ロバート・ジェイガーの吹奏楽オリジナル曲でもある「タブロウ」は、今現在の吹奏楽コンクールや演奏会等でも
全く演奏されていませんし、1985年の全国大会・高校の部で2チームが演奏した経歴以外はほとんど目立つことも無い中、
1985年の演奏から既に34年近くの歳月の経過とともに、既に忘却の彼方の吹奏楽オリジナル曲であるという評価は
ほぼ間違いではないと思います。
実は私自身もジェイガーの「タブロウ」という曲はあまり好きではないです・・(汗・・)
ジェイガーの曲にしては珍しく荒っぽい響きですし、メロディーラインが混沌とし過ぎていて、結局何を言いたいのか
私には全く理解できない曲であったりもします。
タイトルの「タブロウ」は多分ですけど絵画用語に由来する完成された絵・キャンバス画なのだと思うのですけど、
例えばマスネの組曲「絵のような風景」とかネリベルの「トリティコ」(三枚の宗教的絵画)とか
チェザリーニの「ビザンティンのモザイク画」などのようにその音楽を聴いてなんとなくだけどその背景や雰囲気が
伝わってくるという感じはほぼ皆無だと言えそうです。
冒頭からつんざくような金管セクションの荒っぽい響きから開始され、そこにはドラマ性とかストーリー性といった要素は
あまり感じられず、むしろ音の響き・構成をメカニカルに追及しているようにも感じられます。
この曲で最も負担がかかりそうなパートはホルンとトランペットと感じさせるくらい、金管セクションの爆音ぶりは、
どちらかというとやさしい曲想が多くてメロディーラインがわかりやすくて明確というジェイガーの作品の中では極めて
異色に位置しているようにも感じられます。
人に耳にすんなりと入る旋律や音楽構成があまり感じられない中、曲自体はかなり強引な展開を見せ、
途中でフルートをメインとする牧歌的な響きの箇所もありますけど、すぐに金管セクションに打ち消されているような印象も
あったりします。
そしてこの曲が面白いと感じさせる点は終結部なのかもしれないです。
乱暴な響きの中、突如としてそこに一筋の光が差し込むような感じを私自身は感じてしまうのですけど、
唐突にホルンパートによるコラール的な音の伸ばしが展開され、そこに他の金管セクションが巻き込まれていき、
ラストはティンパニの和音の叩きつけと共に全体が高らかで荘厳な響きの中、感動的に閉じられていきます。
なんとなく感覚としては、冒頭からラスト1分前までゴチャゴチャとした混沌さ・荒ぶる響きが展開されるのだけど、
ラストだけは感動的に高らかにかっこよく決まって爽快さをもって曲が閉じられるという
典型的な「終わりよければすべてよし」みたいな曲のようにも感じられそうです。
そう言えばジェイガーの終わりよければすべてよしというパターンの曲として、これも知る人ぞ知るという曲になって
しまいそうですけど「シヴァリー」という曲もそんな感じの曲と言えるのかもしれないです。
ジェイガーのタブロウは1985年の全国大会・高校の部で意外にも2チームが自由曲として取り上げ、
一つは東海大学第一高校(現・東海大学翔洋高校)で、この年に初めての全国大会・金賞を重受賞しています。
タブロウのよくわからないけどなんだか聴く人を威圧するような雰囲気は当時の東海大学第一の路線にぴったりだったとも
感じるのですけど、私的にはあのメカニックで乾燥した響きにあまり共感は感じず
「どうしてあの演奏が金賞で、花輪高校のような重厚感と繊細さを持ち合わせたあの名演が銅賞なんだ!!」と
当時は普門館客席でブーたれていたものです・・
そしてもう一つのチームが高松第一高校なのですけど、高松第一はこうした乱暴で金管優位の吹奏楽オリジナル曲を
自由曲にする事自体が極めて異例なチームでありましたし、1985年以前の演奏もどちらかというと木管優位の
少しもやもや&もごもごとしたぼやけたサウンドのチームという印象があったせいか、
「あの高松第一がタブロウみたいな金管優位の曲を選ぶなんて・・」と驚きの方が大きかったような記憶もあります。
東海大学第一と高松第一の演奏は、比較するとどちらも演奏はかなり危なっかしくて粗っぽい響きなのですけど、
東海大学第一は金管主体、高松第一は木管主体という違いがあったようにも感じられます。
そして前者の表現は変幻自在でトリッキーという感じもあったのに対して、後者の音楽的表現は固くて融通があまり効かない
真面目な演奏という違いもあったように感じます。
ただ私の中の好みでは、どちらかというと高松第一のタブロウの方が聴きやすくてコンクール的にはこちらの方が
勝っているのかなと感じたのですけど(当時の私のメモの採点ではどちらも銀賞という評価でした・・)
東海大学第一は金で高松第一は銀賞という評価になっていました。
高松第一の課題曲B / 波の見える風景は、フルートソロをはじめとする木管セクションの優秀さが光っていましたので、
タブロウではなくて、例えばドビュッシーの「小組曲」みたいな木管優位の曲を選曲していた方がよかったようにも
感じたものでした。
ジェイガーは、シンフォニア・ノビリッシマ、ヒロイック・サガ、第二組曲、第三組曲、コラールとトッカータなどのように
メロディーラインが大変分かりやすくて人の心にすーーっと入り込んでいく曲想が多く、
(1978年の課題曲A / ジュビラーテもそうした曲の一つだと思います)
他にもダイヤモンドヴァリエーション・吹奏楽のための交響曲(第1番)・シューマンの主題による変奏曲、シンフォニエッタ
などのように音楽的構成・構成美がしっかりと練に練られている作品も多いのですけど、
時に例えば、本記事のメインでもあった「タブロウ」や近畿大学や小禄中学校が自由曲として演奏した「黙示録」みたいな
悪趣味的でよくわからない・・という感じの曲もあったりするのは人間の多様性に由来しているのかもしれないです。
最後に・・悪趣味と言うとジェイガーには交響曲第2番「三法印」という謎めいたシンフォニーもあったりします。
ジェイガーの吹奏楽のための交響曲(第1番) は大変な人気作品であったのに対して、2番の三法印に不人気ぶりは
ある意味際立っていたとも思えます。
私もこの三法印は東京佼成のレコードで何度か聴いてみましたけど、
この曲のどこに魅力があるのかいまだにさっぱり分かりません・・(汗)
1980年に京華学園が自由曲とした以外は、どのチームも吹奏楽コンクールでは演奏されていない事実こそが
その不人気ぶりを見事に象徴しているとも言えます。
同じ仏教をモチーフにしたA.リードの「法華経からの三つの啓示」のコンクールでのある程度の人気から比較すると
対照的な感じは拭えないですね~
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