保科洋は最近の吹奏楽コンクールでは「復興」が大ブレイクし、大人気自由曲の一つになっていますけど、
実は既に1970年代からその作品は課題曲や自由曲として取り上げられていましたので、実に息の長い作曲家の先生と
言えると思います。
保科洋の盟友の兼田敏が既に彼岸の彼方に旅立っている事を考えると、50年近くも現役として吹奏楽に関わられている
保科洋には本当に頭が下がる想いで一杯でありますし、最近でも岡山大学交響楽団や神奈川大学吹奏楽団を指揮されて
おられますし、83歳を超えられてもその現役の第一線でご活躍されている様子には感銘を受けています。
兼田敏を代表する名曲の「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」を2017年に管弦楽曲としてアレンジされ、
管弦楽アレンジ版を秋山和慶が指揮され初演を果たしていたのも大変印象的でした。
1970年代の保科洋の作品というと、例えばカタストロフィー・カプリス・交響的断章などのように
大変陰気な曲想が多く、そのあまりの暗さに厭世観すら感じさせるものがありましたけど、
1980年代に入ると、「古祀」や87年の課題曲にもなった「風紋」のように「和」のイメージを曲に取り入れ始め
特に「古祀」は、日本の古代の儀式みたいなイメージを曲に大胆に取り入れ
その「鄙びた感じ」と「躍動する静のリズム感」がまた独特の世界を生み出し、一時かなりの人気曲でもありました。
この時代に「バストラーレ」(牧歌)や「愁映」のように、曲想が優しく終始穏やかな響きにまとめ、
70年代の頃に感じた陰気で厭世的な曲を書かれる人というイメージは相当後退したようにも感じたものでした。
1976年の保科洋作曲の全日本吹奏楽コンクール課題曲C / カンティレーナのような軽快な雰囲気の軽いマーチといった
作品は後年の作風の変化を示唆させるものがあるのかもしれないです。
保科洋の「古祀」ですけど、作品自体は実は元は管弦楽曲であり、
岡山大学管弦楽団のために書かれた「祀(まつり)」という管弦楽曲を吹奏楽曲に編曲したものが「古祀」と言えます。
管弦楽曲の「祀」を、ヤマハ吹奏楽団浜松からの委嘱により吹奏楽編成に作り直した作品であり、
原始的な祭祀の様々な情景をイメージした5つの部分から構成されています。
全体的には 民衆の神への畏敬と祈りと、神に奉納する踊りの曲といえるのですけど、私が現役奏者時代には
導入部→女性の踊り→全員の踊り→祈りから構成された曲みたいな事が秋山和慶指揮 / 東京佼成のCDの解説として
書かれていたような記憶もあるのですけど、実際はこの曲は五つの部分から構成されていたのですね。
「古祀」の構成なのですけど、保科洋のHPでの解説をそっくりそのまま転載いたしますと・・
第I部 「祈り I」
まだ薄暗い祭壇の前、民衆は祭壇への行列をしずしずと繰り返しながら、神への敬虔な祈りを捧げる。
第II部 「民衆の踊り I 」
祈り終わった民衆は野生的な踊りを始める。踊りの輪は徐々に膨らみ、熱狂的な全員舞踊に発展する。
第III部 「巫女の踊り」
民衆の踊りが一段落すると艶やかな巫女がしずしずと現れ、幻想的な踊りを舞い始める。民衆は車座になって巫女の踊る様を目で追っている。
第IV部 「民衆の踊り II 」
巫女が祭壇から姿を消すと、再び民衆は踊り始める。踊りは前にも増して陶酔状態となり興奮の極致に至る。
第V部 「祈りII 」
踊り疲れた民衆は再度祭壇の前に集まり、祈りを捧げながら三々五々散っていく。朝日が漸く昇り始める。
と記されています。
冒頭は大変静粛さと神聖な雰囲気な曲想から開始され、マリンバと木管セクションの細かいリズムによって導かれる
大変盛り上がる箇所が上記で言うところの民衆の踊りに相当する部分と思われますし、
この民衆の踊りは2回展開されるのですけど、一回目と二回目の間に挟まれた大変しっとりとした美しい音楽で、なおかつ
幻想的な舞のようにも感じられる箇所が「巫女の踊り」という事になるのだと思います。
この巫女の踊りの部分は、大勢の民衆が見つめる中、一人孤独に神聖で幻想的な舞を神様のために奉納しているような
雰囲気も伝わってきていると思います。
「古祀」が激しく盛り上がる部分は「民衆の踊り」といういわば全員の踊り的な箇所なのですけど、計2回繰り返されるこの部分の
間に巫女さんの幻想的で神聖な踊りの箇所が入っていますので、静と動の対比という意味でも大変際立っているようにも
感じられますし、音楽としての巫女さんの幻想的で美しい雰囲気が内省的に伝わっているようにも感じられます。
「古祀」は上記で記した通りヤマハ吹奏楽団浜松創立20周年委嘱作品なのですけど、吹奏楽コンクールとしての初演は、
競うコンクールの場という訳ではなくて、原田元吉指揮・ヤマハ吹奏楽団浜松が
第28回全日本吹奏楽コンクールにおける特別演奏(5年連続金賞達成による招待演奏)として演奏されたものです。
そしてその翌年には浜松工業高校が自由曲として演奏し金賞を受賞しています。
古祀の演奏時間は11~12分前後なのですけど、吹奏楽コンクールで演奏する場合はかなりの部分をカットしなければならず、
一般的には民衆の踊りの部分を一回だけにして祈りの終結部分を短めにするというカット方法が通例かも
しれないですけど、1984年にヤマハ浜松がこの曲を自由曲として演奏した時は、民衆の踊りの部分を二回繰り返して
演奏し、この曲本来のストーリーを音楽的にきちんと表現されていたのは大変印象的でもありました。
余談ですけど、「巫女さん」がモチーフにされている楽曲として、古祀と同じく保科洋作曲の曲として
吹奏楽作品ではないのですけど、「巫女の舞~独奏ホルンとオーケストラのための」という
ソロ・ホルンと管弦楽による自由な形式の協奏曲もあったりもします。
この曲にはピアノリダクション版があり、ピアノリダクション版は、
第21回イタリア・ポルチア国際ホルンコンクールの本選課題曲として使用された事もあるそうです。

巫女の舞(巫女神楽)の原点は、神様を巫女さんの体内に憑依させるという神がかりの儀式にあったといわれています。
両手に榊(サカキ)と神楽鈴(雅楽の鈴)を手にした巫女がまず身を清めるための舞を舞い、
続いて右回り左回りと順逆双方に交互に回りながら舞を重ねていき、やがてその旋回運動は激しくなり、
しだいに巫女は一種のトランス状態に突入して神がかり(憑依)を開始し、跳躍するに至って、お告げという神託を下すことに
なるのが巫女の舞とも言えます。
東方で巫女さんというともちろん早苗さんも捨てがたいですけど、やはり巫女としての霊夢のインパクトは絶大だと
思います。
霊夢は巫女さんでもありますし「神様の花嫁」という立ち位置でもありますので、もしかしたら幻想郷においては
巫女に対して古めかしい純潔を強く求められるものがあるのかもしれないです。
巫女さんの本来の役割とは、天地の神や超自然的なものごとに通じ、祈祷を行い、物事や未来を占い、
または自らの身体に神を憑依させて信託を伝える役割、そして神前で奉納する舞というものなどがありますので、
幻想郷における奉納の舞を舞われるのはやはり霊夢が最もしっくりきそうなのかもしれないですね~♪
霊夢はゲーム作品や公式書籍では実はそうした巫女さんらしい奉納の舞はほとんどしていないと思われますので、
霊夢の舞は東方MMDとしての霊夢のダンスで楽しむしかないかもしれないですね~
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神への祈りの曲ともいえそうです。
古祀というとヤマハ浜松の演奏がとても印象的ですけど、それ以外では83年の東海大学第四高校の渋い演奏も
とても素晴らしいと思います。