一つ後の記事が夢や悪夢の管理者である東方のドレミー・スイートの記事ですので、本記事は夢や悪夢に関連した記事
という事で矢代秋雄のピアノ協奏曲について少しばかり触れさせて頂きたいと思います。
矢代秋雄の「ピアノ協奏曲」は、邦人作品の中でもひときわ輝く作品だと思いますし、
邦人作品のピアノ協奏曲としては、一番演奏頻度が高い曲なのではないかと思っています。
事実、今の所、私自身が過去の演奏会で聴いた邦人ピアノ協奏曲としては一番数多く聴いた曲だと思います。
邦人作品のピアノ協奏曲自体があんまり演奏される機会は無いようにも感じますし。
私自身、邦人のピアノ協奏曲のジャンルの中では、矢代秋雄・松村禎三・三善晃・吉松隆・間宮芳生ぐらいしか
生では聴いたことがないかもしれないです。
そうした中、矢代秋雄のピアノ協奏曲は本当に素晴らしい曲だと思いますし、
日本が世界に誇りうるべきピアノ協奏曲の一つなのかもしれないです。
矢代秋雄自体、大変な寡作家の上、47歳の若さで急逝されたお方ですので、作品自体実はそれほど多い訳ではないです。
矢代秋雄の作品は、交響曲とピアノ協奏曲と交響的作品しか聴いたことがないのですが、それは仕方がない事なのです。
というのも、矢代秋雄は恐ろしいほどの寡作家で、生涯の作品リストも極めて少ないとのことで、
その生涯で完成させた管弦楽曲はせいぜい10曲程度とのことです。
だけど、矢代秋雄はこの交響曲一曲だけでも、十分すぎるものさえあると思いますし、
交響曲とピアノ協奏曲の二曲でもって後世に永遠に受け継がれていくべき素晴らしい名曲を残されたと思います。
矢代秋雄の「交響曲」は、邦人シンフォニーの中でもトップクラスの名曲だと思います。
そして私自身が日本人が作曲したクラシック音楽に分類される交響曲の中で、私自身がとても大好きな曲であり、
同時に私自身の音楽観を構成する上で、松村禎三の交響曲と共に私自身に最大限影響力を与えてくれた邦人交響曲
というのは間違いないと思います。
当ブログでは何度も語っている通り、私自身が吹奏楽とクラシック音楽に強い関心を持つようになった最大のきっかけは
1982年に聴いた全日本吹奏楽コンクール・東北大会・高校の部【A部門】に出場したチームの中で、
秋田県立花輪高校吹奏楽部が演奏したウィリアム・ウォルトンの交響曲第一番変ロ短調~終楽章と、同じく同大会の
秋田県立仁賀保高校吹奏楽部が演奏した矢代秋雄の交響曲~第四楽章に強い衝撃と感銘を受けた事が
全てでもあるのですけど、当時まだ音楽の事を何も知らない真っ白の状態の一人の高校生に与えた影響は
計り知れないものがあったと思いますし、矢代秋雄の交響曲を知った事で、私自身が多少は日本の作曲家が残したきた
素晴らしいクラシック音楽を少しは聴くようになったいっちば~ん!のきっかけと言えるのだと思います。
そして、矢代秋雄のピアノ協奏曲も交響曲に勝るとも劣らない不滅の協奏曲だと思います。
このピアノ強奏曲は偉いご高名な音楽評論家の先生達からは、
「安っぽい」
「映画音楽みたい」
「交響曲みたいな洗練された香りに乏しい」みたいな批判的な意見を聞くことが多いのですけど、
それは少し違うような感じもあります。
「別に分かり易くたっていいじゃん」
「20世紀~21世紀の音楽は別に全てが12音主義・前衛である必要はない」
「日本の様々な邦人現代音楽が一般聴衆からは受け入れられずそのまま表舞台から姿を消してしまう曲ばかりなのに、
作曲から50年近く経過した現在でも邦人作品の数少ないレパートリーとして生き残り続けているのは、
それはやはりこの曲にとてつもない魅力があるからではないのか・・・?」と
私は思っています。
矢代秋雄のピアノ協奏曲は演奏時間が大体27分前後でオーソドックスな三楽章形式で構成されています。
第1楽章 アレグロ・アニマート
第2楽章 アダージョ・ミステリオーソ
第3楽章 アレグロ - アンダンテ -ヴィヴァーチェ・モルト・カプリッチョーソ
第一楽章は静かに開始されますけど、この静かな雰囲気が実にミステリアスだと思いますし、
このミステリアスな世界観が全ての楽章に統一して貫かれていると思います。
この静かな開始部分から一転してピアノのffが響くのですけど、この部分を聴くと、
「ピアノを打楽器的に扱っているのかもしれない」とも感じてしまいます。
第二楽章は、私に限らず、多くの方はこの第二楽章が一番美しく印象的と感じるのではないのかと感じます。
この楽章は、作曲者によると「夜明けの悪夢」と表現されています。
子供の頃の矢代秋雄は、よく原因不明の高熱にうなされ、その際によく「不思議な一つの音が繰り返し耳に
こだました」と回想していますが
そうした回想シーンが実に巧みに音楽として表現されていると思います。
第二楽章の冒頭は無機質みたいに一見感じるピアノの単音がボーン・ボーンと不気味に響く中から開始されるのですけど
その不気味な単音が、ティンパニ・フルート等の楽器に引き継がれ
そして最後はコンサートチャイムの鐘の音が静かに響き渡ります。
その単音の表現は、かなり執拗に繰り返され、確かスコアの上では総計43回も繰り返し反復され、
その響きは和風でおどろおどろしいのですけど、美しくてまるでこの世のものとは思えないような幽玄的な美しさすら
感じてしまいます。
私自身、10代や20代の多感な頃には、目に見えない不安感・呪縛」・重苦しさといった感覚に真夜中に襲われる事も多々あり、
体は疲れているのだけど頭が冴えて全然眠れないという事もあったものでした。
その感覚というのは、矢代秋雄のピアノ協奏曲第二楽章または、
吹奏楽オリジナル作品ですけど、ネリベルの「フェスティーヴォ」の中間部あたりにそうした不安感のエコーを感じたものでした。
第三楽章は第一と第二楽章を回想しながら、駆け抜けていきます。
矢代秋雄のピアノ協奏曲の初演は中村紘子が務めていて、矢代秋雄自身も
「中村紘子がこの曲を弾く事を前提に作曲の筆を進めた」と聞いたような記憶があります。
時にまだ10代の少女の中村紘子に「この部分はピアニストにとっては指の負担はどうなの・・?」とアドバイスを求めたり、
時にそうしたアドバイスを元に部分的に曲の修正を施したというエピソードもあるとの事です。
この曲は生演奏でもCDでも、最近では、湯浅卓雄指揮/岡田博美ピアノのナクソス盤のCDも聴きましたけど
中村紘子のピアノが一番しっくりくるような印象があります。
中村紘子というとショパンみたいなイメージもあるのですけど
この曲を弾いている時の中村紘子は、そうしたショパン弾きのイメージはあまり感じられません。
ワイルドでもありますし、中村紘子が弾くこの曲からは「とてつもないエネルギー」みたいなものを感じてしまいますし、
「矢代秋雄先生はどうしてこんなに早く逝ってしまったの!?」みたいな悲痛な叫びみたいなものも感じたりもします。
余談ですけど、N響の世界一周演奏旅行にソリストとして付き添ったのは10代の中村紘子です。
(中村紘子さんもまだお若いのに最近お亡くなりになられていたのは大変悲しい知らせでした・・)
更にものすごくマニアックな話ですけど、この時のN響のチューバ奏者は
後に野庭高校吹奏楽部の指揮者としてその名を残す中澤忠雄先生とのことです。
この協奏曲で、どうしても忘れられない演奏会がありました。
1999年6月のサントリーホールでの東京交響楽団の定期演奏会でしたけど
前半がこの矢代秋雄のピアノ協奏曲で、後半がメシアンのトゥーランガリア交響曲でした。
プログラム全体の副題として「師弟の絆」とありましたけど、
確かに、メシアンと矢代秋雄はフランス留学時代の師弟関係がありましたし、
ピアノ協奏曲第三楽章の後半の展開に悩んだ矢代秋雄が中村紘子に
「何かいい方法があったらぜひ教えて」と懇願したエピソードから考えると
確かにぴったりのタイトルかもしれませんよね。
この日の演奏は、中村紘子も東京交響楽団も指揮者の秋山和慶も大変素晴らしい名演を聴かせてくれ
とにかく素晴らしい前半の協奏曲だったのですけど、後半のメシアンはあまりにも曲が難解すぎたせいか
曲の途中なのに席を立つ人が続出というのは何か気の毒でした。
あまりにも前半の矢代秋雄のピアノ協奏曲が素晴らしすぎたというのもありますし、
メシアンを同時に聴いてしまうと
矢代秋雄ですら優しく平易に聴こえてしまうのは、何か面白い感覚ではありました。
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この日は、メインにシェーンベルクの「ペレアスとメリザンド」が演奏されており、矢代の明瞭明解さと、シェーンベルクの複雑混沌さが対比されていました。
さらに興味深かったのは、協奏曲のあとに矢代の小品がピアノの編曲でアンコールとして演奏され、矢代の作品の基本スタイルが垣間見られました。フランス留学で洗練された響きを獲得している一方、アカデミックともいえる作品の構築感、構成力は古典的でもあり、その拠り所があるからこそ、現代音楽の範疇であっても、通常のコンサートで取り上げられるのかと思われます。
矢代作品に限らず、邦人によるもので聴き甲斐のある作品、もっと取り上げてほしいですし、いい意味で西洋音楽一辺倒な多くの聴衆に「実は日本の作曲家も頑張っているんだよ」と訴えかけてほしいものですわ。