名取吾朗 / 吹奏楽のためのアラベスク(1973年度全日本吹奏楽コンクール課題曲) → 前半のおどろおどろしい雰囲気と中盤以降のスピード感の対比が面白いと思います!

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名取吾郎氏が永眠されて、もう既に二十数年が経過しているのを見ると「時の流れって早いよね・・」としみじみ
感じたりもします。
名取先生のの吹奏楽作品はどちらかというと陰気で劇的要素が強く、
ネリベルのように強弱と明暗のコントラストが激しい作曲家という印象があったりもします。
私自身、名取氏はその生前に例えば都大会・山梨県大会・関東大会等の吹奏楽コンクールの審査員として
お見かけした記憶はありますし、どこかの大会で、審査員代表として講評を述べていたのを耳にしたことがありますが、
作品の印象とは全然異なる柔和なお人柄という印象を受けたりもしたものです。
聞いた話によると、名取先生の陰鬱な音楽の背景には、名取氏ご自身の辛くて悲惨な戦争体験、特に南島での
兵士としての辛い体験がベースにあったとの事です。
そのあたりの背景は水木しげる先生と共通するものがあるのかもしれないです。

名取氏の吹奏楽曲と言うとどんな作品があるのでしょうか・・?

〇アラベスク(1973年課題曲B)

〇風の黙示録(1990年課題曲B)

〇交響的幻想曲「ポンドック街道の黄昏」

〇永訣の詩

〇アトモスフェア

何となくですけど、名取吾朗氏の作風と市立川口高校と愛工大名電の演奏は大変相性が良かったようにも感じられます。
ポンドック街道の黄昏は、関東大会銅賞ですけど真岡高校の演奏が私的には大変強く印象に残っていますし、あの演奏に
おける前半のソプラノサックスのかなり長大なソロはキラリと光るものがあったと思います。
「永訣の詩」は、全国大会においては市立川口高校と花輪高校が演奏していました。
川口は金、花輪は銅という評価にはなっているのですけど、花輪高校は銅賞だから川口よりも劣るという事は
全く無いと思います。
両校どちらの演奏もそれぞれ素晴らしい演奏を残していますし捨てがたい魅力があります。
両校の演奏には一つ面白い違いがあります。
冒頭の「慟哭」みたいな表情の部分てすけど、
市立川口高校は、この部分はユーフォニウムがソロに近い間隔で朗々と吹き上げていますけど、
花輪高校は、この部分はトランペットセクションが高らかにややヒステリックに響かせています。
私自身この曲の総譜は見た事がないもので、原曲における作曲者指定の楽器はどの楽器なのかというのは今でも
よく分からないのですけど、あくまで私個人の感じ方としては花輪高校のアプローチの方が「死者への弔い」という意味では
曲に合っているようにも感じたものでした。
(市立川口はどちらかというと幽玄さを演出しているようにも感じられます)

さてさて、そうした名取吾朗の吹奏楽作品の中で、吹奏楽コンクール課題曲として採用された曲は2曲ありまして、
一つが1990年の課題曲B/風の黙示録なのですけど、この曲は名取先生の「戦争は悲惨なもの・・繰り返してはならない」
という事を曲の中にメッセージとして盛り込んだようにも感じられ、
結果的にこの課題曲の数年後に名取先生は彼岸の方となられましたので、先生にとってはこの「風の黙示録」は
「この世の私たちに対するラストメッセージ」という意味合いがもしかしたらあったのかもしれないですね。
この曲の名演としては、市立柏高校を強く推したいです!
(この年の関東大会は私も聴いていましたけど、前年にダフクロで関東ダメ金だった市立柏の気迫溢れる演奏が
大変印象的でしたし、全国でも関東大会での気迫をそのまま持ち込んでいたという雰囲気があったと思います)
そしてもう一つの曲は1973年の中学の部以外の課題曲の「吹奏楽のためのアラベスク」です。

この頃の吹奏楽コンクールの課題曲は、1970年~73年の4年間においては、中学の部は一つの課題曲のみ与えられ、
中学の部以外の部門にも一つのみの課題曲が与えられるという感じであり、今現在のように
「選択する自由」というものは何も無かったのだと思います。
1973年の高校の部の出場チームはわずか11チームのみで、関西・関東・東北の代表枠が1校のみというのも
今では信じられない話でもあったりします。
そしてこの年は意外にも評価としてはかなり甘めで、結果として銅賞なしの11チームのうち6チームが金賞受賞という
結果になっています。

「吹奏楽のためのアラベスク」なのですけど、比較的短い曲ですけど、名取さんらしさがギュギュッと凝縮されているようにも
感じられます。
冒頭はゆったりとしたちょっとおどろおどろしい雰囲気か前半はこのドロドロした雰囲気が支配的でもあるのですけど、
中盤でテンポアップしてからは
終始スピード感とキレの良さを保ったまま駆け抜けていき、ラスト近くで一旦スピードと音量が落ちたと思った次の瞬間に
最後に盛大に曲が盛り上がり、華麗に曲が閉じられていくという感じの課題曲であったりもします。
名取吾朗の後年の作品から見ると、陰気ではないし暗さはあまり感じないし、むしろ爽快さと走り抜けていく感じの方が
より伝わってくるようでもあり、名取氏の曲としてはむしろ異例の(?)明るさが漂っている曲とも
言えるような感じがあったりもします。
どちらかというと同じリズムとメロディーの反復が多く、聴き方によってはしつこいとか執拗とも感じさせ、
打楽器のリズムに特徴がある感じは、この時代に流行っていたマクベス・ネリベルのサウンドに近いような雰囲気すら
あると思います。
ネリベルとの違いは前半のおどろおどろしい雰囲気は「和」の「うらめしやぁ~」みたいな世界みたいなものであるという事に
あるのかもしれないですね。

この年の全国大会は名取先生も名古屋での会場で聴いたいたようです。

そしてその際の感想として、

1.課題曲よりも自由曲に力点を置いた演奏が多く、自由曲の方がけた違いにうまいチームが多い

2.この課題曲は序奏部の良しあしが全体の演奏に大きな影響を与えるのだが、冒頭の低音五度の響きが美しくない
  チームが多い

3.金管から木管へ、木管から金管へメロディーラインが移行する際のバランスに難があるチームが多い

4.全体的に、関西学院大学・瑞穂青少年・天理・花輪・名電・銚子商業の演奏が特に良かった

5.花輪高校の演奏はサラリとしていて好感を持てた

といった事を後日のBJで書いてあったような記憶があります。

私自身、全てのチームのアラベスクを聴いた訳ではないので、必ずしも完全なものではないとは思いますが、
私が知る限りにおいて「吹奏楽のためのアラベスク」が全部門を通して「いっちば~ん!」といえる演奏は、私的には
文句なく一般の部の瑞穂青少年吹奏楽団だと思います。
ところどころ不安定な箇所も散見され、序盤のトロンボーンの弱奏でのはもりは貧弱にすら聴こえてしまう部分も
あったりしましたけど、アップテンポして以降の展開はスピード感溢れる展開で、そのリズムの切れの良さと躍動感は、
この曲の良さを見事に聴衆に伝えていたと思います。
前半のおどろおどろしい部分もそれほど和のドロドロっとした雰囲気ではなく、むしろ西洋的にサラッと流していたように
聴こえたのも面白い解釈だと思います。
自由曲のジェイガーの交響曲~第四楽章と合せて、いかにもアメリカンみたいな雰囲気の演奏で、そのドライでカラッとした
サウンドが自由曲にはどんぴしゃで、課題曲のアラベスクも和の要素はうすくなったけど、
その分ドライで「華麗さ」をより強く全面に出していたようにも感じたものでした。
余談ですけど、ジェイガーの交響曲第四楽章に関しては1973年の瑞穂青少年吹奏楽団の演奏が一番好きです。
他にも1970年の天理とか、少し荒っぽいけど個性的な1984年の東邦高校とか色々演奏はされていますが、
瑞穂のスピード感にはかなわないと思います。

1973年の瑞穂の演奏をカスタムテープで聴いてみると少し面白い発見があります・・・・
普通はアナウンスが流れて指揮者が一礼をして拍手が起きて、そこから演奏が開始されるのですけど
この時はアナウンスが流れて、いきなり課題曲が始まります。
あれって日本ワールドレコード社の編集かな・・?(多分、それは無いと思いますけど・・)
その当時のコンクールは、指揮者が一礼をしないで演奏を開始するのが普通だったのかな・・??
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