クラシック音楽に精通した方ですと、
指輪とかリングというとワーグナーの楽劇「二―ベルングの指環」四部作を思い起こす方が多いと思いますし。
魔法使いというとデュカスの交響詩「魔法使いの弟子」を連想される方が多いと思います。
それではリングや魔法使いというワードを聞いて吹奏楽にお詳しい方ですと、
真っ先に思い起こす吹奏楽オリジナル作品が、ヨハン・デ・メイの交響曲第1番「指輪物語」ではないかと思われます。
この指輪物語の第一楽章が「魔法使い ガンダルフ」とタイトルが付けられ、1993年の全日本吹奏楽コンクールの全国大会にて
関東一高と高橋水産が自由曲として取り上げています。
(ちなみに前年の1992年の全国大会・中学の部において栄光の特別演奏を行った土気中が演奏した曲目の一つが
第一楽章の魔法使い ガンダルフでした)
「指輪物語」ですけど、日本でもある程度の知名度はあるのかもしれないですね。
「ロード・オブ・ザ・リング」という邦題で2001年~2003年に三部作として映画化もされていました。
「指輪物語」というのは、イギリスのJ・R・R・トールキンによる長編小説でして、
妖精や魔法使いが国家を築き、戦争を繰り広げる架空の世界を舞台としたファンタジー長編です。
所有者に強大な力と破滅とをもたらす「ひとつの指輪」を巡る壮大な物語を、深遠な世界観を背景に描いた作品であり、
20世紀末~21世紀初めのファンタジー小説、SF・ファンタジー映画、アニメ、RPGなどに多大な影響を与えていると
思います。
ドイツの民族叙事詩をベースに作曲されたワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」を彷彿させるような
壮大なスケールという点は両作品共に共通するものがあると思います。
ちなみにですけど、ワーグナーの楽劇「ニーベルングの指環」は四部作構成となっていて
上演するのに4晩もかかってしまい、連作オペラとしては、世界最長のものとしてギネス認定もされているとの事です。
参考までに、単独歌劇としての最長作品は、同じくワーグナーの楽劇「ニュールンベルクのマイスタージンガー」です。
そうした原作長編小説の内容に基づき、メイは五つの楽章から構成される吹奏楽のための標題交響曲を作曲しました。
それが交響曲第1番「指輪物語」です。
ちなみにですけど、この吹奏楽版交響曲は後日管弦楽作品として管弦楽用にアレンジされています。
それぞれの楽章には指輪物語の登場人物や場面の名が付けられ、演奏時間が42分に及ぶ大作となっています。
メイの交響曲第1番「指輪物語」は下記の楽章で構成されています。
第1楽章 魔法使い”ガンダルフ”
第2楽章 エルヴェンの森”ロスロリアン”
第3楽章 ゴラム
第4楽章 暗闇の旅ーモリアの森、カザド=デュムの橋
第5楽章 ホビットたち
この交響曲は第一楽章冒頭のあのフレーズがとっても印象的です!
ダターン!! ダダダダ― タタタターのあのtuttiの全合奏の壮麗な響きがとっても素晴らしいと思います。
そしてこの第一楽章冒頭のメロディは、第一楽章のラスト部分や
第五楽章「ホビットたち」の展開部とか終盤にも再現されていますし、
音楽構成としてはチャイコフスキーやフランクの交響曲の形式で見られた「循環主題」と言えるのかもしれないです。
曲の主要メロディーがその後色々な楽章で再現されていくあの手法は、
チャイコフスキー/交響曲第5番の世界に近いものがありそうな感じもあったりしそうです。
指輪物語は、20世紀後半の作品なのですけど、現代音楽のような難解さは皆無です!
大変分かりやすい曲で、音楽の雰囲気が原作の物語の世界をある程度忠実に再現していると思います。
第二楽章の厳粛なトロンボーンのコラールは第一楽章のメロディーラインの再現箇所でもあり、
やはりこの曲は循環主題なのだなぁと感じさせてくれます。
第三楽章のソプラノサックスとトロンボーンの長大なソロは、この楽章の大きな聴きどころの一つです。
一つの指輪の魔力によって邪悪な心と醜い体を持つ生き物となったゴクリの狡猾さや素早さが、
ソプラノサクソフォーンのソロで巧みに表現されています。
第四楽章は、低音打楽器のリズムの刻みが不気味さをよく醸し出していると思います。
前半では打楽器や金管の低音部による、ズンズンという地鳴りのような音が執拗に鳴り響く中で、
陰りの濃い旋律が静かに歌われ暗闇の世界の不安な雰囲気が描かれます。
後半では邪悪なマーチが鳴り響いて緊迫した雰囲気となり、ガンダルフとバルログの壮絶な戦いが描かれていきます。
そして第四楽章の終結部においては、ガンダルフの葬送行進曲のような雰囲気となり、不気味に雰囲気で
静かに閉じられます。
この葬送行進曲の雰囲気は、ワーグナーの楽劇「二―ベルングの指環」、第4夜・神々の黄昏~ジークフリートの葬送行進曲を
彷彿とさせるものがあると感じられます。
第五楽章はかなり単調というのか、同じメロディーラインの繰り返しばかりなのですけど 、
あの反復は「開放されたファンタジー」みたいな感じもあり素朴な感じでもあり、
そのバタ臭さが時折鼻につくのですけど、ああいうシンプルな楽しい感じがとっても親しみやすいですし、
あのメロディーは一度聴いたら忘れられない感じもありそうですね。
なんとなくなのですけど、あの第五楽章のあの繰り返しメロディは、
平成初期の頃の大塚製薬の「ベータカロチン」のCMの「とーりませ、ベータカロチン♪」のBGMに似ているように
感じるのは私だけなのかな・・??
全体的にこの交響曲は第一楽章と第五楽章が大変印象的でもあります。
(第三~第四楽章のダークファンタジーな雰囲気もこの交響曲の大きな魅力だと思いますし聴きどころだと思います)
特に第一楽章のメロディーラインのあのノリは日本人にとっては どこか懐かしさを感じるのかもしれないです。
この第一楽章は日本の演歌っぽいノリがあるようにも感じられますし、
都はるみのあんこ椿ではないですけど、あんこおぉぉぉぉぉうぅぅぅぅぅ・・・!!といったこぶしが炸裂しているようにも
私的には感じたりもします。
そして第五楽章の単純なメロディーの繰り返しはとにかく耳に残りますね~
私が吹奏楽部の現役奏者だった1978~1987年当時は吹奏楽オリジナル作品というと、ほとんどアメリカの作品ばかりでした。
そうした流れに変化が出てきたのは、1990年代以降の話なのですけど、
その流れを最初に呼び込んだのが、ローストの交響詩「スパルタクス」・「ブスタ」・「カンタベリーコラール」だったと思います。
ローストの日本でのブレイクがきっかけになったのかは定かではありませんけど、
その後、スパーク・チェザリーニ、メイなどアメリカ以外の
ヨーロッパの作曲家による吹奏楽作品が日本でも演奏されるようになり、
そしてその流れが今日の吹奏楽コンクールにおける「邦人作品の大人気」にも繋がっていっているような感じもあります。
そのくらい1980年代の吹奏楽オリジナル作品は、アメリカの作曲家ばかりだったのだと思います。
余談ですけど、あくまで私個人的な趣味で言うと、非アメリカ系ヨーロッパの作品で大好きなのは、
何と言ってもスパークの「ドラゴンの年」ですっ!!
この「ドラゴンの年」はこのブログでも過去記事で散々熱く語っていますので今回は割愛しますけど、
あの第二楽章の高揚感は本当に素晴らしいです!
極端な言い方をしてしまうと、あの第二楽章の「感情の高まり」を聴いて何にも伝わってこないという方は
「ちょっともったいないのかも・・」と感じてしまいます。
チェザリーニの「アルプスの詩」・「青い水平線」・「ビザンチンのモザイク画」もとっても大好きな作品です。
メイはオランダの方なのですけど、指輪物語から伝わってくるのは、独特のバタ臭い雰囲気というのか、
繰り返しになりますが、日本の演歌のノリであり、だからこそ指輪物語が一時期ちょっとしたブレイクを起し、
この指輪物語は今現在でも毎年のように支部大会では演奏され続けられていて、少しも「忘れられた曲では無い」という
事なのだと思いますし、この曲は今でも日本人のハートに「何か」を訴えているのだと思います。
吹奏楽コンクールでは、指輪物語は全国大会では2018年時点で6回演奏されていますけど
今一つ「これぞ名演!」というものがないと思います。
この曲の素晴らしい名演を残してくれるととっても嬉しいですね。
1993年に高橋水産と関東一高がいち早く、このメイの指輪物語を取り上げていましたけど
高橋水産が第一楽章のみを取り上げていたのに対して、関東一高は、さすがこだわりの塩谷晋平先生らしいというか、
そんな簡単な構成にするわけも無く、 第一楽章冒頭のファンファーレ風な部分のみを演奏し、
第三楽章に飛び、ラストも華やかには終わらせず、弱奏部分をかなり執拗にゆったりゆったりと演奏し静かに閉じていたのが
意表を突いていて面白かったと思います。
全体としては「地味」なのですけど、音楽を「聴かせる」という意味からアプローチした演奏であり、
私自身は、「なるほどね・・・」と感心しながら聴いていた思い出があります。
結果として関東一高は、83年の初出場以来、10年目にして「初金賞」を受賞しますが、
本領はむしろ翌年の「カンタベリーコラール」と95年の「ベトナムの回顧」で更に開花することになります。
最後に・・・
メイは後日交響曲第2番「ビッグアップル」を発表していますけど
指輪物語のあのバタ臭い感じを完全に封じ込めてしまい、メカニックで近代的な作風に変身していたのは
正直びっくりしたものです!!
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ロードオブザリング私も大好きで
3部作のDVDも全部持っています(*´▽`*)