チャイコフスキーの交響曲は、マンフレッド交響曲を含めると計7曲あるのですけど、
1番~3番とマンフレッドは人気の上でも実演回数の上でも今一つなのかもしれないです。
(私自身は交響曲第1番「冬の日の幻想」はとても好きな曲です)
最後の交響曲第6番「悲愴」の人気がずば抜けて高く、次に人気なのが5番、そして4番という人気順なのかもしれないです。
実際、チャイコフスキーの交響曲は、生演奏会では6番と5番の演奏頻度はずば抜けて多く、
古今東西の人気ランキング・CD発売枚数・演奏会での演奏頻度は6番「悲愴」が頭一つ抜けているというイメージがあります。
私自身はチャイコフスキーの交響曲はいっちば~ん!大好きな曲は交響曲第5番です!
個人的な感覚なのですけど、チャイコフスキーの音楽は何となく「死」を漂わせる何かがあるような気もします。
それを最後の最後で究極の名曲にまで昇華させたのが交響曲第6番「悲愴」なのだと思います。
チャイコフスキーの音楽からは、「愛する二人は現世ではその愛を育むことが出来ないし、その愛を具現化させるためには
あの世へと旅立つしかない」とか
「この世では結局理想を語る事も実現化させる事は何もできない、理想を具現化出来るのは幻想の世界と死後の世界だけ」
といった「死のエコー」を感じさせるのものがあるのかもしれないです。
それを強烈に感じさせる部分は、バレエ音楽「白鳥の湖」~終曲であるとかピアノ協奏曲第一番第一楽章であったりとか
交響曲第5番第二楽章、そしていっちば~ん!に具現化させたのが交響曲第6番「悲愴」~第四楽章と
言えるのかもしれないですね。
チャイコフスキーの交響曲第5番は、音楽史的に大事なキーワードは循環主題なのかもしれないです。
第一楽章冒頭でいきなりクラリネットがこの交響曲の基本テーマとも言うべき主題を陰鬱に奏しますけど、
この基本テーマは、その後第二楽章でも表れ第四楽章でも冒頭やラストのコーダの大団円部分でも再現されています。
一つのテーマが曲全体を循環するように貫き、全楽章を統一する要素になっているから循環主題とも言われています。
この循環主題が顕著に表れている曲の代表例は、フランクの交響曲だと思いますし、邦人作品としては
矢代秋雄の交響曲なのだと思います。
チャイコフスキーの交響曲第5番の一つの聴きどころは第二楽章のホルンの長大なソロと言えそうです。
あの美しさと陶酔感とはかなさは、チャイコフスキーが残したメロディーの中でも
特に群を抜いた素晴らしい部分だと思います。
第二楽章では木管楽器も全般的に素晴らしい働きぶりを見せているのですけど
特にオーボエの美しさは絶品だと感じます。
ホルンとオーボエの掛け合いの部分は何度聴いても背中がゾクゾクとします!
美しくはかない第二楽章も、結構唐突に金管楽器の咆哮の中に打ち消されてしまう部分もあったりします。
(あれは結局は「人の美しく楽しい想いでは長続きしないという事を示唆しているのかもしれないです)
第三楽章は、第一楽章と第二楽章の暗い感じをうちはらうかのようなすがすがしいワルツが唐突に開始されます。
最初にチャイコの5番を聴いた時、この第三楽章の唐突なワルツに随分と戸惑ったものですけど
あの部分は「人生には深刻さと甘さが同居している」みたいな事を多少は意図しているのかもしれないです。
第二楽章までの陰鬱な雰囲気は第三楽章によって霧が晴れるように打ち消され
そしていよいよ第四楽章の行進曲的な大団円へと流れ込んでいきます!
第四楽章は一旦終わるような感じになるのですけど、
瞬間的な間があって次の瞬間にコーダの部分で力強く華麗で生きる喜びに溢れた大団円的行進曲が開始され、
第一楽章冒頭の陰鬱なテーマを終楽章では力強く明るく華麗に再現させていきます。
この交響曲第5番いっちば~ん!の聴きどころはどこにあるのかな・・?
やっぱり第一~第二楽章と第三~第四楽章の対比なのかもしれないです。
循環主題と言う事で同一の基本主題を扱いながらも片方は陰鬱に、そしてもう片方は明るく華麗に力強くという風に
使い分けている事がとても面白いと思います。
それは「幸せと不幸は縄目のごとく交互に訪れる」とか「幸せと不幸は二つで一つ」とか
「人生、悪い事ばかりではないし、いい事もたまには起きる」といった事を
メッセージとして伝えたかったかのようにも私には聴こえたりもします。
それにしても第四楽章は大団円ですね!
曲全体をとてつもない幸福感が貫いていると思いますし、この楽章だけを聴くと生きる活力や明るい希望を感じます!
この曲は、CDよりも生の演奏会で聴いた方が理解が早いような気もします。
私が過去に聴いた実演の中で大変印象に残っている演奏というと、佐渡裕指揮/新星日本交響楽団と
小林研一郎/日本フィルの演奏だと思います。
特に1996年の佐渡さんの演奏はまさに「神がかり」の感動的な演奏だったと思います。
CDで聴く場合お勧めの盤は二つほどあります。
一つは、バーンスタインのニューヨークフィル
(このCDはカップリングの幻想序曲「ロメオとジュリエット」も素晴らしい出来だと思います!)
もう一つが1990年のサントリーホールでのライヴ演奏を収録したスヴェトラーノフ指揮/ソ連国立交響楽団です。
スヴェトラーノフの演奏では、特にオーボエの音色はまさに奇跡的としか言いようがない素晴らしい音色ですし
ライブ感満載の「生命力とスピード感の切れ」は最高ですね!!
ちなみにですけど、スヴェトラーノフ指揮/ソ連国立交響楽団の演奏は終始ずっとなにかぶ~んという異音が収録されて
いますけど、この音は指揮台の前に設置された扇風機の音との事です。
ここから下記は吹奏楽の話になります。
今現在ではほとんど演奏されないのですけど、1970年代においては全日本吹奏楽コンクールの全国大会においても
チャイコフスキーの交響曲第5番~第四楽章は吹奏楽にアレンジされて演奏されたことが何度かありました。
山王中学校・横手吹奏楽団・秋田南高校と秋田県に集中しているのも興味がもてそうな話でもありますね。
(1975年の秋田南高校の演奏は、山王中の木内先生のアレンジによるものだったとは実は最近知りました・・)
秋田南高校の1975年の二度目の全国大会出場において、課題曲C/吹奏楽のための練習曲と
自由曲はそのチャイコフスキーの交響曲第5番~第四楽章を演奏していたのですけど、
結果的に「銅賞」という事になっていますが、私的にはこの「銅賞」は全然納得いかないですね!!
課題曲は正攻法の演奏で実にスタンダードな名演を聴かせてくれ
自由曲も翌年の「ペトルーシュカ」を彷彿させるような屈折した明るさ+生きる生命感+躍動感に満ち溢れていると思います。
特にコーダ以降の展開は大団円に相応しい終わらせ方だと思いますし、
聴いていて本当に「生きるチカラ・生きる歓び」に溢れていると感じます。
「よーーし、今は大変だけどもう少し頑張ってみよう!!」みたいな勇気みたいなものも貰えるような感じすらあります。
1975年の全国大会・高校の部は19チーム中10団体が銅賞という1976年に匹敵する激辛審査だったのですけど
「いくらなんでもこの演奏が銅賞はないでしょ・・」と文句を言ってやりたい気持ちはいまだにあったりもします。
チャイコフスキーの交響曲第5番のアレンジャーは当時の山王中の大御所の木内先生ですけど、
そのアレンジはかなり面白いもはあると思います。
例えば、コーダの部分に原曲には存在しない「小太鼓」を終始ロールとして入れたり
原曲には配置されていない大太鼓・シンバルを結構派手に鳴らしたりとか
中間部でグロッケンを装飾音符的に流暢に響かせてくれていたりと色々やらかしてはくれているのですけど、
それはそれで面白いアレンジ&解釈という事にここでは留めておきたいと思います。
ちなみにですけど、1977年に同じくチャイコフスキー/交響曲第5番~第四楽章で全国大会に出場した阪急百貨店は
原曲に近いアレンジと言えると思います。
(原曲の打楽器はティンパニのみですけど、秋田南は小太鼓・大太鼓・シンバル・グロッケンを追加したアレンジであるのに
対して阪急百貨店は曲のラスト近くでシンバルを一回だけ鳴らすという事に留めています)
余談ですけど、77年のBJの講評で
「今回の阪急百貨店の演奏の不調は、阪急ブレーブスが日本シリーズに進み、その応援等で多忙を極め
思うように練習が出来なかったことが原因である」と
当事者でもない人が勝手に主観で決めつけていたのも何か面白かったです・・(汗)
ベルリオーズ前後の管弦楽曲・交響曲ですと、打楽器はティンパニのみしか使用しない事例が多いですので
そうした曲を吹奏楽用にアレンジする際
「打楽器セクションを練習中にヒマ死にさせる訳にもいかないし、演奏効果は確かにあるし・・」という事で
原曲のスコアには無い、小太鼓・大太鼓・グロッケン等を登場させる事も多々ありますけど
1975年の秋田南はそうした演奏効果を意図したのかもしれないです。
結果的にそうした打楽器の使用による効果以外の金管セクションの輝かしい躍動感によって
生命力溢れる演奏が実現できたと思います。
これは私の感じ方かもしれないのですけど、例えばドヴォルザークならば、
豊島十中の交響曲第9番「新世界から」でいうと、シロフォン・シンバル・太太鼓などを入れてきましたけど
正直違和感を感じます。
だけど石田中・阪急などの交響曲第8番を聴くと
原曲には入っていないシンバル・大太鼓・小太鼓が意外と曲に合っているような感じもあり
私はあの演奏結構大好きだったりもします。
1975年の秋田南高校の演奏は、ストラヴィンスキーと邦人作品路線が見事に花開き全国大会5年連続金賞に輝いた
1976~80年の演奏の一年前の演奏ということになるのですけど、
あのチャイコフスキーの生きる力に溢れた躍動的な明るさは換言すると「屈折した明るさ」ということになると思いますし、
そうした屈折した明るさは1976年のペトルーシュカの演奏を先駆けるものであり、
秋田南高校吹奏楽部は1976年に突然の飛躍的な覚醒を果たした訳ではなくて、その飛躍は既に前年度から示唆されていた
ということになるのだと思います。
秋田南の全国大会初出場は1974年の交響組曲「シェエラザート」~Ⅱ.カレンダー王子の物語なのですけど、
この時はどちらかというと特に個性も秋田南らしい点もまだ少なく感じられ、演奏としては無難という感じにまとまっているのは
少し意外でもありました。
秋田南は確か1973年の東北大会だったと思いますが、自由曲にショスタコーヴィッチの交響曲第5番「革命」から
吹奏楽コンクールでおなじみの定番レパートリーになっている終楽章ではなくて第一楽章を選んでいるのも実に
高橋紘一先生らしい話だと思いますし、16分程度のあの第一楽章のどの部分をカットし、どの部分を演奏したかというのは
この演奏の音源が全くない事もあり大変興味津々です!
最後に余談ですけど、上記でショスタコーヴィッチの話が出てきましたけど、
私がショスタコーヴイッチの曲を聴いたのは、実はあのあまりにも有名な交響曲第5番「革命」ではなくて
交響曲第10番というのも、いかにも私らしい話なのかもしれないです。
しかも、それは管弦楽としてではなくて吹奏楽アレンジ版という変化球として聴いています。
それが何かと言うと、1981年の山形県で開催された全日本吹奏楽コンクール・東北大会の
高校B部門の秋田西高校の素晴らしい演奏だったのです。
でもあの演奏は本当に素晴らしかったです!!
わずか35人の編成とは思えない重厚感漂う演奏であり、特に後半のアレグロのスピード感溢れる展開は
小編成の限界を超越した演奏だとも思えます。
BJの演奏評では「孤独・不安・寂しさの雰囲気はうまく出せていたけど、ソロがプレッシャーのため緊張感を持続
出来なかったのは惜しい。アレグロも素晴らしかったが、もう少し重厚感が欲しい、どちらかというと祝典序曲みたいな
キャラクターの演奏になってしまった」と記されていましたけど、
うーーん、ちょっと違うのかも・・・?
私の印象では、ソロの雰囲気も寂寥感と不安を見事にキープしていたと思いますし、アレグロ以降の展開も
悲壮感と明るさが混在した洒落っ気と重さを両立した素晴らしい演奏だったと感じたものでした。
後年、佐藤滋先生は母校のあの吹奏楽の超名門・秋田南に赴任されましたけど、
高橋紘一先生という存在は大きかったみたいで、結果的に秋田西高の時のような名演を残せないまま
秋田南を静かに去られていたのはなんか気の毒・・みたいな感じもありました。
考えてみると、この秋田西高校の演奏をきっかけに、
「あれ、ショスタコーヴィッチという作曲家はどんな背景があり、他にどんな曲を作曲したのだろう・・?」
「何か交響曲第5番がやたら有名みたいだけど、どんな曲なのかな・・」
「丁度スターリン体制化のソ連時代と生涯が被っているけど、どんな背景がこの曲にあったのかな・・」などと
ショスタコ―ヴィッチについていろいろ興味を持つようになり、
私がショスタコ―ヴィッチを聴くようになった大きなきっかけを作ってくれたようにも思えてなりません。
その意味では、この秋田西高校の演奏と指揮者の佐藤滋先生には、「感謝」の言葉しかないです
本当にありがとうございました。
佐藤滋先生が普門館で指揮された1987年の秋田南高校の風紋と交響詩「ローマの噴水」は、それまでの秋田南の
硬さ・陰鬱さを打破したそれまでにないカラーを追及した演奏のようにも感じますし、
私個人はあの演奏を生で聴いていてもあのカラッとした演奏はすてきだと思いましたし、結果的にこの年の銅賞は
かなりの激辛評価といえそうです。
- 関連記事
-
スポンサーサイト
自由曲のローマの噴水とともに音色が大変明るくなっていたのは、
前任者との違いもうまく出せていたような気もします。
翌年の深層の祭とサロメは明るい音色だけど少し雑な造りになっていたのは惜しまれます。