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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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人間には「あまり触れてほしくない部分」というものは誰にでも一つや二つは間違いなくあると思いますし、それを換言すると
トラウマという事になるのかもしれないです。
そうしたあまり触れてほしくない部分にズカズカと土足で他人に踏み込まれてしまうと、人は感情を害したり嫌悪感を
抱いてしまうのだと思いますし、それが怒りの気分として表出された場合は、故事で例えると「逆鱗に触れる」という事なのかも
しれないです。

え・・? 私ですかぁ~? そりゃたくさんありますよ・・

人間というものを数十年やっていると「あの事だけは絶対に触れないでほしい!」という事はたくさんありますし、
このブログで公開するなんてとてもじゃないですけど出来そうにもないことなど多々ありますし、
「この事は生涯口に触れることは絶対にないし、全てを自分の胸に秘めたままあの世に旅立とう・・」というトラウマは
幾つかあったりもします・・
仕事上でのトラウマというと、金融機関での取り立てというか不良債権回収にあたっての顧客との交渉時のあのストレスが
最大だったのかもしれないです。
あの時のトラウマに比べたら今現在の顧客管理において時折発生するクレーム対応なんてかわいいものとしかいいようが
ないという感じでもあったりします。

音楽上のトラウマも現役奏者時代は色々あったものです・・

そうしたトラウマの中でもやはり一番大きかったことは、10年間出場した吹奏楽コンクールにおいて、結局ただの一度も
支部大会以上の大会に出場出来なかった事だと思います。
毎回県大会または都大会予選で消えてしまい、特に「生涯に一度ぐらいは普門館という高校野球で例えると甲子園の
ような舞台で吹奏楽コンクールに出場したい」と思っていた私は、その目的成就のためだけに
東北の田舎から上京して都内のとあるポンコツ大学に進学し、吹奏楽コンクール都大会の大学の部の予選会を通過し
都大会本選の会場でもある普門館のステージに立つことを夢見ていましたけど、結局はその夢は叶わず、
10年間の奏者生活から足を洗った訳であったりします。
もちろんその過程で得るものは相当大きかったと思いますし、吹奏楽をやることで自分自身の音楽への興味関心が
とてつもなく増大し、それが今現在でも生きる上での大きな力になっていることも大きいですし、
なによりも上京できること=親元を離れられるという事でも
ありましたので、「親元を合法的に離れる」という最大の目標は達成できたわけですので、決して10年間の吹奏楽コンクール
への参加は無駄ではなくて意義は極めて大きかったのですけど、それでも
「一度ぐらいは都大会銅賞でもなんでもいいから普門館開催の都大会に出場したかった! それができなかったのは
やっぱりなんだかんだいっても今でもすごく悔いがあるし、無念だし、それが自分の音楽上のトラウマなのかも・・」と
感じることは今でもあったりはします。

音楽上のトラウマを一番最初に実感したのは、合奏をすることがとにかく楽しくて楽しくて仕方がなかった小学校の
管楽器クラブでの体験から比べると「どうして音楽ってこんなにつまらなくて苦しくて嫌な事ばかりなの~!?」と感じずには
いられなかった中学校における吹奏楽部入部したあたりの頃なのかもしれないです。
結果的に以前はあんなに合奏をすることが楽しくて楽しくて仕方がなかった全体練習が、指揮者から罵倒され続けることで
苦痛以外の何物でもなかった事もありますけど、その後吹奏楽部部長という嫌な役割を押し付けられ、丁度そのころに
当時の吹奏楽部指揮者=顧問の先生に対する全体の不満が爆発した事に起因する吹奏楽部部員の大量退部騒動の
全責任を当時の部長と副部長にすべて押し付けられてしまい、何かあるごとに顧問の先生やOBOGから執拗に責め立てられ、
中学校卒業の頃には、「音楽も吹奏楽も大嫌い! 高校に入ったら金輪際吹奏楽なんてやるもんか!」と固く心に誓っていた
ものでした。
(結果的に高校入学の頃にたまたま耳にした吹奏楽部が練習していた定期演奏会の曲目の一つの
歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りの哀愁溢れるメロディーに魅了され、何気なく練習見学会を覗いていたら
強引に勧誘されてしぶしぶ入部したら、結果的にその3年間で自分自身の音楽嫌いは完全に治癒されたばかりでなく、
上記で触れた通り「なんとか一度ぐらいは普門館のステージに立ちたい」と本気で考えるようになっていたものでした)

自分自身の音楽上のトラウマを初めて体感したのは中学の吹奏楽部入部時の事でしたけど、あの年の夏って
楽しい思い出はほぽ皆無でした・・
小学校の頃までは夏休みというと、プールで遊んだり野球したり、管楽器クラブでのびのび楽しく練習したり全体合奏したり、
印象としてはあっという間の楽しいお休み期間という感じでしたけど、中学以降、本格的に吹奏楽部に入部してみたら、
夏休みは無いも同然というのか毎日毎日練習ばかりというありさまでした。
夏休みが始まって、朝9時から午後4時近くまで吹奏楽コンクールに向けた練習三昧で、練習中もひたすら指揮者の先生から
「ピッチが合わないから死ね!」
「下手くそ!!」
「おまえらやる気あるのか!?」
「どうしてこんなに汚い音色でしか響かせられないのか!?」
「こんな簡単なフレーズもこなせないとは、お前らには音楽を語る資格は一切ないし、お前たちは俺の言う通りにだけ
吹いていればそれでいいんだ!」
「リズム音痴に鈍感すぎる音感・・おまえたちには才能なんてひとかけらもない」
「どうしてそこで息継ぎするんだ! ちゃんとフレーズを保って堪えろ!! え、なに呼吸が苦しい・・?、じゃー息するな!」などなど
毎日罵詈雑言浴びせられ続けケチョンケチョンに朝から晩までボロくそに怒られてばかりでした。
(今現在だったらパワハラ問題になりかねないですし、間違いなく教育委員会や校長・PTAにチクりがはいると思います・・)
しかも肝心の吹奏楽コンクールはと言うと、県大会の前段階の地区予選にてまさかのタイムオーバー失格という
消化不良の結果で終わってしまい、
当時の最上級性の3年生たちは茫然自失状態となっていましたし、
「まさか県大会にも進めないでこんな段階で3年間の部活が終わってしまうなんて・・」という無力感でいっぱいになって様子が
今でも記憶に残っています。
私自身は、なぜかしりませんけどコンクールメンバーに1年生ながらも選ばれていましたので、失格という結果は残念でしたが、
当時は吹奏楽コンクールのこと自体よくわかりませんでしたし、金賞とか銅賞とかダメ金とか地区予選落ちとか
タイムオーバー失格といわれても「なんじゃそれ・・?」という感じでもありました。
そんなことよりも、県大会に進めなかったという事でその後残り少ない夏休み期間も確かに練習はありましたけど、
既に全員の目的意識もやる気もなくなっていましたので、残りの夏休みの練習はほぼ個人練習となっていたのは
ある意味救いでもありました・・
(中二と中三の時は地区予選を突破し県大会出場が決まっていましたので、地区予選以降も夏休み期間はほぼフルで
練習三昧でもありました・・)
当時のコンクールは今とは開催時期が違っていて、地区予選は8月のお盆前後、県大会は9月中旬でしたから、
夏休みはどうしてもコンクールに向けての猛練習ばかりになってしまいがちでもありました。
前年までは夏休みと言うととにかく遊び呆けていた中一にとっては、最初の夏休みとはつらい試練ともいえそうでもありました。

たまにですけど、練習が終わった後で顧問の先生の配慮で、学校のプールを吹奏楽部員用に貸切で開放して貰い、
プールでで思いっきり泳ぐとか女の子の先輩とか同級生のスクール水着を拝められるのはすてきな思い出でした・・
私自身の担当パートがクラリネットで私以外は女の子ばかりでしたので、こういうブールでのお遊びの際も
何の違和感もなく女の子たちとキャッキャッと遊べる事は、クラリネットパートの唯一の男子部員の特権でもありました。
(この点だけはトラウマではなくて「昔に戻って体感したい・・」という事なのかもしれないです)

この年・・私自身が初めて吹奏楽コンクールに出場した際の課題曲は、1978年課題曲Aのジュピラーテで、自由曲は
チャイコフスキーの「スラブ行進曲」でした。
ちなみにスラブ行進曲というと、最近よくCMで流れていた「Chrome book」のBGMでも使用されていました。
課題曲表記がA~Eというのは現役奏者の皆様の視点では「どうしてⅠ~Ⅴという表記じゃないの?」と感じられるのかも
しれないですし、課題曲4曲の中から自由に一曲を選べるスタイルが確立したのは1978年以降の話であるみたいな事を
書いてしまうと「さすが昭和レトロ世代は古いね~」と失笑されるのかもしれないです。

それにしても自由曲がチャイコフスキーのスラブ行進曲というのは管楽器初心者にとってはつらい選曲だったと思います。

当時はまだ奏法の基礎すらもできていないのに、クラリネットでいうとあんな16分音符の細かい動きが炸裂する曲をいきなり
譜面通り正確に吹けと言われても困惑してしまうのは当然だと思います。
冒頭で触れた通り、人には一つや二つ触れてほしくはないトラウマはあると思うのですけど、上記のさまざまな要因によって
私にとって「スラブ行進曲」とは当時の様々な嫌な事や振り返りたくない事を思い起こさせる曲でもあり、トラウマの曲の一つと
いっても決して過言ではないと思います。
今現在でも冒頭の低音セクションによる陰鬱なメロディーが流れてくると、「こんな曲は聴きたくもない!」とついつい感じてしまう
のはそれもまた一つのトラウマなのかもしれないです。

チャイコフスキーのスラブ行進曲は、19世紀後半にロシアと民族的同胞でもあったセルビアのキリスト教徒が
オスマン=トルコ帝国の軍隊に虐殺されるという事件が起き、チャイコフスキーはロシア人と同胞のスラブ民族の痛ましい事件に
心を痛め、犠牲者の追悼演奏会で演奏される曲を委嘱されたのがこの曲の原型でもあります。
チャイコフスキーはなんと5日程度でこの曲の原型の「セルビア=ロシア行進曲」を作曲し、後年曲の改訂を行い
タイトルも現在の「スラブ行進曲」と改められます。
チャイコフスキーはこの曲の中にセルビアの民謡と帝政ロシア国歌を盛り込み、特に後半部分にトロンポーンによって
盛大に華々しくこのロシア国歌が響き渡り、ロシアの輝かしい勝利とロシア民族の不滅の輝きを示唆するような形で
堂々と閉じられます。
ちなみにチャイコフスキーは荘厳序曲「1812年」でもこの帝政ロシア国歌を曲の中で引用しています。

スラブ行進曲は1960年代~70年代における吹奏楽コンクールの自由曲としては人気自由曲の一つでしたし、
特に1972年の今津中学校による演奏はこの曲の代表的な名演です。
但し、最近では自由曲として演奏される機会は激減していて、全国大会では1977年を最後に演奏されていませんし、
支部大会以上でも2001年を最後に20年近くもコンクール自由曲としては演奏されていません。

この曲は後半のティンパニソロ以降最後の追い込みが図られ華々しく盛り上がっていくのですけど、その大きなクライマックスが
前述のトロンボーンによるロシア国歌のメロディーであり、そのあとすぐにドラ・大太鼓・シンバルといった打楽器による
効果的な打撃音を背景にトランペットを中心とする金管セクションによる咆哮なのだと思います。
私の中一の吹奏楽アレンジ版による演奏では、その個所に差し掛かると練習中はたいていの場合指揮者の先生は
大太鼓奏者の石川先輩という3年生奏者に対して、石川先輩は女性奏者なのに石川という名前だけで勝手に連想したのか
「ごーえーもーん!!」とか「五右衛門もっとしっかり叩いて轟かせろ!!」とやたらとごえもんごえもんと連呼しまくっていましたので、
私自身も実は今現在でもスラブ行進曲の演奏を聴いて、そのクライマックスの部分に差し掛かると
「ごーえーもーん!!」という連呼の声を思い出してしまいますし、それもまた私自身の一つのトラウマなのかもしれないです。


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チャイコフスキーのスラブ行進曲や荘厳序曲「1812年」のクライマックスでのトロンボーによるロシア国歌の吹奏は
奏者にとっては気分爽快と言えそうです~♪
あの個所は吹奏楽アレンジ版でも管弦楽の原曲版でもどのトロンボーンパートも気持ちよく豪快に鳴らすことがほとんど
ですので、トロンボーン奏者にとっても難しいことは何も考えないで気分に任せて吹くことができる曲の一つといえそうです!

ららマジ器楽部のトロンボーン奏者は星崎梨花という3年生のお姉さまですけど、奏者としての立場とは別に
コンサートマスターという重責も担っていて、指揮者とは別の意味で音楽づくりに細かく関わっていて、星崎梨花としての
気苦労も多々あるのかもしれないですが、こういう難しいことは何も考えずに気分に任せて吹くことができる曲というのは
梨花にとっても一つの気分転換にもなりそうな曲ともいえそうです。


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ここから下記はdream fantasy2
アミグリさんが過去に描かれた絵のご紹介コーナーです。

上記において「人の過去のトラウマ」について少しばかり触れさせて頂きましたけど、そうした人のトラウマという心の深層部分を
読み取り、そのトラウマを材料に精神攻撃されるとという結構ヤバい能力をお持ちなのが、妖怪「覚」という事で
東方では古明地姉妹なのだと思います。
ただこいしちゃんの方は自らの意思でサードアイを閉じてしまっていますので、人の心を読み取ったりトラウマを抉る事が
できるのはお姉さまのさとり様のほうです。

そんなわけで本記事においてはアミグリさんが描かれた古明地姉妹をデフォルメ作品として表現した2枚の絵を
転載&ご紹介をさせて頂きたいと思います。

上記のデフォルメこいしちゃんは2019年2月にアミグリさんが描かれた作品です。

このデフォルメこいしちゃんは全体のデフォルメ作品としてのゆるかわいらしさとスカートの薔薇模様のきめ細かさに代表される
精緻さが絶妙に融合しているのが素晴らしいです!

キラキラもすてきに飛ばされていますけど、背景が大きなハートマークというのは、
アミグリさんのビッグなこいしちゃん愛を見事に物語っていると言えるのだと思います。

こいしちゃんはよく「心が空っぽ」と言われたりもするのですけど、それは換言すると「無の境地」に達したともいえそうですし、
無の境地というのは換言すると「開き直ったような明るさ」ともいえるのかもしれないのですけど、
アミグリさんの描かれたデフォルメこいしちゃんからは、余計な事を何も考えずに純粋に自分自身の存在を達観しながらも
楽しんでいるという安らぎ・楽しさは存分に伝わってきていると思います。


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続きまして、アミグリさんが2019年2月に描かれたデフォルメ作品のさとり様です。

さとり様のやっかいな所は、対面している相手の現在の心の深層だけではなくて、その人の過去のトラウマや
過去の嫌な経験を現在心の奥底に秘めてなんとか心のバランスを図ろうとしている人達に対しても
容赦なくそうした過去の古傷を抉り出し精神攻撃を繰り広げたり、はたまた幻想郷内の妖怪さんたちに対しては、
妖怪たちが過去に使用した固有の能力に基づく攻撃アイテムや戦い方を完全コピーしてさとり様自らがそれを使用する事も
可能という事で、萃香・星熊勇儀・八坂神奈子といった東方の強者と言われる皆様からも強い警戒心を持たれて
いるようでもあります。
具体的には、EXステージで使用してくるパチュリーさんの「賢者の石」やPhステージにしか出てこないゆかりんの「二重黒死蝶」を
4面で使用してきたりとそのコピー能力の応用能力は幻想郷でも脅威の能力と言えそうです。

こんなさとり様のコピー能力やトラウマ抉りだし能力を駆使されたら、私なんぞ過去のさまざまなトラウマによって
人格否定&人格破壊すらされてしまいそうです。
だけどさとり様にそんなえげつないことされても「さとり様にそうしたことされるのだったらむしろ本望・・」と感じるのかも
しれないです。

上記のデフォルメこいしちゃんは明るさ・ゆるかわいらしさ・妹キャラらしい少しきゃぴきゃぴした雰囲気が
すてきに伝わっていましたけど、このさとり様はこいしちゃんと同じポーズ・同じデフォルメ・同じハート型の背景・
同じスカートの薔薇の模様というかなりの共通性はあるのに、
「同じ姉妹でもなんだか伝わってくるものが違うのかも」と感じさせるのは、
アミグリさんの表現の使い分けと東方キャラの差別化を立派に実現されている証しなのだと思われます。
このデフォルメさとり様は、ゆるくてかわいらしい雰囲気に溢れているのですけど、
やはりどことなくせつないとか儚いとか心ここにあらず・・と伝わってくるのは、さとり様のあのちょっと哀しそうな表情と
サードアイがこいしちゃんと違って少し不気味に開けられているせいなのかもしれないですね。

東方姉妹の中で依神姉妹・スカーレット姉妹は姉妹の見た目の雰囲気はかなり異なっているのですけど、
古明地姉妹はなんとなく似ている感じもあると思います。
そうした似ているような雰囲気の古明地姉妹をデフォルメ作品としてもその違いを単に衣装や色の違いとしてだけではなくて、
そこから内面的に伝わってくるものを大変立派に表現されているようにも感じられます。

上記のアミグリさんが描かれたデフォルメの古明地姉妹は、さとり様こいしちゃんの絵師様であるアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。

アミグリさん、本当にいつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!

皆様の中で「こんなにかわいいデフォルメさとり様を描かれる方のブログってどんなもんなのだろう? 」などと
興味がある方は、 是非是非アミグリさんのブログdream fantasy2 を ご覧になって頂きたいと思いますし、 宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログdream fantasy2 に一度お越しして頂けると アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!

アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!

アミグリさんのpixiv

音楽上もそうですし、なにかと生きる上でのトラウマは多々あるものだと思いますが、さとり様の能力によって
過去のトラウマを喚起させられ、過去の自分自身の傷と改めて正面から向き合うのも悪くはないことなのかもしれないです。
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コメント

タイムオーバーは9割以上指揮者の責任ですね…

管理人さんのその中1のときのタイムオーバーの苦い経験は何度か投稿で読んでますが、自分の知人などにも当時在学していた学校がタイムオーバーで失格になる悲しい経験をされた人何人かいるんですが、管理人さん仰るとおりにいまだにトラウマレベルになってると聞きます…。
だってコンクール本番までの練習と努力がほぼ何も認められなかった感覚ですし、そしてタイムオーバーの多くの原因は指揮者の指揮そのものにあると聞きます。まぁ、指揮者がなんと言おうと本番で12分にまとめあげれなかったことになると思うんです。
これは選曲やカットのミスも原因の場合もありますよね。そもそもタイムオーバーの危険性・リスクのある曲を選んだり、結果として制限時間に対して余裕のないカットをしたり。また課題曲と自由曲間で打楽器のチューニングし直しを強いる曲を選び、チューニングに時間かかったことをタイムオーバーの理由にする指揮者もいるようですが、それは曲間にチューニングし直しがあって且つ制限時間ギリギリな曲を選んだ時点で選曲のミスだと思いますけどね…。

地元でタイムオーバーと悲しい思いをした方々の、直後の指揮をされた顧問の先生方の対応はそれぞれなもので、ある学校でその学校だけで3回もタイムオーバーを犯した先生は「俺の音楽は12分でおさまりきらないのだ!」とタイムオーバーの都度持論展開したとか…。またとある全国経験校の先生は全国大会翌年、県大会でまさかの10秒少々のオーバーで失格になったそうなんですが、閉会式後ホールのロビーで他校生・各校父兄も見ているところで「俺の指揮のせいでタイムオーバーになってしまった!お前たちに申し訳ない…」と土下座して謝罪した先生がいるなど、色々と対応は違ったようです。
私が中学生の頃は、タイムオーバーだからと何も表彰がないのはかわいそうということで「優秀賞」という名前で審査対象外ですけど何かしらの表彰・賞状伝達してましたが、高校に進学した頃はもう廃止になって残念な気分になりましたね。

いやー……タイムオーバーというのは本当にあってはならないことだと思いますし、もしなってしまった場合は、ほぼほぼ指揮者の責任と自分は思っています。
私自身はタイムオーバーの経験はないんですが(そう思うと、きちんと時間計測して練習や合奏をしていて、タイムオーバーという悲しい思い出だけはさせなかった当時の顧問たちには感謝です)、その先輩さん方がその後の音楽人生に大きく影響しなかったか、考えてしまいますね…。
後半の打楽器の先輩さんを「ごえもーん!」と言ってる時点でも、当時の顧問さんがどの程度教師の自覚があったか疑ってしまいますね…。
確かに今のご時世だったら何らかの懲戒処分だったのは間違いなかったと思います。

コンクールの光と影

一秋田県民 様
 

タイムオーバー失格とかコンクールでの結果至上主義による子供たちへの音楽教育というよりも
「結果が全て」と言った事はコンクールの光と影の中で「影」に該当する部分なのかもしれないです。
もちろんコンクールの素晴らしき所はたくさんあり、日本の吹奏楽のレヴェルがここまで飛躍的に向上したのは
その第一功労者こそが吹奏楽コンクールなのだと思います。

コンクールに向けた練習の中で、どうやって生徒たちに音楽をする喜びとか自由曲に選んだ楽曲の音楽的背景等を
わかりやすく伝えることがスクールバンドの指導者がまずなによりも為すべき事なのかもしれないです。

余談ですけど、私自身の出身中学校は実は昭和30年代から40年代までA部門またはB部門でずっと県代表として
東北大会に進み、昭和42年には東北大会B部門で優勝までしていた学校でもあるのですけど、
私が中学に入学した3年前に指揮者が異動し、他の学校から別の指揮者が赴任してきたのですが、
多分ですけど後任者としてのプレッシャーもあったのかもしれないですし、
「今年代表に選出されなかったら立場上まずい・・」みたいな焦りもあり、それが結果的に日常的な生徒たちへの
行き過ぎた指導になっていたのかもしれないです。
後年その先生が別の学校に異動し、C部門という事で東北大会が関係ない部門だったせいもあり、のびのびと自由に
吹かせていた印象もあり、それを聴いて
「自分達の時にそうした指導をしてくれればよかったのに・・」と感じたものでした。

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