「さよなら私のクラマー」は月刊少年マガジンに連載されていた人気漫画で、原作は「四月は君の嘘」で知られる新川直司さん
です。
そして今年・・、2021年の春アニメとしても放映されていて、今年の夏には劇場公開版も上映されていました。
(キャラ絵が四月は君の嘘とよく似ていますし、特に変顔やデフォルメされた時の絵柄はよく似ていますね~♪
四月は君の嘘はストーリーがあまりにも重たくてせつない作品ですけど、さよなら私のクラマーはそうした哀しさがないので
作品としても大変見やすくて分かりやすいです)
この作品は女子サッカーをテーマにした漫画で、のんちゃん達主人公たちが通う高校の名前が蕨青南高校で、
その女子作家チームのチーム名がワラビーズとなっていて、蕨市がメイン舞台となっています。
原作漫画やアニメでも背景などに繊細なタッチで描かれた川口蕨陸橋やJR蕨駅の看板など何でもない蕨市の風景が
随所に出ていたりもしまして、蕨駅を最寄駅の一つとして頻繁に利用する私にとっても「ご当地アニメ」といえそうです。
蕨市の広報担当の方も「蕨はほぼ住宅地でアニメの舞台になった記憶はない」と話されていましたけど、
埼玉県はクレヨンしんちゃん、大きく振りかぶって、球詠、弱キャラ友崎くんなどといったたくさんの作品の聖地と言うか
モデル地となっている中で、蕨市が人気作品の聖地となっているのはとても素晴らしい事だと思います、
埼玉県立蕨青南高校は実在しない架空の高校ですが、物語の舞台が蕨市ということもあり、
登場人物の出身中学校が川口伊刈中だったり戸田北中だったり、ライバル校が浦和邦成高校だったりと架空の学校ながら
聞きなれた地名が多々登場しているのも埼玉県民にとってはちょっと嬉しいものもあったりします。
蕨市は、全国の市の中で最も面積が狭く、区町村を含めても8番目に狭いという大きな特徴があったりもします。
実際、蕨市は本当にちびっこい市であり、市を構成する町も、錦町・南町・北町・中央・塚越と
わずか五つしかないというのもある意味驚異的であったりもします。
人口は7万程度と少ないのですけど、昔から中国・インドの方の人口比重が高い上に、最近特に特筆すべき事は
中東の民族問題や戦争から逃れたイラン人やクルド人の皆様が多いことだと思います。
実際、蕨の公園近辺では、クルド人らしき方をよくお見かけしますけど、総じて私の印象としては、
特段地元民とのいさかいもなく地元に溶け込んでいるみたいな印象もあり、
なんとなくですけど「平和な人たちなんだなぁ・・」みたいな印象も感じたりはします。
クルド人の皆様は第二の故郷として、蕨市をワラビスタンと呼ぶ事も多いようで、これは以前何度かニュースでも
取り上げられていたと記憶しています。
そうそう、蕨市は他に何が名高いのかと言うと、実はなのですけど成人式の発祥の地でもあるとの事です!
日本における今日の形態の成人式は、終戦間もない1946年11月22日、埼玉県北足立郡蕨町(現:蕨市)において
実施された「青年祭」がルーツとなっているそうです!
ここまではサッカーと蕨市に関するものでしたけど、当ブログの管理人が居住しているのは蕨市とも隣接している川口市
なのですけど、川口市はスポーツも武道も盛んな街ではありますけど、昔も今も吹奏楽の聖地もの一つともなっていて、
現在でしたら全国的に大変知名度が高いのは川口アンサンブルリベルテだと思うのですけど、私のようなオールド吹奏楽
ファンの視点では「川口と吹奏楽」というと、学校統廃合で校名自体は既に消滅しましたけど市立川口高校だと
思いますし、市立川口が残してくれた名演の中でも特に際立った個性を具現化した演奏の一つが
1981~82年にかけて当時の市立川口の指揮者の信国康博先生の自作自演による「無言の変革」シリーズなのだと
思います。
市立川口高校は市の予算の関係とか少子高齢化の波を受けて、2018年度より川口市内の市立高校3校による統廃合により
その校名はすでに消滅していて、2018年の4月をもって3校が統合した「川口市立高校」が新たに新設されています。
市立川口高校というと全国的にはそれほど知名度が高くはないのかもしれないですけど。
巨人軍の元エースの斉藤雅樹投手の母校であり、斉藤投手が市立川口高校に在籍していた当時は残念ながら
悲願の甲子園出場は実現しなかったものの、埼玉県の高校野球においてはほぼ無名校であった市立川口を
埼玉県大会準優勝まで牽引したその功績は素晴らしいものがあると思いますし、
斉藤投手はまさに川口市の顔という役割も担われていると思います。
平成生まれの若い世代の皆様に市立川口高校とか無言の変革シリーズと言っても「なにそれ・?聞いたことがない」といった
反応になってしまうとは思いますが、私のように1980年代に中学~大学で吹奏楽に携わっていた世代にとっては
ノスタルジックなチームだとも思いますし、当時の市立川口のあの圧倒的な存在感のある演奏を知る者にとっては、
市立川口高校吹奏楽部はとにかく神みたいな存在だったと思います。
市立川口高校は、1970年代中盤頃の自由曲の選曲は、
例えば、ジェイガー/第二組曲、ロッシーニ/どろぼうかささぎ序曲、ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」
などのようににかなりオーソドックスな路線を歩んでいたと思いますが、
1979年の全国大会初出場でいきなり金賞を受賞したネリベルの「二つの交響的断章」の
歴史的ウルトラ名演によって一気にブレイクしたと思いますし、
1981年~82年の2年間は、更にとてつもな偉業」を成し遂げてくれました。
それが何かと言うと、上記でちらっと触れているように当時の指揮者の信国康博先生による「無言の変革」という自作自演の
自由曲を二年間に渡って全国大会でお披露目し、そのあまりにもぶっ飛んだ内容で当時の吹奏楽関係者に強烈なインパクトを
残しています。
あの2年間に渡る市立川口高校の「無言の変革」シリーズの際は、私は高校1年~2年の時だったのですけど、
吹奏楽もクラシック音楽のイロハのイの字も何も分かっていない当時の私にとっては、市立川口の演奏のあの猛毒は
かなり強烈なものがあったと思います。
私自身の音楽観としては、これまでの当ブログで何度も語っている通り、この市立川口高校の演奏と
秋田南高校の交響三章、花輪高校のウォルトンの交響曲第1番変ロ短調~第四楽章や
就実高校の幻想舞曲集が私自身に与えた影響度は計り知れないほど大きなものがあったと思いますし、
これらの曲の演奏と曲自体のインパクトが結果的に私自身をクラシック音楽の森の中に迷い込ませる一つの大きな
要因になったのは間違いないと思います。
そして市立川口高校の演奏は私自身のリアルでの生活環境にも多大な影響を残すことになってしまい、
「こんな凄い事を平然とやってのける高校の演奏を是非生で聴いてみたい!」とか
「まずは高校を卒業し上京し、出来ればこんな凄い学校がある埼玉県川口市に住んでみたい」と考えるようになり、
本当に後年川口市内に家を建てて、川口市に永住するという事が「現実のもの」になってしまいました。
嘘から出た誠みたいなものなのかもしれないですけど、本当に後年埼玉県川口市に永住するなんて18歳で上京した時には、
全く想像もしなかったですし、当時は生まれも育ちも埼玉県川口という生粋の川口人であったうちの奥様と何かの縁で出会い、
こうして結婚というご縁で結ばれてしまうとは全く夢にも思っていなかったです。
それだけ市立川口高校の演奏は、結果として、とある東北の田舎の県立高校の吹奏楽部在籍の男の子の運命すらも
左右する事になっていましたし、それだけ印象度の極めて高い演奏を私に残してくれたのだと思います。
もっとも・・うちの奥様は吹奏楽もクラシック音楽も興味のきの字もなくて市立川口高校吹奏楽部とか無言の変革シリーズや
全国初出場の「二つの交響的断章」の話を私がいくら熱く語っても「なにそれ・・?」という反応ですけど、
彼女からは私自身のもう一つの顔でもある「アニメ大好き」という側面にあまりにも多大な影響を残してくれていますので、
私にとっては、うちの奥様・市立川口高校・花輪高校と秋田南高校と仁賀保高校の秋田県の吹奏楽はかなり重要なファクトリーと
言えるのは間違いないと思います。
市立川口高校吹奏楽部の偉大なる軌跡はこのブログでも何度も取り上げさせて頂きましたけど、
吹奏楽部は1979年~1990年に輝かしい実績を残し、全日本吹奏楽コンクールに過去11回出場し、
金賞6回(1979年・1980年・1981年・1984年・1985年・1987年)、銀賞5回(1982年・1986年・1988年・1989年・1990年)を
受賞しております。
1983年には「ウィーン世界青少年音楽祭」に日本代表として出場しグランプリ、
高校部門最優秀賞、オーストリア国営放送賞の3賞を日本で初めて独占という快挙も成し遂げています。
そして何よりも1979年の全国大会初出場の「二つの交響的断章」の歴史的名演と
1981~82年の当時の指揮者の信国先生による「無言の変革」シリーズという自作自演は、
吹奏楽コンクールの一つの金字塔とも思えます。
1979年当時吹奏楽コンクールの全国大会の出場チームのステージ衣装はほぼ例外なく学校の制服というか、
男子は学ラン、女子はセーラー服かブレザーという中、
市立川口高校吹奏楽部は、赤ブレザーに白のズボン・スカートという当時としては斬新なステージ衣装というのは
当時はとても眩しく斬新でしたし、広い普門館のステージが狭く感じるほど、
打楽器を数多くセッティングし、ハープとか法螺貝とか、コンサートチャイムとは別に本物の鐘(カリヨン)を 持ち込んだり、
視覚的にも大変インパクトはありましたし、何よりも演奏が素晴らしかったと思います!
1979年の市立川口高校の課題曲は「プレリュード」という コンクール史上初の無調的色彩の強い現代音楽系の曲
だったのですが、 冒頭のティンパニソロをはじめ、緊張感漲る演奏が本当に素晴らしかったし、
後半のヴィヴラフォーン以降の木管セクションのひさやかさ、打楽器セクションの鼓動 など
文句のつけようがない課題曲Bの演奏だったと思います。
しかもこの演奏、全国大会初出場でしかもプログラム一番なのですよ~!
そんなハンディーを全く感じさせない演奏だったと思います。
自由曲のネリベルの「二つの交響的断章」はまさに圧巻の一言!!!
冒頭が、チャイム・シロフォーン・グロッケン・マリンバの鍵盤打楽器から開始され
執拗に同じメロディーを反復していくのですが、この緊張感が絶品です。
アルトサックスのソロも素晴らしいし、それに合いの手を入れる打楽器セクションの瞬発力も お見事に一言に尽きます。
ファゴットのデュエットも少しばかりズレはあるのですけど、やはりあの勢いは止められない感じです。
後半のティンパニソロからの金管セクションの透明かつ勢いのある展開も大変迫力がありますし、
トムトムをはじめとする打楽器セクションのやはり瞬発力と自発性は高く評価されて然るべきだと 思います。
自由曲における、ドラの鳴り方が非常に効果的なのも印象的です。特に第一楽章の鳴りっぷりは凄まじかったです~♪
この曲の原曲は17分程度の長いものなのですけど、市立川口は5分30秒程度にコンパクトに収めてしまいましたので、
「もう少し長く演奏しても良かったのでは・・・? せめてこの翌年の東海大学第一高校くらいの長さは
欲しかった」とも言えなくはないのですけど、
指揮者の信国先生は、 音楽的緊張感を優先に考え、このカット方法にしたのかもしれないです。
(課題曲Bのプレリュードを静粛に音楽的緊張感をキープしたまま、ネリベルの冒頭のあのひそやかな鍵盤打楽器へと
入った事もあり、課題曲との連続性みたいなものも信国先生としては意識されていたのかもしれないです)
翌年の1980年のマクベスの「神の恵みを受けても素晴らしかったですけど、圧巻なのは誰が何と言っても1981~82年の
信国先生の自作自演による「無言の変革」シリーズだと思います。
1981年の「無言の変革」~問いは普門館のステージにとにかく打楽器をずらーーーっと並べ、
2組のティンパニ、大小のチャイム・カリヨン(鐘)・大小のドラ、様々なトムトム、各種鍵盤打楽器を曲の冒頭から叩きまくり、
普門館の聴衆の度肝を抜き、曲の中間部で突然ホルン奏者等が立ち上がり体をくねらせながら法螺貝を吹きまくったり、
グランドハープを恐らく吹奏楽コンクール史上初めて普門館に持ち込んだりと見た目の演奏効果は抜群でした。
曲自体とても斬新でしたし、アルトサックスのソロをはじめとする個々の技術の完成度の高さも高校生のレヴェルをはるかに
超越していたと感じられます。
とにかく最初から最後まで普門館の聴衆に「これからなにやらとてつもないことが起こりそう・・」といった予感を感じさせていたと
思いますし、ラスト近くの異様な曲の高揚感も劇的緊張と感動が適度に融合されていて、これが曲をすっきりと閉じさせる
大きな要因にもなっていたと感じられます。
1981年当時としては、例えばワーグナーやヴェルディーといったやや硬直化しマンネリ気味だった自由曲の選曲について
「こうした表現はいかがなものか?」という斬新な「問いかけ」という意味合いももしかしたら、信国先生は問い」という
タイトルにも滲ませていたのかもしれないです。
とにかく凄まじいインパクトは残してくれたと思いますし、確実に普門館の聴衆に「何か」は伝えていたと思います。
そうした中で、翌年の1982年も信国先生の自作自演が普門館で再現されました。
タイトルは1981年と同様に「無言の変革」ですけど、1982年は、「そこに人の影は無かった」という部分が選曲されていました。
この「無言の変革」という信国先生の自作自演の曲ですけど、実今現在もその詳細は私自身は把握していません。
曲自体が組曲なのか単作なのか連作なのか、「問い」と「そこに人の影は無かった」以外の楽章は存在するのかしないのか?
続編はその後作られたのか否かなど概要は正直謎で知る由もないです。
大学時代の吹奏楽団のメンバーの中に、一人この市立川口の「無言の変革」を県大会・関東大会・全国大会で聴いた
という人間がいて、彼の話は実に興味深かったです。
それによると、埼玉県大会の段階と全国大会では、演奏も大分変化があったようで、コンクール過程の中で信国先生が
色々と書き加えたり修正をされたとの事でした。
ちなみに市立川口高校は1983年は吹奏楽コンクールには出場していません。
代わりに世界音楽祭に参加し、その際に「無言の変革」~そこに人の影はなかったを演奏しているようですけど
この時の演奏は、1982年の全国大会の演奏に色々と修正をしているようです。
一例をあげると・・・
82年の全国大会では、曲のラストは「カリヨン」(鐘)がコーンコーンと響いて終わるのに
83年の世界音楽祭では、カリヨンの音が響いた後に再度全体での弱奏が続いたらしいです。
そして82年の全国大会では使用されなかった「法螺貝」は、83年の世界音楽祭では用いているそうです。
83年の世界音楽祭の演奏は、公式には確かCD化されていなかったと思いますけど、
後年、市立川口高校吹奏楽部による 「響華Ⅱ 全日本吹奏楽コンクール創奏の軌跡 川口市立川口高等学校吹奏楽部」という
記念盤みたいな形でCDが定期演奏会の際に二枚組CDとして発売されていましたけど、
この記念CDには83年の世界音楽祭の演奏も収録されているらしいです。
この時、私、この記念CDをなぜか購入しませんでしたけど、これは今でも「あの時購入すればよかった」と大変後悔しています。
今となってはとてつもない貴重な資料だと思います。
以前このCDがヤフオクで出ていて入札したのですけど、その後とてつもない高値が付き落札を断念した経緯がありました。
さてさて市立川口高校の2年目の「無言の変革」シリーズのタイトルは「そこに人の影は無かった」というまたまた意味深な
ものでした。
少し厳しく言うと、2年目の「そこに人の影は無かった」は、1年目の「問い」ほどのインパクトは無かったようにも思えます。
「問い」はラスト近くのコラールのメロディーがとても訴えるものがあり感動性が強かったのですけど、
「そこに人の影は無かった」は、どちらかというと少しばかり機械的で冷たい感覚の世界が続いていたような感覚があります。
「問い」に比べて、管楽器のソロの扱い・比重が大きくなり、
「無言の変革は打楽器だけではないぞ」みたいなアピールもあったのかもしれませんけど、打楽器の扱いもやや平板な感じが
します。
全体的に金管楽器の響きが甲高過ぎというかヒステリックにも聴こえ、問いほどの感銘性が弱かった印象はあります。
悪く言うと単に演奏効果だけを狙ったような曲という印象もあり、
「問い」のような感動性とか「これから何かとてつもない事が始まる・・・」みたいなドキドキ感が希薄だった印象もあります。
打楽器セクションの多さ・ハープやカリヨンといった特殊楽器の響きだけに頼りすぎて、聴衆を「音そのもの」だけで
びっくりさせようとする意図があまりにも見え見えすぎて
聴く方としては「二匹目のドジョウはいなかった・・・」という事になったのかもしれないです。
1982年の市立川口の演奏はへらぼうに上手かったですし、技術的にはこの年の高校の部のトップクラスだと思います。
だけどその「音楽の表現」に疑問符を付けた審査員が多かったのかもしれないですし、
市立川口の審査評価はかなり割れていたように記憶しています。
結果的に銀賞という評価に留まっていますけど、このあたりはコンクール審査の難しさはあるようにも感じられます。
技術的にはほぼ満点だけど審査員の好き嫌いで評価は割れ、銀賞という結果に留まったと思います。
当時の高校生の私は「どうして市立川口の演奏は問い以上に斬新な演奏をしたのに銀賞なの~!?」と大変ぶーたれて
いたものですけど、今現在の視点で改めてこの「そこに人の影はなかった」を聴いてみると、
音楽の中身や表現の深さというよりも単に打楽器等の特殊楽器効果でもって聴衆の度胆を抜こうといった意図の方を
より強く感じてしまいます。
だけど、1980年代前半の高校部門において、こうした斬新な音楽と表現で聴く者に「何か」は確実に伝えた市立川口の偉大さは
全く永遠に不滅だと思いますし、私にとっては絶対に忘れる事は出来ない演奏の一つです。
それだけは間違いなく言える事だと思います。
市立川口の素晴らしい点はたくさんあるのですけど、その一つが個々のソロの巧さと個人的技術の高さと
音楽のダイナミックスレンジの幅が大変広くて、ソロや音の薄いところといった弱奏部分とfffの強奏部分の対比が実に
鮮やかという事が挙げられると思います。
その代表的な事例が二つの交響的断章と神の恵みを受けての前半と後半の鮮やかな対比だと思いますし、
無言の変革シリーズと名取吾郎作品におけるソロ楽器の巧さだと思いますし、特にトランペットパートの巧さは
断然光っていたと思います。
後年ですけど、1986年の課題曲の「嗚呼!」・87年の課題曲の「渚スコープ」、88年の「ハムレットへの音楽」の
トランペットのソロのミスはあまりにも目立っていましたし痛かったと思われます。
1980年代後半以降の市立川口が全国大会で金賞から遠ざかってしまった要因の一つがそうしたトランペットに代表される
ように個々のソロミスがあったのかもしれないです。
88年の全国は銀賞でしたけど、課題曲の「交響的舞曲」の中間部と自由曲の「ハムレットへの音楽」の
プロローグとエルシノア城のゆったりとした部分の市立川口の表現力の深さには感服させられたものでした!

上記でトランペットの話が出てきましたので、ここは
dream fantasy2 のアミグリさんが描かれた北宇治高校吹奏楽部のトランペット奏者の高坂麗奈を
改めて皆様に見て貰いたいと思います。
上記の作品はアミグリさんが2018年6月に描かれた「響け! ユーフォニアム」の1年生トランペット奏者の高坂麗奈です。
この高坂麗奈は、2018年7月に当ブログが迎えた「吹奏楽カテゴリ通算1000記事到達」を記念して
アミグリさんに事前にリクエストをして描いて頂いた記念碑的な作品でもあります!
アミグリさんの描かれた麗奈は、アニメ版の特に第一期で見せていたちょっと孤高で気高いオーラとプライドの高い麗奈という
要素を少し弱めて、第二期で見せていた麗奈本来のかわいらしさを感じさせているのだと思います。
北宇治高校の冬服の茶系統のセーラー服のかわいらしさに黒髪ロングの素晴らしさにつぶらでどこか訴えかけるような
瞳の吸い込まれ具合に微笑みの上品さなど
完成度の高さにはただただ脱帽するしかないと思いますし、
「この麗奈を描くのに一体どれだけご苦労をされたのだろう・・」と改めてアミグリさんには感謝の言葉しか出てこないです。
麗奈のこの流れるような黒髪ロングの美しさやキラキラ感も本当に充実していると思います。
笑顔もすてきですし、背景の音符やトランペットも「麗奈はミューズ=音楽の女神様みたい・・」といった雰囲気を
伝えているように思えてならないですね~♪
高坂麗奈というと孤高のトランペット奏者という印象もありますけど、フリューゲルホルンやコルネットやポストホルンといった
トランペットの類似楽器を吹いてもとても絵になると思いますし、麗奈がタイムスリップして1980年代初めの
市立川口の「無言の変革シリーズ」の演奏に加わったしたら鬼に金棒といえそうです~♪
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そしてそうした見た目だけではなくて
音楽的内容もとても斬新で新鮮な解釈に溢れていて、
毎年この学校はなにをやらかしてくれるのだろうというワクワク感を感じさせてくれた数少ない学校でもあったと思います。
特に無言の変革シリーズもそうでしたけど、二つの交響的断章や神の恵みを受けて、オセロなども
とても素晴らしかったと記憶しています。