吹奏楽コンクールの課題曲が全部門共通で4~5曲の中から一曲を選択するというスタイルが完全に確立されたのは
1978年以降の話でして、1977年は現在のスタイルが確立される一年前の課題曲ということになると思います。
1977年は少し変則スタイルとなっていて、
中学の部→ドリアンラプソディー 高校の部以上→バーレスク 全部門共通→ディスコ・キッドとなっています。
※課題曲Dの「若人の心」は小編成部門ですのでここでは割愛します
この年の課題曲は、実によく出来ていると思います。
ドリアンラプソディーは大変不思議な感覚の曲ですし、妙な哀愁感もありますしお茶目な部分もあったりします。
私の高校の定期演奏会において、私が卒業した3年後になぜかこの曲を演奏していましたが、
改めて聴いても「不思議」としかいいようがない曲だったと思います。
1977年の中学の部というとほとんどの皆様は、今津中の「運命の力」序曲という大変な歴史的超名演を推される方は
多いと思いますし、私もそれに関しては全く異存はないのですけど、それにしてもあの金管セクションの響きは、
とてもじゃないけど公立学校の中学生の演奏とは到底信じられないハイレヴェルのものがありますし、
指揮者の得津先生としては前年度のマイスタージンガーの銅賞がよほど口惜しかったと言えるのかもしれないですね。
(76年の演奏はよく音量過剰と批判を受けていますけど、私的には同じ自由曲の73年の演奏とほぼ近いものがあると
感じていますし、人が言うほど76年の今津がそんなに汚い音の音量過剰とは感じられないです・・)
そして今津も素晴らしいのですけど、それと同じくらいの素晴らしい名演で特に課題曲のドリアンラプソディーの演奏が
この年の中学の部の最高のドリアンラプソディーといえるのが三木中なのだと思います。
三木中は自由曲の「天地創造」~ノアの箱舟・メインテーマも音楽が大変自由自在で、あののびのびとした高揚感は
いつ聴いてもうっとりとさせられるものはあると思います。
そしてポップス系課題曲のひとつの大きな頂点とも言える記念碑的な名曲が課題曲Cの「ディスコ・キッド」なのだと思います!
ディスコ・キッドはいま改めて聴くと本当に奇跡のような課題曲だと思いますし、こんなにもポップスの香りがバリバリの
楽しさあふれるこの曲は何度聴いても全く飽きることは無いと思いますし、あの佐渡裕さんが何度も取り上げているのは
この曲の普遍的名曲を立証しているのだと感じます。
とにかくこの曲を課題曲に選んだ当時の吹連の勇気と見識の高さに敬意を表したいと思います。
冒頭から話が思いっきりそれました・・(汗)
1977年の高校・大学・職場・一般の部の課題曲がBの大栗裕作曲の「吹奏楽のためのバーレスク」です。
バーレスクというのはフランス語で、本来の意味としては、とある作品に対する風刺・カリカチュア・パロディーと
言えると思います。19世紀のアメリカにおいてはキャバレーのストリップショーといった意味合いもあるそうです。
大栗裕はこの課題曲を作曲当時において、
「バーレスクというタイトルや風刺という意味にそれほどこだわらずに曲の根底にある土俗的な匂いを表現してほしい」という事を
述べられていたと思いますけど、私自身が最初に大栗裕の「仮面幻想」と「巫女の謳えるうた」を聴いた時の印象が
「なんだか77年の課題曲のバーレスクの世界観に近いものがあるのかも・・」と感じたものですが、
土俗的な雰囲気という意味においては、私のそうした感想もあながちとんちんかんなものではなかったと思います。
大栗裕の作品は「吹奏楽のための神話~天の岩屋戸物語による」・「大阪俗謡による幻想曲」などに
代表されるとおり、土俗的な日本の香りとかおぞましさ、ドロドロとした怨念とかおどろおどろしい土の香りを
感じさせる作曲家なのかもしれないです。
この曲はもしかしたら日本人にしかわからないリズムと感性の曲なのかもしれないです。
おぞましいのだけど、舞踏の感覚というのか神社の奉納音楽のようにも聴こえますし、仮面劇のBGMのようにも
聴こえたりもします。
おどろおどろしさの中にもどことなくユーモラスな側面と土俗的なねばっこさも持ち合わせているような気がしますし、
それを3分半程度の短い曲の中に凝縮した作品が、この「吹奏楽のためのバーレスク」という吹奏楽コンクールの課題曲だけと
いう評価に留めておくにはあまりにももったいない作品なのだと思います。
実際このバーレスクは、2008年の全国大会・中学の部で西関東代表の芝東中学校が自由曲として
取り上げていた事もあったりします。
吹奏楽コンクールの課題曲は「コンクールが終わると二度と譜面を見たくもないし聴きたくもない」といわれたりもしますけど、
たとえばこのバーレスクとか88年の三善晃の「吹奏楽のための深層の祭り」とか87年の保科洋の「風紋」とか
76年の後藤洋の「即興曲」とか大栗裕の「吹奏楽のための小狂詩曲」などのように吹奏楽コンクールの課題曲が
その後自由曲として演奏される事例も稀にですけどあったりしますが、それはやはりその課題曲の時代を超えた名曲と
いうことになるのかもしれないです。
2008年の川口市立芝東中学校は、私の住んでいる川口市内の学校でもありますので、当時の全国大会出場は
私自身もとってもうれしいものがありました。
演奏も31人編成という小編成ということで、
編成が少ない分、1人1人の責任は重くなりますけど、各奏者が積極的に表現しようとする意図は十分に感じられたと
思います。
バーレスクは77年に多くのチームが演奏した際の演奏時間は概ね3分半~長くても4分以内だっと思いますが、
芝東中の演奏は約5分ぐらいのもので、ひとつの曲をじっくりと丁寧に濃密に表現しようとする意図も十分に
伝わっていたと思います。
1977年当時のこの課題曲の名演はたくさんあると思います。
私的には秋田南高校を推したいのですけど(どうしても自由曲の「春の祭典」の印象が強いのですよね~ぬ)
新鮮な感覚という観点では、弘前南を推したいと思います。
この学校は、この年が全国初出場なのですが、それを全く感じさせない生き生きとした演奏です。
自由曲の「エル・サロン・メヒコ」も今聴くと結構荒っぽい演奏ですけど、演奏が実に初々しい感覚に溢れていますし、
聴いていてとても楽しいと思います。
弘前南は、結果的に初出場のこの年で初金賞を受賞し5年間金賞を取り続け、1982年に特別演奏を披露しています。
そして、この特別演奏の後は全国には一度も出場していません。
つまり、全国での演奏の全てが金賞という珍しいチームなのです。
当初は女性指揮者が3年間振っていましたが、4年目のドリーから男性指揮者に交代となったものの
五年連続金賞の中で指揮者が交代した事例はレアなケースだと思います。
(他には、天理高校と1984~88年の神奈川大くらいかな・・・)
バーレスクの演奏に限って話をすると、おどろおどろしい演奏になりがちなこの曲を弘前南高校が演奏すると
道化とか仮面の遊びみたいなお茶目さを感じさせてくれていると思います。
秋田南高校のバーレスクは、聴き方によっては「固い」と思わせるほど端正で理性的で正攻法で真面目な演奏です。
対照的に自由曲の「春の祭典」は、大胆不敵で豪快で自由自在さは際立っていました!
最後にもうひとつ・・
首里高校の演奏も素晴らしかったです!
バーレスクは、ともすると単調な演奏になりがちで不気味な要素を前面に出しがちの傾向が多かったようにも
感じるのですけど、首里高はむしろこの点をかなり「カラっ!!」と明るい感じにうまくまとめていて、
私としてはこうした不気味でおどろおどろしくないこうした「仮面の踊り」も大いにありだと思います。
自由曲のワーグナーの楽劇「ニュールンベルクのマイスタージンガー」前奏曲も
朗々とたっぷりと歌い上げているという感じで、「ワーグナーの歌心」というか「陶酔感」をしみじみと感じたものです。
74年もそうでしたけど77年の演奏も、木管を主体にして構成し、「たっぷりと歌いあげる事」に主眼を置いていて、
聴いていて「とにかく気持ちいいほどたっぷりと歌いこんでいるな・・・」という印象が大変強いです。
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