兼田敏の吹奏楽作品と言うと、やはり最も知名度と演奏頻度が高いのは「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」なのだと
思います。
(大変古い話ですけど、1981年の支部大会で演奏された曲目の中で全部門を通して最も演奏された曲目が
パッサカリアであったりもします)
兼田敏の作品で演奏される頻度と言うと吹奏楽コンクールでもコンサートでも圧倒的にパッサカリアなのだと感じますし、
他にもバラード・序曲・エレジー・交響的瞬間・交響曲などの優れた作品も多々あるのだとは思いますが、
やはり代表作と言うとパッサカリアという事になってしまうのだと思います。
兼田敏は吹奏楽コンクールの課題曲も幾つか作品を残していて、私の世代よりも一回り上の世代の皆様ですと
1967年の課題曲の「ディヴェルティメント」を思い出されるのかもしれないですし、
私の年代ですと1986年の課題曲B「嗚呼!」を思い出されるのだと思います。
(私自身は大学の吹奏楽団で嗚呼!を演奏しましたけど、あの課題曲はあの焦燥感と重たさが私にとってはちょっと嫌でして、
この課題曲を吹くのだったら、変容・序曲・テイクオフを演奏してみたかったです! 汗・・)
ちなみに私の世代においては、兼田敏というとパッサカリアと嗚呼!以外では、
日本民謡組曲「わらべ唄」~Ⅰ.あんたがたどこさ Ⅱ.子守歌 Ⅲ.山寺のお尚さん を思い出される方も
多いような気もします。
それにしても兼田敏の死はあまりにも早過ぎたと思います!
享年67歳だったと思いますが、まだまだこれからが円熟期という感じでしたし、これからも日本の吹奏楽の発展のためには
絶対に欠かすことは出来ない貴重な人材と誰しもが思っていた御方でしたので、その早過ぎる死には心より
お悔やみを申し上げたいと思いますし、故人のご冥福を祈るばかりです。
盟友の保科洋が、現在、吹奏楽コンクールでは大人気となっている「復興」を作曲され保科洋自身が再ブレイクを
果たしているような感じでもありますので、「波の見える風景」の真島氏共々「惜しい方を亡くしたものだ・・」と
無念に感じるばかりです。
兼田敏の吹奏楽作品についてそのタイトルの表記なのですけど、
ある時は、「吹奏楽のための」と表記され、ある時は「シンフォニックバンドのための」と表記され、
そしてまたある時はウィンドオーケストラのための」と微妙に変化しています。
これは兼田敏の吹奏楽について年を重ねるごとになにか意識の変化みたいなものがあったという事なのかもしれないですし、
晩年の作品の「ウィンドオーケストラのための五つのシンフォニックイメージス」というまるでウェーベルンみたいな作品を
耳にすると、「兼田敏はパッサカリアや序曲で見せたような吹奏楽に対する一つの方向性とは別になにか
他に考えがあったのかもしれないし、なにかやり残した感じがあるのではないのか・・?」といった事をついつい詮索
してみたくもなってしまいます。
兼田敏の作品って全体的には例えばバラード・エレジー・交響的瞬間・嗚呼!に代表されるように大変内省的な印象が強く、
心の風景とかその人の心の中の本音を恥じらいを込めてひそやかにあぶりだしていくといった奥ゆかし」みたいな
作風という印象が私の中であったりもします。
そうした意味において、パッサカリアは珍しくエネルギーを外に向けて思いっきり発散させているようにも感じられますし、
シンフォニックバンドのための序曲や交響的音頭や日本民謡組曲は「日本人でないとなかなかわからないわびさびの世界」を
表現しているように感じたりもしています。
「吹奏楽のための交響的音頭」はある意味異色な曲なのかもしれないです。
交響的音頭は、人によっては日本版ボレロと言われることもあります。
「ボレロ」はラヴェル作曲の大変メジャーな曲で、曲の開始から小太鼓が一定のリズムを最後まで叩き、
メロディーは終始変わらないものの、楽器を変えることで曲に変化を付けて延々15分程度繰り返していくという曲です。
(ラスト3分前あたりから小太鼓がもう一台追加され計二台で叩き、
ラスト1分前辺りでティンパニが変調した所でメロディーラインに初めて変化をつけるという構成も素晴らしいです!)
「交響的音頭」はボレロと同じように終始打楽器が一定のリズムを叩き、
(ボレロのように小太鼓だけというのではなくて、ティンパニ・小太鼓・大太鼓・シンバルという
打楽器セクションとしてリズムを終始刻む事がボレロとの大きな相違点と言えると思います)
そのリズムに乗っかる形で、様々な管楽器の組合せが、同じような素朴なメロディーを延々と8分近くつないでいくという
ある意味単調でモノトーンのかたまりみたいな曲です。
一定のリズムを繰り返し反復という意味においてのみボレロとこの交響的音頭の類似性はあるのですけど、
ボレロはそれでも楽器とサウンドの変化という側面が感じられるのに対して、兼田敏の交響的音頭は
ひたすら素朴に執拗に同じようなメロディーを延々と語り継いでいきます。
この曲のリズムの要であるチューバの「ボン・ボン」という素朴な後打ちもそうした印象を一層引き立てていると思います。
この曲誰もが感じると思うのですけど 、一言で言うと、非常に泥臭い曲と言えると思います。
悪く言うと、「何の突っ込みもボケもなく淡々と鄙びた旋律を打楽器の一定のリズムに乗っけた何のオチもない曲」とも言えます。
この鄙びた感覚、素朴な村祭りの行列みたいな感覚は、西洋の感覚では理解しにくいものがあるかもしれませんし、
日本人だから「何となく気持ちで理解できる」みたいな感覚の曲と言えるのかもしれないです。
この「交響的音頭」は技術的にヘタなチームが何の工夫も無く気持ちを込めないで演奏されると、とてつもなく退屈で
冗長に聴こえるのですけど、うまいチームが演奏し日本人のわびさびの感情を込めて演奏されると
とてつもなくツボにはまってしまう曲と言えると思います。
泥臭い日本的な吹奏楽作品というと、例えば渡辺浦人の交響組曲「野人」とか小山清茂の太神楽や木挽歌など色々と
あるとは思うのですけど、この交響的音頭の泥臭さを超える邦人作品は
多分これから先も出てこないような予感すらあります、
この曲自体に洗練のせの字もないというのも大変面白いですし、
この曲がパッサカリアの兼田敏と同じ作曲者というのもすてきな多様性と言えるのかもしれないです。
だけどこの曲自体が有している泥臭さと単調さは、吹奏楽コンクールではウケが悪いと思われます。
練習過程において、多分ですけど指揮者もその単調さにイライラするのかもしれないですし、奏者もこの曲の素朴な情感に
心の底から共感できる事も少ないのかもしれないです。
吹奏楽コンクールにおいて、全国大会で演奏されたのは1984年の金津中学校の一団体のみに留まっています。
1984年の金津中の演奏は私も普門館で生演奏を聴いていましたけど、ちょっと残念な演奏で結果も当然の銅賞でした。
金津中は、他の兼田敏の作品(パッサカリア・序曲)とかチャンスの「朝鮮民謡の主題による変奏曲」は
情感たっぷりの見事な演奏を聴かせてくれているのに、この年の不調はやっぱり曲自体の単調さにあるのかもしれないです。
小太鼓がある一定のリズムを刻み、これに管楽器・弦楽器が絡んでいき盛り上がっていくという
「ボレロ」の手法を用いた曲としては、交響的音頭以外においても古今東西で散見されたりもしています。
その具体的事例として、
〇橋本國彦/交響曲第1番第二楽章
〇アーノルド/組曲「第六の幸福をもたらす宿」~Ⅲ.ハッピーエンディング
〇ショスタコーヴィッチ / 交響曲第7番「レニングラード」~第一楽章
〇ヨハン・デ・メイ / 交響曲第1番「指輪物語」~Ⅴ.ホビットたち
などか挙げられるのかもしれないです。
この中でも特に優れた作品として挙げたいのはショスタコーヴィッチ / 交響曲第7番「レニングラード」~第一楽章です。
レニングラードも小太鼓が終始一定のリズムを叩く中で、オーボエ・ファゴット・フルート・クラリネット等の管楽器のソロを
交えながら徐々に高潮していくスタイルを取っていて、
第一楽章のこボレロの部分が終わった後のドラのゴワワーーーンというとてつもない響きや
金管セクションの咆哮など全体的に凄まじい迫力があると思います。
ラストは、小太鼓のボレロのような繰り返しのリズムが弱奏で刻まれる中、
ミュートを付けたトランペットの幾分寂しそうな感じというのか、
「まだまだ戦争は続いている」といった暗示のような感じで静かに閉じられるというのが
ショスタコーヴィッチとしてのリアルティー表現と言えるのかもしれないですね。
ボレロの場合、優雅に静かにゆったりと徐々に徐々に盛り上がっていくのですけど、
交響曲第7番「レニングラード」の場合、かなり早い段階から金管セクションが咆哮し、
小太鼓もいつの間にか、2台目、そして3台目と加わっていき、
そしてテンポもどんどんヒートアップしていき、最後は破綻するかのように全音で爆発していき
このボレロの部分は終焉を迎えます。
ラヴェルのボレロの場合は最後の最後で、それまで保っていた形式美を崩壊させるといった
ラヴェルの悪趣味みたいなものを感じさせてくれます。
(ラヴェルの最後の最後での形式美の崩壊という楽曲として、左手のためのピアノ協奏曲や舞踏詩「ラ・ヴァルス」も大変
印象的であったりもします)
ショスタコーヴィッチの場合はそうした悪趣味というよりは、戦時中でないと書けないみたいなリアルティーの方が強いと
感じられそうですね~。
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素晴らしい分析力と語彙、文章能力に驚きました
記事からすると、私はぬくぬく先生さんの何年か下です
拝読し、懐かしく嬉しくなりました
「嗚呼」は私が高校三年生の年、うちの学校はCの序曲を、自由曲は大栗さんの神話を演りました
当時、顧問は邦楽ばかり取り上げる先生でコンクールでは木挽歌、大阪俗謡、神話、
地域の演奏会では火の伝説、斑鳩の空、飛鳥、あれ?櫛田さんばかり(笑)
パッサカリアもやりましたね
今でも邦楽大好きです^^
何かにつけ演奏した思い出の曲といえば、リードの春の猟犬でした
あの頃は一生懸命やっていました
不思議と辛いことは思い出せません
今では息子、娘が出場するコンクール会場で恩師に会うのも楽しみのひとつです