鳩(野ばと)は「平和の象徴」というイメージがありますし、ハト派と言う言葉に象徴される通り穏健・中道・軍事力行使を抑制・
話し合いによって紛争を解決という雰囲気もありそうですし、
日常的には神社の境内や公園など人間がたくさんいる場所でも平気で人間に近づいてくるという印象もありそうです。
ちなみに鳩の平均寿命は大体10年程度と言う事で、鳩の天敵は日本社会においてはカラスと猫なそうです。
街中で鳩の死骸をあまり見かけないのは、鳩には帰巣本能が備わっていて、死期が近いと悟った鳩はあまり外に出なくなり、
そのまま巣で死を迎えるからという説もあるようです。

ポッポッポッ~、鳩ポッボ~という童謡がありますけど、鳩はどんな鳴き声で鳴くものなのでしょうか?
鳩にはたくさんの種類がいて鳴き声にも微妙に違いがありますけど、馴染み深いのは童謡にもある通りポッポーなのかも
しれないですけど、それ以外にも、クックー・クックー、ゴロッポ・ゴロッポ、デッデー・ポッポーといった鳴き声が
挙げられると思います。
(クックー・クックーというと桜田淳子の「ようこそここへ~クックー・クックー」の「わたしの青い鳥」を思い出す・・なんて記すと
管理人が昭和育ちである事がバレバレになってしまいそうです・・汗)
鳩の鳴き声というとどことなくとぼけた雰囲気とか平和な雰囲気という印象もありそうですけど、そうした鳩(野ばと)の鳴き声を
モチーフにしたクラシック音楽の楽曲もあったりします、
1/6の記事の中でアニメ「響け!ユーフォニアム」に関連する形で、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」について
触れさせて頂きましたけど、ドヴォルザークと言うと
交響曲第9番「新世界より」とか弦楽四重奏曲「アメリカ」とかチェロ協奏曲とかスラヴ舞曲集とかユーモレスクばかりが
有名曲扱いになってしまうのですけど、他にも例えば交響曲第7番とか交響曲第8番とか序曲「謝肉祭」とか
スケルツォ・カプリチオ―ソなどのようなすてきな名曲もたくさんあったりします。
しかもあの哀愁溢れるあの優しく美しいメロディーは郷愁を誘うものであり、日本人の感覚に合いそうでもあり、
すてきなメロディーメーカーといえるのかもしれないです。
そうしたドヴォルザークの数々の名作の中では、少し知名度は低く演奏頻度は下がるのかもしれないですけど、
上記で触れた通り、鳩の鳴き声をモチーフに扱った交響詩も残しています。
そしてその作品が本記事で取り上げさせて頂くA.ドヴォルザーク作曲の交響詩「野ばと」です。
交響詩「野ばと」は、単独の交響詩という形ではなくて「四つの交響詩」という連作交響詩という形でまとめられていて、
野ばとはその四番目の交響詩に該当します。
(連作交響詩というと、実は「モルダウ」ばかりやたらと有名になっていますけど、スメタナの我が祖国は、全6作品から
構成される連作交響詩でもあり、モルダウは二番目のの交響詩であったりします)
ドヴォルザークの四つの交響詩のモチーフは、4曲とも全てチェコの国民詩人エルベンがチェコに伝わる民話・民謡を
詩のかたちでまとめた詩集「花束」に由来しています。
この「花束」から「水の精」「真昼の魔女」「金の紡ぎ車」「野ばと」の4つをとりあげて連続して交響詩にしているのが
四つの交響詩という作品であり、野ばとはその最後の作品という事になります。
この四曲ともその内容は、全て殺人や人の死絡みの曲ばかりで、その内容もかなりえぐいものばかりです。
Ⅰの「水の精」は、親の反対を押し切って人間界とは別の世界の水界の王様と結婚した娘が、その後
子供を残したまま一時的に里帰りしたものの、親に止められ水界に戻れず、娘がいつまでたっても
帰ってこない事に腹を立てた水界の王が嵐を起こし、子供の首を切って娘の家の前に捨て去ったという
結構グロテスクなお話でもあります。
Ⅱの「真昼の魔女」は、子どもの躾に禁句であるはずの「魔女」の名前を、安易に出してしまい、その結果、
本来悪意のない者の名前を出したことで、見せしめとなり、子供を亡くしてしまう母親の哀しいお話でもあったりします。
Ⅲの「金の紡ぎ車」はシンデレラに少しばかり似ているのかもしれないです。
権力者に見染められた娘に起こる悲劇の話でもあるのですけど、義理の母娘によって一旦は殺害
されてしまう娘でしたが、最終的には魔女によって生き返る事が出来、金の紡ぎ車によって義理の母娘の悪行が全て
ばれてしまい、最後は王様とその娘は無事に結ばれるというお話で四つの交響詩の中では唯一のハッピーエンディングを
迎えます。
そして、四番目の交響詩が「野ばと」なのですけど、その内容は現在の感覚で言うとお昼のワイドショーの恰好のネタに
されそうなお話でもありまして、今だったら週刊誌の紙面広告で
「若き妻が夫を毒殺!」とか「夫を殺して喪が明けないうちから年下の若いイケメンと恋に落ちる・・」とか
「良心の呵責に耐えかねて自殺」というセンセーショナルな文字に溢れるのかもしれないです。
野ばとのお話を簡単に記してみますと・・
「自分が毒殺した夫の葬儀で偽りの涙を流していた若い未亡人が、年下の若い男に言い寄られると、すぐに喪服を脱いで
男と激しく愛し合ってしまい、そのまま二人は結婚してしまいます。
しばらくすると亡き夫の墓の前に1本の樫の木が育ち、そこに野ばとが巣を作ります。
妻が夫の墓の前に行くと、その鳩は、悲しげに、そして妻を責めるように鳴いていました。
さすがに夫殺しをした妻は良心の呵責に耐えきれなくなり、精神的苦痛を味わう日を送りますが、
鳩の悲しそうな鳴き声を聴くごとに、だんだん精神状態がおかしくなり、ついに自らの手で自らの命を絶ってしまいます」
そうした感じの物語だったと思います。
この交響詩は音楽もかなり分かり易く場面転換が極めて明快ですので、未亡人の心の変化が一目瞭然という感じもあります。
曲は物語の展開に沿った切れ目のはっきりした5つの部分から構成されています。
第1部:アンダンテ、葬送行進曲
この部分は若い未亡人が夫の棺に涙を流しながら悲しみに暮れた様子で葬儀を取り仕切っている様子が窺えます。
(前述の通り、夫の死因は妻による毒殺です)
第2部:アレグロ- アンダンテ
そこに年下のイケメン男子が出没し、まだうら若き未亡人を口説きに掛ります、音楽からも未亡人が満更でもない様子も
感じ取れます。
第3部:モルトヴィヴァーチェ- アレグロ
そして若き未亡人はその年下イケメンと再婚し、音楽は幸せそうな結婚式の場面の音楽を奏でます。
第4部:アンダンテ
未亡人が毒殺した亡き夫の墓の上に樫の木が生えて育ち、そこへ野ばとがやって来て悲しく鳴き良心の呵責に
耐えきれなくなった未亡人は発狂し身投げをして絶命します。
第5部:アンダンテ (エピローグ:終曲)
第1部が変奏されて曲が進み繰り返されます。1部では短調だった音楽が終曲では長調に転じた事で、死ぬ間際に後悔と
良心の呵責に苦しんだことが天に認められ、未亡人の罪は最後には赦されたという解釈も可能なのかもしれないです。
冒頭の葬送行進曲風な箇所は、その未亡人の夫殺しの動機に何があったのかは語られていませんけど、
毒殺してしまった後悔よりは、むしろ薄笑いとか「ざまーみやがれ!」みたいな気持も感じ取れそうですね。
第2部のトランペットの明るい音色は年下のイケメン男子の出現を示唆し、
第3部の二人の結婚式の場面は「スラヴ舞曲集」を彷彿とさせる華やかさも感じさせてくれるのですけど、
第4部の野ばとが哀しげに鳴く場面は、フルートとハープでもって哀しみが表現されるのですが、これがまたなんともせつない
気持ちにさせられます。せつないというか取り返しの付かない事をしてしまった・・といった後悔の感情なのかもしれないです。
終曲は決して後味が悪いという雰囲気で終らせるのではなくて、天国から毒殺された亡き夫が
「もういいよ・・君は現世で十分苦しんだ・・僕は君の全てを赦す」みたいな感じで「救済」を暗示した終わらせ方には
どこかホッ・・とさせられるものもありそうです。
これがマーラーやショスタコーヴィッチだと後味の悪い曲想で閉じられそうですけど、そうさせないのは、さすが人柄が
温かくて信仰心に厚いドヴォルザークの人徳のなせる業なのかもしれないです。
ちなみに、ドヴォルザーク自身は、プライヴェートの趣味は、鉄道と鳩の飼育だったそうです。
鳩というと平和でのんびりした鳥という印象もあるのかもしれないですけど、感じ方によってはこんなにも内省的な響きにも
聴こえてしまうのは、これまた音楽の多様性と言えるのかもしれないです。
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内容的にはドロドロとした大人の世界そのものですけど、音楽としてのわかりやすさは十分小学生でもイメージしやすいものが
あるのかもしれないですね。