当ブログのプロフィー」でも書いている通り、私の大好きな吹奏楽オリジナル曲の一つがネリベルの「アンティフォナーレ」です。
このアンティフォナーレという曲は、凄まじい不協和音の連続の曲だと思います。
この曲を全然知らない方が、ネリベルの作風等の情報を何も知らない状態で聴いてしまうと、
ほとんどの方は「なにこの訳の分からない曲・・何言いたいのかさっぱりわからないし、陰気だし
暗いし、あんまり好きになれない・・」と言われるのは間違いないと思います。
ネリベルには色々と素晴らしい名曲が数多くあり、
私自身がネリベルで一番大好きな曲と言うと、言うまでもなく「二つの交響的断章」なのですけど、
不協和音の壮絶さという観点から言うと、「交響的断章」と「アンティフォナーレ」はまさに双璧だと思います。
私自身がこのネリベルの曲を初めて聴き初めて「ネリベルの世界」に足を踏み込んだのは高校生の頃でしたけど、
「不協和音も響かせ方によっては、こんなに美しい響きにもなるしルガンみたいな重厚感溢れるサウンドになるものだ」
という事に生まれて初めて気が付いたものでした。
不協和音というと、全体合奏の時にも、そうした響きの箇所は当然出てくるのですけど、
吹いている立場で言うと不協和音は耳に不快な響きみたいな印象も持っていたものでした。
耳に不快というよりは、何か人間を不愉快な感情にさせる音楽が不協和音の響きではないのかな・・?と
感じていた時期もあったものでした。
そういう意味では、「不協和音=不快」という当時のイメージを完全に吹き飛ばしてくれたのが
ネリベルの交響的断章であり、それを決定づけたのがアンティフォナーレなのだと思います。
交響的断章は、そのテンションの落差の大きさには、毎回ゾクゾクするものはありますし、
中間部のシロフォーンのソロリズムには感動してしまいます。
こういう不協和音の塊のような曲でも、響かせ方によっては、パイプオルガンを彷彿とさせる「美しい響き」に
なるもんだ・・と感じたものでした。
アンティフォナーレの、木管楽器の前半のすさまじい不協和音の響きは、叫び以外の何物でもないと感じます。
ムンクの「叫び」ではありませんが、何か正体がわからないものに対する不安やおののき、それに立ち向かっていく絶望感を
醸し出した曲のようにも感じます。
アンティフォナーレは、木管のあの壮絶な不協和音の響きは「歯ぎしりのようにも確かに聴こえるのですけど、
間違いなく美しいとしか言いようがないというのが本当に不思議だと思います。
まとめてみると、ネリベルの魅力というものは、
静と動の対比というのか、強奏と弱奏の極端すぎるダイナミックスレンジの凄まじい幅広さだと思いますし、同時に前述の通り
不協和音でも響かせ方によってはパイプオルガンのような透明で神秘的な響きにもなり得ると言う事を実証した事なのだと
思います。
「アンティフォナーレ」とはラテン語で、ローマ・カトリック教会の聖務日課のための聖歌集という意味です。
そして同時に、二つの楽器以上の楽器群がそれぞれ別の場所から交互に「音を交し合う」という意味もあるとの事ですけど、
私自身のイメージとしては、
何かヨーロッパの中世の荘厳なお城における建築美みたいなイメージもあったりもします。
この曲の特徴の一つでもある「バンダ」(金管別働隊)なのですけど、これは、
トランペットとトロンボーン各3本の金管6重奏と吹奏楽本体の響きの掛け合いが大変効果的で、
同時に、管楽器と打楽器の応酬も随所に見ることができます。
(バンダは、確かスコアの上では客席から吹く事が求められていたと記憶していますが、
実際の吹奏楽コンクールでは、バンダ自体を配置しないか、バンダを配置する場合もステージ袖に
配置されている事が多いです。
バンダが配置されていると、確かに音が二方向から聴こえますし、視覚的にもかなりのインパクトは残していると思います)
「アンティフォナーレ」は、空間を縦に割るかのようなティンパニの4音から開始されます。
あのダ・ダ・ダ・ダン!という無機質な4音は、それだけで何か「荘厳さ」を感じさせてくれます!
その後は波を打ったような静けさの中神秘的な語法で曲は進みますが
前述の通り、前半部分の木管セクションの鋭いあの不協和音の響きは、まさに美の限界だと思いますし、
あの響きは、何度聴いても私には「叫び」にしか聞こえないです!
中間部の静粛さは、まさに神秘的な響きです。
特にフルートのソロは、寂寥感みたいな響きだと思います。
前半部分があまりにも木管もそうでしたけど、金管の凄まじく荒れ狂った不協和音のオンパレードでしたから、
この中間部の静けさが逆にひそやかさを感じさせてくれます!
あの雰囲気は、たとえて言うと、魑魅魍魎・百鬼夜行の行列の中に、天使が紛れ込んでいた
みたいなイメージが私の中にもあったりします。
鍵盤打楽器やチャイムを伴った金管楽器により静寂は再び破られ、
再度金管セクションによる壮絶な不協和音の展開が再現され、そこにバンダの効果が加わり、
まさに曲自体が収拾のつかない状態になりそうな雰囲気の中、
再びトランペット、トロンボーンそして吹奏楽団全体との掛け合いが長短に達し、
ドライブをかけてコラールのような神聖な歌を伴いつつ感動的なクライマックスへ一気呵成に曲は閉じられていきます。
アンティフォナーレは大変な難曲ですし、必ずしもコンクール向きの曲ではありませんので、
吹奏楽コンクール全国大会では、2018年末時点で6チームぐらいしか演奏されていません。
だけど、この曲の演奏には、一つとてつもない歴史的名演があります!
もちろん、小牧中・大曲吹奏楽団・北教大旭川分校・福岡工業大学などの演奏もそれぞれ一長一短があり、
部分的には素晴らしいところも確かにあるのですけど、
1982年の近畿大学のあのアンティフォナーレのウルトラ歴史的名演を超える演奏にはいまだにお目にかかっていません。
否! あの1982年の近大の名演を超越する演奏は、多分ですけど未来永劫現れないとすら私は思っています。
1982年の全日本吹奏楽コンクールは、第30回大会という事もあり本来は記念すべき回のはずなのですが、
この年は大学の部において前代未聞の妙な事件が起きてしまい、
結果的に後味が大変悪い年になってしまいました。
何かと言うと、大学の部において金賞団体がゼロという妙な事件でした。
元々変なのですよね。吹奏楽連盟の内規にも「得点上位の団体に金賞を与える」とはっきりと
明記しているのに、金賞ゼロというのも妙な話ですよね。
この年は、生で聴いていないのでレコードや復刻版CDを聴いた印象なのですが、
亜細亜・神奈川・近畿は文句のつけようがない金賞というか、近年稀に見る名演だったと思います。
(逆に関西学院・三重は明らかに甘い金賞だと思います。関西学院も前半の木管のパッセージは
ホント、素晴らしいのに後半のショスタコの金管はヘロヘロというか息も絶え絶えでしたね・・・)
神奈川の「ディオニソスの祭り」は本当に今聴いても色褪せない名演だと思います。
亜細亜も素晴らしいの一言!!
課題曲のサンライズマーチは、冒頭のファンファーレも含めて、全出場チームの中で圧倒的に文句なしNo.1の
演奏だったと思いますし、あれを金賞と評価できない審査員のポンコツ耳はどうかしているとさえ思います。
ボロディンの交響曲第2番も地味な曲をあそこまで聴かせたのは素晴らしいと思います!
亜細亜と一般の部の上尾の2団体を指揮した小長谷氏が、
「本日の両団体の出来は指揮をした私が1番良く知っている。それなのに、私の考えと
全く正反対の評価をもらった」と後日述べられていましたが、全くの同感です。
なんで上尾は、あの演奏が金賞なのでしょうね?
(リード/第三組曲のフルートソロはあまりにもお粗末・・・)
でもこの大会の白眉は近畿の「アンティフォナーレ」に尽きると思います!!
曲の持っている「叫び」というか、形式美を重視している一方で、
何かとてつもなく大きなものに無我夢中で挑んでいくみたいな印象があります。
近畿大学の演奏は、全般的に早いテンポで進んでいきますが、不協和音が「雑音」には全く
聴こえず、むしろ美しく聴こえるのが素晴らしいです!
前半の壮絶な木管セクションの不協和音による「叫び」はまさに素晴らしいです!
ラストの小太鼓のリズム感・追い込みも圧巻です!
中間部のフルートソロも大変美しいし、そこには「もののあはれ」みたいな寂寥感すら感じさせてくれています。
やや硬い金属的な音のサウンド近畿大学の音質がこの曲に非常にマッチしていたと思います。
近畿大学というと、1986年の「ルイ=ブルジョワの賛美歌による変奏曲」も大変素晴らしかったですね!
この「アンティフォナーレ」も21世紀に入っても全然色褪せる事のない名曲だと思うのですけど、
2008年を最後にこの曲は全国大会では演奏されていないのですが、
どこかのチームが、今現在の感覚でシャープに美しく素晴らしい演奏を聴かせてくれることを今後大いに期待したいと思います。
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いまだにフェスティーヴォ以外には演奏する機会に巡り合わないのですが、アンティフォナーレは1度練習してみたい曲ではありますね。なかなか聴く機会がないのも残念ですが。
また近年大流行のスミス:ルイボージョワについては1986年の近大の演奏は本当に素晴らしく、いまだに私の中ではあの演奏がベースになっています。