長い吹奏楽コンクールの歴史においてはどうしても忘れられてしまう演奏とか
「そんな曲が吹奏楽にアレンジされて吹奏楽コンクールで演奏されていた事もあるんだ・・知らなかった・・」などのように
知る人ぞ知る幻みたいな演奏が出てきてしまうのは仕方がない事だとも思っています。
そうした「忘れられた演奏」の一つなのですけど、どうしても忘れられない演奏であり、私自身が
その演奏に多大な影響を受けたという事もあり、
絶対に「歴史に埋もれてはいけない演奏」というのも幾つかあるとは思うのですが、
その中の一つが、1982年に東海地区代表として全国大会に出場し、松村禎三の交響曲より第三楽章を演奏した
長野県の屋代高校だと私自身感じております。
過去の当ブログにおいて、屋代高校吹奏楽部による松村禎三の交響曲については何度か語らさせて頂いた事は
あるのですけど、ブログというものは過去記事に埋もれてしまうという事は実はあったりしまして、
古い記事と言うのはどうしても中々現在の当ブログをご覧になっている方にはなかなか見て頂けないという事もありますので、
改めてなのですけど、屋代高校吹奏楽部と松村禎三の交響曲(第一番)について再度語らさせて頂きたいと思います。
1982年の仁賀保高校の矢代秋雄/交響曲とか、屋代高校の松村禎三/交響曲の
演奏によって、私自身が邦人現代音楽に興味を持つようになった経緯もあるため、
この屋代高校の演奏は、仁賀保高校の演奏と共に私にとっては大変思い入れのある曲の一つです。
(厳密に言うと私自身が邦人作品に関心を抱く大きなきっかけは、1981年の東北大会の大曲高校による
三善晃の交響三章~第二楽章の劇的な緊張感なのだと思います)
以前何かの本で読んだのですけど
(立ち読みだったため、本のタイトルは忘れましたけど確か邦人作曲家に関する著作だったような記憶があります)
松村禎三氏自身、1982年の全日本吹奏楽コンクールの高校の部を聴きに 普門館の会場に自ら足を運び、
屋代高校の演奏を聴き、大変満足されたとの記述が確かあったように記憶しています。
これって結構すごい事かもしれないですね・・・
もしも演奏する立場だったら・・・、もしも事前に作曲者自ら普門館まで足を運ぶという事を
知っていたとしたら、とてつもなくプレッシャーが掛るかもしれませんよね・・・・(汗・・)
松村禎三の交響曲自体、吹奏楽コンクールで演奏される事は・・・・うーーん、ほとんどありません・・・・
過去の吹奏楽コンクールにおいて松村禎三の交響曲が演奏されたことは2回に留まっています。
しかし、その2回とも支部大会を通過し全国大会で演奏されています。
一つが屋代高校で、もう一つは1983年の東海大学です。
ちなみに東海大学は第一楽章の方を演奏しています。
私は個人的には、屋代高校の演奏も東海大学の演奏も両方大好きですし、両チームとも
松村禎三の「すさまじい破壊的エネルギーのパワー」の世界を見事に表現していると思います。
1982年当時の東海地区の高校の部は、名電・浜松工業・東海第一の三大巨人がしのぎを削っていましたが、
浜工と東海第一を蹴落としての全国出場はお見事だと思います。
というか、長野県の普通の県立高校で、特に音楽的教育を日常的に受けていない生徒の皆さん方が
ああやって松村禎三の交響曲の世界を見事に表現されただけではなく、
結果的に吹奏楽コンクールの名門校を撃破しての全国大会出場は大変立派な事だと思います。
この事実は、同じく田舎の県立高校の楽器も予算も実績も何もない吹奏楽部員に対して
どれだけ「希望」を与えてくれたものか!!
そういう意味でも、この屋代高校や仁賀保高校の演奏は私は大好きですね。
さてさて、1982年のその屋代高校の演奏なのですけど、改めてはっきりと申し上げますと、
正直言って技術的には決して超高校級の怒涛の名演ではありません。
1982年の高校の部の圧倒的な第一位と感じている仁賀保高校の超絶的技術と音楽的解釈の
素晴らしさ・透明感に高校生離れした卓抜したスピード感と切れの良さみたいな技術の高さはほぼ皆無だと思います。
結果的に屋代高校はこの年の高校の部において銅賞を受賞し、私個人の客観的評価としては、出来としては、
そうですね・・下から2~3番目ぐらいの演奏なのかなぁ・・というのが本当に正直な意見です。
というか、よくこの技術であんな激戦の東海大会を突破できたのか不思議なくらいです。
屋代高校の演奏は確かに難もあります。
木管楽器、特にクラリネットセクションがあまりにも貧弱というか、音が薄過ぎというのが最初から最後まで
かなり引っかかってしまいます。
(課題曲の序奏とアレグロも音楽的解釈とあの無機質的なスピード感はこの課題曲の本質を理解している数少ない
演奏の一つだと私は思っているのですけど、そうした素晴らしい解釈を木管・・特にクラリネットセクションが少々もたつくことに
よって台無しにしているような箇所が幾つもあるのは大変勿体ないと感じております)
特に冒頭部分なんか、あまりにも貧弱すぎて
「サウンドがうすべったく貧相で平板・・」みたいな印象を与えてしまいます。
だけどffでのパワーは原曲に迫るものもあります。
アレンジは素晴らしいですね! 原曲を再現しながらも、独自の吹奏楽としての色彩感も出しています。
いい例がコンサートチャイムの使い方だと思います。
中間部での強奏において、原曲では、ピアノがそのリズムを支える役割がありますが、
屋代高校では、ピアノの代わりにコンサートチャイムを何と二台も使用し、斬新な響きを展開させていきます。
チューバなどの低音楽器も比較的大胆に使用し、重圧感も醸し出していたと思います。
「ヒヒーン」とも聞こえる馬の悲鳴みたいなトランペットの音の響かせ方とか
ラスト近くの小太鼓の凄まじいロールとかラストのコンサートチャイムの2台の荘厳な響きとか
打楽器セクションの圧倒的存在感とか(特にトムトムの響きが圧巻ですね!)
一旦静粛になった部分でのオーボエのつぶやくようなメロディーの歌わせ方とか
大胆不敵とも感じられるチューバセクションの低音の響かせ方などなど随所に燦然と光り輝くものがあると思います。
そして何よりもあの松村禎三らしい「すさまじいエネルギーのかたまり」をダイナミックスレンジを幅広く駆使しながら
流れるように表現できていたのは素晴らしいものがあると思いますし、
この点は、吹奏楽コンクールにおける「表現」という評価ポイントにおいては、満点に近い評価があっても当然ではないのかな
とも感じたものでした。
たった一つの音の塊が時の経過とともに「巨大な音のうねり」と変容化していく様子が「音の絵巻」として
的確に表現されているようにも私には感じられたりもします。
この屋代高校の演奏が特に秀でている点は、奏者全員がこの難解な曲をよく理解したうえで
「自分たちはこのように吹きたい!」という意思と主張が明確に伝わっている点と
弱奏と強奏のダイナミックスレンジの幅が驚異的に高いという事なのだと思います。
それゆえに冒頭とか弱奏部分の木管セクションの「サウンドの貧弱さ」が大変勿体ないですし惜しまれます!!
その点をもう少しきちんと整理されて演奏されていたならば、もう少し高い評価は出ていたような気さえします。
中間部とか終結部のffの表現・雰囲気が実に素晴らしかっただけに
音の薄い部分に対して、もうひと工夫はほしかったですし、この点は大変惜しまれます。
だけど、松村禎三の「和の圧倒的エネルギーの世界」をあそこまで的確に表現し、
確実に聴衆に対して「何か」を伝え、あの演奏から既に35年以上経過した現在においても
「私」という存在に今でも「感銘」を残しているのは、あの屋代高校の演奏なのです。
私自身は、「松村禎三の世界」は屋代高校のあの素晴らしい演奏を通して初めて知ることになったのですから、
やはりその意味でも大変意義の大きい演奏だといえると思います。
そうした意味では、昨年・・2017年にご逝去された花輪高校の小林久仁郎先生が指揮された
ウォルトンの交響曲第一番の演奏を東北大会で聴くことで一気にクラシック音楽の深い森の中に迷い込んでしまった
構図と似ているものがあると思います。
とにかく屋代高校は、普通の先生と生徒たちが夏の間に手作りで自分達の音楽を作り上げ
自分達なりに表現できたと言う意味で本当に素晴らしいと思いますし、
1982年の全国大会で見事に松村禎三の世界を表現された屋代高校の指揮者と生徒の皆様に
あの演奏から36年経過後の私から心の底から敬意を表したいと思います。
本当にありがとうございました!!
結果として、評価としては銅賞なのですけど、
そんなのこの演奏の前では全く無意味に感じます。
だって、コンクールの評価とは、絶対的なものではなくて、あくまで複数の審査員の点数を集計した数値を
相対的に評価しただけのものに過ぎません!
少なくとも、「私」には、銅賞以上の何か大切なものを間違いなく伝えてくれました。
私自身、松村禎三の交響曲(第一番)を管弦楽の原曲版を全楽章ノーカットで一度だけなのですけど
プロの演奏を聴くことができたのは本当に幸いなことでした!
松村禎三の交響曲は、個人的に大好きな曲の一つです。
残念ながら生で聴く機会は極めて少ないのですが、これまでの私の生涯の中でたった一度だけ
この曲を聴く機会に恵まれました。
確か1992年の冬だったと思いますが、
都響のサントリーホールにおける定期演奏会にて、「オール松村禎三プログラム」が組まれていました。
曲目は・・・・
〇管弦楽のための前奏曲
〇ピアノ協奏曲第二番
〇交響曲
という構成で、確か指揮者は岩城宏之だったと記憶しています。
松村禎三は、後に交響曲第2番を発表していますけど、
この都響の演奏会の頃とか1982年の屋代高校の演奏時においては、2番はまだ未発表でしたので、
この時点では「交響曲」という表示になってしまいます。
私、この松村禎三の作品展を聴きに行くため、1992年は山梨県在住でしたけど、
「都内の叔母が危篤状態・・・」と大嘘をつき、有給を取得し、わざわざこの演奏会を聴くためだけに
上京したのは今となっては大変懐かしい思い出です・・(汗・・)
松村禎三の「交響曲」は生で聴くとすごいエネルギー感を感じますね。
熱気というか、内面的な充実感をものすごく感じる曲です。
第一楽章と第三楽章の「和のすさまじい破壊力・パワー」もいいけど、
両楽章の間に挟まれた静粛感の漂う第二楽章も短いのですが大変印象的です。
でも圧巻は第三楽章ですね!
第二楽章から休む間もなく続けて演奏されるのですけど、クラリネットのつぶやくようなソロから始まり、
段々と盛り上がっていき、戦場での馬の悲鳴・雄叫びのような展開を経て
少し静かになって突然和音を叩きつけて終わるという感じなのですが、このエネルギーにはただただ脱帽するしかないです!
打楽器的に使用されるピアノや二台も使用されるコンサートチャイムとや
トムトムと小太鼓のロックみたいな響きは、確実に聴衆に「何か」を伝えているのだと思います。
この交響曲の魅力は、上記の屋代高校の演奏ではないのですけど、あの「圧倒的なエネルギー」なのだと思います。
この曲の音楽専門書における書き方としてよく「アジア的エネルギー」と表記されていることが多いのですけど、
私的には「少し違うんじゃないの・・?」という感覚があったりもします。
この交響曲は、あの圧倒的エネルギーによって「すべて」を飲み込んでしまう曲なのだと思います。
聖も俗も、善も悪も、昼も夜も、現実と幻想も、とにかくこの世のありとあらゆるものを飲み込んで
すべてをごった煮させる事で、混沌から「一筋の光」を見出していこう・・みたいな問答無用的なパワーとエネルギーが
ある曲なのだと思ってしまいます。
最後に・・・
繰り返しになりますが、そうしたすべてを飲み込んでしまうこんなとてつもない大変難解な管弦楽曲を吹奏楽版にアレンジし、
それを立派に消化したうえで、自分たちの「ここはこのように表現したい!」という個性をきちんと踏まえながらも
原曲のこうした圧倒的エルネギーを見事に普門館の聴衆に提示することができた
1982年の屋代高校吹奏楽部の皆様に敬意と感謝の気持ちを改めて表させて頂きたいと思います。
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東海大学も金賞受賞ではないのですけど、どちらのチームもそれぞれ見事な演奏を聴かせてくれていると思います。
特に東海大学の第一楽章の演奏は、大変よく考えられた演奏であり、理性的だけどあのとてつもないアジアンパワーのエネルギーが
発揮されていたと思います。
全国での演奏会場が宮城県民会館という音響の悪い所だったのは
とても惜しかったと思われます。