スルタン・ガジべコフって結局一体どういう作曲家だったのでしょうか・・? → 1985年の花輪高校の自由曲の作曲家という以外は何も情報が無いです・・(泣)

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長年に渡って「吹奏楽コンクール」を聴き続けていると
たまにですけど、クラシックアレンジものにおいて、
「この作曲家って誰・・?? 聞いた事すらない」みたいな作曲家の曲を自由曲に選ぶチームもあったりして
その辺りは大変興味深いものがあります。
そのいい例がカヒッゼの「イタリア狂詩曲」だったかな・・?
最初にあの曲を聴いた時は、正直思いっきりぶったまげたものでした。
だって、まさにイタリア民謡「フニクリ・フニクラ」をもろにそのまんま執拗に「これでもかっ!!」というくらい
引用しまくっていましたからね・・・
吹奏楽コンクールでの演奏がきっかけとなってその曲とかその作曲家の曲を知る事になったのは色々とあるのですけど
(前述のイタリア狂詩曲を聴いた次の日にはこの曲が収録されたCDを探しに渋谷・池袋・秋葉原を
転々としたものです! 結局秋葉原の石丸電気で無事に発見しました!)
作曲家の名前すら聞いた事が無いというのはどちらかと言うと少ないケースだと思います。
なぜなら吹奏楽コンクールの支部大会・全国大会と言うと、ほとんどの場合は、アレンジ系の曲を自由曲に
選ぶ場合は、ある程度は知名度がある作曲家を選ぶ傾向が大変強いですからね。

「この作曲家って誰・・・?? 聞いた事すらないのかも~?」の筆頭格は、私にとっては、
1985年に秋田県の花輪高校吹奏楽部が自由曲に選んだガジべコフという作曲家の交響曲第2番でした!!
花輪高校は、過去にも例えばプロコフィエフの交響曲第3番、ハチャトゥーリアンの交響曲第2番と第3番などといった
ロシアマイナーシンフォニーを自由曲に選ぶことは何度もあったのですけど、
プロコフィエフにしてもラフマニノフにしてもハチャトゥーリアンにしても作曲者の知名度は大変高いけど、
マイナーで知名度が低い作品をあえて当時の指揮者の小林先生が自信満々に選んだパターンが多かったのですけど、
作曲者の名前すら全然聴いたことが無いというのは初めての事例だったのかもしれないですね~!
(余談ですけど、私個人としては1982年の花輪高校の自由曲のウォルトン作曲の交響曲第1番~終楽章が全国大会に
進めず東北大会ダメ金で終わってしまったのは本当に残念な話でした・・
あのウォルトンは是非普門館の聴衆の皆様に聴いて欲しかったです!!)

多分ですけど、当時の普門館の会場にいた人の中で「ガジべコフ」という作曲家の事をご存知の方ってもしかしたら
多分一人もいなかったのかもしれないですね。

勿論、そういう私自身も全然知らないし、その名前すら聞いた事すらないという感じでした。
後日、大学の吹奏楽団の人達に「ガジべコフという作曲家の事を誰か知っている人はいませんか~?」と尋ねまくっても
全員が「誰それ?? 名前すら聞いた事が無い・・」という反応でした。

この年の花輪高校の演奏は本当に素晴らしいもので、まさしく「名演」に相応しい演奏だったと思います。
しかも、あの演奏はプログラム一番なのですよ!!
朝一番という大変シビアな条件にも関わらずあの生き生きとした演奏、金管セクションの重厚感溢れる演奏、
木管のしなり、スピード感溢れる展開に大変な演奏上の迫力・・!
聴いていて全く文句がつけようがない演奏で、とにかく素晴らしい演奏だったと思います。
私個人の感想としては「文句のつけようがないぶっちぎりの金賞!」という評価しかありえないという感じだったと思います。
1985年の高校の部は、金賞チームと銀~銅のチームの差は比較的はっきりしていて評価は大変つけやすかったように
感じられますし、金賞チームの中では、私的には天理のセント・アンソニー・ヴァリエーション、習志野の波の見える風景、
名電のプラハのための音楽1968、そして花輪の4チームがグランプリクラスの金賞ではないのか・・?と
感じておりました。
だけど、花輪高校のあの素晴らしい演奏の評価はなぜか「銅賞」なんですよね・・・(泣・・)
確かにコンクール審査は水物でありますし、審査は審査員の好みが出てしまう事もよくあるというのは理屈では分かっていますし
私自身の感じた評価と実際の審査結果の乖離は全然珍しいことではないのですけど、
1985年の花輪高校の銅賞ほど私の中では「こんな審査結果は絶対納得できない!」と怒りを感じたコンクールは
なかったですね・・
艦これの白露お姉ちゃん風に言うと私がこれまでたくさん聴いてきた吹奏楽コンクール審査の中で「いっちば~ん!」納得が
いかない審査結果と評価なのだと思います。
というか、花輪高校のあの演奏のどこをどう聴けばあの演奏が「銅賞」という評価になってししまうのか、あの演奏から
既に33年経過しているのですけど、私はいまだに納得いっていないですね!!
「あの演奏のどこが銅賞なんだ!! どこをどう捻くれて聴けば銅賞という評価を出せるんじゃ――!!」と
当時とにかく思いっきりブーたれていましたけど、今現在もそのブーたれは継続中と言えるのかもしれないです・・(汗・・)

それにしても花輪高校の当時の指揮者の小林久仁郎先生ですけど
ハチャトゥーリアンの交響曲第3番「シンフォニーポエム」と言いこのガジべコフといい、
一体どうすればこうした「埋もれたマイナーシンフォニー」の名曲を探し当てるのでしようかね・・・
小林先生の功績はたくさんあり過ぎてとてもじやないけど一つの記事にまとめることは不可能なのですけど、
「シンフォニーポエム」を吹奏楽コンクールの定番自由曲の一つとなるきっかけを作ったという事があると思います。

話がそれました・・(汗・・)

1985年に花輪高校が演奏した交響曲第2番の作曲者のガジべコフなのですけど、
その後私も色々と調べたのですけど、結局なんにも分かりませんでした。
かろうじて判明した事は、

1.1974年に既に55歳の若さで逝去

2.正式には、スルタン・ガジべコフという名前

3.アゼルバィジャン共和国の作曲家兼音楽院教授

このくらいでした・・・

他にどんな曲があるのか、代表作はなんなのか、誰に師事したのか等は今現在もさっぱりわかりません。

花輪高校が演奏した交響曲第2番なのですけど、この曲の管弦楽版の原曲は聴いた事がありません。
というか、そもそもレコード等の音源ってこの曲にあるのかな・・??
それすら不明なのです・・
そして実はそれ以前に花輪高校が演奏した箇所は第何楽章なのかとか、例えば小林先生が
プロコフィエフと交響曲第3番とハチャトゥーリアンの交響曲第2番「鐘」でアレンジしていたように、
第一楽章をメインに構成し終結部に第四楽章のラストを劇的にくっつけ、ある意味総集編みたいな曲にまとめていた事例も
過去にはありましたから、
もしかして、複数の楽章を小林先生がまたまた巧みにミックスさせたのかな・・?みたいな私の勝手な想像についても
実は今現在も全くの謎の状態です。

大学時代貧乏学生の典型だった私は、クラシック音楽とか吹奏楽作品を聴きたくともお金がないもので、
アルバイトと吹奏楽団生活と学生生活を掛け持ちしながらお金を少しは稼いでいましたけど、
結局は生活費の足しとか楽器のリード等の備品購入に廻ってしまい、中々レコードにまでお金が廻らず、
吹奏楽作品とかクラシック音楽のレコードを買う事が出来ないものでした。
当時はCDがやっと世に普及したばかりで、国内盤は一枚3000~3500円と言う今では信じられない値がついていました。
そういう時、大変便利な施設がありまして、
それが何かと言うと都内の上野にある「東京文化会館」の5階にある「音楽資料室」でした!!
ここは本当に貧乏学生にとってはありがたい場所でして、
クラシック音楽・吹奏楽に関しては多分ですけど「無いレコード・CDは無い」と言えるかもしれないほど資料が豊富でしたし、
尚よかった点は、これらを無料で聴くことができたのです!
聴き方は、資料室内に鑑賞ルームがあってヘッドホンを使用して借りたレコードを聴くことが出来ました。
勿論、室外への貸し出しは不可なのですけど、タダでこういう山ほどあるレコードを聴くことが出来るのですから
貧乏学生にはありがたかったですね!!

レコードをレンタルする際、膨大なインデックスの中から「聴きたい曲」を探すのは結構面倒でしたけど、
逆に言うとそれだけ膨大な資料があるという事でもあります。
一応、一回3枚まで、土日等混雑している時は一回2枚までという規約はあるのですけど、
混雑している日というのはあんまりなかったような記憶があります。
レコードを借りる際に希望すれば、その曲の楽譜・総譜も貸してくれましたので、色々いい勉強はさせて貰ったと思います。

だけど、この上野の音楽資料室をもってしても
「ガジペコフ」という作曲家の交響曲第2番、またはこの作曲家の他の作品はないものかと色々と調べたのですけど
回答は「該当なし」というものでした。

ガジべコフの交響曲第2番は、吹奏楽アレンジ版ですけど
ブレーン社から出ている「レジェンダリーシリーズ・花輪高校編」に収録されています。

だけど、結局・・・ガジべコフって一体誰・・?という疑問はまったく解明できていないです・・(泣)

最後に余談ですけど、
私が上野の音楽資料室を訪れる際ってほとんどは、大学の吹奏楽団の両国での練習場からの帰り道という
パターンが多くて、大抵の場合、クラリネットが入った楽器ケースと譜面を手にしている事が多いせいか
音楽資料室のおばさま達に、
入室の際の学生証提示の時に
「○○大学・・じゃー、音楽学科の学生さん?」と聞かれる事がよくありましたけど
「いえ、法学部」と答えると・・・
「え・・マジで・・・??」という表情になっていたのが大変印象的ではありました・・

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