
吉野家の牛丼はとってもおいしいですし私も大好きです~♪
(現在はメニューから消えていますけど吉野家の豚丼もとてもおいしくて大好きでした~♪現行メニューの新味豚丼は
味が甘すぎてちょいとパスです・・)
ちなみに期間限定・店舗限定みたいですけど、吉野家で以前の味の豚丼復活祭りが開催されていたのはとても
よかったです。
2018年夏アニメの「女子高生の無駄づかい」でもバカ・ヲタ・ロボの3人が松屋で丼もの・定食を食べているシーンも
ありましたけど、感覚としては牛丼単品は吉野家、定食系は松屋がいいかも・・と感じてしまいます。
もしもロボが吉野家で牛丼を食べたとしたら、「このおいしさの秘密は何なのか・・」という永遠の?テーマを一週間家に籠って
解明しそうな雰囲気もありそうです。
私自身、東北で生まれ育ったこともあり、どちらかというと牛肉というと関西や三重、豚肉というと関東以北という
感じもいますけど、そのせいか実家ではすき焼きのお肉も牛肉ではなくて豚肉でしたし、ステーキや焼肉というと
トンテキや豚の生姜焼きという感じで、なんとなくですけど子供の頃の私にとってはお肉というと豚肉であり、牛肉というと
ちょっと高級感があり普段はあまり食べない食材というイメージもあったと思います。
そうした牛肉を手軽にお手軽の価格で食べられ身近な存在にした役割があったと言えそうなのがもしかしたら吉野家の
牛丼だったのかもしれないです。
私が中学生だった頃、当時結構流れていたCMの一つが吉野家の「牛丼一筋80年」や「やったねパパ! 明日ホームランだ!」や
「安い、早い、うまい」といったキャッチコピーだったと思いますが、当時は東北の田舎では吉野家の店舗すらなくて
当時は「あのCMで流れている吉野家の牛丼っておいしそう~♪」と半ば羨望の?まなざしで見ていたものでした。
当時は「早い、うまい、安い」のキャッチフレーズも印象的でもありました。
結果的に創業80年前後に吉野家は倒産という憂き目に見舞われ、その当時は色々な人たちによって
「やったねパパ! 明日は父さん(倒産)だ~!」というパロディーがやたらと言われていたものでした。
結果的に吉野家はその後セゾングループが全面支援に入り、7年間ですべての弁済を完了しております、
これは会社更生法により本格的な再建を成功させた典型的な事例ともなったとも言われています。

上記でふれたとおり、私自身、中学・高校の頃は東北のとある田舎の片隅にいましたけど、
当時はターミナル駅周辺すらにも吉野家自体店舗数は少なく、学校の近くに吉野家が開店した際はちょっとした大騒ぎに
なったものです。
「だれそれの姉ちゃんが、吉野家でバイトしている」
「店長は自分の親せきで、頼めばおしんこ程度はサービスしてくれる」等妙な噂が飛び交ったものです・・・
(田舎というのは他人のどうでもいい話ばかり噂がいろいろと広がるというのが共通点なのかもしれないです)
そうした私が高校を卒業し初めて都内近郊(最初の一年間は埼玉県の大宮、2年目以降は東京都中野区)で一人暮らしを
開始したのは1984年でしたけど、1984年当時の吉野家の牛丼並盛の価格は400円でした。
(当時はまだ消費税が日本では導入されていなかったので、今から振り返ると買い物パラダイスみたいな感じでした・・)
今現在の吉野家の牛丼並盛は352円+消費税なのですけど、店内飲食でもお持ち帰りでも税込み後の並盛の金額は
1984年当時の400円よりも安いということになります!
1984年から既に37年の時間が経過し、その37年間の中で日本経済もバブルの発生とその崩壊、デフレやアベノミクスなど
いろいろありましたし、吉野家自体も並盛の価格が一時期280円になったりはたまたアメリカの狂牛病の煽りを受けて
牛丼自体の販売が休止になったこともありましたけど、それらを乗り越えて並盛の価格が1984年よりもまだ安いというのは
吉野家さんの立派な企業努力のたまものといえそうですし、これはこれで奇跡なのかもしれないです。
1984年頃の銭湯は230円で現在は450円という事でほぼ倍近くまで値上がりしている事を考えると、改めて吉野家さんの
企業努力には本当に頭が下がる思いです。
1984年の吉野家さんの店舗と今現在では何が一番変わったのかというとメニューの変化だと思います。
1984年時点の吉野家のメニューは牛丼専門店に相応しく、牛丼の並盛・大盛、牛皿、ごはん・おしんこ・味噌汁のみだったと
思います。
吉野家の現在のメニューは多種多様になり、あれだとなんだか大戸屋みたいな定食屋さんとほぼ変わりがないのかもしれない
ですけど、そうした吉野家のメニューの多様化というか現在の定食路線への路線変化を示唆したメニューが
1990年代後半に登場してきた牛鮭定食なのかもしれないですね~♪
以前とある金融機関に在職していた頃に、当時のお偉い役員さんが支店視察に来た時に、
「現在の日本は貧乏人と金持ちの二極分化が進行している。
吉野家の牛丼が280円になったからといって喜んでいる下流人種と海外旅行や高級ブランド買いあさりなどお金が自由に使える
上流の人間と君たちはどちらに入りたいのか」などの旨の事を当時全体朝礼の場でグタグタ話していましたけど、
世間の一部の人間だけにお金が廻っている事と、中小零細企業ではいくら働いても給料なんて上がりやしないという
諦めのような事実の間にはどうしても矛盾というか、差異が生じてしまいます。
社会の格差をそんな事で比較する事自体ナンセンスですし、朝からバカバカしくてやってられない・・という感じでもありましたし、
なによりも吉野家の牛丼をそんな下らない比喩に使うこと自体くだらない事だと当時は感じたものでした。
美味しいものは美味しいですし、大好きなものは大好きとしてかいいようがないですし、
上流階級??に入っても吉野家の牛丼は美味しく感じるだろうし、吉野家の牛丼の価格がもしも以前のように
280円になったらそれはそれでうれしいことなのだと思います。
上記で銭湯の話が出てきましたけど、吉野家の牛丼とは対照的に銭湯の価格は1984年と比較すると230円→450円と
ほぼ倍増ですね・・
銭湯の需要は減っているのでしょうし、少子高齢化という事で一人暮らしをしている学生さんの数も減少しているのかも
しれないですし、そうした学生さんも昔と違って風呂なしアパートに住む人も少ないのでしょうし、
何よりも現在の賃貸アパートは、風呂なしアパートという形態も限りなく少ないという事なのかもしれないです。
廃業した銭湯・スーパー銭湯の跡地には巨大高層マンションが建築されているようにも思えますけど、それはさいたま市や
川口市は全国的に珍しいというのかこの人口減少が進展している日本において、人口増が続いていて
マンションの需要がいまだに大きいという事にも起因しているのかもしれないです。
それでも銭湯はスーパー銭湯や日帰り天然温泉よりは、まだ価格的には安く設定されている事も魅力の一つですけど
あの何とも言えないノスタルジー感に昭和の頃の郷愁みたいなモノを感じてしまいます。
そうした意味では、銭湯と言うと忘れかけていた「日本人の心のふるさと」みたいな感じもあるのかもしれないですね。
私が東北の田舎から上京し昭和末期の頃の貧乏学生さんであった頃は、
当時住んでいた家賃23000円のおんぼろ木造築40年のアパートには、各自の部屋に風呂やシャワーはおろかトイレすら無い
「浴室無し・トイレ共同使用」という今現在ではありえないような環境下にありましたけど、
そうした環境は貧乏学生にはむしろぴったりだったと思います。
あの頃は、現代のように携帯もスマートフォンもパソコンもメールLINEも何もない時代でしたし、
お金は全然ないけど「ヒマと考える時間だけはある」という今にして思うと、「いい時間だったなぁ」としみじみ感じることは
あったりもします。
1984年頃のスーパーでの卵・牛乳の価格は実は2021年現在の価格とそれほど変わっていないというのは
むしろ驚きといえそうです。
考えてみると、一般スーパーでの1984年時点と現在の比較というと、例えばカップラーメンは105円→110円
500mlのコーラは80円→85円、おにぎりは100円→100円、お米5キロは1400円→1500円、などなど大きな値上げが
起きていないのはそれはそれで日本の良いところなのかもしれないですし、そうした意味でこの40年近くで価格がとてつもなく
上がっているのは飲食・娯楽関連なのかもしれないです。

最後に・・
町中華の定番三大メニューというと、ラーメン・餃子・チャーハンだと思いますが、1984年当時の普通の町中華の普通のラーメンの
価格は300~380円前後であり、
今現在の町中華のラーメンの価格は550~650円前後であることを考えると、町中華のラーメンの価格上昇は
銭湯の価格上昇幅とほぼ同じといえるのかもしれないです。
それでも毎日のように一日3杯前後のラーメンを食べ歩く「ラーメン大好き小泉さん」の小泉さんはある意味驚異的なJKさん
ですけど、それ以上にラーメン原資はいったいどこから出ているの~というのも小泉さんの謎要素の一つですね~♪
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あの味、あのボリュームであの値段を実現しているのは本当にすごいですよね。
老若男女問わず、さらに時間も無い日本中のリーマンの方々の胃袋を満たし経済成長を支えてきた素晴らしい企業だと思います。
私もたまに牛丼食べに行きます。
でもラーメンのほうが好きですw