高校野球の応援の想い出 → 学校から球場までの楽器運搬として一年生部員が担当していたリヤカー引きは、夏場はかなり大変でしたね~(汗・・)

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一つ後の記事が高校野球の応援に関する事でしたので、本記事もそれに合わせる形で
夏場の高校野球の応援についてのエピソードをショート記事として書かせて頂きたいと思います。

私の高校時代は宮城の仙台でしたけど、宮城県というのは当時も今現在も東北高校と仙台育英という私立の二大強豪校が
でーんと控えていて、毎年毎年この二校が甲子園代表を勝ち取っていましたので、
私の母校のような貧乏県立高校にとってはこの両校は当時は羨望ではあったけど東方のパルスィじゃないけど
毎年どこか「妬ましい・・」みたいな気持ちで見ていましたね・・
うちの母校も当時は決して弱小校ではなくて、私が高校一年の時には宮城大会ベスト4まで勝ち進んだものの
準決勝で東北高校に完膚なきまでに叩きのめされ、
私が高校二年の時も4回戦で仙台育英に6回コールド負けという屈辱を味わっていました・・(泣)
ちなみにですけど、私が高校3年の時には当時新聞等でも「奇跡の逆転勝ち」と絶賛されていましたけど、
準々決勝と準決勝であのとてつもない強豪の東北と育英を撃破し「さー、あと一勝で夢の甲子園だ!」という時に、
決勝戦では既に力を使い果たしていたのか、仙台商業に9回二死までノーヒットノーランされた挙句に
7-0のボロ負けを食らってしまい、
当時の心境としては「トンビに油揚げさらわれた・・」みたいな気持ちにもなったものです・・(汗・・)

夏の甲子園県予選という時期は、吹奏楽部にとっても大変重要な時期でもありまして、この時期というのは、
そう・・! 言うまでもなく吹奏楽コンクールの地区予選前とも重なっていましたので、
部員たちは午前中に野球部の試合があると駆けつけ応援に加わり、そして午後からは吹奏楽部としての練習に明け暮れ、
午後に試合がある場合は、早朝から吹奏楽部としてのコンクールに向けての練習をしていたものです。
とにかく、当時は今では信じられないほどの(汗・・)何か一つの事に夢中になれるものか間違いなくあった・・という時代でも
あったのですね~!

当時の宮城県の場合、評定河原球場や東北学院泉キャンパス内球場、県営宮城球場を試合の会場として使用していて、
ベスト16以降からは県営宮城球場のみで行っていたような記憶があります。
この県営宮城球場と言うのは、現在は東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地となっています。
ちなみにですけど、県営宮城球場は楽天のはるか昔に、私がプロ野球でいっちば~ん!大好きなロッテが
オリオンズ時代に一時期準ホームグラウンドとして使用していた時期も実はあったりもします。

私が高校在籍の頃は、野球部もそれなりに強くて上記で書いた通り最低でもベスト16には入っていましたので、
県営宮城球場には毎年1~4試合程度は夏の甲子園予選の応援に駆け付けていたものでした。
だけどここで一つ問題になるのは楽器の運搬です・・
当時の吹奏楽部の名前だけの顧問は車の免許すら所有していない役立たずでしたし(汗・・)
平日の昼間の試合だとOBに依頼する訳にもいかず、
木管楽器・トランペット・ホルン・ユーフォニアムなどは各自が自転車に積んで持っていきましたけど、
チューバ・トロンボーン・大太鼓・スーザフォン・シンバル・ドラムセットなどのようなかさばり重たい楽器に関しては、
当時はなんと・・!
学校が所有していたリヤカーにそうした重量楽器を積んで、学校から県営宮城球場まで
約7キロの片道をえっちらほっちら坂道が多く、アップダウンの激しい道をリヤカーを引いて運搬していたものでした~!
そうした重労働は主に一年生の役割だったから、2年生以降はやっていないはずなのですけど、
あのアップダウンの激しい道路を重量楽器を積んだリヤカーでの運搬はかなり鮮明に記憶に残っていますし、
球場に到着して応援する以前の段階から既にヘロヘロ状態でしたし、試合が終わって学校に戻って
吹奏楽部としての全体練習をする頃には「体力使い果たし状態で息も絶え絶え・・」という感じでしたけど、
それでもなんとかこなしていたのは、当時の有り余る体力のなせる業なのかもしれないですね・・



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今現在だったら、とてもじゃないですけどそんな体力なんてありませんので(汗)
重量楽器を積んだリヤカーを引いて片道7キロの道を移動しろなんて言われても、とても無理でしょうね・・(泣)

最近、ヤマト運輸とか佐川急便等が自転車にリヤカーをくくりつけて集配をしている光景を目にしますけど、
当時はそうした便利なものすらありませんでしたからね・・
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