今年は昨年に比べるととても暖かいので大変助かっています。
通勤の際もコート・オーバーを着る事も少なくなっている感じがしますし、南浦和界隈のJKの皆様たちの通学姿を見ても、
制服の上にマフラーやコートを身に付けているJKさんも減りつつあるように感じられます。
季節はもしかしたら既に春に入っているのかもしれないですし、東方式に表現すると春告精のリリーホワイトは既に
到来してきているのかもしれないです。
季節が春になってくると自然と脳裏をかすめる曲が幾つかありますけど、その一つがマーチ・エイプリル・メイだと思います。
この楽しい行進曲は、1993年度全日本吹奏楽コンクールの課題曲Ⅳでした。
当初は全然気が付かなかったのですけど(汗・・!)この曲のタイトルは、「行進曲」としてのマーチと
「3月」としてのマーチの二つを掛けているというか、何か洒落っ気のあるネーミングだったのですね~
タイトル通り、3月~5月の何か春らしいウキウキした感じがよく出ていて、3分半程度の曲なのですけど、
非常に洗練されていて、楽しく明るく、生き生きとして躍動感がある行進曲なので大好きなコンクール課題曲の一つです。
この課題曲が吹奏楽コンクールとして演奏されてた時は、既に現役奏者を引退済ではありましたけど、
こんな楽しい課題曲は是非演奏してみたかったものです!
(こうしたすてきな春をイメージさせる吹奏楽コンクール課題曲は他には、1995年の「スプリングマーチ」と
1997年の「五月の風」が大変印象的です!)
1993年の吹奏楽コンクール全国大会・高校の部は、ⅡとⅣに課題曲の人気が集中し、
ⅠとⅢを演奏するチームは極めて少なかったですね。
Ⅰは基町のみ、Ⅲは埼玉栄と東海大学第四のみだったと思いますが、
Ⅰが人気薄と言うのは何となくわかるのですけど 、Ⅲ/潮煙が意外と人気が無かったのは少し意外な感じもしたものでした。
1993年の関東大会で常総学院がこの潮煙を課題曲に選び、自由曲の交響詩「魔法使いの弟子」も私的には
関東代表としては一抜けの好演と感じていただけに当時の審査発表を生で聴いていて、常総学院がダメ金と分かった時は
「納得いかない~」と感じたものですし、
「あんなスカスカ外しまくりの市立柏が代表になるよりは常総学院の方が全然代表に相応しいじゃん!」と
文句ぶーたれていたものですけど、審査結果というものは昔も今も水物なのだと思います。
だけど出来れば常総学院の潮煙は是非普門館でもお披露目して欲しかったと今でも思っていたりもします。
この年の課題曲Ⅳ/マーチ「エイプリル・メイ」が実に楽しい曲で 、技術的に平易ながらも演奏効果が非常に高いという
コンクール課題曲としては大変お手頃な曲でしたし、
課題曲Ⅱ/スターパズルマーチも、「きらきら星」という誰もが知っている曲を引用していますので
ⅡとⅣの人気が高いのは「全く同感」という感じなのかもしれないです。
課題曲Ⅰ/ ターンブルマーチも正攻法の正統派の王道的マーチと言えますし、あの音楽的構成美は素晴らしいとも
思うのですけど、人気が今一つと言うのも少し勿体ない感じはあります。
ターンブルマーチは、1993年に花輪高校から秋田南高校に異動された小林先生も秋田南の一年目で
課題曲として選ばれていましたけど、演奏は小林先生らしい解釈を随所に見せながらも正攻法のマーチというスタイルが
大変印象的でしたし、93年の秋田南がダメ金で終わり普門館であの課題曲Ⅰをお披露目できなかったのは
常総学院同様少し残念ではありました。
課題曲Ⅲ/潮煙は、技術的には相当難易度が高く、 トランペット(コルネット)のソロがかなり難しいという感じもありましたし、
粋な感じと楽しさを「楽に聴かせる」というのが意外と難しく あたりが高校の部で少し敬遠された理由なのかもしれないです。
潮煙を選んだ職場の部のNTT中国も中学の部の袋原中もトランペットが外しまくって、両チームとも銅賞に留まっていたのは
自由曲がよかっただけに大変惜しまれるものがありました。
冒頭から話がそれました・・
スターパズルマーチは1993年の課題曲Ⅱなのですけど、
この曲は全日本吹奏楽コンクール課題曲の公募によって作曲された楽曲です。
小長谷さんの課題曲と言うと1989年の「風と炎の踊り」もあるのですけど、この曲が実はそんなに好きではない私にとっては
小長谷さんの吹奏楽コンクール課題曲というとむしろスターパズルマーチの方が大変印象的であったりもします。
どらちかというと作曲家・アレンジャーという印象が強い先生でもあるのですけど、一時期吹奏楽コンクールにも指揮者として
出場され、特に1981~82年の亜細亜大学の超名演は未だに色褪せるものはないとすら思います。
84年以降は吹奏楽コンクールから遠ざかられているのは、もしかしたら82年の大学の部金賞ゼロ事件にどこか
引っかかるものがあったのかもしれないです。
(1982年の亜細亜大学のサンライズマーチとボロディンの2番に銀賞という採点を付ける審査員の耳がどうかしているとしか
私も思えないですし、一旦銀賞として審査結果を出しているのに後日金賞と評価し直しているのは、
吹奏楽コンクール史上の一つの汚点とも言えそうです・・)
吹奏楽コンクールの長い歴史にとって一つの分岐点だったのがこの年、1993年だったと思います。
この年で何が変わったかと言うと一番大きいの、課題曲だと思います。
西暦で言うと奇数年がマーチの課題曲の年、偶数年がマーチ以外の書下ろし曲の年という事になり、
1993年はその結果として課題曲が4曲ともマーチになりました。
吹奏楽のある意味ひとつの基本はマーチだと思います。
全体的傾向として関吹奏楽の名門チームほどマーチを取上げず、難しい曲ばかり取り上げる傾向がありましたけど、
(特に関東はそうした傾向が強かったですね~)
吹奏楽連盟としては「基本・原点に回帰してみよう」という意図があったのかもしれないですね。
私的には、何となくですけど奇数年のマーチの年はコンクールを聴きに行きたくなるけど、
偶数年の時は足を運ぶのが億劫になるといった傾向が当時の私にはあったような気がしますね。
というのも、翌年の最初のマーチ以外の課題曲の中に「饗応夫人」というあの伝説のウルトラ難解な課題曲を
延々と聴かされ続け、更には私の本当に大嫌いな課題曲の「雲のコラージュ」も相当な数の聴かされる羽目になってしまい、
私が大好きでたまらない「ベリーを摘んだらダンスにしよう」を選ぶチームがあまりなかったという
トラウマがあったのかもしれないです。
それとこの年以降の変更点として挙げられるのは、従来までは5年連続・全国大会金賞の場合は翌年の全国大会は
「特別演奏でお休み」という規定でしたけど、
この年以降は「3年連続・全国大会金賞」の場合は特別演奏が廃止になり単にお休みだけという規定に変更になりました。
この規定は後に「三年連続全国大会出場の場合は、翌年は休み」という規定に改正され
学校によっては全国大会出場という素晴らしい経験が出来ないまま卒業を余儀なくされるという事もかなり多かったという
話は当時よく耳にしたものですし、あまりにも不満が強かったせいかこの規定は後日撤廃されることになります。
結果的に栄誉ある「特別演奏」は、1995年の札幌白石高校が最後という事になります。
(習志野・弘前南・秋田南のあの素晴らしい特別演奏を聴いたことがある私にとっては寂しい話でもあったりします・・泣)
そんな訳で1993年の吹奏楽コンクールの課題曲はマーチばかりでしたけど、
私的にはいっちば~ん!大好きな課題曲はⅣのマーチ「エイプリル・メイ」でした~!
もしも私がこの当時スクールバンドの指揮者をしていたと仮定したら、選曲していたのは間違いなくⅣだと思います。
そしてコンクールとしては予想通りⅡとⅣに人気が集中し、Ⅰはほとんど演奏されていなかったのは
少し気の毒のものがあったと思います。
Ⅲの潮煙はノリがたいへんよくて素晴らしい名曲だと思うのですけど、トランペットのソロがあまりにも難しいと言う事で
どちらかというと敬遠気味であったのは大変惜しまれるものがあったと思います。
課題曲Ⅱ / スターパズルマーチは、「きらきら星」のメロディをテーマにしたマーチですが、
ところどころに「星」にちなんだメロディがパズルのように混ぜ込まれているのが曲名の由来にもなっているようですね。
それではきらきら星以外でどんな曲が引用されていたのかと言うと、
〇星に願いを
〇星は何でも知っている
〇組曲「惑星」~Ⅰ.火星
〇スターウォーズ
〇Moon River
〇星のフラメンコ
〇7人の刑事
ちなみに「7人の刑事」は、星と刑事ドラマの犯人(ホシ)を画けている掛けているそうです。
これも小長谷先生らしい洒落っ気ですね・・(笑)
「きらきら星」という歌は、日本では童謡としてすっかりお馴染み&定番になっているメロディーだと思いますけど、
あれに出てくる歌詞は、実は原曲の歌詞とは似ても似つかぬものであったりもします。
ちなみに原曲はフランスのシャンソンです。
一般的な日本で歌われている歌詞は・・・
きらきらひかる おそらのほしよ
まばたきしては みんなをみてる
きらきらひかる おそらのほしよ
きらきらひかる おそらのほしよ
みんなのうたが とどくといいな
きらきらひかる おそらのほしよ
という歌詞が比較的ポピュラーだと思うのですけど、原曲の歌詞を訳したものだとどうなるかと言うと・・・・
ああ、話したいのママ
私の悩みのわけを
パパは私にもっと大人らしく
分別を持って欲しいみたいだけど
そんなのよりキャンディの方がよっぽどいいわ
なんだか少しばかり大人っぽい歌詞になってしまい、一般的に日本で歌われている牧歌的な雰囲気とは少しばかり
異なっているようにも感じられますね~
スターパズルマーチは冒頭の金管セクションによる壮大なファンファーレ、打楽器のみのフレーズを経た後に
きらきら星のメロディーが華麗に登場し様々な形で変奏されていきます。
そしてきらきら星をメインにしながらも上記で書いた通り、星にまつわる曲の断片らしきものが散りばめられています。
吹奏楽コンクールの課題曲ってたまにですけど、こうやって誰しもが知っていそうなメロディーラインを執拗に引用した
曲も幾つかあったりします。
そのいい例が・・・
1978年課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」→かぞえ唄を終始引用
1979年課題曲C/幻想曲「幼い日の思い出」→ずいずいずっころばしを執拗に引用
1980年課題曲C/北海の大漁歌→ソーラン節を終始引用
あたりなのかな・・?
マーチでこうした執拗な引用というものは決して多い事例ではないので、当時は結構驚いたものです。
曲としても単なる引用に終わらず、随所に工夫がされていてとっても完成度が高い素晴らしい課題曲だったと思います。
作曲者の小長谷先生はBJのインタビュー記事の中で
「あの課題曲には、実はとある有名な音楽のメロディーも盛り込んであるけど、あれはそのものズバリの引用では
ないからわかるかな・・?」みたいな事を述べられていたような記憶があるのですけど、
それも小長谷先生としての茶目っ気みたいなものがあったと思いますね~
全国大会ではかなりのチームがこの課題曲を演奏していましたけど、特に印象深いのは新屋高校でした!
新屋高校のスターパズルマーチは、他校とは明らかに違う表現がありました。
それは冒頭の金管のファンファーレの後の展開で、小太鼓はじめ打楽器セクションのみの部分でして、
ほとんどのチームは、楽譜通りリズムを切って演奏しているのに、新屋高校はなぜか小太鼓のリズムを連続して叩かせていて
聴いていて「楽譜と違う事しているのかな・・?」と感じたのですけど、面白い表現と感じたものです。
全般的に音が明るく大変シャープな切れを見せているので、とてもスピード感に溢れた課題曲でしたし、
自由曲の「ペトルーシュカ」の粗っぽいロシアの野性味の表現と合わせて大変素晴らしい演奏をされていたと思います!
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引用、結構多くの作品にありますよね。演劇などでも、若手の脚本家がまだ自分のスタイルを確立出来ていない場合は、オマージュとして尊敬する先人の影響をはっきり明言する方もいます。下手すると真似、盗作にとられかねませんし、デリケートな内容で、著作権にも関わりますし。
この引用を徹底的に行った作品もあったりして、これらはコラージュと云われてたりしています。現代音楽作曲家のベリオは「シンフォニア」とかいう作品で、マーラーの「復活」の第3楽章をベースに古今東西の曲を引用しまくっています。それこそバッハの「ブランデルク協奏曲」から、ベートーベンの「田園」、ドビュッシー、シェーンベルク、はては初演後まだ10年と経っていなかったブーレーズの作品も!
ブーレーズで引用されたのが「プリ・スロン・プリ~マラルメの肖像」の冒頭部分の強烈な一打なのですが、これ、市立川口高校の1982年演奏の自由曲に引用されていたのではないか、とひそかに認識しています。尤も数回強打が出てくるので、少々くどい感じもしましたが(ブーレーズの作品では冒頭と終結部にこの強烈な強打があり、マラルメの世界を音響空間に封じ込めた刻印をはっきりさせています)。
引用自体は結構楽しくも思えるものが多くありますので、それ自体は「お、やりあがったな」と心の中でニタッとしています。このあたり、大らかに愉しんでいきたいものですね。