クラシック音楽の中にはめったに使用されない特殊楽器がスコアに指定されることもあったりして、
「ほとんど使用されない楽器だし、その曲のためだけに楽団内に常にこんな特殊楽器を置いていくのも面倒だよね・・」と
たまにあったりします。
そのいい例がメシアンの「トゥーランガリア交響曲」のオンド・マルトノというかなり特殊な電子楽器だと思いますが、
日本においてこのオンド・マルトノを演奏できる御方って原田節さん以外私は聞いたことがありませんし、万一原田さんが
ご逝去された場合、もしかしたら日本においてトゥーランガリア交響曲を演奏できなくなる可能性もあるのかもしれないです。
他にも、R.シュトラウスの「アルプス交響曲」や交響詩「ドン・キホーテ」やグローフェの組曲「グランド・キャニオン」で使用される
ウインドマシーンやサンダーマシーン(雷鳴の擬音を鳴らすために使用される楽器で大太鼓の中に、木やフェルトなどでできた
固い小玉を入れ太鼓を回転させて小玉を羊皮に打たせて雷を表現しています)
はたまた枠に吊るした薄い金属板を手で振動を与えたり叩いたりして鳴らすサンダーシートという特殊楽器も使用されていたり
します。
管楽器の中で演奏会においてはめったに使用されない特殊楽器というと例えば、ワーグナーチューバとかポストホルンや
テノールホルンなどがあったりもします。
そうした特殊楽器の中でも、金額的に相当高い割にはめったに使用されない楽器の代表格としてカリヨンが挙げられると
思います。

カリヨンとは要は教会の鐘みたいなものでして、厳密にいうと、
複数の鐘を組み合わせて旋律を演奏できるようにし鐘楼建築物に設置されたかなり大がかりな建造楽器ともいえそうな
ものですけど、ここで言うカリヨンとはカーンコーンと鳴り響く教会の鐘の事です。
大抵の場合2台で1つのセットをなしていることが多いです。
カリヨンが実際に使用された曲を演奏会等で聴いた事は、マーラーの交響曲第2番「復活」~第五楽章とか
J.ウィリアムズの「リバティファンファーレ」ぐらいしか記憶にありませんけど、コアな昭和の吹奏楽ファンの皆様にとって
カリヨンというとすぐに思い出すのは、そう! 誰がなんといっても埼玉県の市立川口高校吹奏楽部による
1981年~82年の「無言の変革」シリーズなのだと思います。
ちなみに82年の「そこに人の影は無かった」の方では、そのラストはカリヨンの音で静粛に閉じられます。
市立川口はその後、アトモスフェアやリードのオセロ・ハムレットでもカリヨンを使用し、特に1988年の「ハムレットへの音楽」の
終結部において2台のカリヨンによる壮麗な響きで普門館の聴衆をあっ・・と言わせていました。
(CDのあの演奏を聴くと、カリヨンがあまりにも強すぎでむしろ金管楽器の音すら消している大音響だと思います!)
さてさて、そうしたカリヨンを原曲の楽器として指定した名高い名曲と言えば、ベルリオーズの
「幻想交響曲」~Ⅴ.魔女の夜宴-魔女のロンド(ワルプルギスの夜の夢)に尽きると思います。
このⅤの前半において、弔いの「鐘」がコーンコーンと計11回も鳴り響き大変印象的です。
この場面は、片想いの女の子に恋焦がれるあまりついにその女の子を嫉妬の末に殺害し、裁判の結果絞首刑となり
地獄に叩き落された主人公を弔うシーンで奏でられ、かなり不気味な効果を上げています。
ちなみにこの場面においてチューバ等の重低音楽器によって奏でられるメロディーは、「グレゴリア聖歌」~怒りの日の旋律で
このメロディーに乗る形でカリヨンが不気味に且つ壮麗に鳴り響きます。
(この「怒りの日」のメロディーは後にラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」でも使用されています)
その弔いの鐘こそがベルリオーズの譜面上の指定ではカリヨンとされています。
ベルリオーズのスコア上の指定は あくまでカリヨン、つまり教会の鐘の音であり、
現在のオーケストラで使用される「コンサートチャイム」(つまりは「のど自慢」のカーンコーンという鐘の音)ではありません。
幻想交響」の実際の生の演奏会においては、大抵の場合、現代のコンサートチャイムが使用される事が多く、
カリヨンが使用された演奏会は若杉弘指揮の都響くらいしか記憶にないです。
幻想交響曲以外あまり使用事例がなくかつ価格が高いという事で、各オーケストラの楽器倉庫にはカリヨンは置かれて
いないのかもしれないですし、どうしても使用するという場合はレンタルしているのかもしれないです。
ベルリオーズの譜面上の指定では
「もしも教会の鐘を用意できない場合は、ピアノで代用しなさい」と書かれています。
もう少し細かく書くと「3オクターブの深いドとソの教会の鐘を用意しなさい、もしも用意できない場合は、ピアノの
2オクターブに渡る三つの低音で代用して演奏しなさい」と書かれているそうです。
実際には、この曲の第五楽章で鐘の代わりにピアノを代用品として使用されたケースは私自身は聴いた事はないです。
吹奏楽コンクールの世界では、 例えば「ダフニスとクロエ」第二組曲の夜明けの部分のハープをピアノで代用する事例は
無い事も無いのてすけど、さすがにカリヨンをピアノで代用なんてのは凄い事を思いつくと感じたものですし。
さすが異才、ベルリオーズ大先生という感じです。
第五楽章でカリヨンではなくて ピアノで代用したCDは私の知る限りでは3つほどあります。
一つが、ストコフスキー指揮のニューフィルハーモニアで、もう一つが、パルビローリ指揮/南西ドイツ放送響です。
他にもあの大巨匠のC.アバドは1983年の日本公演とその年のザルツブルク音楽祭においては、カリヨンもチャイムも使用せず
舞台裏からピアノでもって演奏していたそうです。
ちなみにこの年にアバドはシカゴ交響楽団との幻想交響曲の録音においては、ピアとは使用せず普通にチャイムを
使用していました。
感想はやっぱりカリヨンやコンサートチャイムの響きに耳が慣れているせいもあり、違和感は感じてしまいますけど、
音響効果としてはかなり新鮮です。
弔いというよりは地獄からの使者到来という雰囲気も感じたりもします。
どうしてもコンサートチャイムの済んだ清らかな音に慣れていますのですごく不思議な感じがします。
この3人の巨匠指揮者たちは どうしてあえて「ピアノ」で代用したのでしょうか・・?
指揮者のこだわりなのかな・・・
何か他人とは違う解釈をたまには取ってみたいと思ったのかな・・・?
はたまた、本当にオーケストラ内にカリヨンまたはコンサートチャイムが無かったのかな・・・??
そのあたりはもしかしたら興味津々なエピソードがあるのかもしれないです。
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市立川口もそうですけど、普段あまり実物を目にする機会は少ないだけに、たまにカリヨンの実音を聴くと
テンションは上がりそうです。