1986年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲は4つの課題曲がそれぞれ全て内容的にも音楽的にも大変優れていて
課題曲としては類稀なる当たり年だったと思います。
課題曲が全て当たりと言う事は大変貴重であり、例えば1983年の課題曲はA~Cのいずれもが大変素晴らしい内容の曲で
あったのですけど、Dの「キューピッドのマーチ」が吹奏楽コンクール史上最悪の駄作の一つと大変悪名高く、
もしもあの年の課題曲Dが普通程度のマーチだったら、後世の評価としては「1983年の課題曲は全曲全て当たり年」と
言われていたのかもしれないです。
そして全ての課題曲が当たり年というのは、1986年以外では、1984年と1990年、そして1992年や2000年も大変名高いものが
あると思います。
1986年の全日本吹奏楽コンクールの課題曲は下記の4曲から構成されています。
A/吹奏楽のための変容
B/嗚呼!
C/吹奏楽のための序曲
D/コンサートマーチ「テイク・オフ」
とにかくこの年の課題曲はいずれの曲を選曲してもどの課題曲も一様に全て名曲揃いなので、どの課題曲を選曲するのかは、
選ぶ方も相当迷いはあったのかもしれないですし、この事態はむしろ嬉しい悲鳴と言えるのかもしれないです。
そのくらい、どの課題曲を選んでも文句なしという感じだったと思います。
ただ当時の私としては「課題曲Aの変容か課題曲Cの序曲のどちらかは演奏したい・・それがダメならせめてDのテイク・オフを
演奏したい」と感じていて、
Bの嗚呼!は胃がギリギリと痛みそうなあの精神的圧迫感を伴う劇的すぎる緊張感が、ちょっと苦手なのかも・・と感じていて
「Bの嗚呼!だけは出来れば回避したい」と思っていたものの、
私の大学の吹奏楽団は、結果的にB/嗚呼!を選曲してしまい、
私自身としては、A/吹奏楽のための変容かC/吹奏楽のための序曲を演奏したかったというのが偽らざる本音で
あったりもしますし、本音を書くと「正直一番吹きたくない課題曲が選曲されてしまった・・」という感じでもありました。
課題曲Aの吹奏楽のための変容ですけど、この曲出だしはクラリネットのソロから開始され、
そのソロから複数のメロディーが暗示され曲が展開されていく一種の変奏形式でもあるのですけど、
冒頭からしてミステリーみたいなものを感じさせますし、 曲自体が躁と鬱の起伏が非常に激しく
決して聴いていて楽しいという類の曲ではありませんし、むしろ少し悪趣味的要素の方が強いのかもしれないです。
この吹奏楽のための変容は、少々悪魔的な音楽が展開される瞬間瞬間の中で、時折なのですけどどこかホッと安らぎのある
場面も あったりするもので、 その妙な優しさと悪趣味的要素の両面性を楽しめる曲と言うことなのかも しれません。
アニメ風に表現すると、ツンデレみたいな曲でもあり、
主人公の女の子が普段はツンツンして面倒な言動ばかり見せているのに二人っきりになったりすると急にベタベタ甘えてくると
いった雰囲気もありそうです。
そして課題曲Cの間宮芳生先生の「吹奏楽のための序曲」も吹奏楽コンクール課題曲の歴史の中でも
大変な名曲の一つと言えると思います。
私自身、「マイベストコンクール課題曲を三つ挙げなさい」と言われると、現時点では
1981年課題曲B/ 東北地方の民謡によるコラージュ 1985年課題曲B / 波の見える風景 1987年課題曲A / 風紋と
言えるのだと思いますけど、このマイベストコンクール課題曲を15にまで増やすと、ここに入ってくるのは、
例えばフェリスタス・ディスコキッド・稲穂の波・胎動の時代など色々とありそうですけど、確実に入ってくるのは、
1986年課題曲Cの吹奏楽のための序曲と1990年の課題曲Cのマーチ「カタロニアの栄光」と
1994年の課題曲Ⅰの「ベリーを摘んだらダンスにしよう」だと思います。
そして上記の3曲はいずれも間宮芳生作曲ですので、私のマイベスト課題曲ベスト15にはなんと・・! 間宮先生の作品が
3曲もランクインすると言う事になります。
それだけ間宮先生の吹奏楽コンクール課題曲は名曲揃いで奥が深くて大変内容があるという事なのだと思います。
間宮芳生先生は日本のクラシック音楽界の重鎮の作曲家の先生で、世間一般的には
映画「火垂るの墓」の映画音楽も担当されていた事で名高いと思われます。
クラシック音楽作品としては、管弦楽のための二つのタブロー・チェロ協奏曲が代表作と思いますが、
吹奏楽作品として名高いのは、マーチ「カタロニアの栄光」と1986年の課題曲C/吹奏楽のための序曲と
1994年の課題曲Ⅰ/ ベリーを摘んだらダンスにしようの3つのコンクール課題曲だと思います。
「吹奏楽のための序曲」の演奏時間は5分~5分半程度のコンクール課題曲としては長めの曲と言えそうです。
この課題曲を自由曲との兼ね合いでタイムオーバー失格を恐れてなのか4分半程度に収めてしまう演奏も何度か
耳にしましたけど、どうしても違和感を感じてしまいます。
この曲にむしろ西洋的時間というか一分一秒といった正確な時を刻む感覚を求める方に無理がありそうで、
どちちらかというと和の感覚の時間というのか、間の取り方の不思議な感覚とか微妙に音楽的感覚をわざと取るとか
瞬間的にふっと・・音楽の流れを止めてしまうとか「ゆっとりとした時間の感覚」の方が求められているようにも感じられます。
それゆえこの曲はテンポを速めて演奏するよりは、どちらかというと枯れた感覚で終始ゆったりとした気分で演奏した方が
宜しいのかもしれないです。
冒頭から一分あたりまでが幾分活気あるアレグロである以外、残りほとんどは
ゆったりとした鄙びた音楽がたっぷりと日本情緒たっぷりに歌い上げられていきます。
こうした枯れた感覚とかゆったりとした鄙びた音楽というと、1980年の課題曲A / 吹奏楽のための花祭りもそうした傾向に
あるのかとは思うのですけど、花祭りの方は具体的な日本古来の地方のお祭りを具体的な感覚で表現した曲で
あるのに対して、1986年の「吹奏楽のための序曲」の方は、具体的な場面を描くというよりは。
「日本人にしかわからないわびさびの枯れた感覚」という抽象的というのか精神世界的な曲と言えるのかもしれないです。
この課題曲は、正直日本人以外には理解するのが少し難しいかもしれないです。
多分ですけど外国人の方がこの曲を聴いても「なんじゃ、このかったるい曲は・・」とお感じになるのかもしれないですし、
この曲を日本人以外の指揮者と奏者で演奏したとしたら、なんとなく無味乾燥な表情になるのかもしれないですし、
例えて言うと日本の伝統芸の「能」を西洋人が舞うという感覚に近いものがあるのかもしれないです。
日本人で無いとわからない何か独特の間、というのか郷愁」いうのか、鄙びた情景が感じられますし、この曲はそうした意味では
日本古来の文化の「雅楽」に近いものがあるのかもしれないです。
間宮先生の吹奏楽のための序曲は、冒頭から1分半程度アレグロというか活気のある音楽が展開され、一旦そこで
音楽の流れが止まり、ここから後は終始ゆったりとした音楽が展開されていきます。
そのゆったりとした部分はエスクラ(E♭クラリネット)とアルトサックスによる大変魅力的な鄙びたデュエットが展開され、
これにトランペットが加わっていきます。
途中鄙びたフルートソロが加わり、再度アルトサックスセクションによる歌が再現され、ラストは打楽器の一撃で終わりますが、
エスクラ+サックスのフレーズが終わるときなどに入ってくる雅楽の鈴が日本的と言うか鄙びた雰囲気を醸し出して
いると思います。
打楽器も決して華麗さは無いけど、シロフォーンの扱い方や雅楽の鈴の扱いは大変巧みで、これは名人芸の領域に
達しているのかもしれないです。
エスクラのあの高音域をヒステリックにならずにたっぷりと歌い上げる事は正直大変難しいと思われますけど、
当時の私はこの課題曲のクラリネットパートのパート譜をこっそりと持ち出しては、あのソロ的部分を
吹いていたものですけど、あの鄙びた感じ・枯れた感覚をしっとりと吹く事はかなり大変だった記憶があります。
大変なのだけど、コンクールに参加するならば吹いてみたい課題曲でもありました。
鈴というと、 マーラーの交響曲第4番「大いなる喜びへの賛歌」第一楽章の冒頭が大変有名で、マーラーの交響曲の方は
感覚的には天国・子供の無邪気さをイメージさせてくれますけど、 間宮先生の吹奏楽のための序曲の雅楽の鈴は
そうした西洋的な感覚ではなくて 昔の日本の村祭りみたいな素朴で鄙びた感じを感じさせてくれていると思います。
同じような楽器を使用しても、そこから感じられる違いというものは西洋人と日本人の感覚の違いなのかもしれないです。
この課題曲の名演としてよく挙げられているのが埼玉栄高校と神奈川大学であり、私もそれに関しては全く異論は
ないですけど、その他に挙げたいチームとしては習志野高校も推したいと思います。
翌年の「ダフニスとクロエ」第二組曲の時で感じたような恐ろしいほど洗練されたサウンドがこの課題曲でも十分発揮され、
美しさの幽玄の美学を存分に発揮した名演だと思います。
また変化球的な演奏かもしれないですけど、御影高校の隅から隅までコンクールを意識したような全てが誇張された表現
というのもこの曲本来の枯れた感覚からするとむしろ真逆の解釈かもしれないですけど、
ああした枯れてはいない演奏もまた一つのすてきな個性と感じたものでした。

ちなみに上記が雅楽の鈴です。
現在でも、神社のお祭りの際に舞楽を上演する時など見かけることもあります。
響きはシャリシャリと涼しい音というか、どこかで聴いたような懐かしい響きがあります。
この雅楽の鈴をクラシック音楽、または吹奏楽で用いた例としては吹奏楽のための序曲以外では
〇1980年全日本吹奏楽コンクール課題曲A/吹奏楽のための「花祭り」
〇舞楽(黛敏郎)
などがあると思います・
今現在は既に解体されていてそうしたホール自体存在しないのですけど、かつて全国大会のステージでもあった普門館は
とてつもなく広かったと思います。
確かに5000人を収容できるホールなのですけど、普門館自体は立正佼成会の施設であり、決して音楽ホールではありません。
(カラヤンがベルリンフィルを引き連れて来日公演をされた際に使用したホールの一つでもあったりします)
5000人収容できるホールですのでとてつもない広さがあり、
私自身が初めて全国大会を聴くために普門館に来た時の最初の印象は、とにかくその広さに驚いたものです・
よく普門館フォルテという言葉を耳にしましたけど、あれだけ会場が広いと
ものすごい大音量で無いと会場の隅々まで音が届かないという勝手な誤解を生んでしまうのも分かるような気がします。
だけど実際はかなり小さい音でもホールの隅までよく響き渡り、
間宮先生の吹奏楽のための序曲で使用された雅楽の鈴もそれほど大きな音が出る楽器でないにも関わらずあのシャリシャリとした幽玄な音は一階後部座席までよく届いていたのが大変印象的でもありました。
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しかし、考古学的に考えると古代は実用器具で、旅をする時に熊や狼などの野獣を避ける用途に使った物です。
今でも鈴をリンリン鳴らすと野生動物は恐れて近づきません。北海道の馬や牛は首に熊避けの鈴をつけています。