ウィリアム・シューマン / チェスター序曲 → 管弦楽版は3分半程度の曲が吹奏楽版だと6分程度の曲になるのは大変面白いものがありますし、冒頭のコラールの美しさには胸打たれるものがあると思います!
アメリカの20世紀の作曲家の「ウィリアム=シューマン」を知っている人って
ほとんどいないのかもしれませんよね。
シューマンと言うと、世間一般ではあの楽聖 ロベルト・シューマンを連想される方が多いと思いますけど
ロベルトとウィリアムでは時代も国も全然違います。
ちなみに、ロベルト=シューマンの場合の最後のnは二文字、ウィリアム=シューマンの場合のnは一文字という
違いもあったりします。
吹奏楽経験者の皆様でしたら、チェスター序曲とかジョージワシントンブリッジ・サーカス序曲などで
名前程度なら聞いたことがあるのかなという人は多少はいるのかな・・・?とも思います。
大変古い話ですけど、吹奏楽コンクールがまだ「順位制」であった頃、天理高校も自由曲にシューマンの
組曲「ニュース映画」を取り上げています。
この「ニュース映画」という曲もバカバカしいほど(?)わかり易い内容で、
「商業主義国家アメリカ」とか「胡散臭いインチキ国家アメリカ」みたいな安っぽい香りが
ぷんぷんと漂い、これはこれで大変な音楽的価値がある「裏の名曲」ではないのかと私は思ったりもしています。
この「ニュース映画」ですけど、1988年にミヨーの「フランス組曲」というあまりにも渋い曲で全国大会出場を
果たした鹿児島県の谷山中学校が翌年の89年に選んだのがこの「ニュース映画」で、
「久しぶりにシューマンの曲が普門館で聴けるのかも・・」と思ったのですけど、残念ながら
九州大会で散ってしまい、その夢は叶いませんでした・・(泣)
最近の吹奏楽コンクールにおいては、ウィリアム・シューマンという名前すらもほとんど聞かない名前になってしまいました。
実際、県大会の小編成部門でもウィリアム・シューマンの曲自体ほとんどというか全く演奏されていないようで、
吹奏楽コンクールにおいてはもすっかりと「忘れられた作曲家」の一人になったと言えるのかもしれないです(泣・・)
ウィリアム=シューマンなのですけど、意外な所でその名前が登場していたりもします。
その真偽がいまだにネタとなっている「ショスタコーヴィッチの証言」の中にシューマンの名前が登場します。
最初にあのくだりを読んだ時は正直驚きました。
あのショスタコーヴィッチの証言という本もすさまじく長いて実はいまだにあの本を完読出来ていません。
大変興味深い部分とどうでもいい部分が混在し、全体としては大変散漫な印象です。
この本の中で、ではどういう箇所でウィリアム・シューマンの名前が出てきたかと言うと、これが結構とんでもない話であり、
とあるソ連の作曲家の一人が、
「どうせウィリアム・シューマンなんてアメリカの作曲家はソ連内では誰も知らないし、シューマンの曲をソ連内で
自分が作った曲として発表してもどうせバレないだろう」 という著作権もへったくれも何も無い話がここで語られていたのが
大変印象的でもありました。
ウィリアム・シューマンは、実は交響曲だけでも10曲も残したある意味シンフォニストです。
(第一番と第一交響曲を改作した第二番は、後に撤回・破棄されましたので実質的に残した交響曲は計8つです。)
個人的には、二楽章構成ながらも実に分り易い作風でクライマックスまでエキサィティングに展開する交響曲第3番と
(この3番は、亡くなる数年前のバーンスタインのライブ録音が発売されています・・)
最後の交響曲の第10番「アメリカのミューズ」が非常に気に入っています。
ウィリアム=シューマンの作品を聴いてみると、
本当にこの人は、「母国のアメリカを愛していたんだなぁ」と感じずにはいられません。
交響曲第10番「アメリカのミューズ」
ニューイングランド三部作(第一曲は、「輝かしきアメリカ」)
アメリカ祝典序曲
アメリカの主題による変奏曲(原曲はアイヴズのオルガン曲ですけどシューマンのアレンジ版の方が有名だと思います)
などに代表されるように、アメリカと名が付いた作品だけでもこれだけあります。
ウィリアム・シューマンの曲は部分的には難解ですけど、暗いとか陰鬱という作風の曲はほぼ皆無だと思います。
大抵の場合エンディング近くは、トランペットによる超高音域によるけたたましい響きと共に
怒涛のように一気にあおって終わらせるという感じの曲が 多いのが特徴なのかもしれません。
そして全体的に胡散臭いというのかなんかインチキ臭い感じがいかにも「アメリカ!!」という感じが漂っていて、
私はそうした胡散臭い安っぽい感じがとっても大好きです!
方向性としては、コープランドの路線に近いものがありそうですね。
「自分はいつの日にか成功する!と信じ続けていれば、いつかその夢は必ず叶う!」みたいな胡散臭いアメリカらしさが
クラシック音楽の中にも十分発揮している曲と言えるのかもしれません。
ウィリアム・シューマンの交響曲の領域は、分かりやすくて大衆のウケがよさそうな曲というと交響曲第3番くらいなもので、
番号が後になるほど難解になっていくような気がします。
特に第10番は、「パズル」というか、「無限の記号の墓標」みたいな曲なのですが、
アメリカの伝統的開放性と実験的革新性が妙にマッチしているような感覚があり、私はこの交響曲第10番は大好きです。
都会的な洗練さと難解なパズルがかなりうまく融合した曲だと思います。
(スラットキン指揮/セントルイス響がおすすめです)
一般的な話をすると、例えばプロコフィエフが典型例なのですけど、
若い頃は例えば交響曲第2番とか交響曲第3番「炎の天使」のように過激で不協和音炸裂の
危険な香りがプンプン漂う曲を書いていたのに、晩年の交響曲第7番「青春」のように
児童音楽みたいな感じもするしハリウッドの映画音楽みたいな香りもするあまりにも分かり易すぎる曲を残した事が
示唆するように
年を重ねると晩年は平易で分かり易い曲に落ち着いていくというのが何か一つのパターンみたいな感じもあります。
ウィリアム・シューマンの交響曲の場合、晩年になればなるほど難解で曲が複雑になっていく傾向にあるのは
大変興味深いものがありそうです。
ウィリアム・シューマンは、何曲か吹奏楽作品も残しています。
純粋な意味でシューマンの吹奏楽オリジナル作品というと「ジョージ・ワシントン・ブリッジ」が一番馴染みがあるのかなとも
思うのですけど、
シューマン自身が作曲した管弦楽曲を自ら吹奏楽作品としてアレンジした作品も幾つかあり、
この中で最も馴染みが深く、日本の吹奏楽コンクールでも人気&演奏実績がある曲というのが、
「ニューイングランド三部作」という曲なのだと思います。
この曲は下記の三曲で構成されています。
Ⅰ.輝きあれ! アメリカ
Ⅱ.イエス、涙を流す時
Ⅲ.チェスター
Ⅰは、出だしの弱奏のティンパニソロが格好いいです! 金管セクションの輝きが素晴らしいです。
Ⅱの冒頭のテナードラムが実に渋いです。
Ⅲは、冒頭の木管で展開されるコラールがとっても美しくて清楚なものを感じさせてくれます。木管の後に続けて
展開される金管のコラールはとても厳粛で神聖な雰囲気に満ち溢れていると思います。
管弦楽版では、Ⅲのチェスターは3分程度の曲なのですけど
作曲者による吹奏楽版では、なぜか倍以上の7分程度の長さにまで拡大されています。
このⅢの部分を独立させて 「チェスター序曲」として演奏される事もあり、実際に吹奏楽コンクール全国大会においては、
1979年の出雲吹奏楽団や1984年の松下電工がこの曲を自由曲として演奏をしています。
出雲吹奏楽団は、こうしたシンプルな曲であっても大変丁寧な演奏をされていて、全国大会で見事に金賞を
受賞しているのですけど、 この時代はこうした技術的な難易度が低い曲でも全国大会に出場できるような時代で
あったんだなぁ・・となんか今現在の視点からあの演奏を聴くと、そのように感じる事もあったりもします。
やはり、時代と言うものは、確実に「変化」を続けているものなんですね!
ちなみにですけど、この「ニューイングランド三部作」の管弦楽の原曲は、
アンドレ・コステラネッツによる委嘱を受け、1956年に作曲され、初演ではないものの、
同年の11月3日には、なんとあの泣く子も黙る名門オーケストラのニューヨーク・フィルハーモニックでも
演奏されていたのでした!!
コステラネッツの要望は、「アメリカ風の背景による、標題的な性格を持つ」「明るく、聴衆にすばやくアピールする」
というものでしたけど、この二点に関しては、ほぼ満点に近い感じで曲を仕上げているようにも
感じられます。
そうそう、第3曲の「チェスター」のあのコラールは、実はシューマン自身の作曲ではなくて、
ビリングスという方の聖歌を題材にしたものです。
一つの「引用」と言えるのかもしれないですね。
前述の通り、第3曲の「チェスター」は、原曲の管弦楽版は3分程度の大変短い曲で
冒頭のコラールも短めで、その後の展開部も、大変さくさくと進展していくみたいな印象もあるのですけど、
シューマン自身が編曲した吹奏楽アレンジ版においては、原曲には無い個所を相当追加し、メロディーラインにも変化を加え、
結果的に6分半~7分程度の原曲のほぼ倍近い長さで再構成をしているのですけど、
これは多分ですけど、誰が聴いても吹奏楽版の方が説得力があると思います。
もしかして、シューマン自身も原曲のチェスターにおけるさくさく進行しすぎたあっけない展開が納得いっていなかったのかも
しれないです。
自分が納得いくように曲を再構成・加筆していったら、いつの間にか自分の元の原曲すらも凌駕してしまったと
いえるのかもしれないですよね。
この「チェスター序曲」ですけど、技術的には大変平易に書かれているのですけど、前半のコラールを含めて
大変わかり易く書かれていて、 確かに安っぽい感じはあるのですけど、
全体的には人の心にすーーーっと入り込むような「安心感」も漂う曲でもありますので、
コンクール自由曲というよりは、普段の「練習曲」の一つとしてこの曲を題材にされるのも決して時代遅れではないと
思いますし、 こうした名曲は、やはり誰かには聴いてもらいたいですし、
曲自体「吹奏楽オリジナル作品の名曲」の一つとして永遠に受け継がれていってほしいものですね。
最後に余談ですけど、ウィリアム・シューマンを語る上で絶対に外せない曲が一つあります。
何かと言うと、「ヴァイオリン協奏曲」です。
私は、ズーコフスキー独奏の演奏しか聴いた事がありませんが、この曲の無限のエネルギー感には
ただただ脱帽するしかありません。
第一楽章冒頭も相当のインパクトですが、
第二楽章のバックの金管楽器の怒涛の響かせ方、激しい不協和音、バックに屈しない独奏ヴァイオリンの快進撃、
これは、「生きるエネルギーの源」といっても差し支えの無いほどの「無限の力」・「眩しすぎる明るさ」を
痛いほどに感じてしまいます。
ウィリアム=シューマンは、音楽史的には「新古典主義」に分類されているようですけど、それは少し違うような気もします。
原始主義とも言えるし、前衛音楽の要素もあるし、アメリカと言う国民楽派みたいな側面もあるし、
色々な顔がある作曲家という感じもあります。
そんな中、このヴァイオリン協奏曲は何だろうな・・・・・
一見訳の分からん前衛っぽくも聴こえたりもするのですけど、前衛的退廃さとか分かりにくさは微塵も無く
そこにあるのは、「どんな事があっても自分は生きて生きて生き抜こう!!」ととてつもなく前向きな生命力なのだと思います!
興味がある方は是非是非この「ヴァイオリン協奏曲」を聴いて頂ければと思います。
この曲を聴かないで死んでしまうのは何か勿体無いような気さえします・・・
ほとんどいないのかもしれませんよね。
シューマンと言うと、世間一般ではあの楽聖 ロベルト・シューマンを連想される方が多いと思いますけど
ロベルトとウィリアムでは時代も国も全然違います。
ちなみに、ロベルト=シューマンの場合の最後のnは二文字、ウィリアム=シューマンの場合のnは一文字という
違いもあったりします。
吹奏楽経験者の皆様でしたら、チェスター序曲とかジョージワシントンブリッジ・サーカス序曲などで
名前程度なら聞いたことがあるのかなという人は多少はいるのかな・・・?とも思います。
大変古い話ですけど、吹奏楽コンクールがまだ「順位制」であった頃、天理高校も自由曲にシューマンの
組曲「ニュース映画」を取り上げています。
この「ニュース映画」という曲もバカバカしいほど(?)わかり易い内容で、
「商業主義国家アメリカ」とか「胡散臭いインチキ国家アメリカ」みたいな安っぽい香りが
ぷんぷんと漂い、これはこれで大変な音楽的価値がある「裏の名曲」ではないのかと私は思ったりもしています。
この「ニュース映画」ですけど、1988年にミヨーの「フランス組曲」というあまりにも渋い曲で全国大会出場を
果たした鹿児島県の谷山中学校が翌年の89年に選んだのがこの「ニュース映画」で、
「久しぶりにシューマンの曲が普門館で聴けるのかも・・」と思ったのですけど、残念ながら
九州大会で散ってしまい、その夢は叶いませんでした・・(泣)
最近の吹奏楽コンクールにおいては、ウィリアム・シューマンという名前すらもほとんど聞かない名前になってしまいました。
実際、県大会の小編成部門でもウィリアム・シューマンの曲自体ほとんどというか全く演奏されていないようで、
吹奏楽コンクールにおいてはもすっかりと「忘れられた作曲家」の一人になったと言えるのかもしれないです(泣・・)
ウィリアム=シューマンなのですけど、意外な所でその名前が登場していたりもします。
その真偽がいまだにネタとなっている「ショスタコーヴィッチの証言」の中にシューマンの名前が登場します。
最初にあのくだりを読んだ時は正直驚きました。
あのショスタコーヴィッチの証言という本もすさまじく長いて実はいまだにあの本を完読出来ていません。
大変興味深い部分とどうでもいい部分が混在し、全体としては大変散漫な印象です。
この本の中で、ではどういう箇所でウィリアム・シューマンの名前が出てきたかと言うと、これが結構とんでもない話であり、
とあるソ連の作曲家の一人が、
「どうせウィリアム・シューマンなんてアメリカの作曲家はソ連内では誰も知らないし、シューマンの曲をソ連内で
自分が作った曲として発表してもどうせバレないだろう」 という著作権もへったくれも何も無い話がここで語られていたのが
大変印象的でもありました。
ウィリアム・シューマンは、実は交響曲だけでも10曲も残したある意味シンフォニストです。
(第一番と第一交響曲を改作した第二番は、後に撤回・破棄されましたので実質的に残した交響曲は計8つです。)
個人的には、二楽章構成ながらも実に分り易い作風でクライマックスまでエキサィティングに展開する交響曲第3番と
(この3番は、亡くなる数年前のバーンスタインのライブ録音が発売されています・・)
最後の交響曲の第10番「アメリカのミューズ」が非常に気に入っています。
ウィリアム=シューマンの作品を聴いてみると、
本当にこの人は、「母国のアメリカを愛していたんだなぁ」と感じずにはいられません。
交響曲第10番「アメリカのミューズ」
ニューイングランド三部作(第一曲は、「輝かしきアメリカ」)
アメリカ祝典序曲
アメリカの主題による変奏曲(原曲はアイヴズのオルガン曲ですけどシューマンのアレンジ版の方が有名だと思います)
などに代表されるように、アメリカと名が付いた作品だけでもこれだけあります。
ウィリアム・シューマンの曲は部分的には難解ですけど、暗いとか陰鬱という作風の曲はほぼ皆無だと思います。
大抵の場合エンディング近くは、トランペットによる超高音域によるけたたましい響きと共に
怒涛のように一気にあおって終わらせるという感じの曲が 多いのが特徴なのかもしれません。
そして全体的に胡散臭いというのかなんかインチキ臭い感じがいかにも「アメリカ!!」という感じが漂っていて、
私はそうした胡散臭い安っぽい感じがとっても大好きです!
方向性としては、コープランドの路線に近いものがありそうですね。
「自分はいつの日にか成功する!と信じ続けていれば、いつかその夢は必ず叶う!」みたいな胡散臭いアメリカらしさが
クラシック音楽の中にも十分発揮している曲と言えるのかもしれません。
ウィリアム・シューマンの交響曲の領域は、分かりやすくて大衆のウケがよさそうな曲というと交響曲第3番くらいなもので、
番号が後になるほど難解になっていくような気がします。
特に第10番は、「パズル」というか、「無限の記号の墓標」みたいな曲なのですが、
アメリカの伝統的開放性と実験的革新性が妙にマッチしているような感覚があり、私はこの交響曲第10番は大好きです。
都会的な洗練さと難解なパズルがかなりうまく融合した曲だと思います。
(スラットキン指揮/セントルイス響がおすすめです)
一般的な話をすると、例えばプロコフィエフが典型例なのですけど、
若い頃は例えば交響曲第2番とか交響曲第3番「炎の天使」のように過激で不協和音炸裂の
危険な香りがプンプン漂う曲を書いていたのに、晩年の交響曲第7番「青春」のように
児童音楽みたいな感じもするしハリウッドの映画音楽みたいな香りもするあまりにも分かり易すぎる曲を残した事が
示唆するように
年を重ねると晩年は平易で分かり易い曲に落ち着いていくというのが何か一つのパターンみたいな感じもあります。
ウィリアム・シューマンの交響曲の場合、晩年になればなるほど難解で曲が複雑になっていく傾向にあるのは
大変興味深いものがありそうです。
ウィリアム・シューマンは、何曲か吹奏楽作品も残しています。
純粋な意味でシューマンの吹奏楽オリジナル作品というと「ジョージ・ワシントン・ブリッジ」が一番馴染みがあるのかなとも
思うのですけど、
シューマン自身が作曲した管弦楽曲を自ら吹奏楽作品としてアレンジした作品も幾つかあり、
この中で最も馴染みが深く、日本の吹奏楽コンクールでも人気&演奏実績がある曲というのが、
「ニューイングランド三部作」という曲なのだと思います。
この曲は下記の三曲で構成されています。
Ⅰ.輝きあれ! アメリカ
Ⅱ.イエス、涙を流す時
Ⅲ.チェスター
Ⅰは、出だしの弱奏のティンパニソロが格好いいです! 金管セクションの輝きが素晴らしいです。
Ⅱの冒頭のテナードラムが実に渋いです。
Ⅲは、冒頭の木管で展開されるコラールがとっても美しくて清楚なものを感じさせてくれます。木管の後に続けて
展開される金管のコラールはとても厳粛で神聖な雰囲気に満ち溢れていると思います。
管弦楽版では、Ⅲのチェスターは3分程度の曲なのですけど
作曲者による吹奏楽版では、なぜか倍以上の7分程度の長さにまで拡大されています。
このⅢの部分を独立させて 「チェスター序曲」として演奏される事もあり、実際に吹奏楽コンクール全国大会においては、
1979年の出雲吹奏楽団や1984年の松下電工がこの曲を自由曲として演奏をしています。
出雲吹奏楽団は、こうしたシンプルな曲であっても大変丁寧な演奏をされていて、全国大会で見事に金賞を
受賞しているのですけど、 この時代はこうした技術的な難易度が低い曲でも全国大会に出場できるような時代で
あったんだなぁ・・となんか今現在の視点からあの演奏を聴くと、そのように感じる事もあったりもします。
やはり、時代と言うものは、確実に「変化」を続けているものなんですね!
ちなみにですけど、この「ニューイングランド三部作」の管弦楽の原曲は、
アンドレ・コステラネッツによる委嘱を受け、1956年に作曲され、初演ではないものの、
同年の11月3日には、なんとあの泣く子も黙る名門オーケストラのニューヨーク・フィルハーモニックでも
演奏されていたのでした!!
コステラネッツの要望は、「アメリカ風の背景による、標題的な性格を持つ」「明るく、聴衆にすばやくアピールする」
というものでしたけど、この二点に関しては、ほぼ満点に近い感じで曲を仕上げているようにも
感じられます。
そうそう、第3曲の「チェスター」のあのコラールは、実はシューマン自身の作曲ではなくて、
ビリングスという方の聖歌を題材にしたものです。
一つの「引用」と言えるのかもしれないですね。
前述の通り、第3曲の「チェスター」は、原曲の管弦楽版は3分程度の大変短い曲で
冒頭のコラールも短めで、その後の展開部も、大変さくさくと進展していくみたいな印象もあるのですけど、
シューマン自身が編曲した吹奏楽アレンジ版においては、原曲には無い個所を相当追加し、メロディーラインにも変化を加え、
結果的に6分半~7分程度の原曲のほぼ倍近い長さで再構成をしているのですけど、
これは多分ですけど、誰が聴いても吹奏楽版の方が説得力があると思います。
もしかして、シューマン自身も原曲のチェスターにおけるさくさく進行しすぎたあっけない展開が納得いっていなかったのかも
しれないです。
自分が納得いくように曲を再構成・加筆していったら、いつの間にか自分の元の原曲すらも凌駕してしまったと
いえるのかもしれないですよね。
この「チェスター序曲」ですけど、技術的には大変平易に書かれているのですけど、前半のコラールを含めて
大変わかり易く書かれていて、 確かに安っぽい感じはあるのですけど、
全体的には人の心にすーーーっと入り込むような「安心感」も漂う曲でもありますので、
コンクール自由曲というよりは、普段の「練習曲」の一つとしてこの曲を題材にされるのも決して時代遅れではないと
思いますし、 こうした名曲は、やはり誰かには聴いてもらいたいですし、
曲自体「吹奏楽オリジナル作品の名曲」の一つとして永遠に受け継がれていってほしいものですね。
最後に余談ですけど、ウィリアム・シューマンを語る上で絶対に外せない曲が一つあります。
何かと言うと、「ヴァイオリン協奏曲」です。
私は、ズーコフスキー独奏の演奏しか聴いた事がありませんが、この曲の無限のエネルギー感には
ただただ脱帽するしかありません。
第一楽章冒頭も相当のインパクトですが、
第二楽章のバックの金管楽器の怒涛の響かせ方、激しい不協和音、バックに屈しない独奏ヴァイオリンの快進撃、
これは、「生きるエネルギーの源」といっても差し支えの無いほどの「無限の力」・「眩しすぎる明るさ」を
痛いほどに感じてしまいます。
ウィリアム=シューマンは、音楽史的には「新古典主義」に分類されているようですけど、それは少し違うような気もします。
原始主義とも言えるし、前衛音楽の要素もあるし、アメリカと言う国民楽派みたいな側面もあるし、
色々な顔がある作曲家という感じもあります。
そんな中、このヴァイオリン協奏曲は何だろうな・・・・・
一見訳の分からん前衛っぽくも聴こえたりもするのですけど、前衛的退廃さとか分かりにくさは微塵も無く
そこにあるのは、「どんな事があっても自分は生きて生きて生き抜こう!!」ととてつもなく前向きな生命力なのだと思います!
興味がある方は是非是非この「ヴァイオリン協奏曲」を聴いて頂ければと思います。
この曲を聴かないで死んでしまうのは何か勿体無いような気さえします・・・
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