点のティンパニソロや、
ラスト近くのホルンのソロにも大変共感を感じます。
後半のゆったりとした歌は、海の描写というものではなくて、「個人の心の動き」を示唆しているようにも感じたりもします。
何か重大な出来事が起きて、それから10数年後にその事件をゆっくりと振り返るみたいな回顧的な感情を
私的には感じ取ってしまいます。
意外な事かもしれませんが、ミッチェルの「海の歌」にはベースギターが使用されています。
上記で書いた通り高校2年の時の定期演奏会でこの曲を演奏したのですが、パーカッションパートが
「あれ~この曲にベースが入っている」とか言っていたので総譜を見てみると確かにベースが打楽器として入っていました。
こうしたしっとりとした抒情的な曲にベースの指定があるとはかなり意外な感じもしたものです。
ミッチェルの「海のうた」をクラリネット奏者の視点で述べると、吹奏楽において最もメロディーラインを担当する事が多いパートが
クラリネットパートであるのですけど、「海のうた」は冒頭から最後まで意外とメロディーラインを吹く事が少なかったのは
ある意味印象的でした。
前半のしっとりとした部分のクラリネットはもごもごとゆったりとした上下の音階を繰り返している伴奏が大変多かったですし、
ソロ箇所の裏メロなどどちらかというと裏方という印象が強かったです。
それでもそうした上下の音階部分でも前述の通り「吹いていて自然と涙が落ちてきそう・・」といった不思議な感情の高ぶりを
感じるから面白いものです。
中間部の盛り上がり部分もクラリネットはリズムを刻んでいたり裏メロを担当したり、速いパッセージをリズム的に支えていたりと
ここでもあまりメロディーラインを担当させてもらえなかった事は吹奏楽オリジナル曲としては珍しい部類に入るのかも
しれないです。
そしてこの曲は随所にすてきなソロが用意されていて、冒頭はコンサートチャイムの清楚な響きで開始され、
前半の展開部に移る前にはヴィヴラフォーンの完全ソロもあったりします。前半のアルトサックスの美しいソロもすてきです!
そして盛り上がる中間部に入る直前にはオーボエの美しいひそやかなソロがありますし、
中間部の頂点の直前にはティンパニのかっこよすぎるソロもあり、ラスト近くにはホルンのソロも聴く事ができます。

先程、海のうたの中間部の頂点の直前にはティンパニのかっこよすぎるソロがあると記しましたけど、
2小節程度の短いソロですけど、あの部分は打点が決まるとさらに締まると思います。
当ブログで何度か語った通り、私自身、中学に入学する前には小学校の管楽器クラブというスクールバンドで担当していた
楽器はティンパニを中心とする打楽器でしたけど、今更ながら
「どうして中学に入る時に吹奏楽部の楽器振り分けとしてそのまま打楽器を選択しなかったのかな・・?」と感じることもあります。
ただ当時は「メロディーラインを自分の息を吹き込む事で感じ取りたい」という意識の方が強かったからなのかもしれないです。
でも今更ながら、例えば吹奏楽オリジナル曲だったらネリベルの「二つの交響的断章」とか
チャンスの管楽器と打楽器のための交響曲第2番~第三楽章とかはたまたこのミッチェルの「海のうた」のティンパニソロも
叩いてみたかった気もしますね~♪
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