世間一般的には、「月光」というとベートーヴェンのピアノ曲とか鬼束ちひろの曲が圧倒的に知名度が高いかもしれません。
鬼塚ちひろの月光と言うと、仲間由紀恵の出世作の「トリック」のEDという事で、トリックを当時第一話から見ていた私としては
この曲を聴くたびになつかしいと感じてしまいます。
そして月光や月に関する東方作品というと「東方永夜抄」・「東方儚月抄」・「東方紺珠伝」といった作品が思い浮かびますし、
最近では「東方憑依華」においても月の民の影らしきものも垣間見えたりもします。
そして文ちゃんの「東方文果報」という公式書籍においても、そうした月の民たちの選民思想という危険極まりない考え方も
示唆されていましたし、そうした月の民たちの選民思想や自分達とは異なる価値観を有する者達に対する排除意識に対して、
異なる世界の価値観を排除せずに逆にそうした異なる価値観を融合させようという懐の深いヘカーティア様と言う女神様の
存在を改めてクローズアップされていた事は大変印象的ではありました。
私的に月とか月光に関連した音楽で大変印象に残っている作品は何かと言うと、
B.ブリテンの歌劇「ピーター・グライムズ」の間奏曲としての「月光」があったりもします。
ブリテンの「月光」は、歌劇の中の間奏曲から構成された「四つの海の間奏曲」という組曲の第三曲にも相当します。
人間という存在には二面性という特性が元々備わっているのかもしれないです。
それは、表の顔=昼間の顔=太陽と裏の顔=夜の顔=月という二つの側面なのかもしれないです。
基本的に人間と言う存在は、太陽の光をさんさんと受け止めて健康的に力強く前向きに生きていく生命体なのでしょう。
しかし、それはあくまで建前の話であり、建前あれば本音があるように、表向きがあれば裏向きもありという事で、
人間と言うものは決して太陽のように健全に正気だけで生きてはいけない面もあるのかなと思いますし、
人間の裏側=心の深層には、後ろ向き・不健全・退廃的なものは多分誰しもが持っていると思います。
健康的で表向きな側面を示唆するのが太陽とすると
人の不健康で後ろ向きで狂気な面を暗示するのは、やはり「月」ではないのかなと感じたりもします。
そうした意味において、東方作品の中で月に関する作品の中では、狂気とか不健全とか選民思想といったものが
見え隠れするのは妥当と言えるのかもしれないですね。
ブリテンの歌劇「ピーター・グラスムズ」の全体の雰囲気もそうですし、この歌劇から抜粋された四つの海の間奏曲という組曲も
「四つの海の間奏曲」~Ⅲ.月光においても美しさとは別にどことなく「月」の象徴でもある狂気的な側面も
ついつい感じてしまいます。
全体的に大変美しい音楽なのですけど、同時にとてつもない孤独感・疎外感・魂の孤独といった感情を感じたりもします。
冒頭からなんだか収拾がつかない感じになっていますけど、何を言いたいのかと言うと、
月には狂気・孤独という側面があり、東方作品の月の民全体にはそうした狂気・強烈な選民意識が強く感じられ、
月光を描写した間奏曲も含まれているブリテンの歌劇「ピーター・グライムズ」には、
異分子を排斥する社会・格差社会・村八分・いじめなど現代の日本の問題にも繋がりそうな要素を孕んでいたりもするけど、
そうした異分子排除とか自分たち以外の世界の価値観を認めようとしない事は、実は東方の世界の
月の民たちの価値観に実は近いものがあるのではないのかといった事を本記事でもって提示させて頂きたいと思います。
改めて歌劇「ピーター・グライムズ」について簡単に書いてみると、
20世紀に作曲された歌劇としてはかなり成功した部類の歌劇の一つだと思いますし上演回数も相当多いです。
この歌劇の原案が「町の自治」という戯曲なのですけど、この戯曲は案外と現代日本にも通ずる問題を
色々とはらんでいて、考えさせられるべき内容を多種多様に含んでいると思います。
主人公ピーター・グライムズは、無愛想で不器用な性格ながらも漁師として日々の生活を
彼なりに真面目に厳格に生きていこうとしています。
しかし、近所付合いが下手で他者とのコミュニケーションが苦手で、他人と妥協しない性格のゆえ、
近隣から「ヘンな奴」とか「自分達とは毛色が異なる」といった感じに敬遠されがちで、結果的にこの村の中では
浮いた存在となってしまい、実質的に村八分状態になってしまいます。
欧米では安息の日として勤労が認められない日曜日に船を出し漁をした事で
ますます近隣からは浮いた状態となり、俗にいう「シカト」状態に近いものがあったと思います。
最近ニュースでも取り上げられていましたけど、山梨のとある山村部に移住をしてきたいわばよそ者の皆様たちが
古くからいる近隣住民から村八分状態に遭ってしまい、ゴミ収集すらも拒否され、役場に駆け込んでも
「あの自治会長は特別だから」と相手にもされて貰えず、現代版村八分の悲哀みたいな形でニュースになっていましたけど、
それに近いようなものがあったのかもしれないです。
ピーター・グライムズとしては、本当は村の人たちとうまくやっていきたいのだけど、ピーター自身の武骨で
不器用な生き様がそうした事を出来ない状況に追い込んでしまい、
近隣の人たちも「ヘンな奴・・!」とますますコミュニケーション自体が成立しない状態が続いていくことになります。
日本風に言うと村八分状態だったと思いますし、学校におけるクラス内全員からのシカトそのものだったのかもしれないです。
そうした中、弟子として使っていた子供の船内での死亡事故をきっかけにますます孤独状態が深まり、
裁判所から「今後子供を雇う事は認められない」という判決が出たにもかかわらず
こっそりと子供を雇い、日曜日にも無理やり漁に出させていました。
そうした中で再度海難事故が起きてしまい、またもや徒弟の子供が海に転落し死亡してしまいます。
村の人達は、
「ピーター・グライムズが子供を殺した。あいつは殺人鬼だ」
「あんな奴、自分達の街に住む事自体気にいらない。今すぐ出ていけ」
「あんな奴、いなくなればいいのだ、死ね」
「この街にあんなヘンな奴はいらない」
「あいつはこの町に住むには相応しくない」
等々の罵詈雑言が浴びせかけられたかどうかは戯曲なのでよく分りませんが、そうした雰囲気はあったのかもしれないです。
結果的に、ピーター・グライムズは、そうした町の空気感に追い詰められてしまったというのもあると思いますし、
海の男として責任を取る形で自分の船と共に海の底に沈んでしまいます。
そして、村にはピーターという異分子がいなくなり、いつもの日常の日々が続いた・・・
そうした感じのストーリーだったと思います。
戦後間もないイギリスにも、丁度現在日本が抱える問題と同じような事を既に予想していた人がいたとは驚きでもあります。
自分達とは考え方・意見・生活習慣等が異なるからといってそうした異分子を排除したり、
シカトしたりいじめの対象にするという事は、もしかしたら古今東西変わりがない問題と言うのか、
同じような病巣というものはいつの時代にもあるものだとも思ったりもします。
ピーター・グライムズの場合、本人が真面目な分、その不器用さが不器用に生きている様が本当に痛々しく感じますし、
自分達と同化しない他者を排除する社会、思いやりがない冷たい社会を既に作曲者のブリテンは
第二次世界大戦間もない時期に、空気感として既に何か予感させられるものがあったのかもしれないです。
(同様に第二次世界大戦終了間もない時期に現代人が抱える孤独感と不安を鋭く描いたバーンスタインの
交響曲第2番「不安の時代」からもそうした空気感が伝わってきていると感じられます)
改めて考えると、現代の孤独な社会・自分達と異なる異分子を容赦なく排除する一つの閉鎖的社会・
自分達と同化しない人間を異分子扱いとする風潮などを第二次世界大戦間もない時期に
既に現代の病巣を予知して、このような内容の歌劇を作曲したとしたらそれはすごい事なのかもしれないです。
この歌劇はいじめ・ネット中傷・格差社会・個性を尊重しない社会・異分子排除という問題を告発する作品として、
現代風にアレンジして映像化できれば面白い側面をアピールできるようにも感じたりもします。

上記にて例によって(汗・・)グタグタと書き綴ってしまいましたけど、
そうした歌劇「ピーター・グライムズ」が内在している異分子を排斥する社会・格差社会・村八分・いじめなど
現代の日本の問題にも繋がりそうな要素に関して、
最近の東方作品で頻繁に登場される月の民たちにとっては、
「自分たちの存在が一番なのだから、自分たちと価値観が異なり文化レヴェルの低い地上の人間たちの意義や価値は
一切認めない」という考えからすると、ピーター・グライムズにおける元から住んでいる村の住人達と大体似たような
価値観と言えるのかもしれないです。
それに対して「それは違うじゃん!」と異議を唱えそうな御方と言うと・・そう! それこそが地獄の女神様のヘカーティア様
なのです!
ヘカーティア様は「東方紺珠伝」のExボスで、正式名称はヘカーティア・ラピスラズリであり、
月、地球、異界それぞれの地獄を司る地獄のすてきな女神様でもあられます。
その能力とは三つの世界に身体を一つずつ同時に持っていて自由に行き来ができるという凄い能力でもあったりします。
最近の当ブログでも何度か書いている通り、ヘカーティア様の東方ファンのイメージと言うというまでもなく
早苗さんのあの不滅の迷言のすさまじい影響度と破壊度のおかげもあり、
「ヘンなTシャツヤロー」とか「ヘンなTシャツを着たお姉さん」というイメージが既に定着しているのは、ヘカーティア様としては
不本意なのかもしれないですね~(汗・・)
だけどヘカーティア様はヘンなTシャツヤローの一言だけで片付けられる御方ではないですし、
ヘカーティア様本人は地獄を司どる女神様という事でイメージ的には怖いとか畏敬という感覚もありそうですので、
もしかしたらご本人様が「こわいとあまり感じさせないで少しでもフレンドリーに私を見て欲しい!」という願いをこめて
わざとああしたちょっとくずし気味のフランクな衣装を着ておられるのかもしれないです。
ヘカーティア様の本質は、異なる価値観や種族があったとしてもお互いが認め合ってもいいじゃん・・という
かなりオープンな世界観でもあったりします。
ヘカーティア様は東方紺珠伝の異変が収束しても、地獄に戻らず純狐・クラウンピース共々幻想郷にそのまま
滞在され続けておられます。
幻想郷と自らが繋がることで、月の民たちのような幻想郷に対する攻撃的な思想に対抗する勢力への抑止力になると
ヘカーティア様は考えているのかもしれないですし、
月と幻想郷という異世界同士が共存の道を探る可能性を探っているのが現在のヘカーティア様の思惑なのかも
しれないです。
ヘカーティア様は文ちゃんとのインタビューを通して、
「 価値観が異なる者に対して高い壁を築き交流を認めない事 」や「 異分子の排除 」をもって
異世界と断絶しようとするものの末路についても言及していて、
異なる世界観を認めようともしないで「自分達がいっちば~ん!偉い」と思い込んでいる月の民たちへの
強烈なアンチナーゼを放っているのは大変印象的でもあります。
そして高い壁・排除という言葉からは、ヘカーティア様も恐らくは外界の私たちが暮らしている世界における
例えばアメリカ合衆国が建国の精神を忘れたかのように「アメリカ第一主義」を唱えたり、
「自分の国さえ繁栄すれば他国がどうなろうとしったこっちゃない」とか
「自国第一主義の実現のためには他国との交流は極力排除するとか、そのために隣国国境に高い壁を設置する」といった
愚かな事を本気で言っているその国の大統領に対する強烈な嫌悪感とアンチナーゼを放っている事は、
間違いないと思われますし、そのあたりは自らが異世界・月・地上という異なる三つの世界に君臨している女神様
としての懐の深さを示唆されているのだと思われます。
上記でも既に触れておりますけど、文ちゃんの文々春新報においてヘカーティア様との単独インタビューが実現し、
このインタビュー記事の中でヘカーティア様が月の民の極悪性と選民意識の高さについて
ヘカーティア様としての思う所を率直に述べていたのも大変印象的でしたけど、
「現在の幻想郷には事実をねじ曲げて具現化する能力を持っている奴が紛れ込んでいる」と文ちゃんに警告の言葉を
発していたのは大変印象的でした!
「言っちゃおうかな。貴方、月の民に利用されている可能性があるわよ」
上記の能力を持つ月の民とはサグメのことであり、サグメが永遠亭を訪問している様子をヘカーティア様は文ちゃんに
教えていますし、その後の文ちゃんの取材においても文ちゃん自身が確認をしています。
文ちゃんとしては、自分がサグメに対して取材をしてきた行為自体が、サグメのそうした物事の反転能力に利用され、
文ちゃんとしては「月の民は幻想郷に敵意を持って攻撃を仕掛ける準備はしている」といった意図を有した記事を書きたいと
思っていても、サグメのそうした能力によって無難な記事を書かせられているのかもしれないし、
自分の意図とは無関係に月の民にとって都合の良い記事を書かされている可能性があるとして、結果的に文ちゃんは
文々春新報の発刊を不本意ながら中止という事にしています。
サグメも永遠亭の永琳と何をヒソヒソと密談をしているのかその真意はよく分からないのですけど、
ゆかりんにとっては面白くない話というのは間違いないのかもしれないですし、そうした意味ではゆかりんの頭痛のタネが
また一つ増えたという事なのかもしれないですね。
文ちゃんというと「文々。新聞」でもお馴染みなのですけど、サグメとしては文ちゃんとその関連の人たちに近づき、
利益関係者という事にしておいて、サグメの言葉を新聞を通して幻想郷内の妖怪・人間達に伝達し、
反転能力の結果として、月側にとって都合の良い事を幻想郷の住民たちの脳内に盛り込んでおきたいみたいな意図も
もしかしたらあるのかもしれないですし、
聡明な文ちゃんはそうした「情報操作の恐ろしさ」というものも危惧していたのかもしれないです。
マスコミを巧みに利用した情報操作というのは、外界のどこかの国のどこかの総理大臣も
なんとか学園についての情報封じ込め等で既に利用しているのかもしれないですよね・・(汗)
さてさて、上記のとっても素晴らしいヘカーティア様のイラストは、
昨年12月に当ブログが迎えた「東方カテゴリ500記事到達」の際に記念作品として
「
dream fantasy 」の管理人様のアミグリさんに
事前にリクエスト依頼をさせて頂き描いて頂けた素晴らしい作品です。
昨年12月に一度転載&ご紹介はさせて頂いておりますけど、
「アミグリさんの描かれた作品は一度だけの転載に留まらず再転載も再々転載も再々々転載もさせて頂きたい!」というのは
当ブログの一つの基本方針でもあり当ブログの管理人の大きな願いでもありますので、
上記のヘカーティア様も改めて皆様に再転載という形でお披露目をさせて頂きたいと思います。
背景無しという事でヘカーティア様本人の存在感が引き立っていると思いますし、ミニスカートの独特なカラーリングも
奇抜という印象ではなくて艶やか・華やかさという雰囲気を出していると感じられますし、
何よりも例のあのヘンなTシャツもアミグリさんが描かれるとちっともヘンTに感じさせず、
むしろユニクロのデザインTシャツとして販売されていても全く違和感がないほどの普遍性みたいなものを
逆にイメージさせているのは面白いと思います!
「ヘンなTシャツ」と言い切ってしまった早苗さんの方がもしかしたら感性のズレがあるのかもしれないですけど、
感性のズレというのは早苗さんの持ち味の一つでもありますので、それはそれでいいのかもしれないです。
そしてこのTシャツの袖の長さも「このぐらいが一番理想的」と感じさせるくらいのほどよい丁度良さがすてきだと思います。
そして肩だしの描かれた方もちょっと大胆な胸元の開き具合もヘカーティア様の「大人としての魅力」を
最大限引き立たせていると思いました。
ヘカーティア様のこの笑顔も実にかわいいと思います!
地獄の女神様というよりは、近所に普通にいそうな笑顔がすてきな大人のお姉さまという印象が大変強いですし、
ヘカーティア様のこのむにゅむにゅっとした雰囲気もとってもかわいいと思います!
上記のアミグリさんが描かれたヘカーティア様は、その権利は全てこのヘカーティア様の絵師様である
アミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。
アミグリさん、本当にいつも素敵なイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!
皆様の中で「こんなすてきなヘカーティア様を描く人のブログってどんなもんなのだろ・・? 」などと興味がある方は、
是非是非アミグリさんのブログ
dream fantasy を
ご覧になって頂きたいと思いますし、
宜しければ、当ブログだけではなくて、
是非アミグリさんの本家本元のブログ
dream fantasy に一度お越しして頂けると
アミグリさんのブログをご紹介させて頂いている私もとってもとっても嬉しいです!
アミグリさんが定期的に作品を投稿され続けている →
アミグリさんのpixiv にも是非一度足を運んで頂ければ幸いです!
→
アミグリさんのpixivそれでは本記事を最後までご覧頂きありがとうございました!
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自分達とはどこか違う少し風変わりな人を認めないばかりか排除する危険性を第二次世界大戦後間もない頃に予見していたその先見性には驚かされるばかりです。
東方のヘカーティアならばそうしたお互いの価値観を認め合わないことは最も嫌う事なのかもしれないです。
アミグリさんのヘカーティアはまるで自由を謳歌する女神様のような気品がありますね。素晴らしいです!