1979年の吹奏楽コンクール課題曲D/行進曲「青春は限りなく」というちょとマイナーな課題曲をご存じの皆さまって
少ないと言うのか、私みたいなオールド吹奏楽ファンだけなのかもしれないですね・・(汗)
吹奏楽に相当お詳しい方でも「あれ~、過去にそんな課題曲あったっけ?」みたいに思われても仕方が無いほど
人気がうすく演奏される頻度もちょと弱くて、マーチなんだけちょっと地味なおとなしめの曲だったと思います。
だけどこの課題曲は後述しますけど、79年の課題曲には「フェリスタス」という今現在に至るまで語り継がれるほどの
不滅の大人気名曲課題曲があったり、はたまた「プレリュード」という吹奏楽コンクールの課題曲の転換点をもたらしたような
素晴らしい課題曲のビッグ2がそびえたっている関係で、どうしても「青春は限りなく」のインパクトは弱くなってしまいますね・・
1979年の吹奏楽コンクールの課題曲は、A/フェリスタスが圧倒的に大人気の曲で
全部門を通しても屈指の大人気課題曲だったと思います。
というか、このフェリスタスは今現在でもたまにですけど定期演奏会の演奏会で「懐メロ」として演奏される事例も多々ありますし
私自身の母校でも「OBメモリアル演奏会」が開催された時でも、
アルメニアンダンスパートⅠ・エルザの大聖堂への厳かな行列などと共に演奏された曲でもあったりします。
前述の通り、1979年の全国大会での課題曲の人気はこのフェリスタスとB/プレリュードに二分されてしまい、
結果的に課題曲D/青春は限りなくは全国大会ではわずか3チームしか演奏されていませんでした。
「青春は限りなく」の前に少しだけ同年の課題曲A/フェリスタスについて語らさせて頂きますと・・
フェリスタスの冒頭から曲の大半は短調で進行するのですけど
曲のクライマックスにかけては急に短調から長調へと変わり、それが何かとてつもない幸福感みたいな印象を
与えているような気もします。
フェリスタスの冒頭のファンファーレ的な曲想からして素晴らしさにジーンときてしまいますけど、
あの極めて印象的な冒頭が終わると、続けてアルトサックスのソロが展開されますが、
あのアルトサックスのソロが極めて素晴らしいメロディーラインであったりもします。
哀愁溢れる感じもあるし決然とした感じもあるし、何よりもあの高音域をヴィヴラートかけまくりのあのオーラが
なんともいえない高貴さとかっこよさを当時中学生の私も感じていたものです。
あのアルトサックスのあのソロは、当時吹奏楽部に所属しコンクールで課題曲Aを選曲していたチームのアルトサックス奏者は、
「俺が吹きたい!」「いやいやオレが・・・」「いやいや、私だって吹きたい」みたいな感じだったのかもしれないです。
そしてこのアルトサックスソロのメロディーが様々な形で変奏され曲が進行していきますけど、
曲が一旦静まりかえった後で、ミュートを付けたトランペットの短いスタカット風な刻みとされに呼応するシロフォンが
実に格好良かったと思います。
そしてクラリネットによるアルトサックスソロ部分の回想が高音域でしみじみと展開され
曲がじわじわと盛り上がっていき、最後は感動的なコラール風に閉じられるのですけど
その閉じられ方は、これ、当時よく言われていましたけど
ストラヴィンスキー/バレエ組曲「火の鳥」~終曲の終わり方に本当にそっくりだと思います。
当時から「ニセモノ火の鳥」なんて言われていましたけど、とにかくあの閉じられ方はとてつもなくかっこよかったですし、
フェリスタスが未だに課題曲人気ランキング上位に食い込むのも当然なのだと改めて感じさせてくれていると思います。
ちなみに私の在籍中学校は、当時の課題曲はCの「幼い日の思い出」であり、当時の私は
「どうしてこんなずいずいずっころばしみたいな童謡を毎日演奏しないといけないんだよ~」とブーたれていたものてしたけど、
翌年・・1980年の課題曲はCの「北海の大漁歌」を顧問が選曲していましたので
当時の部内では「どうして2年連続して童謡と民謡の課題曲を演奏しないといけないんだよ~」という不満の声が
相当鬱積していたと記憶しています・・
話を「青春は限りなく」にもどしますと、
この行進曲「青春は限りなく」は地味なのですけど独特のチャーミングな雰囲気も感じられ、
「青春万歳!!」みたいな華やかさは全くないのですけど、大変「爽やかさ」を持った曲だと思います。
この課題曲はマーチングの練習曲として、私自身も何度か吹いた事はありますし指揮をした事もありますけど、
全体的にはピッコロの装飾音符とメロディーに対するいわゆる裏メロがとってもすてきな旋律が展開されていて、
私自身実はなのですけど、
メロディーラインに対する裏メロの存在というものを中学生ながら認識したのは、この「青春は限りなく」と
実際に私自身がコンクール課題曲として演奏した79年の課題曲C/幼い日の想い出の中間部のユーフォニアムの
あの壮大な裏メロだったと思います。
この課題曲Dは、コンクールの課題曲としては吹きませんでしたけどマーチングの練習用として何度か吹いた事があります。
その際に顧問の指揮者の先生から
「この曲には、メロディーライン・リズム的な側面を持つ裏メロ担当・後打ちのビートセクションから
構成され、単純な曲なのだけど、同一小節内に、第一メロディーと裏メロとも言える第二メロディーが
同時に存在し、第二は第一メロディーを侵食してはいけないけど、同時に自らの存在感も伝えないといけない。
音楽は、各奏者に役割分担があり、各自が自分はこの曲においてどういう役割を担っているか
よーく考えながら吹け!!」と中学生に対する指導としては結構な無茶振りみたいな事を言っていました。
勿論当時は何を言っているのかさっぱり分かりませんでしたけど、今にして思うと言いたい事はよく分かります。
クラリネットとしてこの曲を吹いた時はメロディーライン担当というか第一メロディーを主に吹いていましたけど
アルトサックスとしてこの曲を吹いた際は、役割としては裏メロ担当というか第二メロディーラインを
吹いていたと思いますけど、今にして思うと、この曲を通して上記で書いた通り、
楽器の役割分担とか曲の構成とか、裏メロの存在というものを教えられたような気もします。
余談ですけど、私の中学の1980年度の「文化祭」の統一テーマが「青春よ、限りなく」というものでしたけど、
これを学校側に投降し採用されたのが吹奏楽部の部員でしたので(そんなパクリ投稿したのは私ではないですよ・・汗・・)
間違いなく79年の課題曲Dの「青春は限りなく」の「は」と「よ」の一文字だけを変えただけのパクリだったと思います。
というかこんなパクリが正々堂々と採用されるのが田舎らしいおおらかさだったのかもしれないですね・・
私の中学校は、毎週月曜日の全体朝礼は真冬でも校庭と言う屋外でやっていましたけど、
全校生徒の入退場のマーチを演奏していたのは当然吹奏楽部の役割でした。
顧問の先生は当時は担任教師としての顔も持っていましたので、全体朝礼の際は担任クラスに付きっ切りと言う事も多々あり、
私自身もよく代役として、こうした入退場マーチの指揮者を務めていましたけど
この「青春は限りなく」とか1979年課題曲E/朝をたたえては結構指揮を担当していたものでした!
そういう意味でもこの「青春は限りなく」は個人的にも地味だけどなんか妙に思い入れがある課題曲の一つでもあったりします。
余談になりますけど、1979年の課題曲E/「朝をたたえて」は、
大阪のフェスティバルホールで朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団、
大阪フィルハーモニー合唱団により、吹奏楽編成ではなくてなぜか管弦楽編成として初演が行われているそうです。
合唱部分は 「ひーろがる。ひろがる」、「かーがやく。かがやく」、「うーたおう。歌おう」の
歌詞の繰り返しを3回を経て、オーケストラによるコーダで終わるのですけど、
その関係で、初演の演奏時間は、合唱の繰り返しを含む都合上約6分30秒を要したとの事です。
大指揮者、朝比奈大先生もこうしたイベントに当時は駆り出されていたなんてちょっと意外な感じもありますね・・
奥村一は青春は限りなくの他に1971年にも吹奏楽コンクール課題曲として行進曲「太陽の下に」というマーチも
作曲されています。
この「太陽の下に」なのですけど、当時の一般の部の実況録音のカスタムテープを聴いてみると、例えば公苑会などのように
課題曲と自由曲の間になんと、拍手が入っている演奏チームもあったりします!
当時はそういう基本マナーすらも聴衆には徹底されていない時代だったのかもしれないですね・・
最後に、行進曲「青春は限りなく」の作曲者の奥村一は、埼玉のご出身で、そのせいなのか1976年に
組曲「秩父夜祭り」 という吹奏楽作品も作曲されています。
秩父夜祭は、ユネスコ無形文化遺産に登録されている埼玉県秩父市にある秩父神社の例祭であり、
12月2日が宵宮、12月3日が大祭であり、提灯で飾り付けられた山車(笠鉾・屋台)の曳き回しや、
冬の花火大会はテレビ映像でもおなじみの方も多いのかもしれないです。
秩父夜祭は、京都の祇園祭、飛騨の高山祭と並んで日本三大美祭及び日本三大曳山祭の一つに数えられるそうです。
秩父夜祭の笠鉾・屋台は、釘を一本も使わずに組み立てられているそうで、
金色の飾り具や極彩色の彫刻、後幕の金糸の刺繍で装飾された笠鉾・屋台は「動く陽明門」といわれるほど豪華絢爛で、
国の重要有形民俗文化財に指定されているとのことです。
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全部門で3チームだけしか演奏されていませんでしたし、
Eの「朝をたたえて」もほとんど演奏されなかった事を含めて、
この年に関しては、マーチよりもフェリスタスとプレリュードに
課題曲としての人気が集中してしまったとしか言いようがないですね。
それだけあのフェリスタスは今現在の視点で聴いてもかっこいいし、名曲だと改めて感じます。