私自身が中学・高校の頃って結果的に「この課題曲いいよね~、こんなすてきな課題曲をぜひ吹いてみたいよね~」と
思っていても大抵の場合、そうした課題曲ではなくて別の課題曲が選ばれてしまうことが多々あり、
具体的には、1979年は課題曲Aのフェリスタスを吹いてみたかったですし、80年だったら、
課題曲Dの行進曲「オーバー・ザ・ギャラクシー」を演奏してみたかったですし、はたまた1981年でしたら
課題曲Bの「東北地方の民謡によるコラージュ」はぜひ演奏してみたかったです!
(あの当時は東北在住でしたので、東北の民謡をベースにした課題曲というと地元民の血が騒ぐ~という感覚はありました)
そして1983年の課題曲A/吹奏楽のためのインヴェンション第一番もそうした曲の一つでした。
この課題曲が演奏された年は、私にとっては高校生活最後のコンクールという事もあり、
「大学に落ちたらこれがラストのコンクール」と思うと何だか気合が入っていたとも思いますけど、同時に高校3年というと
言うまでもなく受験生でもありましたので、
「本当は吹奏楽コンクールになんか出ている場合じゃないのに」と思う気持ちもありましたので、
二律背反みたいな感じでもありました。
私の高校は田舎の県立男子高校という事もあり、吹奏楽部では常にクラリネットは慢性的奏者不足であり、
「3年生といえどもクラリネットパートに属している限りは吹奏楽コンクールに出ないなんて絶対にありえない!」という雰囲気
でしたし、一応はその年の4月までは部長も務めていましたので、いつものように放課後はほぼ毎日練習に参加していた
ものでした。
結果的に9月の県大会が終わるまでは吹奏楽にどっぷりと浸かり切っていましたし、
受験勉強らしき事を始めたのは10月以降なのかもしれないです・・(汗)
当時の田舎の県立高校生らしいのんびりとした話なのかもしれないですし、当時のうちの高校は卒業しても卒業生の5~6割は
浪人するような雰囲気で、
当時から「浪人しないと勉学に目覚めない学校」として予備校からは熱い眼差しで注がれていたものでした・・
冒頭から話がそれてしまいました・・・・
この年、結局私達の高校は課題曲にC/カドリーユを選曲してしまいました。
私としては、課題曲は「絶対にAのインヴェンション第一番がいい!!」と主張したのですけど
結局通らずCになってしまいました・・・
というか、この課題曲C/カドリーユは演奏する方としては気苦労の連続だったと思います。
カドリーユは客観的にみると、吹奏楽コンクール史上でも屈指の名曲課題曲だと思いますし、
小編成でも大編成でも対応できるし、極度に難しいスコアでもなく普通のスクールバンドでも十分に演奏できる曲ですし、
何よりもあの親しみやすさ・軽妙さ・明るさ・透明感は本当に素晴らしかったと思います。
それでは何が大変で気苦労が多いのかというと、カドリーユは意図的に音がうすく書かれているし
全体的に軽量感・清涼感・透明感・爽やかさを表現しないと曲にならないし、
そうした透明感・軽妙さを演出する要素は金管ではなくて木管のセクションにウェイトがおかれ、特にクラリネットパートに
その役割を求められている曲でもありましたので、前述のとおり当時の私は男子高校という事でクラリネット奏者が極端に
少ない中において、あのカドリーユの洗練さ・軽さを作曲者が求めているような意図できちんと表現するという事は
本当に大変だったと今でも感じております。
うちの高校は男子高校という事もあり、元々金管奏者の爆発的エネルギーには定評がありましたので、そうした男子校としての
特性を活かすならば課題曲Aのインヴェンション第一番の方がはるかに演奏効果が高いと誰しもが感じたはずなのですけど、
自由曲がかなり鳴る曲を選んだという事もあり、自由曲との対象性という意味から課題曲はカドリーユになってしまったという
経緯もあったりしました。
それにしても慢性的なクラリネット奏者不足に泣かされる男子高校としては非常に荷が重い曲でした。
クラリネットの音が穢かったりクラリネットセクションのサウンドに濁りがあるとすぐにばれてしまうほど音がうすく
書かれているのでクラリネット奏者としては「ごまかしようがない課題曲」といえるのかもしれないです。
技術的には全然難しくないのだけど透明感を演出するには相当泣かされましたし、
時折出てくる6/8拍子をこなすのに結構苦労させられたものでした。
カドリーユは聴く分にはすごく楽しく聴けるのですけど、クラリネット奏者にとっては厄介な曲でもありました・・
ちなみにですけど、カドリーユとは元々は4組の男女のカップルが四角い形を作って踊るダンスから派生し、
18世紀末から 19世紀にかけてフランスで流行した舞曲でもあります。
8分の6拍子と4分の2拍子が交互に用いられる優雅な踊りで男女が組になってダンスを展開していきます。
それゆえ後藤洋さんのカドリーユもリズム的には8分の6拍子と4分の2拍子が交互に登場してきます。
スコアの作曲者からのコメントの冒頭に「技術的にやさしく、音楽的にも分かりやすい作品になるように」と書かれていますけど、
各楽器の音域の幅もあまり広くないし技術的に過度な難しさがないもので初見では「これは楽勝じゃん」と思っても
上記で書いたとおり木管主体のこの曲の透明感・軽妙さをきちんと表現することは相当大変ですし、
トリオのリズム(6/8+3/4)をきちんとそろえたり、
この課題曲は意外と転調が多く
(序奏:ハ長調→イ長調→変イ長調 舞曲前半:へ長調→ハ長調→変イ長調→ヘ長調→ト長調
舞曲後半:変ホ長調→ハ長調→ヘ長調)
その転調をナチュラルに表現することは結構しんどかったですし、とにかくあの洗練された優雅さを男子校吹奏楽部として
表現することはかなり難しい側面があったと思います。
今更なんですけど、やはりこの年の課題曲はA/吹奏楽のためのインヴェンション第一番を演奏すべきだったと思います。
(結果的にこの年は県大会銀賞で終わってしまい、県大会連続金賞の歴史が止まった瞬間でもありました・・)
吹奏楽のためのインヴェンション第一番は、序奏-A-B-Aのシンプルな構造を取っていて
出だしの健康的なファンファーレに続いて展開されるフーガ的な部分が実にノリが良いし
メロディーラインも聴くだけでもわくわくさせられるし中間部のBのしっとりとした歌も魅力的ですし、
ラストもいかにも吹奏楽らしい豪快な感じですっきりと終わります。
中間部のアルトサックスのしっとりとしたソロが極めて印象的です。
吹奏楽のためのインヴェンション第一番は、出だしのインパクトが結構大事で、この部分を外すとそれを取り戻すのは
至難の業とすら感じます。
感覚としては、この課題曲は出だしで大体方向性が決まるという感じもあり、
冒頭で「キラリと光る何か」を表現出来たチームは中間部もラストもスムーズに展開できていたような印象もありました。
課題曲Bの白鳳狂詩曲も大変な難曲ながら素晴らしい曲だと思います。
ピッコロのソロからそれにクラリネットが加わり、やがて全体での主題提示という曲想が素敵でしたし、
ラスト近くの全奏者によるコラールと音のうねりは聴く者に間違いなく「何か」は伝えていると思います。
課題曲Dの「キュビッドのマーチ」は大変申し訳ない言い方になってしまいますけど、
作曲者の川崎優先生には気の毒なのですけど、
吹奏楽コンクール史上屈指の「不人気課題曲&コンクールで全く演奏されない不遇な曲」の代表例になったと思います。
あの「キューピッドのマーチ」は、駄作としか言いようがない酷過ぎる課題曲だと思いますし、
過去の課題曲「ふるさとの情景」とか吹奏楽オリジナル曲の「わらべうた」を作曲された先生とは
思えない程の酷い曲だったと思います。
この年、もしも課題曲Dも素敵な曲だったら、1986年とか1990年みたいな
「全ての課題曲が名曲揃い!」みたいに位置付になっていたと思うのですけど、
あのキューピットのマーチが台無しにしてしまったとも言えるのかな・・とも感じます。
この課題曲D/キューピットのマーチは、気の毒なほどその年の吹奏楽コンクールでは全く演奏されなかったですね。
例外なくコンクールの画題曲ではマーチを選ぶ傾向の阪急百貨店とか福岡の嘉穂高校ですら、
課題曲はマーチ以外から選んでいましたので、余計に目立っていましたね・・・
一つ救いがあったのは、あんな歴史的不人気課題曲も全国大会では長岡吹と青森県信用組合の2チームが
課題曲として選んでいましたので、
1978年のマクベスの課題曲B/カントみたいに、全国大会での演奏がゼロという事態を回避できただけでも幸いだった
のかもしれないです。
この年の全国大会では数多くのチームがこのカドリーユを選び、かなりの名演が生まれていたと思います。
多くの皆様は、野庭高校・習志野高校・尼崎吹奏楽団・白子ウインドなどを推されるのかもしれないですけど、
私にとってこのカドリーユの最高の名演は明石北高校だと思います!
明石北のカドリーユにおけるレガート奏法を少し強調したようなダーダー吹きの感じは他校とは違う個性を瑞々しく
感じさせてくれていたと思います。
リズムセクションのトロンボーンがかなりダーダー吹きに、後押し気味に吹いていたのも印象に残っています。
どらちかというと野庭高校みたいな解釈に近いような感じもありましたけど、習志野高校のようなチャーミングなJKさん的な
雰囲気も私たちに伝えていたと思います。
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僕、フルートでしたが、けっこう好きな曲でした。
これ、ホルンにとっては 試金石 のような曲だったと思いました。それと、ユーフォニウムと。