以前の記事でも書いた通り、かつて吹奏楽コンクールの聖地とも呼ばれ、
高校野球だと甲子園が球児たちの憧れの地であったのと同じように吹奏楽部員にとってはとてつもなく憧れの整地であった
普門館は既に解体決定がなされ、間もなく解体工事も始まるものと思われます。
普門館は吹奏楽コンクールの全国大会での中学の部と高校の部の開催場所でもあると同時に
東京都大会という支部大会の全部門の開催場所でもあります。
(私自身が大学を選定する際の条件が、①学費が安い ②東京23区内にキャンパスがある ③吹奏楽団があるという事の
背景には、大学で吹奏楽団に入団し、都大会の大学の部の予選会を突破すれば、普門館で開催される
都大会本選に出場でき、憧れの場所である普門館のステージを踏む事ができるという夢の実現の可能性があったから
というものもあったりしました・・)
このブログで何度も書いている通り、その夢は結局実現せず私自身が普門館で演奏する事は一度も無かったのですけど、
当時の憧れとか夢というものは今でも私自身の「大切な記憶」と言えるのかもしれないですね。
さてさて、当時の都大会・大学の部の予選会は江戸川区民ホールで開催されていましたけど、
1990年代後半あたりまでは、都大会の一般の部と職場の部の予選会は、東京タワー近くにある霊友会小谷ホールで
開催されていました。
全日本吹奏楽コンクール」は数年前から、一般の部と職場の部を統合して一つの部門にしてしまいましたが、
果たしてそれで良かったのかな?みたいな思いはあったりもします。
「職場の部」は確かに他部門と比べるとレヴェルがやや低く、ヤマハ・ブリジストンなどの特定団体ばかり
演奏技術が抜きんでいて、他の出場チームとの技術差がありすぎるなどの問題点も確かにあるのですけど、
「働きながら音楽を楽しむ」という音楽本来の姿を追求するという意味では、
私個人としては「職場の部は一般の部と統合しないで、出来れば従来のように独立した部門として
コンクール運営をして欲しかったなぁ・・」みたいな気持ちは実は今現在でもあったりします。
「職場の部」が独立して開催されていた頃は確かに問題点はありましたね。
その一つが出場団体があまりにも少ない事でもありました。
だけどそれはある意味仕方がない事なのかもしれないですね・・
私自身1988年に社会人となり働き出しましたけど、普段は仕事に追われて疲れ果て、
とてもじゃないけど休みの日に「練習」をするという気力は無かったですね・・
(社会人デビューの頃は、バブル真っ盛りの頃ですし、当時在籍していたのは金融機関と言う事もあり、
とにかく新人でもベテランでも無茶苦茶働かされていた・・という印象が大変強いですね・・)
そうした観点で見てみると、職場で吹奏楽団を維持する気力とモチベーションは大変なものがあり、
コンクールに出場するというだけでも相当エネルギーは必要と思われます。
その意味では職場の部として吹奏楽コンクールに参加する意義は大変大きいものがあったと思います。
ほとんどの支部では、職場の部の出場チームは1~2チームぐらいでしたけど、例外支部が東京支部でした!
さすがに日本の首都!!という感じでした!
毎年都大会本選にはコンスタントに5チーム出場し、
都大会の前の、霊友会小谷ホールで開催された都大会の予選会でも8チーム程度参加し
3チーム程度が予選落ちで本選に進めないという他支部ではありえないような参加チーム数を誇っていたのは
凄いと今更ながら感じたりもします。
現在は、都大会の一般の部予選会は、江戸川ホール等立派なホールで有料で開催されていると思いますが、
霊友会小谷ホールで一般の部と職場の部の都大会予選が開催されていた頃は入場料は無料で、
当時の有力チーム、例えば、ヤマハ東京・NTT東京・東京ガス・葛飾吹奏楽団・
豊島区吹奏楽団・乗寺泉吹奏楽団・東京正人などの演奏を全て無料で聴けたのは嬉しかったですし、
今現在の視点で考えると「すごい太っ腹・・」と思ってしまいますね~!
私自身、この都大会の一般の部と職場の部の予選会は、1988~96年までは毎年必ず聴きに行っていましたけど
プログラム一番の聴衆の入りは2~3割程度でとにかくガラガラの閑古鳥が鳴いている印象でしたね・・
改めて考えてみると「仕方ないのかな・・・」とも思うのですけど、霊友会という巨大で立派な「宗教施設」を
会場として使用していましたので、聴く方の立場としては、「こうした宗教施設に行くのには抵抗がある・・」
みたいな気持ちも多少はあったのかもしれませんよね。
霊友会小谷ホールは「霊友会釈迦殿」という巨大施設の一つでありまして、
この釈迦殿は、東京の一等地にあって強烈な存在感を放っていると思います。
(近くには東京タワー・世界各国の大使館などがあるエリアです)
内部には収容人員3,500人の大ホール、収容人員1,000人の小谷ホールなどがあるのですけど、
この小谷ホールで1980~90年代の都大会の職場・一般の部の予選会が開催されていたのです。
今現在ですと少しビビってしまって、この種の巨大宗教の巨大施設にいくら吹奏楽コンクールを聴きに行く
という目的があるにせよ、ホールに入る事自体少し抵抗があるかもしれないですね・・
ましてや小谷ホール自体は地下にありますので、私自身、いっちば~ん! 最初に予選会を聴きに行った時
霊友会という巨大宗教法人の施設の中に入るという事自体、「なんか入りにくいよね・・」という気持ちは間違いなく
あったと思います・・
小谷ホールの客席は、背もたれは無いしコンクリみたいな硬い石みたいな作りだったし
そこに一時間腰かけているだけでお尻が痛くて痛くてたまらないような感じでしたので、
夕方近くの審査結果発表がある頃には、まるで「痔」にでもなってしまったかのような(汗・・)お尻の痛みは
半端ないものはあったと思います・・
この小谷ホールですけど、残響音はほとんどありませんでしたし、音楽ホールとしては相応しくは無い会場でしたけど、
とにかく一日であんなにもヴァラエティー豊かな演奏を聴けると言う魅力は大きかったですね!
東京都大会の職場・一般の部は、予選会と言えどもかなりレヴェルは高かったと思います。
もちろん、中にはあんまり上手くないチームもありましたし残念な演奏も聴く事はあったのですけど、
上手いチーム・下手なチーム・個性的なチーム・名門チームととにかく色々なタイプの演奏を一日で数多く聴く事が
出来たメリットはあまりにも多くて、それゆえ、私自身もこの小谷ホールでの予選会は、1988年~96年の10年に渡って
毎年欠かさず聴いていたものでした。
出場チームの中には、「え・・懐かしい! まだこのチーム、残っていたんだ・・!」みたいな過去の全国大会で大活躍をしていた
かつての名門チームも当時、まだこの予選会に出場している事もあったりして、中には、
豊島区吹奏楽団でお馴染みの八田先生がかつて指導されていた「公苑会」がやはり八田先生の指揮で
リードのオセロ・アルメ二アンダンスパートⅠみたいなバリバリの吹奏楽オリジナル作品を演奏していたりとか、
70年代に数々の伝説の名演を残してくれた「瑞穂青少年吹奏楽団」が、タンホイザー序曲等で出場されていたのは
なんかとてつもなく懐かしかったです!

国道1号線と、外苑東通りが交わる大きな交差点から北に入る、一方通行の路地の先に、
この「霊友会釈迦殿」の巨大で荘厳なな大屋根の一部が見えます。
徐々に建物に接近してゆくと、その巨大で、幾重にも折り重なった大屋根が見る者を圧倒します。
いや―ー、最初にあの釈迦殿を見た時は、私自身も圧倒され言葉が出ませんでした。
あの時は「都大会予選聴きに行くのやめようかな・・」と一瞬頭を過ったものでした・・
都大会予選が開催された「小谷ホール」は、前述の通り釈迦殿内部ではなくて、地下に立地されています。
イギリスのロックグループ、デュラン・デュランのメンバーが来日した際、東京タワーから、
この釈迦殿の建物を見つけ、「あの建物は何?」とびっくり仰天したというエピソードも残っているみたいですね。
さてさて・・この霊友会釈迦殿というか「小谷ホール」からすぐ近くにあるあまりにも有名なスポットというと、
そう! 「東京タワー」なのです!
東京タワーの展望台からも、この「霊友会釈迦殿」は目の前という事もあるのですけど、
すぐに目に入りますし目立ちますし、やはのあの建物自体の「荘厳さ」はとてつもないインパクトはありますよね!
東京の「タワー」と言うと、墨田のスカイツリーとこの東京タワーという二つのタワーがまさに双璧だと思います。
スカイツリーは、いかにもモダンとか洗練されているみたいな雰囲気が濃厚なのですけど
「東京タワー」はとてつもなく「レトロな香り」がぷんぷんと漂っていると思います。
釈迦殿というか小谷ホールで開催されている都大会予選会は、毎回日曜開催というせいもあり、日曜は場所柄
この周辺はむしろ閑古鳥が鳴いていて、お店はほぼお休みで、
意外な事に、昼ごはんを食べるお店もあんまり無かったもので、
あの頃は、ドトールか東京タワー内のお店に行くしか無くて、その関係で予選会の休憩時には
東京タワーの一階でよくぶらぶらしていたものです・・
あの東京タワーの独特の胡散臭さとか昭和レトロみたいな雰囲気とか、とにかく見ているだけで
なんか楽しかったですし、
予選会とは別に「この会場に行く楽しみの一つ」みたいな感じもありました。
大変ローカルな話で大変失礼をいたしました・・(汗)
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行った、と言っても、国会議事堂・警視庁・皇居あたりをクルマで通過しただけでしたが、東京タワーには入っていって、展望台から東京都内の光景見てきました。
まだオープン前の六本木ヒルズ、移転前の旧日テレ社屋(日テレの文字が窓ガラスに大きくありました)、球体ですぐにわかるお台場のフジテレビ社屋、東京都庁がある新宿副都心の高層ビル群、東京タワーからは意外?に小さく見えた国会議事堂が記憶にあります。
そして、タワーの下に「なんか黒っぽい建物あるな、なに?」と思ったのがこの「霊友会ホール」でした。
まさか、コンクールで使われてたとは知りませんでしたよ…。多分ですけど、立地から考えたら駐車場はあまり期待できるところではないですよね。タワーにはこのとき初めて行ったんですが、なにせタワーは地下駐車場でしたからね。
場所が場所だけに、意外なお話・貴重なお話ですね。