ハワード・ハンソンという作曲家も作品も日本では残念ながらあまり馴染みがない作曲家なのかもしれないです。
このアメリカの作曲家はバーバーと並んでアメリカ保守系クラシック音楽作曲家の大御所の一人で
「イーストマン音楽学校」の校長を長い間勤めていた事でも知られています。
作曲家としては、どちらかと言うと「交響曲の作曲家」としてアメリカでは高い評価を受けているようでもあります。
ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」は実は「20世紀の隠れた名曲」と私自身はかなり以前から高く評価しています!
この素晴らしい交響曲は、「私自身のためだけに聴きたい。他人にはその存在を教えたくない」とも思うのですけど、
「この素晴らしい交響曲は是非一人でも多くの皆様に聴いて欲しい」という気持ちもあったりもしますので、
本記事の後半で触れさせて頂きたいと思います。
ハンソンは、吹奏楽オリジナル曲も決して数多くありませんけど幾つかの作品を残しています。
私が生演奏で聴いたことがある範囲では、
〇ラウデ
〇ディエス・ナタリス
程度に留まっています。
ディエス・ナタリスは元々は管弦楽曲で、吹奏楽版は以前東芝EMIからCDが出ていましたけど
さすがに現在では廃盤なのかな・・?
そうなるとこの曲は、国内盤で聴く事は出来ないというのももったいない気はします。
この曲は、1980年に文教大学が全国大会で演奏し銀賞を受賞しています。
現在大学の吹奏楽を牽引する文教大学も実はこの年が初めての全国出場でもありました。
私にとって、ハワード・ハンソンの吹奏楽オリジナル作品というと、「コラールとアレルヤ」が大好きです!
5分半程度の短い曲なのですけど、前半の祈りのような荘厳さと後半のたたみかけるような重厚な響きなど
聴きどころは満載だと思います。
冒頭は金管楽器のアンサンブルで開始され教会での祈りみたいな雰囲気です。
後半は打楽器が活躍し、特にティンパニの圧倒的なロールは迫力満点です。
最後は、高らかな讃美歌で終わり、非常にすっきりとしたシンプルな終わり方で閉じられます。
吹奏楽オリジナル曲としては大変短い作品なのですけど、保守系シンフォニストらしいエッセンスが凝縮された作品であり、
無駄な部分が一つもなく、実にすっきりと音楽的に充実した作品だと思います。
祈りと讃歌と迫力の三要素が曲の中に溢れていて、短い中にもその音楽的充実感と構成美には目を見張るものが
あると感じずにはいられないです。
「コラールとアレルヤ」し日本の吹奏楽コンクールではほとんど演奏されないのが大変勿体ないと感じます。
1979年の高岡商業が全国大会でこの曲を自由曲にし、銀賞を得ているのが
この名作の唯一の演奏事例と言うのも少し寂しい気がします。
高岡商業のこの年の演奏は素晴らしく、課題曲B/プレリュードも静と動の対比が素晴らしかったですし 、
課題曲で抑制された感情を自由曲の「コラールとアレルヤ」の後半で爆発させたのも
いかにも若き高校生らしい快演だと思います。
翌年に高岡商業は、ニクソンの「パシフィックセレブレーション組曲」の歴史的名演を残すことになります。
高岡商業の「コラールとアレルヤ」は現在は音源が何も無い状態で、ソニーの「日本の吹奏楽79」という廃盤レコードにしか
音源がありませんので、ブレーン社あたりから復刻版として出てくれるとうれしいですね。
私はレコードという形でこの演奏の音源は持っていますけど、最近レコード自体ほとんど聴く機会はないですね・・
ハンソンの「コラールとアレルヤ」は、実は支部大会レベルでは演奏の歴史は非常に古く
昭和36年に三井造船が既に自由曲として演奏されてはいるみたいです。
支部大会でこの曲が最後に演奏されたのは、1984年の福岡工業大学が最後というのも寂しいものは感じます。
「コラールとアレルヤ」は技術的にはそれほど難易度は高くはないと思いますので、中学校・高校の小編成部門で
チャレンジする事は全然悪くないと思いますし、音楽的教育の観点からも演奏効果という点からも
大変申し分のない吹奏楽オリジナル作品と一つと言えると思います。
さてさて、ここから下はこのハンソンが作曲した20世紀の隠れた名曲であると私自身は確信している
交響曲第2番「ロマンティック」について少しばかり触れさせて頂きたいと思います。
ハンソンは元々がスウェーデン系移民の子孫で、交響曲第1番には「北欧風」のタイトルが付けられています。
ハンソンの交響曲と言えば、交響曲第2番「ロマンティック」が圧倒的に素晴らしいと思います。
この交響曲第2番は、私的には20世紀の影の隠れた名曲とか埋もれた名曲だと考えていますし、
本当にこんなに抒情的で美しく、同時に「希望」にも溢れ、優しくせつなくて
聴いているだけで「自分も頑張ってみよう・・!!」と思わせる曲は20世紀の交響曲の中では珍しいものがあるような気さえします。
極論ですけど、このハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」を一度も聴かないで、その生涯を閉じられるのは
とっても勿体無いような気さえします。
ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」は、交響曲第1番に興味と可能性を感じた当時の大指揮者クーセヴィッキーより
ボストン交響楽団創立50周年記念作品の委嘱を受けて作曲されたものです。
この時、他に委嘱を受けた作曲家は、ストラヴィンスキーやルーセルなど当時の大御所達なのですけど、
作曲当時は特に実績もない新人作曲家にこうした委嘱する方も勇気が必要だったと思われますが、
ハンソンはその期待に応えて素晴らしい曲を後世に残すことになります。
この交響曲が作曲された当時は、ストラヴィンスキーの原始主義と新古典主義やドビュッシーやラヴェルの印象派的音楽や
シェーンベルクの無調音楽が闊歩する時代でしたけど、そうした当時最先端の音楽に全く影響を受けずに
「分かり易くて美しくて抒情的な」音楽を残したハンセンは素晴らしいと思いますし、
ほぼ同時代を生き、時代に流されずにロシアの香りが漂うセンチメンタルな音楽を作り続けた
ラフマニノフとも重なるものはありそうな気はします。
交響曲第2番「ロマンティック」は、三楽章構成で演奏時間も25分程度で非常に分かり易い音楽です。
第一楽章は静かに開始されますが、すぐに快活なメロディーが展開されていきます。
この第一楽章のメロディーが第三楽章でも再現される事となります。
第二楽章は、「美しい!」としか言いようがない甘い旋律が続きます。冒頭のフルートが実にすてきですね~!
第二楽章中間部の木管楽器の使い方が実に巧みだと思いますし、抒情的に流れていた音楽に
瞬間的な緊張感をもたらす効果もあると思います。
抒情的というよりは、
「昔の出来事を静かに振り返りながら余韻を楽しむ」みたいな感覚の音楽です。
第三楽章は、上記の要素に加えて
「未来への楽観的希望」みたいに明るい要素が加わっていきます。
冒頭のあのメロディーは、ハンソン自身がこの曲を「精神においては若い」と評していましたけど
その「若さ」が見事に溌剌とした曲想として表現されているのだと思います。
第三楽章のラスト前で一旦静かになる部分があるのですが、「昔をしみじみと懐かしむ感じ」が漂いうっとりさせられ、
最後は肯定的希望を持って明るく閉じられるようにも感じられます。
2013年9月に逝去された作曲家&音楽評論家の諸井誠氏の著書に 「現代音楽は怖くない」というものがあり、この著作の中で
この中で諸井氏はハンソンの交響曲第2番にも触れていますが、
「クーセヴィッキーが委嘱した数々の作品の中で一番新鮮味が無く最も後ろ向きな作品」とかなり酷評しています。
私はそれは全然違うと思っています。
第一にこの音楽は全く後ろ向きではないと私は感じております。
一体この音楽をどうひねくれて聴けば「後ろ向き」に聴こえてしまうのか逆に教えて頂きたいほどです。
特に第三楽章の冒頭の第一楽章再現の部分とか第三楽章のホルンの展開部とかラスト近くの高揚感は、
「ひたすらに前向きに一生懸命生きていれば、そのうちきっと何かいい事が待っているはず!!」みたいな
「希望のメッセージ」を私はこの曲から感じてしまいます。
間違ってもこの曲は「後ろ向き」というものではないと思っています。
100歩譲って、仮に諸井氏が言うとおり「後ろ向き」であったとしても、私の考えとしては、
「別に全ての音楽が前向きでないといけないとか何かメッセージ性とか革新性を有しなくてもいいじゃん・・・」という事なのです。
音楽とは常に前向きでないといけないとか、高尚な内容のものでないといけないとか、
常に新しい感覚を持ち、新しい技術と表現力を提示しないといけないというのではないと思います。
別に後ろ向きだっていいと思います。
作風が「懐古的」だったり「新鮮味に欠けていても」いいじゃないかと思います。
その音楽によって、聴く人の心に「何か」を伝えることが出来ればそれでいいのではないのかな・・?と思っています。
音楽全ての作品が進歩的なものを目指す必要性なんか全然ないと思いますし、
音楽の中には、後世とか自分の過去を見つめ直したり、「美しいもの」を自分なりに探究したり
そうした方向性の音楽が現代にもあって然るべきものだと思います。
前述のボストン交響楽団創立50周年記念の委嘱作品ですけど、このハンソンの交響曲第2番以外には、
例えば、プロコフィエフの交響曲第4番とかルーセルの交響曲第3番などがありましたけど、
そうした革新的で実験的な曲と同系列でこの曲論じる事自体がナンセンスのようにも感じられます。
そもそも目指している方向性が全く違っていますし、
別にハンソン自身は、そんな音楽に「革新性」を求めるタイプではありませんからね。
それに何よりも私自身はこの曲から「生きる希望」を感じ取っています!!
ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」は甘くせつないし、あまりに美しすぎるのだけど、何か妙に「芯」がガッチリとある作品
のようにも感じられたりもします。
この曲の生演奏は一度も聴いたことがないのはとても残念です!
一度だけ吹奏楽アレンジ版としい聴いたことがありますし、それも悪くは無いのですけど、出来るならば、
この交響曲を管弦楽版として是個是非一度生演奏で聴いてみたいのですよね・・・
ちなみにこの曲、アメリカ映画「エイリアン」のラストシーンで使用されています。
この曲をCDで聴く場合、
スラットキン指揮/セントルイス交響楽団が素晴らしい演奏を残しています。
カップリングは、バーバーのヴァイオリン協奏曲ですかので、アメリカの音楽を聴くにはうってつけの一枚だと思います。
余談ですけど、この交響曲の第三楽章をかつて関東第一高校を指揮されていた塩谷晋平先生が
青森山田高校を指揮されて東北大会に出場されていた事もありましたけど、あの演奏は出来れば
当時の普門館でも聴いてみたかったです!

上記でちらっとバーバーのヴァイオリン協奏曲が出てきましたけど、オーケストラが伴奏に回るヴァイオリン協奏曲という
ジャンルは、オーケストラの大きな要素でもあるヴァイオリンパートとソロ担当の独奏ヴァイオリンの時に夢見るような
時に激しくバトルを展開するようなその同一楽器のとしての関連性も大変聴きごたえがあり興味深いのですけど、
大人気スマホアプリゲーム&アニメのBanG Dream!においてもヴァイオリンが登場していたのはとても驚きでしたし、
その意外性がとても新鮮でもありました~♪
Morfonicaは、名門のお嬢様学校・月ノ森女子学園の一年生で結成されたガールズバンドグループなのですけど、このメンバー
5人の中では私的に大注目なのは、八潮瑠唯という BanG Dream!史上初のヴァイオリンパートを担当する
クールビューティの女の子です!
ドライな才媛JKさんですけど、ガールズバンドの中でのヴァイオリンという位置づけもサウンド的には実はとても興味津々でして、
これからの展開に注目させて頂きたいと思います。
ちなみにMorfonicaのメンバーの苗字(倉田・八潮・桐ヶ谷・広町・二葉)は東京都品川区の地名に由来していたりもします。

ちなみにですけど、八潮瑠唯の声を務めるAyasaは、ガチのロックバイオリニストであったりもします。
八潮瑠唯は、アニメ上での設定は、月ノ森女子学園の1年生で、学年トップの成績をキープする才媛で、
大変ドライな性格で常にトップに立つことを目標にされていて、音楽を「無意味なもの」と一度は捨ててしまった経緯も
あったりします。
もしもバンドリのアニメ第四期が実現した場合は、Morfonicaや八潮瑠唯や八潮瑠唯が一度捨てた音楽をどうやって再び
向き合うようになったのかその経緯も明らかにされると嬉しいです。
どちらにしても、ガールズバンドの世界にヴァイオリンパートを新たに登場させた意義はかなり大きいように
感じたりもしますね~♪
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そうした諸井誠氏から「後ろ向きなシンフォニー」といわれても、「そうなの・・???」と感じてしまいそうです。
要はハンソンの交響曲も「コラールとアレルヤも
感じ方は人それぞれで逢って、聴いた人が前向きと
感じられればそれでOKなのだと思います。