伊藤康英 / 吹奏楽のための抒情的「祭」 → 東北の血が騒ぎそうな曲ですし、後半の展開のエネルギー炸裂は更に凄いと思います。 関東大会B部門の八千代高校の快演(怪演・・?)は壮絶です!

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以前もちらっと記事にしたことがあつたと思いますが、 私自身はいわゆる転勤族世帯の子供と言う事で
小学校の頃は転校の連続で、東北・関東・信州など色々と各地を転々とさせて頂きましたけど、
生まれ自体は青森県八戸市」なのです。
残念なことに青森在住時の当時の記憶はほとんどなく(4歳過ぎには八戸を去っていました)
大変漠然とした記憶なのですけど、冬の海辺・カモメかウミネコか分かりませんが海浜の膨大な鳥の数々・
漁師さんが砂浜に放り投げたと思われるイカのはらわた、そして何よりも真冬の頃の想像を絶する大雪、
2月頃は家の出入りは一階ではなくて二階からの出入りをせざるを得なかったほどの降り積もった雪の事は
うっすらとではありますけど、「そんな事がもしかしたらあったのかも・・?」程度に私のこのポンコツ脳内に留まっております。
そしてどちらかというと大雪よりは海岸の冬の景色という事の方が記憶に留まっているのはなんか面白いものが
あると思います。

人の歴史に「もしも・・」とか「if・・」という仮定の話は通用しない事は分かり切っているのですが、
当時住んでいた中学校の学区は「八戸市立湊中学校」だったと予想されるのですけど、もしも私があのまま青森県八戸市に
住み続けていたと仮定したら何が起きていたのかと言うと
吹奏楽コンクールに詳しい方でしたらすぐにピーンとくるのかもしれないですけど、
この湊中は1970年代~90年代初め頃までは吹奏楽コンクールの名門中の名門チームで、
全国大会に何度も出場し何度も金賞を受賞し、例えば、海・寄港地・ディオニソスの祭り・幻想交響曲等の名演を
残してきた学校です!
もしかしたら、私自身も全国大会出場、あこがれの「普門館」での演奏という可能性も あったのかもしれないと考えると
「ちょっと悔しいのかも~」と思ってしまいそうですね~(汗)

以前当ブログにおいて、外山雄三氏の「管弦楽のためのラプソディー」という 日本の全国各地の「民謡」を題材にした曲の事
を取り上げさせて頂いた事もありましたけど、吹奏楽の邦人オリジナル作品でも
そうした「日本の民謡」をモチーフにした作品はかなりあると思われますが、その中でもかなり印象に残る曲の一つに
伊藤康英の吹奏楽のための抒情的「祭」を是非挙げさせて頂きたいと思います。
(伊藤康英と言うと吹奏楽のための交響詩「ぐるりよざ」が大変名高いと思いますが、この曲の中にも長崎ぶらぶら節などの
民謡のフレーズが引用されていますし、「北海変奏曲」でもソーラン節等がかなり執拗に引用されていたのも
大変印象的です!
伊藤康英というとあまり知名度は高いとは言えないと思われる曲ですけど「台湾狂詩曲」も大変魅力的な曲だと思います!)

吹奏楽のため抒情的「祭」は7分程度の短い曲なのですけど
「管弦楽のためのラプソディー」同様に日本人でないと多分理解できないような
郷愁とか心のふるさとみたいなメロディーがしみじみと伝わってきますし、ああした音楽を聴くと日本人としての血が騒ぐ
というのか、「日本に生まれてきてよかったぁ~!」と心から叫びたくなってしまいそうです!
抒情的「祭」は日本の全国各地の「民謡」のメドレーではなくて青森県の民謡に特化した曲と言うのが
外山雄三の「管弦楽のためのラプソディー」との大きな違いと言えるのかもしれないです。
上記で書いた通り、私自身の出生が青森県という事もあり、この抒情的「祭」を聴くと、私自身は東北生まれ・東北育ちとしての
血がとてつもなく騒ぎ出しそうですし、この曲を聴くと「青森県っていいよなぁ・・」としみじみ感じてしまいます!
曲は青森の民謡をベースに構成されていますけど不思議な事にそれほど「泥臭い」とは感じません。
私的にはむしろ「大変洗練されたスマートな作品」という印象すらあります。
それでも冒頭ですとか、後半の金管楽器のリズム感とかティンパニ乱打を聴くと
やはりそこにあるのは、「日本人としての土俗の血」または青森県民のDNAが騒ぎ立てるという事なのかもしれないです。

この曲は元々は、海上自衛隊大湊音楽隊(青森県)が地元民謡を素材にと委嘱した作品でありまして、
青森県の代表的な民謡などをモティーフに作曲されており、「津軽じょんがら三味線」の精力的な響き、
情感豊かな「ホーハイ節」・「津軽あいや節」、そして「ねぷた」の勇壮なリズムと囃子が次々と表情を変えて現れます。
青森の気候や風土、情景が思い浮かべられる大変魅力的な曲と言えると思います。

管弦楽のためのラプソディー同様、単純なA-B-Aの三部構成で、
両端のAの土俗的な躍動感、そして中間部のBのしっとりとした歌で構成されていますけど、
Bの盛り上がりの頂点の部分でタムタムがドーンと鳴り響いたり、盛り上がりの要素も相当あると思います。
後半の壮絶なリズムのクロスの場面では、金管セクションと打楽器セクションのぶつかり合いの華麗なる響きは
この曲最大の聴かせ所だと思います。
ラストは大太鼓の「ドスン」という一撃で閉じられますけど、この部分はかなり強烈なインパクトがあります。

この曲は過去に6回全国大会で演奏されていますが、申し訳ありませんがどれも決め手に欠く演奏で
吹奏楽コンクールにおいて私が知る限りにおいては決定的名演はまだ表れていないような気もします。
抒情的「祭」というと、ほとんどの方は1989年の宝梅中学校の金賞の演奏を挙げられるとは思うのですけど、
あの演奏を実際にリアルタイムで普門館で聴いた私から言わせて頂くと、
「後半の金管がヘロヘロ状態で細部ぶっ潰れ・・・」という印象で、私的にはあまり共感できる演奏ではありません。
私としては、一番共感できる演奏は、うーーん、何だろう・・・・
木村 吉宏cond. 広島ウインドオーケストラあたりが一番好きな演奏なのかな・・?
(洗練され過ぎてこの演奏も決定的名演ではないのかな・・?というのが私の見解なのかもしれないです)

吹奏楽のための抒情的「祭」を語る上で絶対に忘れる事が出来ない演奏が一つあります。

どこかと言うと、

1994年の関東大会、高校の部B部門の千葉県代表・県立八千代高校の演奏です!

この演奏は実際あらゆる意味で「すごい」演奏ですし
伝説の名演(迷演?  珍演?)であると思いますし、とてつもなくエネルギッシュな快演(怪演・・!?)だと思います。

私がこれまでに聴いてきたコンクール演奏の中でも異色中の異色の演奏だと思います。
冒頭からパワー全開の指揮者と演奏だったと思いますし、中間部をたっぷりと歌いこんで
「さて・・これから追込みの部分だ・・」と思っていたら、なんと・・! 奏者が次から次へと全体の1/3程度の奏者たちは舞台裏に
演奏中であるにも関わらず姿を消していくので、「あれっ?」と思っていたら
中間部が終わってアレグロの部分に戻る辺りから、舞台裏に消えたメンバーが
ハッピ姿に着替えて、「ラッセー、ラッセー、ラッセーラー」の掛け声と共に半分踊りながら
舞台狭しと練り歩いて踊りまくっていました!!
この掛け声シーンは大体1分程度続きましたけど
この間は確か演奏も止まっていたと記憶しています。
舞台上の座席で楽器を持っている奏者も舞台上でハッピを纏って掛け声を上げている奏者も
この部分は全員が「ラッセー、ラッセー、ラッセーラー」の掛け声で叫んでいました。
会場で聴いていた聴衆たちはとにかく唖然・・茫然として開いた口がふさがらない状態に陥り
とてつもないカオス状態が発生していました!
悪い感じは全くしませんでしたし、演出過剰とは微塵も思いませんでしたし、
むしろ「自発的」とか「エネルギッシュ」というプラスの印象が大変強かったです。
指揮者のあまりの大振りも前時代的で逆に印象的でした。
音楽の方向としては、「野性的・ワイルド・エネルギー」を感じさせるものでしたけど、
あまりにもそれを支える技術がかなり拙いものはあったものの、そこにあるのは、強い表現意欲と
ダイナミックスな血の騒がせ方であり、技術的なマイナスを十分にカヴァーし、
結果として銀賞となりホッと安堵するものはあったと思います。

八千代高校の演奏評をその後BJで上野晃先生と言ってプロのクラシック音楽評論でもとてつもない激辛批評で
お馴染みの先生が担当されていましたので、
当時としては「上野先生はあの演奏の事をけちょんけちょんにこき下ろして酷評するのだろうなぁ・・」と予想していましたが、
実際には「力感溢れる演奏」と高い評価をしていたのは極めて意外でした!
だって上野先生は、 例えば、吹奏楽コンクールの本番にて奏者が誰もいない椅子の上にぬいぐるみを置いただけでも
BJ評では、「好ましくない、不真面目」と辛辣な事を言うかなり真面目な先生でしたので
「ああいう厳しい先生にも八千代高校のエネルギッシュな雰囲気は十分伝わっていたのだな・・」と感じていたものでした!

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