本記事はA.ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の記事なのですけど、
私自身がドヴォルザークの交響曲でいっちば~ん!大好きな曲というと実は「新世界より」ではなくて、
実は交響曲第7番です!
ドヴォルザークの7番は知名度は低いのかもしれないですけど、その内容の充実は素晴らしいものがあり、
雰囲気としては「大変厳しい状況や困難さを克服し、なんとか自立で頑張ってみよう!」みたいな決然としたものを
感じさせてくれていると思います。
ドヴォルザークの7番は演奏会では「新世界より」に比べると格段に演奏頻度が下がるのはちょいともったいない感じは
しますし、交響曲第8番や 交響曲第9番「新世界より」は7番に比べると演奏機会も発売されているCDも断トツに上ですので、
7番の方ももう少し注目度が上がればいいなぁと思ったりもします。
交響曲第7番は内容が大変シリアスさと厳しさを有していますけど、交響曲第6番は全体的には
「この世のありとあらゆるハッピーを手に入れた!」みたいな幸福感が全体を支配し、この6番ももっともっと知れ渡って欲しいと
願ってやまないです。
それにしてもドヴォルザークという作曲家は、日本人好みのメロディーを多く作曲した「屈指のメロディーメーカー」という
印象があります。
一例を挙げると・・
〇交響曲第9番「新世界より」~第二楽章
〇ユーモレスク
〇弦楽四重奏曲「アメリカ」(弦楽四重奏曲第12番)
〇チェロ協奏曲
〇スラブ舞曲(特に第Ⅱ集の第二曲のあの泣けるメロディーラインは名曲の名に恥じないと思います!)
など色々あると思います。
ドヴォルザークのあの哀愁溢れるメロディーラインは日本人好みだと思いますし、不思議な郷愁の感情を感じてしまいます。
日本人好みの哀愁・秋みたいな感覚・しっとり感が伝わり、どこなく田園地帯の静かな秋といった色彩も
音楽から伝わっているように感じられます。
どうしてこんなにも美しくすてきなメロディーをドヴォルザークは書けたのかと言うと、多分それはドヴォルザーク本人の
信仰心が厚く真面目で常識的で温かい人柄に起因するのかもしれないです。
肉屋の長男として生まれ、幼少の頃より大変貧しい生活を送り、正規の音楽教育もなかなか受けることができず、
恩師等の援助等によってなんとか音楽学校を卒業できたものの、生活のために奏者として教師として仕事を時に掛け持ちし、
若い頃はかなり貧しく大変な時期を過ごされてもいます。
そして結婚後も、長男・長女・次男を小さい頃に亡くしたりするなど、かなり苦労の絶えない人だったのかもしれないです。
だけどそうした貧乏・苦労を知っているからこそ、どこか人間味あふれた温かい音楽をあんなにもたくさん残すことが
出来たといえるのかもしれないです。
ドヴォルザークが交響曲第9番「新世界より」を作曲した背景に、アメリカのナショナル音楽院より
「ぜひ渡米して2年程度当学院の院長に就任して欲しい」という要請を受け、初めは強く固辞したものの、プラハの学校での
年収の実に25倍近くの報酬を提示され、アメリカに渡ったというエピソードもドヴォルザークの経済事情を考えると
当然なのかもしれないです。
だけどそのアメリカ生活での環境で、さらにすてきな作品を後世に残す結果となったのはとても幸いだったと言えるのかも
しれないです。
冒頭でドヴォルザークは交響曲第9番「新世界より」よりも交響曲第7番の方が好みと書いてしまいましたけど、
交響曲第9番「新世界より」は古今東西人気交響曲の投票を行ったとしたら、確実にベスト10に入りそうな曲ですし
名曲の資格を有する本当に素晴らしい傑作だと思います。
オーケストラの演奏会で最も頻繁に演奏されるレパートリーの一つでもありますし、
日本においてはベートーヴェンの交響曲第5番「運命」、シューベルトの交響曲第7(8)番「未完成」と並んで
3大交響曲と呼ばれることもありますし、事実、現在はやっているかどうかは分かりませんけど、読売日本交響楽団が、
世界の三大名交響曲と銘打ってサマーコンサートを開催していましたが、その三大交響曲とは運命と未完成と新世界でした。
交響曲第9番「新世界より」は今現在は言うまでもなく交響曲第9番という呼び名が定着していますけど、実は第二次世界大戦
あたりまではこの交響曲は交響曲第5番と呼ばれていました。
それは作曲した古い順から1番・2番・・としていく通常のナンバーリングではなくて、出版社の都合によりその出版順により
第5番と呼ばれていた事も大きいですし、それ以上に第二次世界大戦前後あたりまでは、ドヴォルザークの交響曲第1~4番は
マイナーすぎて世間にほとんど知れ渡っていなかったという事情もあるようです。
その後作曲順に番号が整理され、現在では「新世界より」は第9番として定着しています。
ドヴォルザークの初めての交響曲は、交響曲第1番「ズロニッツェの鐘」という曲なのですけど、この交響曲は
ドヴォルザークの若書きということもありましたし、作曲コンクールへの応募作品と言う事で短期間で書き上げたという事もあり、
コンクール落選後に主催者から交響曲第1番「ズロニッツェの鐘」の総譜が返却されなかったという事もあり、
元々作曲した作品に対しては大変厳しく自分が納得いかない曲は容赦なく破棄する癖もあったドヴォルザークは、
「交響曲第1番は自分が破棄したのかもしれない」と考えていたのかもしれないですし、案外もしかしたら
そうした曲を作曲していた事自体忘れていたのかは定かではないのですけど、ドヴォルザークは
交響曲第9番「新世界より」 完成後の自筆のスコアにははっきりと「交響曲第8番」と記していたそうですから、
少なくともドヴォルザークの頭の中では交響曲第1番「ズロニッツェの鐘」は認知していなかったという事なのかもしれないです。
上記で書いた通り、私自身この交響曲は高校の頃まではそれほど大好きという感じでもなかったですし、
「同じドヴォルザークならば、交響曲第8番とか第7番の方がはるかに内容的にも優れているのに、どうして新世界ばかり
人気があるのかな・・?」と 少々ひねくれた考えを持っていたものです・・・
第二楽章のあの「家路」の哀愁溢れるメロディーとか第四楽章冒頭のトロンボーン等による堂々としたメロディーが
あまりにも音楽の授業とかCMとかテレビのBGMで多用され過ぎたせいなのか、新世界を聴いても「またか・・」みたいな感じ
になってしまい、名曲過ぎて逆に敬遠気味だったのかもしれないです。
そうした考えが一転したのは、大学の吹奏楽団に入部して以降だと思います。
ある時、トロンボーンの先輩との会話の中からなぜかドヴォルザークの話になってしまい、
「この作曲家の交響曲の中では断然7番がいいと思うのですけど・・・」みたいな事を口走ったら、その先輩より
無言で練習場内に置かれていたケルテス指揮/ウィーンフィルのレコードを差し出され(当時はCDが普及していない時代です)
「騙されたと思ってこのケルテスの新世界を聴いてみてからそういう戯言を言ってみなさい」と一喝され、
しぶしぶこのレコードを聴いてみたら、「なるほど、そういう事か・・」と目からウロコ状態となったものです。
ケルテス指揮の演奏は現在の視点で聴いても、斬新というか音楽のダイナミックスレンジが幅広いし
自由自在に表現している感じが伝わり、音楽の教科書に掲載されている名曲みたいな堅苦しいイメージの音楽ではなくて
とにかく「生き生きとしている」・「面白い」・「古めかしい教科書くさくない演奏」・「新鮮」という感覚が強くて、
結果として、一人の指揮者の演奏がきっかけで、今まで敬遠していた音楽が好きになる事の典型例みたいな
感じになってしまいました。
ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」なのですけど、未だにこの曲について少々誤解をされている人もいるようです。
その誤解とは何かと言うと、
ドヴォルザークがアメリカという当時としては「新大陸=新世界」に音楽院長として赴き、
原住民であるアメリカインディアンの民謡からヒントを受けて、それを引用しても第二楽章の家路のメロディーを作曲したという
話がよく語られているのですけど(私自身、中学の音楽の授業ではそのように教わっていました・・)
それはとんでもない大嘘ですからね~
ドヴォルザーク自身は、この交響曲作曲に当たっては、別にインディアンの音楽や黒人音楽からの引用は一切ありません。
アメリカの黒人音楽が、ドヴォルザークの故郷ボヘミアの音楽に似ていることに刺激を受け、
アメリカと言う新世界から故郷ボヘミアへ向けて作られた完全オリジナル作品というのが正解のような気がしますし、
「新世界より」という副題は、新世界アメリカから故郷ボヘミアへ向けてのメッセージといった意味なのかもしれないです。
あくまで私の個人的な感想ですけど、この交響曲は第一楽章が一番好きです。
壮大さ・自然への賛美・人間への愛情、郷愁といった色々な感情が荒ぶっては引いていくみたいな気持ちになりそうです。
フィナーレも壮大で聴き応えがありますし、最後の和音のフェルマータを静かに閉じていく意外な終わらせ方も
面白いと思いますし、第三楽章の舞曲みたいなところも聴いていて気分爽快です。
やっぱりこの交響曲の最大の聴きどころは、誰が何と言ってもあの泣ける第二楽章、特にコールアングレの長大なソロ
なのだと思います、
確かにCMや販促CDとか教科書とかTV番組のBGM等で使用され過ぎというせいもあり、商業ベースに乗せられ過ぎみたいな
感覚も無い事は無いのですけど、あの第二楽章のコールアングレのソロは聴くだけで「何か」を感じさせてくれていると
思います。
ラフマニノフみたいな甘酸っぱい郷愁とか後ろめたい後悔の気持ちみたいな感じては無く、気分としてはもう少し前向きな感じも
あったりします。
交響曲第9番「新世界より」のあるある話としてよくネタにされている話が、
シンバルは全曲を通して第四楽章の一打ちしか出番がなく、第四楽章のその出番がくるまでシンバル奏者はじっと待って
いなければいけないので、ついついその待機時間の長さに負けてしまい、演奏中に寝てしまって第四楽章の唯一の出番を
スルーしてしまったとか、第一~第四楽章まで終始出番がある弦楽器や大変なソロがあり重圧のかかるコールアングレの
奏者とわずか一か所しかないシンバル奏者のギャラは実は全て一律平等であるのが管弦楽団のルールであるという事が
あったりもします。
このあたりを少しフォローさせて頂きますと、シンバルについては確かにシンバルだけなら第四楽章の一打ちだけですけど、
実際の演奏会では、この新世界交響曲の打楽器はティンパニと第四楽章のシンバル以外では第三楽章のトライアングルも
ありますので、大抵の場合シンバルとトライアングルは一人の奏者が兼任する事がほとんどなので、
「わずか一か所のみの出番なのに貰うギャラはヴァイオリンやコールアングレと同じ」というのは間違っていますし、
それに出番が一か所のみという意味では実はチューバも同じで、チューバの出番は第二楽章冒頭のわずか10小節のみです。
ただ、シンバルの一打ちについては、その一打ちが弱音指定であるためか、寝過ごした・楽器を落として舞台上を転がした
といった都市伝説が存在するのも面白い話だと思います。
第四楽章におけるシンバルなのですけど、上記で全楽章で出番は第四楽章のわずか一打ちだけでしかもとてつもない
弱音指定なのであまり目立たないと記しましたけど、このシンバルの一打ちは大変難しい個所だと感じたりもします。
人によっては「シンバルはどなアホでも叩けば音は鳴る」と思われるのかもしれないですけど、そうした誤解は
新世界のシンバルの一打ちにかける難しさを見て頂けると溶けると思います。
そのシンバルの一打なのですけど、譜面上は二分音符+全音符+四部音符がタイで結ばれた譜面上は、mfのアタックの
後に7拍分の余韻が指示されています。
そうした作曲者からの指示をいかに音にするかというのは指揮者ではなくて実際にシンバルをあわせる奏者の腕の見せ所
なのだと思います。それをどのように料理するかを考えるという事自体、シンバル奏者=どんなアホでも叩けば音は出る
という訳ではないという事を立証しているのだと思います。
さてさて・・そうしたドヴォルザークからの厄介な指示を現場でどのように音にするか、その方法として考えられるのは
1.合せシンバル的にタイミングよくアタックする
2.左手のシンバルの内側側面を右側シンバルのエッジに擦り合わせる
3.片方のシンバルを吊るしシンバル的に片手で持ち、別の手で手にしたマレットで軽くたたく
という事がありそうですけど、実際の演奏会でシンバル奏者が実践しているのは2の方法が多いように思えます。
2の方法はタイミングが命だと思ったりもします。
第二楽章のコールアングレのソロは、本当にこの世の物とは思えないほどの「美しいメロディー」なのですけど、
こんなに美しい叙情楽章も大変貴重なものがあると思います。他にどんな美しすぎる抒情楽章があるのかさっと思いつく所で
列挙してみますと・・
〇ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番第二楽章
〇コルンゴールド/ヴァイオリン協奏曲第二楽章
〇バーバー/ヴァイオリン協奏曲第二楽章
〇モーツアルト/ピアノ協奏曲第23番第二楽章
〇プロコフィエフ/交響曲第5番第三楽章
〇シューベルト/ 交響曲第7番「未完成」第二楽章
〇マーラー/ 交響曲第5番第四楽章・アダージェット
〇 同 / 交響曲第6番「悲劇的」第三楽章
〇チャイコフスキー / 交響曲第5番第二楽章
など色々とあるのですけど、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」の第二楽章は、別格みたいな感じもありますね。
「新世界より」の第二楽章は、コールアングレのソロばかり注目が集まりがちですけど、
この楽器の延々と長いソロの後のクラリネットとフルートに受け継がれていく部分も相当美しいものがあると思います。
終盤近くに、チェロを中心とする弦楽合奏の中で、突然メロディーが瞬間的に途切れて 一瞬何秒かの沈黙が
二か所ほどあるのですけど、あれを最初に生演奏で聴いた時は思わずはっ・・となるほどの息をひそめてしまうような
美的限界があるようにも感じられます。

ららマジの器楽部においては、オーボエ奏者はいなくてコールアングレ奏者の白石陽菜のみです。
多分ですけど、オーボエの音色が必要な場合は白石陽菜が楽器を掛け持ちしているのかもしれないです。
白石陽菜は高校2年生のJKさんで血液型はO型です。
気品と度胸あふれるおてんばなお嬢様という設定です~♪
一見いいところのお嬢様という雰囲気も有しながら、かなりやんちゃで活発なお転婆娘というのも楽しいですし、
お転婆ゆえに実は特技と趣味は木登りというのもとても楽しいです。
活発な女の子だけど、担当している楽器の音色はかなり内省的というギャップもすてきですね~♪
そして前髪をあげているためおでこがかなり目立っているのもとてもかわいいです~!
吹奏楽コンクールにおいては稀にドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」 ~第四楽章が自由曲として演奏される事も
あったりしますけど、本来は第四楽章はティンパニとわずか一打のシンバルのみですけど、ライゼン編曲の吹奏楽版だと、
ここにシロフォーン・大太鼓・小太鼓も加わり、本来は第四楽章では登場しないはずのチューバもかなり低音を響かせていたりも
しています。
聴き方によっては結構無茶苦茶なアレンジですけど、ららマジ器楽部の楽器編成もかなり無茶苦茶ですので、
ららマジ器楽部がもしもA.ドヴォルザーク / 交響曲第9番「新世界より」 を演奏したらとても面白そうですけど、
第二楽章のコールアングレのソロはこの白石陽菜がしっとりと美しく決めてくれそうですね~♪
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新世界とは新年にふさわしい素敵な記事ですね。
本年度もよろしくお願いいたします。