純狐(じゅんこ)は、霍青娥(にゃんにゃん)と合わせて東方ではかなり珍しい人妻設定なのですけど
(公式設定ではないですけど、諏訪子も早苗さんが諏訪子の遠い子孫と言う事で人妻ではだったのではないかと
言われることは多いようですね)
にゃんにゃんと決定的に異なっている点は純狐は子持ち、厳密に言うとかつて「子供がいた」と言う事です。
その②~③で既に書いている通り、純狐はかなり気の毒で哀しい存在なのだと思います。
純狐は結果的に自分の夫に二股どころか二重婚姻をされてしまい、更に純狐自身の夫でもあり嫦娥の夫でもある男により
純狐とその夫の間に生まれた息子を殺害されてしまっているという悲劇のヒロインでもあったりします。
純狐ってよく二次創作では「純狐ママ」と呼ばれることも多いのですけど、これは東方キャラでは珍しい子持ち・人妻設定
というのが大きいのですけど、ママ=母性の象徴として語られている事も多いような感じもあります。
ママ=母親にとって一番辛いことは「自分の子供が自分よりも早く逝ってしまう事」だと思うのですけど、これが
自分の息子が他者によって殺された場合のその相手への怒り・恨みは相当なものがあると思いますし、ましてや
息子を殺した相手が自分の夫でもあるのだけど同時に不倫相手というのか二重婚の夫でもあるという点で、
純狐がその夫と二重婚相手の嫦娥に対して「怨念」の感情を有するのは極めて当然なのだと思います。
東方紺珠伝において、うどんげちゃんVS純狐のバトルの際に、純狐の目の前にはうどんげちゃんの存在しかいない筈なのに、
うどんげちゃんを無視してそこにはいない筈の嫦娥に語りかける純狐ママはかなり気がおかしくなっているとしか言いようが
ないと思うのですけど、その②~③で書いてきたような背景があってそうなったと思うと、純狐ママはせつない人なんだ・・と
しみじみ感じずにはいられないです。
もしかして・・? 嫦娥自身が純狐を一度も見た事もないしどんな人なのかを知らない可能性もあると思われる中、
それでも純狐が「不倶戴天の敵、嫦娥よ。見ているか? お前が出てくるまで、こいつ(※うどんげちゃん)をいたぶり続けよう!」
と言っているのだとしたら、よく考えるとぞくっとしますし狂気以外の何物でもないとすら感じてしまいます。
純狐ってある意味嫉妬に狂ったこわれかけたキャラなのかもしれないですけど、やはりそこにあるのは「哀しい存在」
なのだと思います。
改めてもう一度ここに記すと、
純狐の子供は嫦娥の夫に殺され、しかも嫦娥の夫という存在は純狐の夫でもあり
同時に殺された子供の父親という複雑な関係もあったりします。
純狐の立ち位置としては、まず子供の親の視点では「子供を殺された」という恨みだと思いますし、
妻の視点では「嫦娥に私の夫を略奪され、結果的に私の夫は私と嫦娥と二重婚姻関係を持つようになってしまった」という
女性の視点からの嫉妬に基づく恨みと思われます。
血肉を分けた純狐の分身とも言える子供を殺されたという恨みも相当大きいと思いますし、
夫に裏切られ、結果的に嫦娥に夫を略奪されてしまったという女の性からの恨みのウェイトも大きいとは思うのですけど、
要は両方なのだと思います。
母親の側面からも嫦娥に恨みを抱き、妻の視点や女性の視点からも嫦娥に恨みを抱き、純狐としては
嫦娥に対して恨み・怨念の感情を抱くのはある意味当然なのだと思います。
純狐というのはおそらくは元々は月の民という立ち位置であったと思うのですけど、「子供を二重婚の相手の夫に殺された」
という長年の怨念だけが純狐を存在たらしめ、最終的にはその恨みそのものが神霊化してしまったという珍しい立ち位置
なのだと思います。
一言で言うと恨みと言う気持ちが生と死という概念からも飛び越えてしまい、ゆゆ様のような亡霊でもないし、
八坂神奈子 ・諏訪子・秋姉妹といった神様でもないし、言うならば怨念が生き神様として幽霊化してしまったという存在
なのだと思います。
逆に言うとそれだけ恨みが大きかったのだと思われますし、積年の恨みという感情に純化された霊というのが
純狐なのだと思うのですけど、もしかしたら純狐にとっては「自分が今現在生きているのか死んでいるのか」とか
「自分という存在は果たして何者なのか」という事すら純狐にとっては既に「どうでもいい」と言う事なのかもしれないです。
その夫という存在はとっくの昔に純狐によって亡き者にされていて、夫への復讐と言う意味では既に完了しているのですけど、
「夫に息子を殺された」という怨みは純化してしまって一人歩きしていると言えるのかもしれないです。
純狐は自らの復讐のターゲットは残りは嫦娥唯一人なのですけど、純狐自身は嫦娥その人の顔すらわからない可能性も
ありますし、何よりも嫦娥は永琳が調合した蓬莱の薬を飲んだという罪に今でも問われ続けていて、月の都のとある場所に
幽閉され続けているのですけど、
純狐にとっては、
1.どこに嫦娥が幽閉され匿われているのかわからない
2.たとえ嫦娥を発見し、復讐のために殺そうとしても嫦娥は不老不死の存在なので、殺すことは永遠に出来ない
という事で、結局は純狐はその怨念だけが今でも彷徨い続けているという事になるのだと思います。
そして「嫦娥への変わらぬ復讐の想い」という気持ちが定期的に繰り返される月の都に対する純狐の襲撃とか
「東方紺珠伝」というこれまでの異変とは桁外れに大きい異変となって現れたのだと思われます。
そしてそれはそれだけ純狐の母性愛が深いと言うのか、換言すると
子を思う母としての純狐や自らの存在性を変えてしまうまでの恨みに身を落とすほどに子供を想う純狐の
母親としての愛の深さと言う事なのだと思います。
そしてその点が純狐が「純狐ママ」と言われる事の理由のような気もします。
純狐のバックボーンを語っていると「少し共通点があるのかも・・」と思い起こす話が実はギリシア悲劇にもあったりします。
それが邦訳では「王女メディア」としても知られている作品だと思います。
この物語の概要を簡単に記すと・・
メディアとは太陽神の末裔の女魔術師でコルキスの王女でもあります。メディアは英雄イアソンと駆け落ちして
苦労の果てにコリントの地に辿りつきそこで子供を授かり平和に暮らしていました。
その一方で野心が捨てきれないイアソンがそこにはいたのですけど、
コリントス王クレオンが自分の娘婿にイアソンをと望み、権力と財産に惹かれたイアソンはメディアと子供たちを捨てて
この縁組みを承諾する事を決意し、結果的にメディアを捨ててしまう事になってしまいます。
怒りと悲しみに暮れるメディアのに、追い打ちをかけるようにクレオンから国外追放の命令が出されてしまいます。
一日の猶予をもらったメディアはイアソンとクレオン父娘への復讐を決意する事になります。
嫉妬と復讐に燃えたメディアは、結婚の贈り物として毒をしこんだドレスをコリントスの王女へ送り付け、
コリントの王女とクレオン国王を殺害してしましまいます。
更には苦悩と逡巡の果てに、メディア自身の幼い息子二人をも手にかけ殺してしまいます。
全てを失って嘆き悲しむイアソンを尻目に、メディアは息子たちの死体を抱き竜車に乗って去っていくというストーリーです。
これは、午後1時台で放映されている昼ドラのドロドロを超える位凄まじい「ドロドロ劇」ですよね・・・
自分を捨てた夫に対する復讐として、その相手の女を殺すというパターンは古今東西よくある話だと思うのですが、
己の復讐のために自分の子供にまで手をかけてしまうというのは大変な特異性があるのだと思います。
メディアにとって最大の目的は「夫への復讐」なのだと思います。
そして夫にとって最大の苦痛とは何かと言うと、新しい婚約者を失うこと以上にわが子を失うという事で要は「全て」を
失わせるという事なのだと思います。
我が子までも殺したためにメディアは「魔性の女」と呼ばれがちではあるのですけど、
夫の不義に泣き寝入りは一切せず自分の復讐のためには大胆な手段を使うことも辞さない女性と言えるのだと思います。
この悲劇的作品の本質は、愛にも激しく憎しみにも激しい女性を象徴的に見事に描いた事なのですけど、
そこにあるのは、愛と憎しみとは一つのものの裏と表であり、
善悪や理性で本能や感情を押さえることが出来ない人間の心理の深奥を抉りだしたという事なのだと思います。
そして「メディア」の話と東方の純狐の話の相違点はどこにあるのかというと、
メディアはいかにも西洋らしい「個」を重視しているというのか、己の感情に正直に生きるために、時に自分の子供すらも
犠牲にする事すら厭わないというとてつもない強さがあるのかもしれないですけど、
東方の純狐の場合は、そこが日本的というのか、メディアの復讐の発散が外に向けられているのに対して、
純狐の場合は「己の感情が内側に向かっている」というのか「復讐という概念を己の中に昇華させていて、復讐そのものを
自己完結で終わらせようとしている」と一人歩きに留めている点にあるのかな・・?と感じています。
そしてそこにあるのは日本人の「恥じらいの心」というのか「悪いのは全て自分・・」という内省的な恥の感情と
言えるのかもしれないです。
メディアも純狐もいわば「気が狂った御方」と言えるのかもしれないですけど、メディアは外向きに復讐を果たしたのに対して、
純狐は恨みの感情を自分自身に溜めこんでしまったというのが違いなのかもしれないです。
余談ですけど「王女メディア」をバレエ音楽化した作品もあったりします。
その一つが20世紀のアメリカの作曲家のバーバーのバレエ音楽「メディア」~メディアの瞑想と復讐の踊りという
音楽なのですけど、この曲は、一言で言うと、内面的心理ドラマの世界だと思います。
本来は優しい女性であったはずのメディアがなぜここまでやらなければいけなかったのか
その心の葛藤を描いた心理的交響詩みたいなものだと思います。
前半は、静かな内面の葛藤の世界で後半は、何かが弾けて「狂」の世界に突進していくメディアの狂気の世界を
見事に表現していると思います。
20世紀のクラシック音楽でここまで明暗がはっきりした心理描写を適切に描けた作品自体決めて少ないとすら感じる中、
あの音楽を聴くと、メディアは決して喜んで我が子を殺した訳ではなく そこに至る経緯にはさまざまな心理的葛藤があったと
いう事が見事に伝わってくると思います。
話がそれました・・
純狐は地獄の女神・ヘカーティア様と組む事で、「東方紺珠伝」というとてつもなく強烈な異変を起せたのですけど、
ヘカーティア様の配下にいたのが地獄の妖精のクラウンピースであり、
クラウンピース、通称クラピーは純狐の事を「(ヘカーティア様の)友人様」と呼んでいて、クラピーの視線からは
時に狂気が炸裂する純狐の事を心配そうに見ているみたいな雰囲気もあったような感じもあります。
「東方紺珠伝」にて、クラウンピースとうどんげちゃんのバトルが見られるのですけど、ここではかなり重要で
核心に触れる会話がなされていたのが大変印象的でした!
うどんげ:都の外に妖精の大群……? これがサグメ様の言っていた侵略者?
いや、確かに妖精は穢れの象徴だけど、あいつ等に侵略する知能は無いと思う。
それに月の民だって妖精程度の穢れは怖くないし……って疑問はそこじゃないわ。
そもそもなんで月面に妖精がいるのか、ってとこよね。
クラウンピース:それはねぇ。地上から連れて来られたのもいるけど、月面にも元々いたのよ、妖精は。
うどんげ:妖精の親玉ね。確かに他の妖精とはひと味違うようだけど……こんな奴に月の民が手を焼くなんて……。
クラウンピース:あたいを誰だと思っているの。あたいは地獄の妖精クラウンピース。
月の民は友人様の敵。友人様の敵はご主人様の敵。ご主人様の敵はあたいの敵だ! 容赦しないぞ。
うどんげ:腑に落ちない処も在るけど……私も容赦しないよ!
クラウンピース:純化した妖精のエネルギーは鬼神を越えるって言われたもん。
月の民の嫌う生死の穢れをたっぷり喰らって、初めての死で地獄に堕ちるがいい!
クラウンピース:はあはあはあ。
うどんげ:この圧倒的な力……普通の妖精ではない!?
クラウンピース:な、なんで……?
生命の象徴である我々妖精族がここを支配している限り、月の民は手も足も出せないって聞いたのに。
うどんげ:ねえねえ、その話、誰に聞いたの?
クラウンピース:ご主人様の友人様よ。妖精達の力を純化してくれたのも、そのお方。
うどんげ:純化? それって一体……。
クラウンピース:あたいにも良く判らないけど、凄いことらしいよ。
うどんげ:ふーん、そいつが妖精達を騙して何かをしているのか。
確かにここの妖精達は穢れまくっている。いや、穢れその物といってもいいレベルだわ。
確かにこのレベルで攻められると、都は榛穢化するかもしれないわね……。
クラウンピース:あのー、あんた、いや貴方様には何で私の穢れが平気だったのでしょう。
うどんげ:私はもう……、地上の兎だからね。一度穢れてしまえば、もう戻る事は不可能でしょう。
でもこれで間違い無いわ。お師匠様は月の都を救うために私を遣ったんだわ。
ただ、敵は月の民のクリティカルな弱点を熟知し、それを活かす能力を持っている。何者なのかしら……。
お師匠様もサグメ様も知っている筈なのに教えてくれないからなぁ。
何にしてもここまで来たら最後までお師匠様の期待に添うのみよ!
クラウンピースは、ヘカーティア様の部下で、ヘカーティア様の友人の純狐の能力で覚醒し、
鬼神を超える力を身に着つけた地獄の妖精なのですけど、
クラウンピース自体は、「穢れ」の象徴として描かれ、
うどんげちゃんは元々は「月の民」で、月の民は本来は「穢れ無き民」であるはずなのですけど、
うどんげちゃんは月から地上に逃げてきて、今現在は永琳と共に「この地上で生きる!」という覚悟を決めていますので、
クラウンピースと同様な「穢れ」を既に有しているというのがこのバトルで提示されているのが大変興味深いと思います。
うどんげちゃんの「私はもう……、地上の兎だからね。一度穢れてしまえば、もう戻る事は不可能でしょう」という
セリフが全てを物語っていると思いますし、そこにはうどんげちゃんの「覚悟」があるものと思われます!!
うどんげちゃんとしては「私は既に月の兎では無い・・」という事と「私は地上の穢れた兎であり、私が帰れる場所は幻想郷だけ」
という気持ちを既にこの時点では固めていたと思われますし、
それが最近のうどんげちゃんの吹っ切れたような明るさに繋がっているのだと思います。
うどんげちゃんは初期の頃の「人間が怖い・・妖怪が怖い・・」という地上の生き物に怯えていた雰囲気はもう微塵も無いのだと
思います。
ここにこそうどんげちゃんの「成長」があるのだと思います!
そうそう、クラウンピースは今現在はなぜかしりませんけど光の三妖精とつるんで行動していて、霊夢の博麗神社の軒下に
暮らしているのですけど、クラウンピースの種族は元々は妖精です。
そしてクラピーの第一人称は「あたい」でもありますので、「あたい」というと真っ先に思い出すのはチルノでもありますので、
出来れば「東方三月精」にて、自称最強の妖精と最狂の妖精のバトルが見ることができればいいなぁ~!とも
思ったりもしますね!

さてさて、ここからは先は既に恒例になっているのかもしれないのですけど、当ブログが本当にいつも大変お世話になっている
「
dream fantasy」のアミグリさんの
すてきなイラストのご紹介コーナーです。
上記のとってもかわいいうどんげちゃんは、アミグリさんが2013年6月に描かれた「ウェディングうどんげちゃん」です!
東方キャラのウェディングというとアミグリさんは過去作品の中にウェディングチルノとかウェディング早苗さんという
とっても素晴らしい作品があるのですけど、
こちらのウェディングうどんげちゃんも負けず劣らずとっても素敵だと思います!
この幸せ絶頂みたいなうどんげちゃんのこの可愛い笑顔! このチャーミングなウィンクに
私はも―――、まさにKO寸前のヘロヘロ状態でありますっ!!
こういうミニの純白のウェディング衣装は「人類の宝物」だと思います!!
このハッピー感に溢れるうどんげちゃんは本当に最高だと思います!
一体幻想郷のどの幸せな殿方がこんな可愛いうどんげちゃんをお嫁さんにしてしまうのでしょうか・・?
ミニスカートのウェディングドレスと言うのも意外な発想でもあるのですけど、うどんげちゃんにはとってもよくお似合いだと
思いますし、
この溌剌とした笑顔のうどんげちゃんは、上記で書いた通り、「私は地上の兎!」と開き直りふっきれたうどんげちゃんに
他ならないと思います!


上記の2枚の作品は、当ブログの先月の「うどんげちゃん その①」の東方紺珠伝におけるうどんげちゃんの成長に
ついて書かせて頂いた記事で転載&ご紹介させて頂きましたアミグリさんが2013年に描かれたうどんげちゃんの元絵とも
言うべき作品です。
上が2012年2月のモノトーンの仕上がりで、下が2012年3月に描かれた2013年版との背景違いの作品です。
両作品共にアミグリさんの淡い色彩の作風時代に描かれた作品でとってもファンタジーで美しいです!
長い髪・うさ耳・ブレザー・短めスカート、がみんなとってもかわいいのですけど、
単色モノトーンは紫一色と言う事で、どこか神秘的な雰囲気を感じさせてくれていると思いますし、
2012年3月の作品は「淡い作風時代」を代表する一枚とも言えると思うのですけど、この淡い透明感溢れる雰囲気は、
とっても幻想的だと思いますし、「月の儚さを十分すぎるほどイメージさせるものがあると思います。
上記のアミグリさんが描かれたうどんげちゃんは、
その権利は全て上記の作品のうどんげちゃんの絵師様であるアミグリさんに帰するものであり、
当ブログにおける転載とご紹介は事前に全てアミグリさんからご了解を頂いたものであり、
アミグリさんからのご厚意で転載をさせて頂いておりますので、
無断お持ち帰りや無断コピーは絶対NGですので くれぐれも宜しくお願い申し上げます。
アミグリさん、本当にいつもすてきなイラストの転載を快諾して頂きありがとうございます!!
アミグリさんのブログ「
dream fantasy」は、
東方・艦これ等の版権作品の二次創作作品や上記のオリジナル作品など
すてきなな作品が一杯いっぱい詰まっているまさに「宝石箱」みたいなとっても素敵なブログです!
宜しければ、少しでもアミグリさんとかアミグリさんの作品に興味を持てた方がいらっしゃいましたら、
アミグリさんの
こちらのブログを一度見て頂けれましたら、とっても幸いです!
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コメント
純狐ママの母性としての悲劇
親より先に亡くなってしまうことほど親不孝なことはない
→、というか、その子供を亡き者にしたのがその親(純狐の旦那)ですので、その点に純狐ママの不幸と悲劇が
あったのだと思われます。
「亡き子に想いを馳せる」という純真な気持ちが純粋な恨みの気持ちとして神霊化してしまったのが純狐なのですけど、
怨念という気持ちすらも神霊化してしまうというのもある意味壮絶な話なのかも
しれないですね。
こんばんは♪
凄まじいドロドロ劇って
すごいですね(笑)。
アミグリさんの絵、いつも素敵ですね☆
怨念は時を超えて・・
東方のこの話もメディアも昼ドラも男女の怨念の世界は壮絶なものがあるという事ですね。
特に東方の純狐というキャラの場合は、積年の恨みが時の流れと共に風化せず、怨念が神霊化してしまった事が
凄まじいのだと思います。
アミグリさんの描かれた絵をお褒め頂きありがとうございます!
そうなんですよ!
アミグリさんの描かれた絵はどの作品も素晴らしい作品ばかりで私もとっても大好きです!
今後ともうちのブログ共々宜しくお願いいたします!
つまりヘカーティア
神話・民間伝承がベース
東方はそうしたギリシア神話や古代からの民間伝承等もモチーフにしていますので、
改めて奥の深さも実感しますね。
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