パリ生まれのフランスの作曲家であり音楽教授であり、教会オルガにストでもあったポール・フォーシェは、
管弦楽の分野ではほとんど知られていませんし、現在でも演奏される作品はほぼ皆無と言っても過言ではないと
思います。
作曲活動の時期としては、ラヴェルやドビュッシーといった印象派の大御所や第一次世界大戦前後に
フランス楽壇を牽引したミヨーやプーランク・オネゲル等のフランス五人組の活動が真っ盛りという事で、少しと言うかかなり
時代遅れな古風で厳格で形式美を重視するフォーシェの音楽は、当時としては既に時代遅れだったのかも
しれないです。
音楽院の教授としては大変優秀だったとの事で、弟子として、池内友次郎や吹奏楽のアレンジャーとしても日本ではかなり
認知度が高いデュポン(→イベールの交響組曲「寄港地」の編曲で有名です)などがいたりもします。
フォーシェが著した和声法の課題集は戦前の日本の音楽教育でも使用されていた事もあったようです。
そうした知る人ぞ知るフランスの作曲家のポール・フォーシェが残した作品の中で、多分ですけど今でもかろうじて
多少は認知度がありたまに演奏される曲と言うと、それは管弦楽作品でも宗教音楽でもなくて、
実は吹奏楽オリジナル作品であったりもします。
その曲が何かというと、1926年に作曲されギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団によって初演を果たした
吹奏楽のための交響曲です。
ギャルドというと「ディオニソスの祭り」などでも知られる通り、サクソルン属の金管楽器など現在ではほとんど使用されない
楽器を使用している事も多々あり、フォーシェが作曲したこの交響曲も、原曲は今現在の日本の吹奏楽コンクールで
使用されている楽器とはかなりの部分で違いも見られたりもします。
そのため、J.ジレットとF.キャンベル=ワトソンがアメリカ式編成用に編曲して出版した際の交響曲 変ロ長調という
タイトルが現在日本で使用される事が多いです。
フォーシェの交響曲変ロ長調は、一言で言うと実に通好みのマニアックな渋い曲だと思います。
とてもじゃないけど、ラヴェルやミヨー等の洒落っ気溢れる才気煥発で自由自在でエレガントな作風とほぼ同じ時代を
歩んできたとは思えない程、時代遅れというのか厳格で古風で正攻法そのものの音楽という印象が大きいです。
似たような作風というと、ギャルドの歴代指揮者も務めたパレのリシルド序曲のあの渋さというのか、まるで「するめ」のように
噛めば噛むほど味合いが出てきそうな雰囲気に近いものがあると思います。
ただ、リシルド序曲もフォーシェの交響曲変ロ長調も曲としては相当地味であるため、現在の吹奏楽コンクールでは
敬遠されてしまうというのもなんとなくわかる気はします。
フォーシェの交響曲変ロ長調は、例えば「プロが選ぶ後世に残したい吹奏楽オリジナル作品ベスト100」という特集記事や
吹奏楽オリジナル作品紹介の専門書等では多くの場合、選出される事が多いのに、実際に吹奏楽コンクールや
演奏会等で演奏される頻度は限りなく低いというイメージもありそうです。
音楽の形式や内容としてはかなり高い評価を受けるものの、内容の地味さ・難しさからなかなか演奏されないという意味では、
例えばシェーンベルクの「主題と変奏」とかヒンデミットの「コンサートバンドのための交響曲」とか
ミヤスコフスキーの交響曲第19番とかホルストの「ハンマースミス」とかジェイコブの「ウィリアムバード組曲」などに
近いものがあるのかもしれないです。
この交響曲は下記のオーソドックスな四楽章構成です。
Ⅰ.序曲
Ⅱ.ノクターン
Ⅲ.スケルツォ
Ⅳ.フィナーレ
この交響曲は正直第二~第四楽章は大変きれいにスタンダードにまとまっているとは思いますが、それほど強く印象には
残りません。
古典派のシンフォニー概念で言うところの、第二楽章・アンダンテ 第三楽章・スケルツォ・第四楽章のアレグロのフィナーレが
フォーシェのこの作品においてはほぼ忠実に再現されていて、この形式美とか全体的な古臭い雰囲気は
とてもじゃないけどこの交響曲が既にマーラーが10曲の交響曲を作曲していた時代とは思えない程の時代遅れを
感じるのですけど、そうした時代錯誤的な形式美を吹奏楽作品として味合うのがこの曲の魅力と言えるのかもしれないです。
第一楽章の完成度があまりにも高いので、残りの第二~第四楽章がとても物足りなくも聴こえてしまい、
第三楽章のスケルツォや第四楽章の溌剌とした雰囲気も正直あまり耳に残るようなメロディーラインではないようにも
感じられます。
そしてなによりもとても20世紀に書かれたとは思えない曲の地味さがそれに拍車を掛けているのだと思うのですけど、
地味というと同時期に作曲されたパレの吹奏楽オリジナル作品のリシルド序曲も考えてみるとフォーシェのこの交響曲の
地味さに極めて近いものがあるようにも感じられます。
このシンフォニーは圧倒的に第一楽章が素晴らしいと思いますし、実際、吹奏楽コンクールで演奏されるのも
第一楽章・序曲のみです。
第一楽章自体が一つのミニシンフォニーみたいな雰囲気にもなっていて、冒頭の木管セクションによる弱奏でのトレモロに
のる形でのホルンの朗々とした歌い出しから開始され、途中で少し盛り上がったかと思えば静粛になるを何度か繰り返し、
ラストは朗々とした高らかな響きの中で閉じられます。
全体的にはふわっとした中に一筋のしっかりとしたひそやかな決意が秘められている様な感じの曲と言えるのかもしれない
ですし、第一楽章だけでこの曲全体を閉じたとしても全く違和感がないほど、完成度の高い第一楽章と感じられます。
P.フォーシェの交響曲変ロ長調~第一楽章・序曲は地味な内容のためなのか、現在では全く演奏されませんし、
知る人ぞ知る曲という扱いになっているとは思いますが、2018年末時点で全国大会ではこれまで2回演奏されています。
最近では、ここの所九州大会でメキメキと力を付けてきていて、最近では3年連続全国大会にも出場している
福岡県の西区市民吹奏楽団が2011年にこの曲でもって九州大会に臨んでいたのが大変印象的です。
P.フォーシェの交響曲変ロ長調~第一楽章・序曲は全国大会では、1977年の関西学院大学と1979年の函館北高校が
自由曲として演奏されています。
函館北高校は全国初出場のせいもあると思いますが、演奏は一言で言うと課題曲も自由曲も何か萎縮して、
普段の実力を半分も出せないで終わってしまったという感じですし、
サウンドがなぜか全体的にくすんだ印象を受けますし、霧がかかったような雰囲気の演奏です。
別にサウンドが濁っているとかそういう訳ではないのですけど、森を散策中に霧で道を見失って迷子になってしまった
みたいな感じの演奏でした。
1977年の関西学院大学の演奏は地味ですけど、大変優れた演奏であり、地味なこの曲をよくここまで音楽的に
まとめあげたという大変秀逸な影の名演だと思います。
関西学院大学というと、例えば、1979年のローマの松や82年のショスタコの5番や88年のロデオなどのように
バカでかい音量過剰の演奏という印象も強い中で、金管セクションをギリギリまで抑制し、木管とのバランスも大変充実した
調和のとれた演奏をされていると思います。
特にフルート等の木管セクションの柔らかい洗練された響きが素晴らしいと思います。
但し、当時のBJの講評では有賀誠門氏より「リズムが甘い事このうえない」・「砂糖菓子をまぶしたようなリズム感の悪い演奏」
などと酷評されていましたけど、私から言わせて頂くと
「お前の耳の方がよっぽとどうかしているし、リズム感は全然甘くないばかりか逆に締まっているし、統制のとれた演奏じゃん!」と
文句を言ってやりたい気持ちで一杯であったりもします・・(汗・・)
この曲は1990年代の終わり頃までは全く音源が無く、演奏音源は上記の函館北と関西学院大学の第一楽章のみの
演奏しか音源がありませんでしたけど、
木村吉宏指揮・大阪市音楽団によって全楽章がCD化され、実は私はこのCDによって初めてフォーシェの交響曲の
全楽章を聴いた事になるのですけど、あの時は嬉しかったですけど、感想はやはり・・
「この交響曲は第一楽章だけ聴けば十分なのかもしれない・・」という感じでもありました。
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コメント
おはようございます。
函館北高校
1979年の函館北高校は、あの東海大学第四高校を北海道大会で撃破しての全国大会出場でしたし、
それ以降第四(現・東海大学札幌)は一度も支部大会落ちがありませんので、今にしてみると大変な偉業だったのかも
しれないです。
全国大会での演奏はちょっと緊張したのかもしれないですけど、雰囲気的にはレトロな感じで霧がさーっとかかったような
演奏で、「墨絵のフランス音楽」というご指摘は「なるほど!」と感じたものでした。
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