本記事のひとつ後の記事が「ウルトラセブン」最終回のBGMとして効果的に使用されたリパッティ独奏による
シューマンのピアノ協奏曲でしたけど、リパッティというワードが登場しましたので、
ここではリパッティに関するちょっとしたエピソードをご紹介させて頂きたいと思います。
ひとつ後の記事で書いたとおり、リパッティは33歳の若さでこの世を去ったピアニストなのですけど、
亡くなる寸前までほぼ気力だけで演奏会のステージに立ち続けた事もあり、この当時はまだ録音技術も未熟で
録音された音源もモノラルに近いような音質ばかりなのですが、リパッティが残した録音や演奏会でのライヴ録音は
いまだに高い評価を受けています。
そうした中、EMIレーベルはリパッティがピアノソロを務めたとされるショパンのピアノ協奏曲第1番を収録したレコードを
発売したことがあり、発売当時は当時の著名な音楽評論家の皆様がこぞって
「さすがリパッティ! これは魂の込められた気迫溢れる演奏だ」
「この上品で洗練された繊細なタッチはリパッティならではのものだ」
「なんという天国的な色彩」
「この精緻な演奏はリパッティ以外の何者ではない」
などと大絶賛をされていたものでした。
しかし当初の発売から30年後にそのEMIから「実はリパッティソロとされていたあの録音は、リパッティの演奏ではなくて
ステファンスカという女流ピアニストによる演奏でした・・」と発表したものでしたので、
当時のクラシック音楽業界は一部において大混乱と醜態をさらす形となり、
結果的に本当はステファンスカのソロなのに「さすがリパッティ」とやたらと持ち上げていた当時の評論家の先生たちは
大恥をかく事になっていたものでした。
たぶん当時の高名な音楽評論家の先生たちは「リパッティ」という名前だけでろくにその音源を聴かないまま
「リパッティソロだから間違いはないだろう・・」みたいな勝手な思い込みと妄想だけでそうしたヨイショ評論をしてしまったと
いえるのだと思いますし、
改めて日本人というものは、権威とか名声に弱いということを白日の下にさらけ出したという事なのだと思いますし、
私たち聴く立場の人間としても、音楽評論家がそういっているのだから間違いはないのた゜ろう・・という感覚ではなくて
大切なのは自分自身の感覚という事なのだと思います。
この話はなんとなくですけど、中学等の国語の教科書ではお馴染みの作品の菊池寛の小説「形」に近いような話と
いえるのかもしれないです。
そして改めてですけど、同じ演奏でもそれを聴く人の感性・感覚によってとらえかた・評価は異なるもので、
高名な評論家がそういうのだから間違いないということではないですし、その音楽評論家ですら、聴く人によって
まったく同じ演奏でも真逆の感想になってしまうということはよくある話なのだと思いますし、むしろそれが人間らしいと
いえるのかもしれないです。
そうした音楽評論家でも同一演奏でも評価は真逆という事は吹奏楽コンクールでも全然珍しい話ではないと思います。
一例を挙げると大変古い話になるのですけど、1979年の弘前南高校の「小組曲」もそうなのだと思います。
1979年の弘前南高校の演奏は、斎藤久子先生最後の指揮の演奏となりましたが、
課題曲のはつらつとした気持ち、自由曲の上品さ、その対比が素晴らしかったし
小組曲のフルートソロが抜群に美しかったですね。
木管セクションの透明感も金管の抑制とかコントロールも申し分なかったと思います。
だけど面白い事に、後日のBJの講評では、辛口で有名な上野晃氏は、
「音色のバランス・コントロールまで手が回らず、指揮者の不相応な高望みが招いた破綻」と酷評をしていますが、
吉田友紀氏の評は「原曲の雰囲気を壊さず素晴らしい演奏」と高い評価を受けています。
やはり人によって感じ方は違いますし、
コンクールの審査員の評価が絶対的なものではない事の象徴かもしれないです。
余談ですけど、過去のBJの審査員とか批評家のコメントを今更眺めていると興味深い事例もいろいろとあったりします。
その一つの事例が、1976年に奈良県の吹奏楽の超名門高校の「天理高校」が、支部大会と全国大会で
同じ課題曲と自由曲を演奏した際、全く同じ批評家から
全く真逆の事をコメントされている記事を見つけた際は、結構驚いたものです。
1976年の天理高校は、課題曲B/吹奏楽のための協奏的序曲・自由曲/皇太子のための祝典音楽(陶野重雄)でしたけど、
関西大会でのBJの演奏評は辻井市太郎という当時の大御所先生が担当され、
「自由曲は初めて耳にする曲であり、アメリカで出版されたものとの事だが、
天理であるからこそ立派に演奏できたとの印象を受けた。
その上、天理の有する独特のサウンドが聴く者を更に納得させた」という大変ベタ褒めコメントをされていました。
しかし、全国大会でのBJの演奏評は同じく辻井市太郎氏が担当していますが、
(この年、審査が異常に厳しく、天理ですら銅賞という大変厳しい評価を受け、決して万全な演奏では無かったのですが)
この時は「自由曲はコンクールに適応していないものである。世界の名曲に混じって、
いかに高度な技術を有する天理であっても曲そのものの格調を変える事は無理だったのだろう。
まずは選曲失敗の範疇に入るものである」
と全く正反対の事を言われていました。
この話は高校時代の吹奏楽部内でも色々とネタになっていて
関西大会の記事を読んだ口の悪い部員が
「おいこら、おっさん、全国大会では何と書いていたんだよ~」などとツッコミを入れていたものでした(汗・・)
今となっては天理の当時の関西大会と全国大会の音源がありませんので検証のしようがないのですけど、
一般的に吹奏楽の世界は、支部と全国では、朝一番という悪条件を別とすると
それほど極端な出来不出来の差は無い事が多いですので、
この辺りも審査員の先生の一つの気まぐれとしての評価なのかもしれないですし、
同じ演奏でも審査員のそのときの気分によって印象が変わる一つの事例なのかもしれないです。
とにかく、大切なことは他人がどういったという事ではなくて、自分自身の感性という事なのだと思います。
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BJの講評にこんな書かれ方をされたる事があるのですね
凹みますよこれ
次に繋がる批評じゃないとただの個人攻撃
それだけオエラ先生の癇に障った何かがあったのですね
当時コンクール時期になればBJも買いましたけど、バンド
ピープルを読む事が多かったですかね