今日4月29日は祝日「昭和の日」ですが、昭和前半は「天長節」(1927〜1947年)、その後は「天皇誕生日」(1948〜1988年)、
昭和天皇崩御後は自然の恩恵に感謝する「みどりの日」(1989〜2006年)になり、
さらに「昭和の日」(2007年〜)と変わり、結果的に4月29日は変遷を繰り返しました。
吹奏楽コンクール的には昭和というとまだ関東大会が現在のように西関東大会と東関東大会に分離されず、
例えば高校の部でしたら全国大会代表4チームを8県で争うというもので、今にして思うと大変熾烈を極めていたようにも
感じられます。
1990年代初頭の高校の部ですと、全国大会への代表4枠を巡って、埼玉栄・市立柏・習志野・常総学院・市立川口・野庭が
毎年毎年熾烈な代表権争いを展開していて、例えば1988年に埼玉栄が、91年に野庭と市立川口が関東大会でダメ金となり
全国大会に出場できなかった光景を目の当たりにすると
「(当時は)まだレヴェルが低かった中国ブロックや四国ブロックの代表枠を関東支部に廻してくれればいいのに・・」と本気で
やっかんでいたものです。
そして全国大会で低調な演奏を毎年性懲りもなく聴かせてくれていた四国代表2チームに関しては
「四国の枠を削って関東や関西支部の代表を増やせば全国大会のレヴェルはまだまだ上がるのだけどなー」と当時は
感じていたものです。
吹奏楽コンクールにおける関東の驚異的なレヴェルの高さや全国大会への出場枠の少なさが当時の吹連で問題になって
いたのかどうかはよく分かりませんけど、1995年以降の関東大会は
東関東支部(神奈川・千葉・茨城・栃木)と西関東支部(埼玉・群馬・山梨・新潟)に分離し、全国大会への代表枠は
それぞれ3つずつ与えられる事となり、結果的に旧関東支部の高校の部の全国への代表枠は4→6に増えることとなりました。
東関東支部の方は東西に分離されて一見代表枠が増えたように感じられても、元々千葉・茨木・神奈川のには強豪チームが
たくさんひしめいていて、例えば1995年の第一回の東関東大会の全国への代表3チームは、市立柏・野庭・習志野ということで
常総学院がまさかのダメ金という結果になってしまったことは当時は驚いたものでした。
一方西関東大会は、埼玉・群馬・新潟・山梨という振り分けを見た瞬間に
「これってどうみても埼玉県の選出チームが全国大会への切符を独占してしまうよね・・」と感じたものですし、
実際、第一回の1995年から2019年までは中学の部を除くと、高校・大学・一般の部の西関東大会は全国大会代表チームは
ほぼ全て埼玉代表のチームが独占してしまっていて、こうした現状を見てしまうと
「なんだか東関東で熾烈な代表権争いをしている茨城・千葉・神奈川のチームに悪いことしたかも・・」とついつい感じてしまい
そうです。
というか、実際私自身も何度か西関東大会の演奏は聴きに行ったものですけど、どう贔屓目に見てもどう客観的に判断しても
埼玉県代表チームとそれ以外の県の代表チームの「壁」はかなり大きいものがあると感じたものですし、
実際埼玉県の吹奏楽のレヴェルは昔も今も驚異的に高いと言えそうですし、
うちのブログでは「埼玉は何もないない、何もない県」と自虐的に述べていたりもしますけど、吹奏楽のレヴェルの高さと
アニメ聖地の多さだけは遜色ないと思いますし、「十万石まんじゅう」と並んで「埼玉の誇り・宝」と
言えるのかもしれないです。
関東大会の東西分離でよかった点は、西関東大会の高校の部の全国への代表は3枠ですので、分離前ですと
埼玉からの代表チームは埼玉栄・市立川口ばかりでしたけど、市立川口の没落という事情もありましたけど、
この2チーム以外で例えば県立与野・伊奈学園総合・春日部共栄・狭山ヶ丘・松伏・秋草学園など以前からかなりレヴェルの高い
演奏を聴かせてくれていたものの、代表枠の関係でなかなか全国に進めなかったチームが全国大会に進み、
全国で数々の名演を聴かせてくれたことにより、全国の聴衆の皆様に「埼玉の吹奏楽、ここにあり!」というものをお披露目する
事が出来たことはとてもよかったと思います。
1994年大会は、95年以降は関東が西と東に分離してしまうので、関東代表という名称が使用された最後の大会になります。
小学校から中学の社会とか地理の時間では、 関東というと、東京・埼玉・千葉・神奈川・茨城・栃木・群馬と教わったような
記憶があり、 そのせいか、1994年までの全日本吹奏楽コンクール関東大会の構成県は
(人口と学校数がけた違いに東京都は別とするのは当然でしょうね・・)
埼玉・千葉・神奈川・茨城・栃木・群馬・新潟・山梨の8県というのは何か少しヘンな感じもしたものでした。
当時も現在も何となくですけど
「どうして山梨と新潟が関東ブロックなの・・!?」と不思議に感じることもあります。
そう言えば東海大会に長野県が入っているのも何か少し不思議な気もします。
(東海大会に三重県が入っているのも少しばかり??と感じたりもします)
例えば北陸三県に、山梨・長野・新潟の甲信越を加えて 「北陸甲信越ブロック」を構成したほうが宜しいのかもしれないです・・
それはどうでもいい事なのですけど、 どうして「山梨は関東に非ず」という事にこだわるかと言うと、
実際に1990年~95年の6年近く、山梨県に在住し、山梨で仕事をしていた経験がある身としては、
山梨の後進性・閉鎖的人間関係・田舎っぽさに抵抗があったのも大きいと言えますし、
特にあのガラの悪い甲州弁を毎日のように聞かされていると
「ここは本当に東京都の隣接県なの・・?? 県境を越えただけでこんなにも言葉も慣習も気候風土も変わるものなの!?」と
感じたものですし、山梨に異動後に最初に驚いたことは山梨は東京都の隣接県だけどテレビに関しては
基本的にはフジテレビ・日本テレビ・TBSを視聴することができないという事でもありました・・
山梨県は東京都の隣接とは思えないほど 田舎というか、遅れているというか、閉ざされているというのか、
よそ者には住みにくい街という イメージは今でも強いですね・・・
ま勿論良い所は一杯あり、私自身、 山梨の気持ちの良い多くの人達には感謝している面は多々あるのですけど、
全体的な印象は、正直マイナス面の方が大きいですね・・・
21世紀の現在でも、山梨には「無尽」とか「頼母子講」みたいな前近代的な金融システムは存在 しているのかな・・?
(少なくても1990年代後半までは存在していました・・)
1990年に山梨に異動で来た時、 いまだに江戸時代の名残のこうした「無尽」システムが存在している事に
最初は面食らったものです・・・
今では金銭面の助け合い・融通仕合というよりは、飲み食い仲間という意味合いの方が大きいのですけど、
それにしても、あの無尽という組織は、当時ある地方銀行の営業担当で、他県からきたよそ者の私には
正直やっかいでしたし、当時は「吹奏楽コンクール的には山梨は関東支部に属するけど、心情的には山梨は関東に非ず」
という意識は相当強かったと思います。

このブログでは結構山梨の事を比較的よくないように書いていて、あの甲州弁の言葉の響きのガラの悪さと
甲州人の粗野で粗っぽくてやはりガラが悪く身内だけで物事を決めてしまいよそ者は基本的に排除したり、公衆マナーが
全然なっていなかったり確かに山梨で暮らす事の難しさは多々感じることもありましたし、基本的には今でも
「観光で行くには申し分ないけど住むのにはかなり抵抗があるエリア」という想いは変りはありません。
ただそれでも山梨で暮らしている一人ひとりは確かに多少ガラは悪くても基本的には温かい人たちが多かったですし、
心を開いてくれるまでは相当時間がかかるけど、一度心を開いてくれたらとても温かく親身になって厚い慈愛の気持ちで
接してくれるというのは間違いないと思います。
そうした山梨の皆様・・梨っ子の皆様を描いたすてきな漫画・アニメが「ゆるキャン△」です~♪
「ゆるキャン△」は山梨県内のJKさんたちがキャンプをしたり、日常生活を送ったりする様子を緩やかに描いている
おっとりとしたゆるい日常系作品です。
テレビアニメ第1期が2018年1~3月に放送され、2020年1~3月にショートアニメ「へやキャン△」が放映され、
福原遥さん主演の実写ドラマが放送されたことも話題になっていましたし、今年・・2021年の1~3月にはその二期も
放映されていました。
「ゆるキャン△」の私の一押しはいうまでもなくなでしこで、その次の推しは「うそやでー」のあおいちゃんです~♪
ゆるキャン△を見てしまうと、少しずつではありますけど私自身の山梨に対するイメージも変わりつつあるように
感じるのはご当地アニメのすてきなメリットといえそうですね~♪
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昔はここに兵庫も入っていましたけど、最近の兵庫県は吹奏楽的には大阪に後れを取ってしまった感じもあったりします。
埼玉の地区・県大会は過去に聴いたことがありますけど、小編成部門もレヴェルが高いですし、全体的に極端に技術的に見劣りするチームが少ないのはそれだけ県全体としての底上げがなされていて、大編成も小編成も
演奏が充実していると思いますし、それが高校・一般の部の西関東大会の埼玉県代表チームの代表独占に繋がっているといえそうです。
山梨・新潟の奮起を期待したいです。