私がこのストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」を知るきっかけとなったのが、
1976年の全日本吹奏楽コンクールでの秋田南高校の吹奏楽アレンジ版による第四場の超名演なのですけど、
秋田南高校の吹奏楽アレンジ版ペトルーシュカの演奏は、今現在聴いても凄いと思いますし全く色褪せてはいないと感じます。
バレエ音楽「ペトルーシュカ」の管弦楽での生演奏を聴くと一目瞭然なのですけど、このバレエ音楽は
ピアノを協奏曲風にも使っていて独奏ピアノをかなり効果的に用いています。
全日本吹奏楽コンクールは今現在の規定では、ピアノ・ハープを使用する事は自由ではありますけど、
1981年にピアノとハープの使用が解禁になる以前の1970年代の吹奏楽コンクールの高校の部の編成は45人以内の編成
という制約がありましたし、楽器編成の中に、ハープ・ピアノを入れることは禁じられていました。
秋田南高校の当時のティンパニはペダル式ではなくボロボロの手締め式と言う事で何かとシビアな条件下での演奏でしたし、
本来の原曲で効果的に用いられているピアノは使用していませんし、
管楽器の響きだけで、よくペトルーシュカの世界をよくここまで再現出来たものと今聴いてみても感動ものです!
ペトルーシュカというと春の祭典の影響もあり、バーバリズムバリバリの荒ぶる作品という印象もありそうですけど、
実際は火の鳥と同様にかなり繊細で、どちらかというとチャイコフスキーの伝統的ロシアバレエの影響を受けつつも、
ドピュッシー等フランス印象派のようなエコーの響きも感じられ、
そうした繊細でデリケートな音色が求められそうなこの曲を吹奏楽アレンジ版として演奏する事自体当時としては
大変な冒険であり貴重なチャレンジだったと思うのですけど、決して無謀なチャレンジだけに終わらせずに、
吹奏楽としての無限の可能性や秋田南高校の飛躍を示唆する演奏である事は間違いない評価といえるのだと思います。
評論家の皆様の意見として、高校の部の進化を示唆する演奏が1977年の銚子商業のディオニソスの祭りであると
述べられている方も多々おられるのですけど、私の意見としては、
「確かにそれもそうなのだけど、現在の高校の部の大変なレヴェルの高さの一つの先駆的な演奏の一つが
1976~77年の秋田南高校のストラヴィンスキーシリーズではないのかな」と感じたりもします。
1976年の秋田南のバレエ音楽「ペトルーシュカ」の演奏なのですけど、部分的に音は荒いし、
トランペットの音は硬いし、ラストのトランペットソロは外しまくっているし、
今現在の価値基準では判断に迷う個所もあるのではないかと思っています。
しかしそうしたマイナス点を差し引いても秋田南高校吹奏楽部のあの演奏の躍動感と生命感は大変充実していますし、
リズムセクションのビートが大変躍動的であるため全体的に飛んで跳ねるような感覚が非常にシャープです。
そこから感じられるのは、「コンクールの評価は私たちは別に気にしないし、自分たちの演奏ができればそれで満足」といった
一つのいい意味での開き直りの雰囲気が感じられ、そこには屈折した明るさが滲み出ている素晴らしい演奏だと思います。
吹奏楽アレンジ版ペトルーシュカの演奏と言うと、1990年の高岡商業や92年の西宮吹奏楽団の演奏や、
関東大会ダメ金でしたけど88年の埼玉栄の演奏も大変印象的ではあるのですけど、これらの演奏は全体の雰囲気は
とてもスマートで洗練され、音色自体は大変繊細であったりもします。
秋田南のペトルーシュカは、開放感と自由さを感じるのですけど、それは原曲のペトルーシュカにおいても
魔法使いの人形に生命が吹きこまれ、人形を操作している人間から自由になったという開放感をむき出しの感情と共に
見事に表現しているといえるのかもしれないです。
ビートの後打ちパートのリズムだけで立派に音楽を表現しているようにも感じられます。
このペトルーシュカの演奏と翌年の春の祭典の演奏は、著作権絡みの問題もあるせいなのか、ブレーンから発売されていた
レジェンダリーシリーズにも収録されていませんし、その当時ソニーから演奏音源としてのレコードが発売されているものの
このレコードは現在は超入手困難ですし、今のところCD化されていませんので、
今現在の若い世代の奏者の皆様があの素晴らしき名演に触れられる機会が無い事はかなりもったいない感じがあります。
あの演奏は今現在の視点で聴いても間違いなく、新鮮さ・感銘さはあると思いますし、
現役奏者の皆様があの演奏をどのようにお感じになるのかは実は私も興味津々であったりもします。
秋田南のペトルーシュカのアレンジャーは不明なのですけど、春の祭典・火の鳥・交響三章・バッカナール・
管弦楽のための協奏曲・パロディ的四楽章・矢代秋雄の交響曲などと同様に天野正道さんなのかな?と思われますけど、
ペトルーシュカのアレンジャーが天野さんだとすると、それ以降の練に練られたアレンジと少し異なり
若さと情熱がむき出しの編曲と言えるのかもしれないです。
1976年のペトルーシュカを引き継ぐ形で翌年、1977年の秋田南高校が自由曲として選んだ曲目が
プロでも演奏が大変難しいとされるストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」だったのです。
当時から「アマチュアの高校生が春の祭典、しかも吹奏楽アレンジ版として演奏するのはいかがなものか」といった批判の声は
相当あったと聞いていますし、
当時のBJのバックナンバーを読んでみても「春の祭典論争」といった吹奏楽アレンジによる春の祭典の演奏は果たして
是か非かといった賛否両論入り乱れる論争みたいなものもあった事はむしろなつかしい話なのかもしれないです。
(最近の吹奏楽コンクールにおいては、ベルクといった新ウィーン楽派の無調音楽やブルックナー・マーラーの交響曲が
ごく普通に自由曲として演奏されていたりもしますけど、当時としてはストラヴィンスキーのペトルーシュカや春の祭典を
吹奏楽アレンジ版として自由曲に選ぶこと自体が大変勇気ある事だったといえそうです)
秋田南の春の祭典の演奏は、そうしたつまらない批判を完全に吹っ飛ばす壮絶かつ理性的な演奏だったと思います。
(課題曲の「バーレスク」がとてつもなく理性的・端正に演奏していたのに、自由曲の春の祭典の自由で大胆不敵な演奏の
見事な対比には圧倒されます)
上記で壮絶と理性的というワードを用いましたけど、壮絶と理性的は言葉としては全く矛盾しているというか相反する要素だと
思うのですけど、この演奏を聴いて貰えば、私が何を言いたいかはすぐに分かって頂けると思います。
時に大胆不敵に、そして全体的には大変端正に理性的に乱れることなく進行していきます。
プロのオケでも難しいとされるホルンの高音域も全然無理なく自然に聴こえているのが特に素晴らしいと思います。
言葉は悪いのですけど、ある意味やりたい放題の演奏でもあり、演奏は確かに豪快ではありますが、
とてつもなく精密であり、聴いていても音楽の細かい所の隅から隅まで仕上げられているという印象が濃厚です。
1977年の全日本吹奏楽コンクールの全国大会では、実を言うと「春の祭典」は秋田南高校以外で駒澤大学も自由曲として
演奏がされています。
駒澤大学は、第二部「いけにえの儀式」から抜粋しているのに対して
(駒澤大学も素晴らしい演奏でした! だけど、後半のバスクラのソロの部分で凄まじいリードミスを発生させてしまい、
ほんの瞬間・・演奏が止まる寸前だったのに何事もなくバスクラがソロを続け、その後は無難に曲を展開させていったのは
さすがとしか言いようがないです)
秋田南高校は、第一部「大地礼讃」から抜粋させているのが大変興味深いところがあります。
「春の祭典」というと、第一部冒頭のファゴットの超高音域によるソロ開始が大変印象的なのですが、
秋田南は、このファゴットのソロから曲を開始させるのではなくて、木管楽器による不協和音のリズムの刻みから開始されます。
序奏からではなくて、春のきざし(乙女達の踊り) の部分から曲を開始させています。
そして全体的には、リズムが複雑すぎる場面やあまりにも超絶技術の場面や過剰に音量が鳴り響く部分を意図的に避け、
曲の構成・カットも無理な場面は選ばず比較的ゆったりとした部分をメインに構成していたのも大正解だったような気がします。
春のきざし→誘拐→春のロンドと曲を展開させてそして最後は唐突に第二部のエンディングの一音で終結というあまりにも
強引で大胆なカットをしていたのも面白い試みだったのかもしれないです。
秋田南のペトルーシュカも素晴らしかったですけど春の祭典も圧倒的名演だと思います。
ミスらしいミスはほとんどありませんし、アマチュアの高校生の吹奏楽アレンジとは全く思えない演奏だと思います。
大変誤解がある表現かもしれませんけど、気持ちが入っていないプロの管弦楽団の醒めた演奏よりは、
吹奏楽版ですけど秋田南の演奏の方が魂がこもっている気さえします。
そのくらいこの年の秋田南は神がかっていたと思います。
たまたま使用していた楽器が「管楽器+打楽器」にすぎなかったという感じの演奏でもありそうです。
所詮は吹奏楽アレンジ演奏でしょとか所詮は無謀なイロモノ演奏といった批判は全くの的外れと言う事だけは間違いなく言える
演奏だと思います。
秋田南というと後年の管弦楽のための協奏曲・矢代秋雄の交響曲・交響三章といった邦人作品の演奏も
素晴らしいのですけどそれに負けないくらい、ストラヴィンスキーを演奏した秋田南も素晴らしいと思います。
秋田南高校は1983年に同じくストラヴィンスキーのバレエ音楽「火の鳥」を自由曲に演奏していますけど、
結果的にこの年はまさかの銀賞という評価になってはいるものの、私の中では
「過去に演奏された火の鳥の演奏としては83年の秋田南が最高の名演」と感じていますし、
秋田南は、2018年時点で、全国大会でストラヴィンスキーの三大バレエ音楽を全て自由曲として演奏した唯一のチームで
あったりもします。
ちなみに駒澤大学も全国大会で火の鳥と春の祭典を演奏していまけど、ペトルーシュカは1990年に自由曲として選んで
いるものの、90年の中央大学の気合溢れるガイーヌに代表の座を譲り、全国大会出場が叶わなかったのは少し
勿体無い感じもあります。
余談ですけど、春の祭典は1979年の東北大会・中学の部で高清水中学校が演奏した事もあるのですけど、この中学校は
1978~80年の自由曲は、ペトルーシュカ・春の祭典・火の鳥というとてつもない選曲をしていたりもします。
秋田南高校吹奏楽部は、高橋紘一先生時代、特に1970年代後半から80年代前半にかけては
今現在の視点・感覚で聴いても全く遜色がない・・・否!! むしろそれ以上と言うか
今現在でもあの演奏から学ぶべきことは多々あるとてつもなく素晴らしい演奏を
一杯いっぱい・・・後世の私たちにこんなにも残してくれていたんだよ~!と伝えたい気持ちで一杯です!
(同様な事はロシアマイナーシンフォニー路線・邦人作品・イギリスの作品を取り上げた花輪高校吹奏楽部も
言えると思います)
あの頃の秋田南と同じ秋田県内の花輪高校の両校は当時の日本のスクールバンドの生きるお手本であり、
同時に両校ともに、後世の私たちをいまだに感動させ続ける素晴らしい演奏を残してくれていたと思います。
秋田南高校と花輪高校の過去のそうした素晴らしい演奏は、あの名演から40年以上も経過してしまうと、
私たちの記憶から消えてしまいがちですし、
当時の演奏全てがCDとして記録されている訳ではありませんし、
両校のあの素晴らしい名演を聴いたことが無いという方も結構いらっしゃると思いますし、
奏した意味において、誰か一人ぐらいは
「過去のこうした秋田県勢の素晴らしい名演をブログという形態であっても、文章という目に見える形で
何か残しておきたい」という人がいてもいいのではないかという事で、当ブログの管理人の私は、
未来への記録として秋田南と花輪の演奏の事は今後とも語り続けていきたいと思いますし、あの素晴らしい名演は
間違いなく後世に受け継がれていって欲しいものです。
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そのコメントの中で「今現在の視点で聴くとたいしたことない」という意見も結構ありましたけど、それは全然違うと思います。
誰も挑戦したことがない事への勇気あるチャレンジという事よりも
吹奏楽アレンジ版という制約の中であそこまで大胆な表現ができていることに意義があるように感じたりもします。