
2020年は静かな年明けを迎えたのかな・・?と思っていた矢先に1月下旬以降のニュースは連日連日、新型コロナウイルスという
未知のウイルスに関する話ばかりでしたけど、あの当時はなんとなくですけど、
1月は中国で主に起きている対岸の火事みたいな感じだったものの、2月前半以降はクルーズ船、ダイヤモンド・プリンセスの
船内感染の話がクローズアップされ、同時に日本国内での感染が深刻化していき、学校休校や大規模イベントの自粛という
流れが出てきて一気に経済縮小という問題に繋がっていき、3月以降に日本国内ではだいぶ落ち着いてきたのかな・・?と
なんとなく安心モードが漂った瞬間に実は世界的規模、特にヨーロッパで爆発的感染が広がるという事態へと展開していき、
3月下旬以降現在に至るまで国内では最も自粛ムードと停滞ムードが広がり、
そうした重苦しい雰囲気は当分というか今年いっぱいは続く覚悟が必要なのかもしれないです。
最近では「県を超えての移動は自粛して下さい」という流れになっているのですけど、そうした県境を越えての往来自粛を
最初に呼びかけられていたのは3月の三連休の頃の大阪⇔兵庫でした、
3/20~22の三連休が開始される前日に、大阪府知事と兵庫県知事からそれぞれ
「この3連休の間は、大阪府と兵庫県の往来を自粛してほしい」という要請が発表されていましたけど、あの時は
大阪にお住いの皆様も兵庫県にお住いの皆様にもそれぞれ「なんでやねん・・」みたいな戸惑いの反応の方が
大きかったのかもしれないですね・・
あのニュースを最初に見たときは「これって例えば兵庫から大阪府にはいる時や逆に大阪から兵庫に入る時は
通行許可証が必要な話なのかな・・?」と一瞬感じたものでしたけど、同時に
映画「翔んで埼玉」における「埼玉から東京に行くには通行手形がいる!」というフレーズを思わず連想してしまったものでした!
そしてあの一週間後に、都内各地で連日連日の新しい発症者の数が増大し、まさか本当に都内でも埼玉でも週末の
外出自粛の要請が出され、結果的に埼玉→東京都内へのお出かけの自粛要請が出される事態にまで
なっていましたので、あれは本当に映画「翔んで埼玉」のリアルでの再現と言えそうでした。
「翔んで埼玉」における設定においては、
1.そもそも文化レヴェルが高くて誇り高き東京都民が埼玉に入ること自体ありえない
2.埼玉⇒東京に入る時には通行手形が必要だし、東京都と埼玉県の境には各所で関所が設けられている
3.都内で「埼玉県民ホイホイ」みたいな装置が設置されていて、埼玉県民が無許可に東京都内に侵入していないかの
チェックが抜き打ちで行われている
といったまたまたとんでもない設定ではありましたけど、こうした埼玉県と東京都の県境封鎖というものは、
コロナウイルス騒動における欧米諸国の国境封鎖や鎖国下状態の話と大して変わりがないのかもしれないです。
それにしても「翔んで埼玉」は原作漫画も映画もかなりぶっ飛んだ話でもありました・・
一応あの作品の概要を簡単に記すと・・
あの作品は現代の視点から過去を振り返るという都市伝説的な雰囲気で制作されていて、
その昔、埼玉県民は東京都民からひどい迫害を受けており身を潜めて生きるしかなくて、
埼玉県民は通行手形がなくては東京に出入りすらできず、見つかるとすぐに強制送還をされてしまうことは
普通の光景でもありました。
埼玉県民は誰もがこの理不尽で不自由な生活から逃れたいと願っていて、いつの日にか埼玉を救う救世主の存在を
信じていたものでした。
そして埼玉県解放を成し遂げるべく戦いを挑んだ者たちの愛と革命の物語としてこの作品が描かれています。

映画「翔んで埼玉」は、埼玉県内の映画館の反応を見た限りにおいては、意外と?? 埼玉県民からの反応も良くて
例えば山田うどんや十万石まんじゅうがちらっと映ると会場内からも笑いの声が起きていましたし、
埼玉をかなりおちょくったネタが炸裂していたシーンでも常に笑い声が絶えないというのは、
埼玉県民の意外な??おおらかさとか
「自分自身も実は他県出身で生粋の埼玉県民ではないから・・」という人が多いことの証なのかもしれないです。
それと制作サイドからも、埼玉ネタが不快ではなく愉快なものになるように配役や舞台セットを極端にぶっ飛んだものにしたり、
物語を現代のカーラジオから都市伝説を伝え聞くという設定にしていたのも埼玉を配慮してのものも
多少はあるのかもしれないです。
映画の中で、車の前に置かれたコバトン・山田うどん・風が語りかけますのCMなどなど、随所に詰め込まれた埼玉県民にしか
わからないようなネタを見せつけられると
「他の県の人たちにはどうせわからないよね~」と少しばかり優越感を感じつつも、ここまで埼玉がおちょくられている映画
だというのに、映画館内も爆笑が絶えないというのも、そこにあるのは埼玉県民としての優越感と自虐性の双方が
発揮されていたからなのかもしれないです・
映画「翔んで埼玉」は、「埼玉から東京に行くには通行手形がいる!」「埼玉県民はそこらへんの草でも食わせておけ!」
などといったフレーズでお馴染みですし、全体的には埼玉愛を込めているのか単に埼玉を小バカにしているのか
よく分からないような作品でもありますし、私としても「埼玉をバカにするにも程があるよね~」という感じの作品
なのかもしれないですけど、埼玉出身の著名人や埼玉の生活風習や食文化からはじまって
「埼玉には海がないから近県をひがんでいる」・「千葉とは仲が悪い」・「気温は相当高いが外に遊ぶところが全く無い」など
埼玉に関する少しはためになることや全くためにならないことが色々とネタとして繰り出されていて、
埼玉宣伝映画としてはこれはこれでアリなのかも・・という感じの作品とも言えそうですし、こうした映画をきっかけにして
埼玉の全国的知名度と好感度が少しでもUPされれば御の字とも言えそうですし、埼玉の前知事の上田氏も
この映画に関しては「悪名は無名に勝るものは無いからね」と言われていたのも、埼玉の宣伝効果を期待した上での
コメントなのかもしれないですね・・
映画「翔んで埼玉」は2月にフジテレビにて地上波初登場ということで放映されていましたけど、この映画の中盤頃に
麻実麗が埼玉県民と東京都民を見分ける方法としての「踏み絵」として、埼玉県の県の鳥であるであるしらこばとの焼き印が
入った草加せんべい絵を踏めるのかどうかというシーンがありましたけど、麻実麗がそれを踏めなかったのは
埼玉県民としては「わかるよね~」という感じなのかもしれないです。
それと映画の中で麻実麗役がGACKTさんという意外過ぎる人選も素晴らしかったです!
「埼玉は名物も見どころも何もないない」と言われがちではありますけど、「埼玉あるあるネタ」って意外とあるものなのかも
しれないです。
一例を挙げると・・・・
〇埼玉県民が鴻巣市に行く理由は免許更新のためだけであり、それ以外の理由で鴻巣に行くというのはほとんどない。
〇埼玉県は実は長野県とも県境を接している
〇海を見るとやたらとテンションが上がる
○旅行に出かけ、宿泊先の従業員さん等から「どちらからお越しになりました・・?」と聞かれると、
「東京の方」とか「ちょいと東京の北」と埼玉から来た事をひた隠す
○東京・神奈川には最初から勝負にならないと対抗心を燃やすことは皆無だけど、千葉県にだけは
やたらと敵愾心をむき出しにする
〇埼玉県民は、お買い物と言うと、浦和でも大宮ではなくて、都内の池袋に行くことの方が多い
〇埼玉県民の日は、県内の公立校は全て休校
〇武蔵野線と東武東上線が止まると、埼玉県民の足が崩壊する。(武蔵野線は強風が吹くとすぐに運休になってしまいます)
そしてその最たるものが、これってよく言われるネタではあるのですけど
埼玉県民と非埼玉県民を見分ける方法として、「国道122号線をどう呼ぶのか?」というものがあると思います。
普通の人は「ひゃくにじゅうにごうせん」と呼ぶと思うのですけど
埼玉県民はなぜかしりませんけど、「ワン・ツー・ツー」と呼びます。
上記で「海がない埼玉県民は海にあこがれる」と記しましたけど、このあるある話は映画の中でも何度か登場していました。
埼玉県人は、波の音、潮の香、浜辺で遊ぶ人達の影につられるという事で、海をイメージさせられそうな
巨大なゴキブリホイホイのような「埼玉ホイホイ参号機」によって埼玉県民狩りが発動されている場面もありましたし、
千葉で百美が捕らえられた九十九里浜のアジトには捕獲装置試作1号機があったりしたものでした。
また、菅原好海の軽ワゴン車のナンバーは「熊谷483ひ11―73」で「いい波」のごろ合わせでもありましたし、
麗と百美が乗ったリアカーのナンバーも「野田ま11―73」でもありました。
菅原好海の名前も「海が好き」だし、娘の愛海も「海を愛している」という事で、これは埼玉家民の海へのあこがれを
示唆していたものなのかもしれないです。
映画のエンドクレジットで流れるはなわの埼玉県の歌の歌詞によれば「海がないくせサーファー多すぎ」というのも
そうした話の表れなのかもしれないですね~♪
とにかく何もないないでお馴染みの埼玉をモチーフにした映画が制作され、2月に地上波放映としてテレビで放映されて
いたのは埼玉県民としては、むしろありがたい話なのかもしれないです。
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マンガやアニメの実写は基本、反対ですが。
しかし「翔んで埼玉」は見事だと思いました。
GACKT、二階堂ふみの原作を超えた演技。
(ちなみに二人とも沖縄県出身)
埼玉をdisっているようで愛情を示している。
本作も面白いですが、予告編も面白いです。