古今東西、とてつもなく美しくて色っぽくて妖しいお姉さま、または美少女が男の子をたぶらかし誘惑し、
結果的に男の子がとてつもなく痛い目に遭ったりするような話は、歌劇・演劇・舞台・小説・漫画・アニメ・映画等では
定番中の定番の話なのかもしれないですね。
私自身、一番最初にこの手の話を見た作品としてはアニメ「ルパン三世」の峰不二子といえるのかもしれないです。
さてさて、そうした美しくて妖しいお姉さまが男の子をだらかしてしまう話は、お堅いイメージがありそうな聖書の中に
たまに散見される事もあったりします。
(広義的には「アダムとイブ」とか「サロメ」の話もそういう話なのかもしれないです)
キリスト教と言うものは西洋文化における支柱的存在なのだと思います。
人々の精神的支えというよりは生活の一部と言っても過言ではない感じもあります。
その点、日本と言う国は世界においても極めて珍しい無宗教の国なのかもしれないです。
無宗教というよりは多宗教の国という感じなのかもしれません。
よく言われるように、クリスマスでキリスト教に関連したイベントを楽しみ、大晦日にはお寺の除夜の鐘に耳を傾け、
そして新年が明けると神社で初詣と言う事で。
世界的においてはこうした宗教に対してこれほどまで無節操な国は無いのかな・・とも思ってしまいますけど、
日本は日本古来の伝統的な八百万の神々の国でありますし、
無宗教・無節操というよりは、むしろ多様な宗教観を全部包み込んでしまう寛容性のある国と言った方が宜しいのかも
しれないです。
当ブログの根幹カテゴリの「東方Project」も、ZUN神主様の真の意図とか思惑はよく分かりませんけど、
東方の世界をこうした多様性とか寛容性とか様々な価値観を全ておおらかに受容する事の素晴らしさみたいな
事を実は意図しているという解釈ももしかしたらありなのかもしれないです。
実際、地獄の女神のヘカーティア様も幻想郷の多様性を称賛され、対照的に異世界との交流を拒絶し自分たちの存在が
一番であると認識している傾向のある月の民たちを最悪の種族と警戒されているのも
ZUN神主様としての世界の多様性・寛容性をヘカーティア様を通して言いたいのかもしれないです。
世界の人たちがこうした多様性・寛容性を持つだけで世界に紛争が激減する可能性も秘めているのかもしれないです。
西洋のキリスト教は精神的支え・生活の一部という意味以外においても
文学や絵画、音楽といった芸術面にも多大な影響を及ぼしているようにも感じられますし、
聖書の中に記されているお話を題材にしてクラシック音楽が創られている事例も結構多いようにも思われます。
聖書を題材にしたクラシック音楽って実は結構ありまして下記に一例をあげますと、
ハイドン/ オラトリオ「天地創造」
F.シュミット / オラトリオ「七つの封印の書」
バッハ / マタイ受難曲・ヨハネ受難曲
ヘンデル/ オラトリオ「メサイア」→特にハレルヤコーラスが際立って有名ですよね!
メンデルスゾーン / オラトリオ「エリア」
シェーンベルク / オペラ「モーゼとアロン」
などが挙げられると思います。
上記の曲はいずれもオラトリオというのかカンタータに近いような感じで宗教色が濃厚で
どちらかというととっつきにくいようなイメージがあったりもしますし、
上記の曲はあまりにも重厚過ぎて、世俗にまみれた私が聴いてもあまり面白くは感じないものです・・・(汗・・)


聖書を題材にしたわかり易い音楽で、なおかつ美少女または妖しいお姉さんが男の子を誘惑する作品として
R.シュトラウスの楽劇「サロメ」
サン・サーンスの歌劇「サムソンとデリラ」といった作品が挙げられると思います。
ヒロインの女の子の年齢としては、サロメが10代の美少女、「サムソンとデリラ」のデリラは20~30代の美しくて妖しいお姉さま
みたいなイメージもありそうです。
そしてサロメの場合は、どちらかというとサロメの母親によってサロメが洗脳されているというのか母親の指示のままに
行動しているという感じもあり、そうした意味においてはサロメに主体性はあまりないような印象もあります。
(斬首されたヨナカ―ンの首にキスをしまくり恍惚となってしまうサロメはちょっと怖いのかも~という印象もあります)
サン=サーンスの歌劇「サムソンとデリラ」の出典は旧約聖書であり、この歌劇は世界各地で今現在も重要なレパートリーに
なっていますし、はたまた既にたくさんの映画監督によって複数の「サムソンとデリラ」の映画化もされています。
サムソンとデリラの話は大変面白くて、デリラという色っぽくて妖艶なお姉さまのお色気の誘惑に負けてしまい、
全てを失い自己破滅してしまったサムソンという男の悲哀をテーマにした作品という見方も出来るのだと思います。
せっかく奪った金銀財宝全てを峰不二子にだまされて略奪されてしまうルパン三世の男としての悲哀みたいな側面も
あるのかもしれないです。
やっぱり古今東西、男の子というものは美しくて妖しいお姉さんの誘惑に負けてしまい破滅の道を歩むと言う事は
よくある話なのかもしれないですね・・
「サムソンとデリラ」のストーリー簡単に要約すると・・・
イスラエルの民は長い間ペリシテ人に抑圧され苦しんでいました。
ある時、イスラエルにサムソンという怪力の赤ん坊が誕生し、成長するな否やライオンを素手で倒したり、
ペリシテの軍隊を一人で散々にやっつけたり、怪力を武器に大活躍をしまして、サムソンはイスラエルの民からは
英雄と称賛され、ペリシテの権力者たちからは疎まれ「今のうちにサムソンょなんとかしないとこっちがやばくなってしまう」と
警戒されていました。
ある時、サムソンは、デリラという妖しくも美しいお姉さまに一目惚れをしデリラをなんとかモノにしようと試みます。
それに目を付けたペリシテ人はデリラを買収しそそのかし、 デリラに対して
「サムソンのあの怪力には何か秘密がありそうだ。なんとかその秘密を暴いてこい」と命令を受けます。
サムソンとデリラが色々とエッチな事をしている愛の寝物語の最中にデリラは執拗にサムソンに対して
「私を愛しているならあなたのその怪力の秘密を打ち明けてください」と泣きながら懇願しますがサムソンは拒絶します。
繰り返し拒絶をするうちに、デリラは「結局あなたは私を愛していないのですね」と泣き喚きデリラは憤然と家を飛び出ます。
サムソンは後悔し「自分はデリラを失いたくない」と思い、雷鳴なり響く中デリラを追うために家を飛び出し、
デリラを見つけて結局サムソンはデリラにその秘密を打ち明けてしまいます。
(ちなみにサムソンの怪力の秘密はサムソンの長髪にありました・・)
そしてサムソンが爆睡している間にデリラはサムソンの髪を短く刈り込み、サムソンは結果的に怪力を失い、
デリラの密告によりペリシテに捕えられ、目をつぶされ視力を奪われ、
牢の中で石臼をひかされる日々を過ごしてしまう事になります。
ある日、ペリシテの神々のお祭りが開催されることになり、サムソンは見世物としていたぶられながら神殿の祭壇に引きず
り出されてしまいます。
牢の中に閉じ込められている間にサムソンには再び髪が伸び始め、祭壇に引きずられている時にはサムソンは自分に
怪力の能力が戻っている事には気が付いていたものの、それを意図的に隠し、最終場面において
ペリシアの民がたくさん神殿の前にいる目の前で、蘇った怪力によって祭壇の二本の柱を破壊し祭壇をなぎ倒してしまい、
神殿がここに崩壊し、 多くのペリシテ人と共に神殿の下敷きになってしまい、
サムソンは最後の最後に自分の命と引き換えに復讐を果たすことになります。
この「サムソンとデリラ」を旧約聖書で読むと比較的淡々と描かれていますし、サン・サーンスの歌劇のハイライト版として
見た限りにおいては結構宗教色を色濃く感じたりもします。
そして映画として見てみると、 デリラがいかにも「誘惑する悪いお姉さん」的な感じで描かれている傾向が強いように
感じたりもします。
デリラ自身、本音の本音としてはサムソンが大好きで堪らなかったけど、ペリシテの権力者からの圧力に屈してしまった事に
本当は後悔しているし、結果的に自分のタレコミでサムソンの怪力の秘密が晒されることになってしまった事を
嘆き悲しんでいるという感じにも見えたりもします。
一方サムソンにとっては、自分の大切な秘密を誘惑するお姉さんによってペラペラと喋った事によって、
それまで自分を信頼してくれ頼りにされ尊敬を集めていたイスラエルの民たちの信頼を一気に失い、
それによって全てを失い、イスラエルの民たちからは「サムソンは誘惑するお姉さんの色気にすっかり騙されてしまった・・」とか
「あいつはなんという馬鹿な男なのだ・・」といわれた事にプライドが傷つけられ、自分の悪露さ加減にとてつもない後悔が
あったという事なのだと思います。
最後の最後でペリシテの民の神殿と祭殿を破壊した事で、自らの死と引き換えに自尊心を取り戻したと言えるのかも
しれないです。
サン=サーンスは、この旧約聖書を題材に「サムソンとデリラ」という不朽の名作オペラを完成させ、
今日に至るまでフランスオペラの貴重なレパートリーの一つとして完全に定着させています。
この歌劇において、第2幕の「あなたの声に 私の心は開く」というアリアは特に有名な箇所だと思いますし、
管弦楽の演奏会やはたまた吹奏楽コンクールでの自由曲でも古典的なレパートリーにもなっている
「バッカナール」は、この歌劇の中の盛り上がる部分の一つであったりもします。
歌劇「サムソンとデリラ」~バッカナールは、サムソンを捕えたペリシテ人たちの祝賀会の宴会のどんちゃん騒ぎを
描写した部分ですし、歌劇の中でも大変有名な部分でもあります。
オーボエの妖しい雰囲気のソロで開始され、中東の音楽のような雰囲気の音楽が展開されていきます。
カスタネットのリズム感溢れる響きが実に楽しいです。
中間部もたっぷりと歌われ、ラストも一気にヒートアップします。
ラスト近辺はホルンが大活躍します。
7分程度の曲なのですが、妖しさ・楽しさ・歌・追い込みなどの要素がてんこ盛りで聴いていて飽きることはまずないと思います。
ちなみにですけど、このバッカナールは、
2007年頃のフィギュアスケートにて、安藤美姫がショートプログラムで選曲した曲でもあります。
余談ですけど、1985年の全日本吹奏楽コンクールの東北大会のBJ講評の際に、これは完璧に誤表記なのですけど、
秋田南高校の自由曲は本当は、黛敏郎の「バッカナール」のはずなのに、
BJの表記では、歌劇「サムソンとデリラ」~バッカナールとなっていたのはなんだか笑ってしまったものでした・・
「サムソンとデリラ」の一つの教訓として言えそうなことは、妖しい誘惑するお姉さんは、古今東西問わず怖いけど
とてつもなく魅力的という事なのだと思います。
クラシック音楽としての歌劇「サムソンとデリラ」で登場するデリラ役のお姉さまも
既に複数作品が多くの監督によって制作されている映画「サムソンとデリラ」で登場されるデリラ役のお姉さまも
ほとんとの場合演じられている方が40~50代近いと思われるおぱさまたちでありますけど(汗・・)
やっぱりデリラ役の女の子は私的には10代ではなくて、20代後半~30代前半の美しく妖しいお姉さまの方が
合っているようにも感じられそうですね~♪
さてさて、東方でこうしたデリラ役がお似合いそうな美しくて妖しい色っぽいお姉さまというと誰か最も適役なのでしょうか・・?
その答えは美少女好きの方でしたら咲夜さん、妖しいお姉さん好きの方でしたらゆかりん=八雲紫様と
いえるのかもしれないです。
そして妖しいお姉さま好きで大のゆかりん好きの私としては、言うまでも無く、東方で歌劇「サムソンとデリラ」を上演した場合
デリラ役はやっぱりゆかりんが一番お似合いだし、ゆかりんほど「男の子をあの手この手で誘惑してたぶらかす」
というイメージが相応しいお姉さまはいないような気もします。

ここから先は「
dream fantasy 」のアミグリさんが
描かれたイラストのご紹介コーナーなのですけど、話の流れからいって今回転載&ご紹介させて頂く作品は
ゆかりんであり、なおかつ大人のレディとしての魅力・妖しさ・美しさに溢れたゆかりんを皆様にご覧頂きたいと思います。
上記の水着ゆかりんは、とっても色っぽくてお美しいと思います。
この水着ゆかりんは、私にとっては記念碑的な一枚でもあり生涯の私の大切な心の宝物ともいえるような作品
でもあるのですけど、2016年の私の誕生日+通算3000記事到達という大きな節目の際に
アミグリさんに描いて頂けた記念イラストの水着ゆかりんです!
この水着ゆかりんは本当にうっとりとさせられるくらい美しさに溢れていると思います。
幻想郷の美しきレディとか完全無欠な貴婦人みたいな表現がしっくりきそうなゆかりんだと思います。
ゆかりんは幻想郷最強のスキマ妖怪で尚且つ最大の賢者であり霊夢のすてきな保護者という立ち位置でもありますので、
普段は威厳に溢れたドレスや派手な衣装、または尊厳な雰囲気の導師服を身に纏われている事が大変多い上に、
幻想郷自体に海はありませんので、
公式の立ち絵・ゲーム・書籍・漫画・カード等では絶対にあり得そうもない「水着」としてのゆかりんを
アミグリさんがこんなにも見事に描かれたという事に大変大きな意義があると思います!
あのゆかりんが水着になってくれるなんて~!! 最初にアミグリさんが描かれたこの水着ゆかりんを拝見して
思わず感涙状態になったものでした!
この水着ゆかりんは、大人っぽいしっとりとしたゆかりんなのですけど、ちらっと見えているおへそもかわいいですし、
暑い夏の昼下がりという事で少しばかり珍しくけだるそうなアンニュイな表情のゆかりんを見ることができるのも
すてきな発見だと思いますし、
この流れるような長髪や手を髪にかざすゆかりんや髪のリボンもとっても幻想的で美しいと思います。
そして「サムソンとデリラ」のデリラのようにこんなにも妖しく美しい水着ゆかりんから何か頼まれごとやお誘いを
受けたとしたら、例えこの身にとてつもない危険が迫ってくる事が分かっていたとしても
ゆかりんにホイホイ付いていくのは間違いないと思いますし、それが古今東西の男の子の宿命なのかもしれないですね~

続きまして2018年12月のクリスマスイラストとしてアミグリさんが描かれた
「クリスマスゆかりん♪」です。
アミグリさんが描かれたクリスマスゆかりんは、レディとしての美しいゆかりんとクリスマスの時にちょっとしたイタズラ心で
コスプレみたいな事もしてみたくなってしまったような少女のかわいらしさの両方の側面を見事に
描かれていると感じます。
このクリスマスゆかりんはかわいいしとても美しいと思います!
(いつものように)とても大人っぽい雰囲気をキープしながらも「少女のようなかわいらしさ」を
正攻法に真正面から表現されているようにも感じるのですけど、
それでいてとても「美しい!」と見ている人を思わず唸らせてしまう圧倒的な表現力がここに提示されていると感じたものです。
髪飾りのツリーのかわいらしさにゆかりんのZUN帽もクリスマスカラーとして一番相応しい赤として描かれる事で
見ている人達により強く「これから楽しいクリスマスが始まる」という事を意識させていると思いますし。
ファーのあたたかそうな雰囲気も見ているだけでふわふわ&もこもことした気持ちにさせてくれそうです。
赤の帽子に紅白のサンタ風衣裳に対して金髪はいつも以上にあの華やかで艶やかな美しくたなびくような流れるような
長髪の黄金の髪という事で、その対照性も鮮やか以外の言葉しか出てこないです。
赤の衣裳に対する襟元と袖の白のモコモコふわふわのファーの柔らかさが引き立っているようにも感じられます。
そしてゆかりんの上品極まりない薄化粧に一人のすてきなレディとしてのすてきな大人のお色気を感じ取ります。
眼が普段描かれているゆかりんよりも少しだけくっきり感じられるのは、
いつもより少しだけ強めのアイシャドウ効果なのかもしれないですし、
ほんのりと紅潮した頬のかわいらしさや上品な口元に思わず見入ってしまうものがあると感じたものでした。
ゆかりんのこのすてきなメイクは、プロの方が担当されたような上品で美しいお化粧だと思います。
背景の雪の結晶もゆかりんの美しさを際立たせていると思います!
とにかくこのゆかりんも素晴らしいです!
そしてこんなにお美しいゆかりんから同様になにか頼まれごとやおねだりをされたとしたら私はどんな無理難題でも
ホイホイと「わかりました~♪」というのかもしれないです・・
上記のアミグリさんが描かれた美しくも妖しいゆかりんの権利は全てゆかりんの描き手であるアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。
アミグリさん、本当にいつも素敵なイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!
皆様の中で「こんなにも美しいゆかりんを描く人のブログってどんなもんなのだろう・・? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ
dream fantasy を
ご覧になって頂きたいと思いますし、宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ
dream fantasy に一度お越しして頂けると
アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!
アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →
アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!
→
アミグリさんのpixivそれでは最後まで本記事を読んで頂きありがとうございました!
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サムソンとデリラのバッカナール
懐かしいですよね
私はこの曲好きですよ
勉強不足でお恥ずかしいのですが、サムソンとデリラと云えば、私の中では
日大豊山高校です
取り上げられる事が少ない曲ですね^^