最近の現役中学生や高校生で吹奏楽部に所属されている現役奏者の皆様に「オリヴァドーティやカーターという作曲家って
聞いたことありますか? または演奏したことがありますか?」という質問をしたとしても、
ほとんどの人は、「誰、それ?」というような扱いなのかもしれないですね。
私が現役奏者の頃は、奏者が25人足らずの小さな吹奏楽部や技術的にあまり上手くないメンバーが多いチームが
吹奏楽コンクールに出場しようとした場合に想定される自由曲の作曲家として、
①「吹奏楽のための民話」でお馴染みのコーディル
②「クィーン・シティ組曲」でお馴染みのカーター
③序曲「バラの謝肉祭」でお馴染みのオリヴァドーティ
あたりから始めようというのが基本的な流れだったような感じもあります。
当時の吹奏楽コンクールにおいては、C部門(人数が25名以下の部門)・B部門(35人以下の編成)においては、
コーティル・オリヴァドーティ・カーターは大人気だったような記憶があります。
C編成やB編成といっても最近の現役奏者の皆様にとっては「なんじゃそれ・・?」という死語の世界と化しているのかも
しれないですね。
支部や県によって言い回しは微妙に異なっていたりもしていますけど、現在は基本的には大編成と小編成という部門に統一
されているのが実情だと思います。
カーターやコーディルやオリヴァドーティやスピアーズ・ワルターズ・タジェンホーストという作曲家の皆様は、
1990年代の頃の感覚でたとえるとスウェアリンジェンみたいな位置づけとも言えると思うのですけど、逆に言うと
吹奏楽コンクールの流行り廃りという歴史の中で、小編成のスクールバンドにおいて、カーター・コーディル等に
少し飽きてしまったところにスウェアリンジェンという作曲家が彗星の如く現れ、これらの作曲家に代って
スウェアリンジェンがその役割を奪取したという表現も出来るのかなぁ・・と思ったりもします。
チャールズ・カーターというと
〇クィーン・シティ組曲
〇交響的序曲
〇管楽器のための序曲
〇ラブソディック・エピソード
〇勇気ある町(ボールドシティ序曲)
〇序奏とカプリス
といった曲が思い浮かびます。特に私の世代的には、交響的序曲とクイーン・シティ組曲は「なつかしい~!」という
感じなのかもしれないです。
カーターやコーディルやオリヴァドーティというと「小編成の下手くそなチームが演奏する自由曲」とか「中身がうすい曲」のような
変な誤解や偏見があるのかもしれないですけど、実際はそんな事は全くなくて、
メロディーラインは大変美しいし音楽的構成は緻密でしっかりとしたものであるし、シンプル・イズ・ベストを音楽で立証した
作曲家の皆様であることは間違いなく断言できると思います。
事実、とてつもなく昔の話ではありますけど、あの神奈川大学すらもかつてはカーターのクイーン・シティ組曲を自由曲に選んで
全国大会出場を果たした年だってありましたし、かつての名門・阪急百貨店だって全国大会でカーターの「ダンスと間奏曲」で
全国大会に出場したこともありますし、阪急は1964年の特別演奏の曲目のひとつにカーターの組曲「スペイド・フェア」を
選んだことだってあるのです!
この話は以前書いたこともあるのですけど、高校のときにパレのリシルド序曲やシールマンのチェルシー組曲といった
渋い吹奏楽オリジナル作品が大好きな先輩がいて、何かあると「リシルド序曲やチェルシー組曲のよさがわからん奴には
音楽を語る資格がない」とか「カーターの曲を小ばかにする奴はカーターに泣く」とか何とかいって後輩たちに説教ばかり
して煙たがられていましたし、実際私たちの代が自由曲にショスタコーヴィッチやチャイコフスキーの作品を選ぶと、
露骨にいやな顔をして「おまえたちはなんにも分かっていないね~」と憎まれ口を叩きながら卒業していったものでした。
私が高校3年の最後の吹奏楽コンクールは自由曲にチャイコフスキーの作品で臨み、地区予選を突破し県大会に進み、
本番当日に自分たちの学校の前に演奏していたチームが県北部の冴えない女子高で(→失礼な話ですよね~汗・・)
自由曲がカーターの「交響的序曲」でしたので、ステージ袖でカーターの演奏を聴きながら、
メンバーたちと「高校の部の自由曲にカーターなんて選ぶんじゃないよ、バーカ!!」と陰口を叩いていましたけど(汗・・)
その交響的序曲のJKの皆様の演奏がうまいのなんのって・・という感じで、
確かに演奏グレードはそんなに高くはないのかもしれないですけど、素朴で分かりやすくて構成がしっかりとした音楽を
自分たちの音楽として消化し立派に表現しているという印象で、
あのカーターの交響的序曲を聴いていたら、カーターのことを小ばかにしていた自分自身が急にさもしく恥ずかしく感じた
ものでした。
あの時のカーターの交響的序曲のラスト近くのトロンボーンのグリッサンドと金管セクションのベルアップも見事に決まっていて
ステージ袖にいた当時の私たちは「こりゃ負けた・・」と感じたものでした。
審査結果もうちの高校はダメ金も取れず銀賞に留まり、その女子高は県大会初出場ながらダメ金で東北大会には
進めませんでしたけど立派な金賞を受賞していました。
やっぱり当時の先輩が言っていたように、カーターを小ばかにするものはカーターで泣きを見た・・という事なのだと
思います。
あの時はその女子高もうちの高校も課題曲はカドリーユ(1983年全日本吹奏楽コンクール・課題曲C)でしたけど、
男子校のクラリネット奏者不足による金管優位のゴツゴツとした流れが悪い演奏に対してのあの女子高の優雅で洗練された
かわいらしいキュートな響きの時点で勝負あり~という感じだったのかもしれないです・・(汗・・)
さてさてカーターを代表する曲のひとつが「クィーンシティー組曲」なのですけど、この組曲はいかにも古きよき時代のアメリカを
象徴したような曲といえるのかもしれないです。
聴いていてそこから感じられるのは前向きさと「頑張ればその先の未来には明るい事か待ち受けているはず」という希望
なのだと思います。
この組曲は下記の3曲から構成されています。
Ⅰ.ファンファーレとプロセッショナル
Ⅱ.草の道
Ⅲ.収穫祭(ハーヴェスト・ジュビリー)
Ⅰは、警笛のように緊張感のあるファンファーレから開始され勇壮なマーチへと展開していきます。
全体的には儀式かお祭りの始まりを感じさせる曲でもあります。
Ⅱのしみじみとした鼻歌のようなメロディーがすてきです。
日本人にとってはどこで聴いたことがあるかのような哀愁のあるメロディーが次々と展開され、たとえていうと
「三丁目の夕日」という感じでもありますし、曲をとことんどこまでもとこまでもひっぱる・・という感じもあり、このひっぱるという
感覚は日本の演歌に近いものがあるのかもしれないです。
Ⅲのどんちゃん騒ぎはこの組曲の白眉だと思います。
軽快でいかにもアメリカらしい陽気な踊りのような曲で、収穫作業の忙しさ・どたばたぶりや収穫が無事に終わった高揚感が
金管セクションをメインにのびのびと表現されています。
全体的にはトロンボーンの合いの手が面白いというのか巧いと感じます。
交響的序曲とクイーン・シティ序曲以外のカーターの吹奏楽オリジナル曲としては「序奏とカプリス」も素晴らしいと思います!
序奏とカブリスは、五音音階の民謡風メロディを持つ序奏部と、
ホルストの吹奏楽のための第二組曲第1楽章「行進曲」と同じテーマで開始されゆったりとした美しい中間部を持つカプリスから
構成されていて、この曲はとにかくこの構成美と曲の巧さが大変印象的です。
カーターは最近の吹奏楽コンクールでは時折小編成部門で演奏される程度なのかもしれないですけど、
こうした「シンプル イズ ベスト」の吹奏楽オリジナル作品も忘れずに継続的に演奏され続けて欲しいものです。
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ただ、私が中2のコンクールで演奏した「管楽器のためのソナタ」がなくて残念でした(笑)あれでも必死に練習したあの夏が懐かしいです。
ちなみに中3のコンクールは「民話」でしたwww
絵にかいたような弱小バンドだったもので。