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日本の拍子木
最近では自治会とか町内会に加入している世帯も減少傾向ですし、以前ほど町会における個人同士の交流が
見られない中において、町内会や自治会が主催する夜回りというのもあまり実施されていないような気もしますし、
聞いた話では、夜回りでの「火の用心!」と言った掛け声すらも騒音という事でクレームが上がる事も決して珍しくはない
という事でなんだか本当に世知辛い世の中になったものだ・・と感じてしまいます。
特に最近では新型コロナの自粛モードによるイライラやストレスがそうした世知辛いクレームにも繋がっているのかも
しれないです。
さてさて、そうした町会・自治会での夜回りの小道具として欠かせないのが「火の用心!」という掛け声とともに
カチカチ!と小気味よいリズムを響かせてくれる拍子木なのだと思います。
拍子木とは、拍子を取るための木の音具です。
両手に持って打ち合わせると、カンカンとかカチカチいったと高い澄んだ音が出るのがリズム的には大変心地よいです。
この拍子木は日本においては古来様々な用途に用いられてきた経緯があります。
それでは具体的にどのような時にこの拍子木が使用されていたのかを簡単に列記してみたいと思います。
1.楽器として使用
雅楽、祭りのお囃子などのリズム楽器として使用されていたのが本来的な使われ方ですけど、現代音楽でも
稀に使用される事もあったりします。
後述しますけど吹奏楽コンクールの課題曲において打楽器の一つとして使用されていた事もあります。
クラシック音楽で拍子木が最も効果的に使用される楽曲として大変名高いのが外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」だと
思いますし、この曲において拍子木は冒頭からいきなりソロ的に使用されていたりもします。
吹奏楽コンクールとしては、1980年の課題曲A/ 吹奏楽のための花祭りと同じく80年の課題曲C/ 北海の大漁歌などで
使用されていたりもします。
2.相撲の呼び出し
呼出しが拍子木を打って、士の名を呼ぶ際に使用されます。
大相撲の呼出しが使う拍子木は、桜の木が使われているそうです。
3.歌舞伎等の舞台での使用
歌舞伎の世界においては芝居の開始時の合図として使用される時もありますし、
役者の足取りに合わせて打たれたる等動作や物音を強調する為にも用いられる事もあります。
4.紙芝居での使用
昭和初期から30年代にかけて下町で人気のあった紙芝居屋は、自転車で町々を回って拍子木を打ち鳴らし、
子供を集めて飴を売り紙芝居を見せた時代もあったりしました。
5.夜回り、夜警での使用
上記で記したとおり、自治会・消防団などが夜回りを実施する際に「戸締り用心、火の用心」と声をあげながら、
拍子木をカチカチッと打ち鳴らして歩く姿は昭和の頃はお馴染みの光景でもありました。
6.格闘技での使用
プロボクシングでは、ラウンド終了10秒前を知らせるためにタイムキーパーが拍子木を打ちますけど、
これは日本のみならず世界共通のルールなそうですけど、
実際に拍子木を使うのは日本だけで、アメリカ等では機械で打っているそうです。
7.宗教行事での使用
祭礼 山車の運行に拍子木の音によって、止まれ、ススメ、回れ、などの合図をする事もあります。
仏教など 宗派によっては、読経の折などに拍子木で拍子をとる宗派もあるそうです。
また拍子木は、天理教のおつとめに使う鳴物のひとつでもあり、お歌の拍子をとるために使われています。
そう言えば、1975年の天理高校の吹奏楽コンクールの自由曲が天理教の始祖の中山みきを題材にした
交響詩「おやさま」~第二楽章でしたけど、この曲の展開部において拍子木がカチカチと他の楽器を先導していったのは、
天理教のおつとめの様子を示唆したものなのかもしれないです。

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西洋の打楽器のクラベス
拍子木は日本の和の鳴り物ですけど、西洋における似たような楽器というと「クラベス」といえそうです。
クラベスは2本の棒状の木片を打ち合わせることで明るいカチカチとした音を出しますけど、
日本の楽器の「拍子木」と極めて近いものがあると思います。
そしてこのクラベスが効果的に使用された吹奏楽オリジナル作品として極めて名高いのは、J.B.チャンスの「呪文と踊り」
なのだと思います。
「呪文と踊り」は実に単純明快な二部構成でフルートソロから開始される神秘的な「呪文」の部分と
打楽器のエキゾチックな響きが実に印象的な「踊り」の部分から構成されていますけど、
この二つの部分の明確な相違性によるドラマ性とか打楽器の効果的使用といった巧みな楽器構成とか
実によく考えられた作品だと思います。
こうしたシンプルさと分かりやすさというのが、この曲を作曲から40年近く経過しても演奏され続けている大きな要因にも
なっていると思いますし、この曲を吹奏楽オリジナル曲の名作としていまだに名を馳せている理由にも
なっているような気がします。
曲が単純明快なだけに、飽きが来やすいとも思うのですが、長期間多くのチームによって演奏され続けているという事は
演奏するごとに新しい発」があるような曲と言えるのかもしれません。
この曲の「踊り」の部分では打楽器が大活躍します。
冒頭の「呪文」の部分は、かなり長いフロートソロから開始され、序盤はゆったりとした展開がかなり長く続き
かなり不気味な雰囲気を演出しています。
この不気味さはおどろおどろしい感じでもあり、いかにも「呪文」という雰囲気に満ち溢れ、聴き方によっては
呪文は呪文でも人を呪い殺すような呪文のようにも感じたりもします。
そして前半の呪文の部分が閉じられると、いよいよ「踊り」の部分が開始されます。
この踊りの部分なのですけど、マラカスから始まって、打楽器が一つずつ加わっていく感じで曲が展開されていきます。
その打楽器の順番は、マラカス→クラベス→ギロ→タンバリン→テンプル・ブロック→ティンバレスの順に加わっていきます。
この部分はパーカッション奏者にとっては大変プレッシャーが掛る大変な部分ですけど同時に大変な腕の見せ所だと思います。
全体的にこの曲はかなりの数の打楽器を使用しますし、
奏者は、フルスコアを見れば一目瞭然なのですけど、ティンパニが1名・残りの打楽器に6名、合計7人は絶対に必要です!
というのも、7人が同時に音を出す箇所もあるので、打楽器奏者の数を減らす事は、何らかの楽器の音を
削除することになってしまい、この曲の魅力が明らかに薄れてしまうのであまりやっては欲しくないですね。

打楽器パートは一般的には、ティンパニ奏者を頂点に、大太鼓・小太鼓(スネアドラム)・トムトム・ドラムセット等の太鼓系、
シンバル・サスペンダーシンバル・ドラなどの鳴り物系、
グロッケンシュピール・シロフォーン・ヴィヴラフォン・マリンバ・コンサートチャイム等の鍵盤打楽器系、
そしてタンバリン・トライアングル・カスタネット・マラカス・拍子木などの小物打楽器系、
そして場合によっては和太鼓といった特殊楽器やはたまたピアノなど、
打楽器奏者はマスターすべき楽器が大変多いというのが大きな特徴なのだと思います。
基本的にティンパニ奏者が他の打楽器と掛け持ちする事はほとんどないのですけど、吹奏楽コンクールにおいては、
打楽器奏者が少ない割にはかなりたくさんの打楽器を使用する楽曲において、たまにティンパニ奏者もそうした小物打楽器と
掛け持ちする事もあったりします。
そのいい例が1987年の武蔵村山第四中学校の自由曲のレスピーギの交響詩「ローマの祭り」なのだと思います。
ローマの祭りはプロの管弦楽団の演奏会でも打楽器奏者を11人近く使用するほど複数の打楽器が大活躍する曲ですし、
吹奏楽コンクールでは1987年当時の規定では50名以内の人数に抑えないといけないため、ローマの祭りを自由曲にすると
打楽器奏者にそれでも7~8人程度は当てる必要はあるのですけど、武蔵村山第四中の当時の打楽器パートの人数は
私の記憶では確か6人という事もあり、主顕祭においては部分的にティンパニ奏者がタンバリンを掛け持ちしていたりも
していたものでした。
異なる打楽器の掛け持ちは基本的には打楽器パート内でやりくりするものですけど、
私の出身中学校のような田舎のポンコツ吹奏楽部ですと、打楽器のやりくりの調整が付かない場合は、場合によっては
チューバ・コントラバス・ファゴットなどがたまに部分的に打楽器を兼任する事もありました。
私が中学3年の時の課題曲がCの「北海の大漁歌」でしたけど、この時には前半のソーラン節のフレーズの際の合いの手を
入れる打楽器として拍子木を小気味よくコーンコーンと鳴らしていましたけど、あの場面においては
うちの中学校の打楽器パートの人数が少なくてソーラン節の場面において拍子木を叩く人がいないという事で、
ファゴット奏者がファゴットの位置から拍子木を掛け持ちしてコーンコーンと打ち鳴らしていたのが大変印象的でした。
当時のファゴット奏者の女の子は、練習中はその拍子木を譜面台に置いていたのですけど、ある時の練習で
譜面をめくる時にうっかり拍子木の一片を床に落としてしまい、咄嗟の判断で残りの一片の拍子木を自らの楽器の
ファゴットに打ち付けてコーンコーンと鳴らしていて、問答無用で指揮者の先生から
「拍子木を落すな!」とか「ファゴットみたいな高価な楽器を打楽器として使用するな!」などうるさく叱られていましたけど、
ファゴット奏者の隣の席にいて当時はアルトサックス奏者だった私は「なるほどね~!咄嗟の判断でそうした事ができるのは
むしろ尊い事なのかもしれない・・」とむしろ感動したものでした~♪
あのファゴットの女の子もアルトサックスやテナーサックスの後輩の女の子たちも当時は私同様かなりの頻度で
指揮者の先生から連日連日「へたくそ」などと怒鳴られ怒られてばかりでしたけど、こういう時って意外と
精神的に強さを発揮して「怒られてもしゃーないじゃん!」と凹まず次の瞬間には立ち直ってしまうのがむしろ女の子の方で、
男性奏者はむしろそういう時ほど案外ポッキリと心の支えが折れてしまいがちで、危機に強いのはむしろ男よりも
女の子の方なのかもしれない・・という事を当時は感じていたものでした。
そしてそれに近い話が同年・・、1980年の吹奏楽コンクール・全国大会にて当時は「5年連続金賞」という偉業に王手を
掛けていた秋田南高校の課題曲でも起きていました。
このブログでは何度も何度も1980年の秋田南高校の精神的に研ぎ澄まされた小宇宙を形成している様な
ピーンと張りつめた劇的緊張感と重度の精神的緊張感をほぼ完璧に吹奏楽として表現した秋田南高校吹奏楽部の事を
語り尽くしていますので詳細はここでは省力しますけど、その自由曲の三善晃/ 交響三章~第三楽章の前に
演奏されていたのが課題曲Aの吹奏楽のための「花祭り」でした。
課題曲A/花祭りも、素朴な味わいが伝わってきて、見事だと思いますし、ソロも含めて各楽器の透明感は
群を抜いていると思います。
その課題曲の終結部近くでちょっとした事件が起きていたものでした。
その事は後日のBP(バンドピープル)の記事の中に書かれていましたけど、課題曲の終結部近くでオーボエが朗々と
ソロを吹く手前で、 拍子木が二回ほどカチッカチッとソロとして音を立てる場面があるのですけど、
この拍子木を担当する打楽器奏者が、ソロの直前で片方の拍子木を落としてしまうというハプニングに直面したとの事です。
拍子木を拾う時間がないため、咄嗟のその打楽器奏者の判断で片方の拍子木を急遽確か譜面台だったと思いましたが。
打ち付けたけどスカッとした音で不発に終わったものの、
二発目をまたまた咄嗟の判断で二回目は課題曲で使用していた和太鼓の側面部分に叩き付けた所、二回目は見事に成功し、
結果的に音が何も入らない空」を回避できたという経緯もあったとの事です。
普門館のドラマは色々と興味深いものがありそうですね・・・
そうしたちょっとした動揺を誘う事件があったにも関わらず、自由曲でのあの研ぎ澄まされた歴史的名演は驚愕以外の
何者でもないです!
拍子木を落してしまったものの、うちの中学校はファゴットに打ち付け、秋田南高校は和太鼓の側面に打ち付けるとは
咄嗟の対応の違いも興味津々でもあります。
最後に・・・1980年の課題曲C/ 北海の大漁歌は上記で触れた通り、前半のソーラン節の合いの手として拍子木を効果的に
使用していましたけど、面白い演出は青森県信用組合だと思います。
青森県信用組合はステージ内に大きな「丸太」を持ち込み、
譜面上では、拍子木指定の部分をこの丸太でコーンコーンと打ち鳴らし、一定の効果を得ていたのは大変ユニークでした!
(1980年のBPのコンクール写真の中に確か青森県信用組合の「北海の大漁歌」で使用した丸太が掲載されていたと
記憶しています・・)
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前にコメントしたことありますが、1980年・昭和55年の課題曲C「北海の大漁歌」、参考演奏では確かに「拍子木」を使用して演奏してますが、この年やはりこの曲でコンクールの課題曲として演奏した中学の母校の先輩方は、当時拍子木がなく降り番の生徒たちで手拍子でリズムを刻んだそうです。
翌年1981年・昭和56年に地元で開催した敬老会で高齢者の皆さんに馴染みのあるメロディの曲をとのことで、本来は自分の学年が演奏できなかったはずの曲でしたが、そういう経緯で当時まだ中1でしたから楽譜全体の部分的にですが、演奏できたことは嬉しかったですね。
一方、本来拍子木は基本的には使用しない曲で、中学の恩師が後に勤務した中学で1994年・平成6年でしたが、「雲のコラージュ」で拍子木を使用して演奏してました。参考演奏ではトライアングルのところだったように記憶しています。
拍子木ではありませんでしたけど、同じ雲のコラージュでは「金田康孝先生」が指揮者・顧問(当時)の宇品中学校は、導入部のトランペットソロをオーボエソロで演奏されていた記憶があります。(確かNHKFMの全国大会の特別放送?)
楽器使用では制限つく今時とはまた違う面白い演奏を聴けた、よい昭和と平成の吹奏楽でした。
それと以前から思っていましたが、管理人さんは私より多分3歳上ですね。。。
課題曲がちょうど3年入れ違ってますので…。