1978年と言うと私が初めて吹奏楽コンクールに出場した年であり、初めて吹奏楽部に入部し初めて管楽器を吹いたという
なにもかもが「初めて」の年でもあったのですけど、
1978年の課題曲は76年に続いて二回目のマーチと書下ろし作品が混在した4曲の中から選曲するというスタイルでしたけど、
改めて振り返ってみると、私自身が吹奏楽部への門を叩いた頃って課題曲のスタイルすらもまだ確立されていない時代でも
あったのですね~
あれから既に40年近い歳月が流れ、吹奏楽コンクールの課題曲はこの間に何度か右往左往はありましたけど、
結果的に元のマーチと書下ろし作品が混在というスタイルに戻り、これがようやく定着化した事を考えると、
この歳月の流れは重たいものがあり、課題曲のスタイルが確立するのにこれだけ多くの時間を必要とした事でもありますし、
同時に私自身も「すっかり年を取ってしまったね~」という事なのだと思います・・(汗)
1978年の課題曲は下記の四曲です。
A / ジュビラーテ
B / カント
C / ポップス変奏曲「かぞえうた」
D / 行進曲「砂丘の曙」
この年の課題曲の構成としてはある意味理想的なものはあります。AとBがオリジナルの委嘱の書下ろし作品で、
Cがポップス系で、Dがスタンダードなマーチと言う事で、スクールバンドの指揮者にとってもチーム内の演奏技術の実情に
合わせた課題曲選びが可能だったと思います。
その点、90年代後半から2000年代中盤までは、年によっては4~5曲とも難曲揃いで、課題曲があるA部門には
とてもじゃないけど出場する事なんて無理無理~というチームも相当あったのかもしれないですね。
1978年の課題曲は、結果的に極端に課題曲Aにばかり人気が集中する結果になってしまいました。
吹奏楽連盟は、当時の吹奏楽オリジナル曲としてはかなりの人気を誇っていたジェイガーとマクベスという
二人の巨匠に吹奏楽コンクール課題曲を委嘱したものの、その結果は、
なんと、マクベスの課題曲B/カントは、全国大会で演奏したチームは全部門を通して0チームという結果になってしまい、
カントは「歴史に残る人気の無い課題曲」となってしまいました。
支部予選でもカントはほとんど演奏されませんでしたし、
聴いていても「さくら、さくら」がやたら引用される何を言いたのかさっぱり分からん曲・・・という感じでしたから
人気が無いのは仕方が無かったですね・・・・
当時の吹奏楽連盟としては、
「マクベスという大先生に恥をかかせてしまった!」みたいな「やっちまった感」はかなりあったのかもしれないですね。
この年の高校の部は、22団体中、実に18チームがこの「ジュビラーテ」を選んでいました!
そして結果論になりますが、全部門を通して課題曲Bは前述の通りゼロで、課題曲Cは15チーム、課題曲Dはわずか3チームに
留まり、残り全ては課題曲Aのジュビラーテに極端に人気が集中してしまいました。
ジュビラーテは改めてこの課題曲を聴いてみるとよく分かるのですけど人気が集中するのも当然なのかもしれないです。
強烈な木管のトリルから開始され、A-B-Aの三部形式を取っているのですけど特筆すべきは、
この中間部が大変美しいですし、吹いていてもそのメロディーラインのあまりの陶酔感に思わず茫然としてしまうという
曲でもありました。
中間部のオーボエのソロも良かったしユーフォニウムのたっぷりとした歌い方も素晴らしかったです!
全体的によく練り込まれてある課題曲ですし、コンクール史上の一つの「名作課題曲」だと思います。
中間部が終わるとトランペットのソロを経て終結部のコーダへと展開していくのですけど、
私の学校のトランペット奏者は練習中も毎回毎回このソロを外しまくり、本番も外していました。
改めてこの部分のトランペットのソロを聴いてみても、「技術的に難しい」とか「高音域で音が出にくい」という訳ではないです。
全国大会でもこの課題曲Aは何チームも演奏していましたけど、あのソロの部分を外した演奏はほぼ皆無です。
高校に入って、同期のトランペット奏者に「ジュビラーテのトランペットソロって難しいの?」と聞いたら
「あんなの全然楽勝じゃん」とか言っていましたので、私が在籍した中学のトランペット奏者は相当ポンコツでしたね・・(汗)
あまりにもAのジュビラーテに人気が集中し過ぎるせいで
A以外の課題曲Cとか課題曲D/行進曲「砂丘の曙」を選ぶチームも少なくとても気の毒な感じもしました。
課題曲C/ポップス変奏曲「かぞえうた」は、もしも他の年ならばもう少し取り上げるチームも増えただろう事を考えると
勿体無い感じはいまだに私の中にあったりもします。
通常の年でしたら、最低でも6~8チームぐらいはマーチを選ぶと思うのですけど、
あまりにも課題曲A/ジュビラーテの人気&完成度が高すぎましたよね。
だけどこの課題曲D/砂丘の曙は、決して完成度が低い行進曲ではないと思いますし全然悪くない課題曲だと思います。
課題曲になった年が悪かったとしか言いようがないのかもしれないです。
この「砂丘の曙」は私自身も何度か吹いた事があります。
勇猛な部分とロマンチックな中間部が交錯する感じがとっても印象的ですけど、
コーダの部分の何となくバタバタと慌てふためくような雰囲気も結構好きでした。
当時この課題曲は、口が悪い先輩ですと「砂丘のバケモノ」と呼んでいた人もいたものでした・・
ちなみにタイトルの「砂丘」とは鳥取砂丘をイメージされているとの事です。
全国大会で砂丘の曙を選んだチームは前述の通り全部門を通してわずか3チームに留まっていますけど、
阪急百貨店・石田中学校・川本高校はすべて素晴らしい演奏を聴かせてくれていたと思います。
川本高校は、1981年の課題曲C/シンフォニックマーチも大変溌剌とした演奏を聴かせてくれて
「美しいけど大変力強い」という大変矛盾する二つの要素を見事に両立させてくれたとってもすてきなマーチを
聴かせてくれていましたけど、この年の「砂丘の曙」もまさにそうした印象です。
音が実にクリアで透明感があってそれでいてしっかりとベルの先端から鳴っているという感じがとてもよかったと思います。
石田中の柔らかいサウンド、阪急の正攻法のマーチスタイルもとてもすてきでした。
(この年の阪急の自由曲は映画音楽「スターウォーズ」でしたけど、この選曲の是非も当時は色々と議論されていたのは
時代の流れを感じずにはいられないですね・・)
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秋空に
です。
いい曲ですね。イーストマンの演奏を「ブラスの響き」で聞いたのを思い出しました。
川本高校の1981年は確か サルタン皇帝の物語 でしたよね。これを聴いてオーケストラ版のCDを買いました。
ああ、懐かしい。