G.ホルスト/ 吹奏楽のための第一組曲 → リンカンシャーの花束・イギリス民謡組曲・アルメニアンダンスパートⅠと並ぶ吹奏楽オリジナル作品の絶対的なバイブル的作品であり、未来永劫演奏され続けて欲しい曲です!
最近の吹奏楽オリジナル作品、特にその中でも邦人作品は、演奏効果が大変高そうではあるのですけど
技術的には大変難しそうなものばかりが多く、華麗な音楽の連続で確かに耳には心地よいのですけど、
「果たして流行の移り変わりが激しい日本の吹奏楽コンクールの中において
10年後でも変らず演奏され続けていく邦人作品って一体どれだけあるのかな・・?」と考えると
考え込んでしまう作品が結構多いようにも感じたりもします。
だって一時期あれだけ大ブレイクした田中賢のメトセラⅡやR.スミスの「海の男達の歌」などが最近ではサッパリ演奏されて
いない現実を目にすると「歌謡曲も芸人のネタもそうだけど、吹奏楽オリジナル作品の旬は短いからね・・」と痛感する
ばかりであったりもします。
邦人作品に関しては、少なくても保科洋の「復興」だけはずっと演奏され続けて欲しいなとも思ったりもします。
そういう意味では兼田敏の「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」が全国大会初演から忘れることなく演奏され続けて
いる事は大変価値があると思います。
最近のあのような難易度の高い邦人作品をやすやすと吹きこなしてしまう最近の吹奏楽コンクールの驚異的な
レヴェルの高さは本当に素晴らしいものがあると思います。
これは本当に世界に誇っても全然差し支えはないと考えております。
振り返ってみると私が現役奏者の頃には、とてもとてもあんな難しい邦人作品を
アマチュアの中・高校生が吹きこなせるという発想すら無かったと思います。
例えばですけど、C.スミスの「フェスティヴァル・ヴァリエーション」とかフーサの「プラハのための音楽1968」あたりが
一つの限界点だったようにも思えます。
本当に最近の中・高校生の皆様のレヴェルの高さには頭が下がる思いで一杯です。
同時に、確かにそういう華麗な邦人作品もいいけど、「吹奏楽のバイブル」というのか「原典」とも言える
吹奏楽オリジナルの古典中の古典・・・
絶対に忘れてはいけないオリジナル作品もたまには目を向けて欲しいなぁ・・と思う時もあります。
私自身が高校生時代にその曲を実際に演奏した経験があるという背景も大きいのですけど、
特にそうした「吹奏楽オリジナル作品」を語る上では、絶対に忘れてはいけない曲の一つが
リードの「アルメニアンダンス パートⅠ」や「オセロ」であり、
またまたスゥエアリンジェンの「インヴィクタ」序曲とか「チェスフォード・ポートレイト」であり、
私自身が演奏した曲ではないですけど、ヒルの「セント・アンソニー・ヴァリエ―ション」(原典版)であり、
ネリベルの「二つの交響的断章」などなどであるのですけど、
その中でも特に特に、ホルストの「吹奏楽のための第一組曲」変ホ長調作品28-1だけは
絶対に忘れないで欲しいと思います!
否!! この素晴らしき組曲だけは、未来永劫ず―――っと後世に受け継がれていって欲しい曲だと思います!!
ホルストの吹奏楽のための第一組曲ですけど、この不滅の吹奏楽名曲オリジナル作品が作曲されたのは
1909年ですので、ホルストを代表する20世紀のクラシック音楽の名曲の一つでもある組曲「惑星」が
作曲される5年前の作品と言える事も出来ます。
ちなみにですけど、ホルストは若かりし日は管弦楽団のトロンボーンを担当していて、
そうした管楽器を熟知していた経験を活かしたのがこの第一組曲と言えるのかもしれません。
ちなみにですけど、組曲「惑星」~Ⅰ.火星においては、通常のオーケストラでは滅多に使用されないけど
吹奏楽の世界では中音域担当として重要な役割を担っている「ユーフォニアム」という楽器が
かなり目立つソロを序盤から朗々と吹き上げているのですけど、
それはホルストの管楽器奏者の経験から来ているのかもしれないですよね。
更に余談ですけど、ホルストの組曲「惑星」が作曲されていた頃とほぼ同時期に作曲されていたのが知る人ぞ知る珍曲、
「日本組曲」であったりもします!
日本組曲は、日本の民謡・童謡等を特に変調・変奏することもなく「ぼうやー、よいこーだーねんねーしーなー」などと
そっくりそのまんま引用している箇所がかなり多く、聴くだけでなんか思わず「くすっ・・」となってしまいそうです。
ホルストの第一組曲のタイトルは「吹奏楽のための第一組曲」なのですが原題は「ミリタリーバンドのための」と記されています。
この辺りは現在の日本とイギリスの違いと言うのもあると思いますが、イギリスでは
金管のみの編成を「ブラスバンド」と呼び、
金管+木管+打楽器の編成、いわゆる日本のスクールバンドで見られる「吹奏楽」の編成の事を
「ミリタリーバンド」と呼ぶそうです。
ホルストはこうした「ミリタリーバンド」のための作品を吹奏楽のための第一組曲を含めて生涯に4曲残していますけど、
第一組曲はそうした作品の先駆けとも言えるものです。
ちなみに他の三曲とは、第二組曲・ムーアサイド組曲・ハンマースミスです。
たまに、サマーセット狂詩曲やセントポール組曲は吹奏楽作品と勘違いされる方もいますけど、
この二つの曲は管弦楽曲ですのでくれぐれもご注意を・・・
改めてですけど、このホルストの第一組曲は本当に古典中の古典! まさに王道的な名曲であり、
ヴォーン・ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」とグレインジャーの「リンカンシャーの花束」と並んで
吹奏楽の分野における古典的な演奏会用作品としてきわめて重要な位置を占めると断言しても
決して間違ってはいないと私は思います。
だけど、最近こうした古典的名曲が吹奏楽コンクールで演奏される事はあんまりないのですよね・・・(泣)
こういう古典的な曲だからこそ「古きを訪ねて新しきを知る」という言葉がお似合いだと思いますし、
たまにはこうした「シンプル イズ ベスト」の曲を演奏する事で
自分達の「原点」なんかを意外と発見できちゃうのかもしれないですよね。


吹奏楽のための第一組曲は下記の三曲から構成されています。
Ⅰ.シャコンヌ
Ⅱ.間奏曲
Ⅲ.行進曲
各楽章のすべての主題は第1楽章の冒頭動機から派生したものであり、一種の「循環主題」の形式と
言えると思います。
例えばチャイコフスキーの交響曲第5番とある意味構造的には似ているとすら言えると思います。
チャイコフスキーの交響曲第5番も「循環主題」の形式を採用し、冒頭の「テーマ」を他の楽章にも引用反復し
フィナーレで冒頭部分を高らかに再現している点は、まさに「似た者同士」とすら言えると思います。
Ⅰのシャコンヌですけど、冒頭はチューバ・ユーフォニアム・コントラバスによる8小節の低音のテーマが
提示されるのですけど、
それが前述の「循環主題」になっていて、このわずか8小節のテーマが全三楽章において
全ての楽章で反復されていて、まさに「全曲を貫く基本楽想」となっています。
そしてⅠはこの冒頭テーマと15の変奏から構成されていますけど、まさに「形式美」という誇り高き香りが
全体を貫く大変素晴らしい楽章だと思います。
クラリネットの高音域の伸ばしが実に素晴らしいと思います。
Ⅱの間奏曲(インテルメッツォ)ですけど、クラリネット等の刻みに乗っかる形でミュートを付けたトランペットが
とてもチャーミングで可愛らしいです。
冒頭は「ぽんっ・・」と全員弱奏でから開始されますけど、この冒頭の音だけを全員で伸ばした音でのロングトーンを
するとわかりますが、これが結構以外にも凄まじい不協和音で、楽章としてのチャーミングさと
相反する音の構造でもありますので、その辺りは大変興味深いものがあります。
クラリネットの2番や3番なんかは、譜面通り吹いてしまうと大変無機質で無味乾燥にも聴こえがちなのですけど、
周囲の音と合わせる形で「自分の役割とは何か」を自覚すると
とたんにそうした無機質な動きが大変意味がある事に気が付くと思います。
トランペット奏者は瞬間的にミュートを外してまた再度付けたりする個所もあり、結構大変だと思います。
Ⅲのマーチ(行進曲は)は序盤は金管セクションのみによる勇壮なマーチから開始され、
中間部の木管がとっても美しいです。
ⅢのメロディーラインはほとんどはⅠのシャコンヌの再現といっても過言ではなく
やはり組曲全体の「統一感」が見事に図られていると思います。
ホルストの「吹奏楽のための第一組曲」は、私自身の高校一年の時のコンクール自由曲でもあります。
この曲でもって音楽の構成美とか全体とパートのバランスの難しさとか自分の担当する楽器が全体の中で
果たすべき役割等実は初めて気が付かされたという事も大変多く、
中学自体、とにかくおっかない指揮者の先生の指示されるがままに吹いていた自分が初めて
「自分のパートの全体合奏内で果たすべき役割と意義」を生れてはじめて心の底から思い知らされた曲でも
ありますので、私個人にとっても大変思い入れがある曲でもありますし、私自身の「原点」といっても差し支えは無いと思います。
こうした吹奏楽オリジナル作品を、吹奏楽とか音楽とかが何もわかっていない時期に
真っ白な状態から一から学習していった曲でもありますから、
そうした私自身の経験から即しても、是非是非現役の若い奏者の皆様にもこういた吹奏楽のバイブル的作品は
一度ぐらいは経験して欲しいな・と思ったりもしますね。
実際この曲は、あまりにもスタンダートすぎるのか、シンプルゆえに難しいのか
支部大会以上のコンクールではあまり聴いた事がありません。
記憶に残っている限りでは、1990年の関東大会・中学の部の甲府南西中学校くらいなのかな・・・
評価は銅賞でしたけど、私は好きな演奏です。実に中学生らしい素直で伸び伸びとした演奏
でしたし、第一曲・シャコンヌの盛り上げ方が実に自然で良かったと思います。
プロの演奏では何度か聴いた事がありますが、
フェネル指揮の東京佼成のオーチャードホールでの1991年の演奏が抜群に素晴らしい演奏で、強く印象に残っています。
シャコンヌの盛り上がり方も感動的でしたし、なぜかクラリネットセクションも一部ベルアップしていたのが印象的です。
マーチも自然な流れで大変素晴らしかったです!
ホルストには、「吹奏楽のための第二組曲」というこれまたすてきなな曲もあります。
第一組曲が三楽章構成でしたが、第二組曲は四楽章構成で、第一楽章がマーチから開始されます。
個人的には、第三楽章の「鍛冶屋の歌」が好きです。
途中打楽器奏者による鍛冶屋がコーンコーンと熱い鉄を叩く音がグロッケンによって
模写されていますが、この辺りは単純だけど面白さは感じます。
第四楽章の「ダーガソンによる幻想曲」も単純な一つのメロディーが延々と繰り返される曲
なのですけど、これが素朴で実に楽しい曲です。
この「ダーガソンによる幻想曲」は、後日ホルスト自身によって管弦楽化され、
「セントポール組曲」の終楽章が、まさにこの曲です。
吹奏楽も管弦楽版もとぢらも素晴らしいけど、管弦楽版はどちらかというと室内楽に近い響きですし、
少し上品すぎる感じもしなくはないので、個人的には吹奏楽版の方がより魅力的のようにも感じられます。
ホルストの第二組曲を自由曲にして、何と全国大会まで駒を進めたチームもかつてありました。
1994年の中村学園ウインドアンサンブル(前身は中村学園OB吹奏楽団だったかな・・?)がそうです。
94年は、課題曲が異常に長いものばかりでしたので、課題曲に「雲のコラージュ」を選んだこのチームの自由曲は、
このホルストの第二組曲の中から、Ⅲ・鍛冶屋の歌 Ⅰ・マーチという選曲で臨んでいました。
感想としては、正直特にないけど「フィナーレは、ダーガソンの方が良かったのかも・・」という感じです。
中村学園は、1983年にも、吹奏楽オリジナルの正統派・王道ともいえる
ヴォーン=ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」で全国大会にも出場し、
この年は、課題曲がカドリーユという事もあり、長めに自由曲を取れたせいか、
イギリス民謡組曲も第一・第三楽章はほぼノーカット、第二楽章も楽章の途中からの演奏となりますけど
第二組曲と言いこの曲と言いとにかくこうした古典的名曲を全国大会で演奏した意義は大変大きいものが
あるのかなと思ったりもします。
83年の方は分りませんが、94年の演奏には確か男性奏者もいたと記憶しています。
中村学園は女子高校だったと思いますが、大学は共学なのかな・・・?
とにかくなのですけど、ホルストの第一・第二組曲
ヴォーン=ウィリアムズのイギリス民謡組曲、グレンジャーの「リンカンシャーの花束」みたいな
古典的名曲は忘れられずに後世に受け継がれていってほしいと思います。
技術的には大変難しそうなものばかりが多く、華麗な音楽の連続で確かに耳には心地よいのですけど、
「果たして流行の移り変わりが激しい日本の吹奏楽コンクールの中において
10年後でも変らず演奏され続けていく邦人作品って一体どれだけあるのかな・・?」と考えると
考え込んでしまう作品が結構多いようにも感じたりもします。
だって一時期あれだけ大ブレイクした田中賢のメトセラⅡやR.スミスの「海の男達の歌」などが最近ではサッパリ演奏されて
いない現実を目にすると「歌謡曲も芸人のネタもそうだけど、吹奏楽オリジナル作品の旬は短いからね・・」と痛感する
ばかりであったりもします。
邦人作品に関しては、少なくても保科洋の「復興」だけはずっと演奏され続けて欲しいなとも思ったりもします。
そういう意味では兼田敏の「シンフォニックバンドのためのパッサカリア」が全国大会初演から忘れることなく演奏され続けて
いる事は大変価値があると思います。
最近のあのような難易度の高い邦人作品をやすやすと吹きこなしてしまう最近の吹奏楽コンクールの驚異的な
レヴェルの高さは本当に素晴らしいものがあると思います。
これは本当に世界に誇っても全然差し支えはないと考えております。
振り返ってみると私が現役奏者の頃には、とてもとてもあんな難しい邦人作品を
アマチュアの中・高校生が吹きこなせるという発想すら無かったと思います。
例えばですけど、C.スミスの「フェスティヴァル・ヴァリエーション」とかフーサの「プラハのための音楽1968」あたりが
一つの限界点だったようにも思えます。
本当に最近の中・高校生の皆様のレヴェルの高さには頭が下がる思いで一杯です。
同時に、確かにそういう華麗な邦人作品もいいけど、「吹奏楽のバイブル」というのか「原典」とも言える
吹奏楽オリジナルの古典中の古典・・・
絶対に忘れてはいけないオリジナル作品もたまには目を向けて欲しいなぁ・・と思う時もあります。
私自身が高校生時代にその曲を実際に演奏した経験があるという背景も大きいのですけど、
特にそうした「吹奏楽オリジナル作品」を語る上では、絶対に忘れてはいけない曲の一つが
リードの「アルメニアンダンス パートⅠ」や「オセロ」であり、
またまたスゥエアリンジェンの「インヴィクタ」序曲とか「チェスフォード・ポートレイト」であり、
私自身が演奏した曲ではないですけど、ヒルの「セント・アンソニー・ヴァリエ―ション」(原典版)であり、
ネリベルの「二つの交響的断章」などなどであるのですけど、
その中でも特に特に、ホルストの「吹奏楽のための第一組曲」変ホ長調作品28-1だけは
絶対に忘れないで欲しいと思います!
否!! この素晴らしき組曲だけは、未来永劫ず―――っと後世に受け継がれていって欲しい曲だと思います!!
ホルストの吹奏楽のための第一組曲ですけど、この不滅の吹奏楽名曲オリジナル作品が作曲されたのは
1909年ですので、ホルストを代表する20世紀のクラシック音楽の名曲の一つでもある組曲「惑星」が
作曲される5年前の作品と言える事も出来ます。
ちなみにですけど、ホルストは若かりし日は管弦楽団のトロンボーンを担当していて、
そうした管楽器を熟知していた経験を活かしたのがこの第一組曲と言えるのかもしれません。
ちなみにですけど、組曲「惑星」~Ⅰ.火星においては、通常のオーケストラでは滅多に使用されないけど
吹奏楽の世界では中音域担当として重要な役割を担っている「ユーフォニアム」という楽器が
かなり目立つソロを序盤から朗々と吹き上げているのですけど、
それはホルストの管楽器奏者の経験から来ているのかもしれないですよね。
更に余談ですけど、ホルストの組曲「惑星」が作曲されていた頃とほぼ同時期に作曲されていたのが知る人ぞ知る珍曲、
「日本組曲」であったりもします!
日本組曲は、日本の民謡・童謡等を特に変調・変奏することもなく「ぼうやー、よいこーだーねんねーしーなー」などと
そっくりそのまんま引用している箇所がかなり多く、聴くだけでなんか思わず「くすっ・・」となってしまいそうです。
ホルストの第一組曲のタイトルは「吹奏楽のための第一組曲」なのですが原題は「ミリタリーバンドのための」と記されています。
この辺りは現在の日本とイギリスの違いと言うのもあると思いますが、イギリスでは
金管のみの編成を「ブラスバンド」と呼び、
金管+木管+打楽器の編成、いわゆる日本のスクールバンドで見られる「吹奏楽」の編成の事を
「ミリタリーバンド」と呼ぶそうです。
ホルストはこうした「ミリタリーバンド」のための作品を吹奏楽のための第一組曲を含めて生涯に4曲残していますけど、
第一組曲はそうした作品の先駆けとも言えるものです。
ちなみに他の三曲とは、第二組曲・ムーアサイド組曲・ハンマースミスです。
たまに、サマーセット狂詩曲やセントポール組曲は吹奏楽作品と勘違いされる方もいますけど、
この二つの曲は管弦楽曲ですのでくれぐれもご注意を・・・
改めてですけど、このホルストの第一組曲は本当に古典中の古典! まさに王道的な名曲であり、
ヴォーン・ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」とグレインジャーの「リンカンシャーの花束」と並んで
吹奏楽の分野における古典的な演奏会用作品としてきわめて重要な位置を占めると断言しても
決して間違ってはいないと私は思います。
だけど、最近こうした古典的名曲が吹奏楽コンクールで演奏される事はあんまりないのですよね・・・(泣)
こういう古典的な曲だからこそ「古きを訪ねて新しきを知る」という言葉がお似合いだと思いますし、
たまにはこうした「シンプル イズ ベスト」の曲を演奏する事で
自分達の「原点」なんかを意外と発見できちゃうのかもしれないですよね。


吹奏楽のための第一組曲は下記の三曲から構成されています。
Ⅰ.シャコンヌ
Ⅱ.間奏曲
Ⅲ.行進曲
各楽章のすべての主題は第1楽章の冒頭動機から派生したものであり、一種の「循環主題」の形式と
言えると思います。
例えばチャイコフスキーの交響曲第5番とある意味構造的には似ているとすら言えると思います。
チャイコフスキーの交響曲第5番も「循環主題」の形式を採用し、冒頭の「テーマ」を他の楽章にも引用反復し
フィナーレで冒頭部分を高らかに再現している点は、まさに「似た者同士」とすら言えると思います。
Ⅰのシャコンヌですけど、冒頭はチューバ・ユーフォニアム・コントラバスによる8小節の低音のテーマが
提示されるのですけど、
それが前述の「循環主題」になっていて、このわずか8小節のテーマが全三楽章において
全ての楽章で反復されていて、まさに「全曲を貫く基本楽想」となっています。
そしてⅠはこの冒頭テーマと15の変奏から構成されていますけど、まさに「形式美」という誇り高き香りが
全体を貫く大変素晴らしい楽章だと思います。
クラリネットの高音域の伸ばしが実に素晴らしいと思います。
Ⅱの間奏曲(インテルメッツォ)ですけど、クラリネット等の刻みに乗っかる形でミュートを付けたトランペットが
とてもチャーミングで可愛らしいです。
冒頭は「ぽんっ・・」と全員弱奏でから開始されますけど、この冒頭の音だけを全員で伸ばした音でのロングトーンを
するとわかりますが、これが結構以外にも凄まじい不協和音で、楽章としてのチャーミングさと
相反する音の構造でもありますので、その辺りは大変興味深いものがあります。
クラリネットの2番や3番なんかは、譜面通り吹いてしまうと大変無機質で無味乾燥にも聴こえがちなのですけど、
周囲の音と合わせる形で「自分の役割とは何か」を自覚すると
とたんにそうした無機質な動きが大変意味がある事に気が付くと思います。
トランペット奏者は瞬間的にミュートを外してまた再度付けたりする個所もあり、結構大変だと思います。
Ⅲのマーチ(行進曲は)は序盤は金管セクションのみによる勇壮なマーチから開始され、
中間部の木管がとっても美しいです。
ⅢのメロディーラインはほとんどはⅠのシャコンヌの再現といっても過言ではなく
やはり組曲全体の「統一感」が見事に図られていると思います。
ホルストの「吹奏楽のための第一組曲」は、私自身の高校一年の時のコンクール自由曲でもあります。
この曲でもって音楽の構成美とか全体とパートのバランスの難しさとか自分の担当する楽器が全体の中で
果たすべき役割等実は初めて気が付かされたという事も大変多く、
中学自体、とにかくおっかない指揮者の先生の指示されるがままに吹いていた自分が初めて
「自分のパートの全体合奏内で果たすべき役割と意義」を生れてはじめて心の底から思い知らされた曲でも
ありますので、私個人にとっても大変思い入れがある曲でもありますし、私自身の「原点」といっても差し支えは無いと思います。
こうした吹奏楽オリジナル作品を、吹奏楽とか音楽とかが何もわかっていない時期に
真っ白な状態から一から学習していった曲でもありますから、
そうした私自身の経験から即しても、是非是非現役の若い奏者の皆様にもこういた吹奏楽のバイブル的作品は
一度ぐらいは経験して欲しいな・と思ったりもしますね。
実際この曲は、あまりにもスタンダートすぎるのか、シンプルゆえに難しいのか
支部大会以上のコンクールではあまり聴いた事がありません。
記憶に残っている限りでは、1990年の関東大会・中学の部の甲府南西中学校くらいなのかな・・・
評価は銅賞でしたけど、私は好きな演奏です。実に中学生らしい素直で伸び伸びとした演奏
でしたし、第一曲・シャコンヌの盛り上げ方が実に自然で良かったと思います。
プロの演奏では何度か聴いた事がありますが、
フェネル指揮の東京佼成のオーチャードホールでの1991年の演奏が抜群に素晴らしい演奏で、強く印象に残っています。
シャコンヌの盛り上がり方も感動的でしたし、なぜかクラリネットセクションも一部ベルアップしていたのが印象的です。
マーチも自然な流れで大変素晴らしかったです!
ホルストには、「吹奏楽のための第二組曲」というこれまたすてきなな曲もあります。
第一組曲が三楽章構成でしたが、第二組曲は四楽章構成で、第一楽章がマーチから開始されます。
個人的には、第三楽章の「鍛冶屋の歌」が好きです。
途中打楽器奏者による鍛冶屋がコーンコーンと熱い鉄を叩く音がグロッケンによって
模写されていますが、この辺りは単純だけど面白さは感じます。
第四楽章の「ダーガソンによる幻想曲」も単純な一つのメロディーが延々と繰り返される曲
なのですけど、これが素朴で実に楽しい曲です。
この「ダーガソンによる幻想曲」は、後日ホルスト自身によって管弦楽化され、
「セントポール組曲」の終楽章が、まさにこの曲です。
吹奏楽も管弦楽版もとぢらも素晴らしいけど、管弦楽版はどちらかというと室内楽に近い響きですし、
少し上品すぎる感じもしなくはないので、個人的には吹奏楽版の方がより魅力的のようにも感じられます。
ホルストの第二組曲を自由曲にして、何と全国大会まで駒を進めたチームもかつてありました。
1994年の中村学園ウインドアンサンブル(前身は中村学園OB吹奏楽団だったかな・・?)がそうです。
94年は、課題曲が異常に長いものばかりでしたので、課題曲に「雲のコラージュ」を選んだこのチームの自由曲は、
このホルストの第二組曲の中から、Ⅲ・鍛冶屋の歌 Ⅰ・マーチという選曲で臨んでいました。
感想としては、正直特にないけど「フィナーレは、ダーガソンの方が良かったのかも・・」という感じです。
中村学園は、1983年にも、吹奏楽オリジナルの正統派・王道ともいえる
ヴォーン=ウィリアムズの「イギリス民謡組曲」で全国大会にも出場し、
この年は、課題曲がカドリーユという事もあり、長めに自由曲を取れたせいか、
イギリス民謡組曲も第一・第三楽章はほぼノーカット、第二楽章も楽章の途中からの演奏となりますけど
第二組曲と言いこの曲と言いとにかくこうした古典的名曲を全国大会で演奏した意義は大変大きいものが
あるのかなと思ったりもします。
83年の方は分りませんが、94年の演奏には確か男性奏者もいたと記憶しています。
中村学園は女子高校だったと思いますが、大学は共学なのかな・・・?
とにかくなのですけど、ホルストの第一・第二組曲
ヴォーン=ウィリアムズのイギリス民謡組曲、グレンジャーの「リンカンシャーの花束」みたいな
古典的名曲は忘れられずに後世に受け継がれていってほしいと思います。
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