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プロフィール

ぬくぬく先生 

Author:ぬくぬく先生 
開設当時は、1980年代吹奏楽コンクールの花輪・秋田南・就実・仁賀保・屋代等の素晴らしい演奏を後世に少しでも伝える事が出来ればいいなと思ってこのブログを始めたのですけど、いつのまにか「東方Project」がメインになってしまいました・・・
最近は「艦これ」も大好きです!!
吹奏楽も東方も自分が感じた事を少しでも後世の方に受け継がれるべきものが残せればいいかな・・と思っています。
ちなみに、「大好きプリキュア四天王」は、ドリーム・メロディ・ハッピー・ラブリーです。
ドリームとメロディは自分の中では既に殿堂入り状態ですけど、
現在はラブリー大好き!!のラブリー一辺倒です!!
リアル社会では、建築関係のクレーム&アフター責任者を専従し、毎日毎日クレーム対応に当たる日々です。
裏の顔は東方と吹奏楽とクラシック音楽一辺倒です・・・
特に特に大好きな作品は・・・プリキュア5とスイートとハピネスチャージです!!
ちなみに、奥様は・・・ミルキィローズとセーラームーン好きの管理人以上のおこちゃまです・・・
東方で大好きなキャラは、とにかく大好きキャラがてんこ盛りで、全員大好き!という感じなのですけど、特に、さとり様・ゆかりん(紫様)・早苗さん・こいしちゃん・アリスはお気に入りです!!
吹奏楽では・・ネリベルの「二つの交響的断章」と「アンティフォナーレ」、スパークの「ドラゴンの年」、リードの「オセロ」と第二組曲「ラティーノ・メキシカーナ」、パーシケッティーの「仮面舞踏会」、C・スミスの「ダンス・フォラトゥーラ」などが死ぬほど好きで、クラシック音楽では、ウォルトンの交響曲第1番と矢代秋雄の交響曲、プロコフィエフの交響曲第5番、アーノルドの交響曲第2番、第4番、ショスタコの交響曲第7番「レニングラード」、マーラーの交響曲第3番「夏の朝の夢」、ハンソンの交響曲第2番「ロマンティック」、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ベルクの「ヴァイオリン協奏曲」、ラフマニノフの「交響的舞曲」などが大好きです!!
クラシック音楽を吹奏楽にアレンジし、そのコンクールヴァージョンの演奏としては・・・
1982年の就実高校の「幻想舞曲集」と
1987年の習志野高校の「ダフニスとクロエ」第二組曲の演奏、そして、
1987年の雄新中の「エルザの大聖堂への厳かな行列」が
まさに私の「原点」です。
最後に・・・
私の吹奏楽との関わりの真の意味での「原点」は・・・
1979年の市立川口高校の神がかり名演としか言いようがない
「二つの交響的断章」に尽きると思います!!


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都内、杉並区にある「普門館」は私にとって・・否! つい最近までは吹奏楽経験者の皆様全員にとって
「普門館」とは一つの聖地なのだと思います。
それは高校野球の球児たちが「甲子園」に憧れ、甲子園で試合をする事を夢見て日々練習を頑張るという構図と
ほぼ同じなのだと思います。
普門館のステージでは、基本的には中学校・高校の部において1977年~2011年まで全日本吹奏楽コンクールの全国大会が
開催され、このステージでは長年に渡って多くのチームによる素晴らしき名演やドラマが生まれ、
現役奏者時代の私が「一度は普門館で演奏してみたい!」と感じていたように、多くの吹奏楽部員が
全国大会に出場し「普門館」の晴れ舞台で演奏する事を夢見ていたと思います。
私がどうして東北の地を離れて都内の大学に進学したのかと言うと、もちろん一刻も早く親元を離れたかったというのも
ありますけど、それに次ぐ大きな理由と言うのが、この当時の吹奏楽コンクール全国大会の大学の部は普門館以外で
開催されていたのですけど、
全国大会出場をかけてしのぎを削っている支部大会の「東京都大会」だけは、中学・高校・大学・職場・一般の部全部門が
普門館で開催されていて、
高校時代はいつも県大会で散っていて「全国大会=普門館のステージに立つ事なんて夢のまた夢」であったけど、
都大会本選の前段階の都大会の大学の部の予選会を突破して都大会本選に進めれば
あの夢の舞台である「普門館」で演奏する事が出来たからに他ならないからです!!

このブログで何度も語っているように結果的に私の夢は4年間で叶う事もなく、普門館のステージに立つことは出来なかったの
ですけど、とにかく「普門館」というものは現役奏者時代も今現在も「一つの憧れの存在」であるのは間違いないと思いますし、
私にとっては「大いなるモニュメント」なのです!

だけど、大変哀しいことに、先日とあるニュースを聞いて「ついにこの日がやってきたか・・」と感じたものでした・・
(以前からそうした話は既に耳に入っていましたので覚悟はしていましたけど、それにしても辛い知らせですね・・)

「吹奏楽の聖地」として長年親しまれた普門館が今年の冬にも解体される事が正式に決定したようです。
普門館を所有する宗教法人「立正佼成会」が22日午後発表していました。
2012年に耐震性の問題から普門館の使用を中止し、既に6年の歳月が流れていましたし、
結果的に2011年の全国大会が最後の普門館での全国大会になってしまいました・・
このニュースを高校野球に例えると「老朽化により甲子園球場での高校野球開催を断念する」というものに近いとすら
感じられます。

今後の吹奏楽部員にとっての憧れの聖地は、普門館ではなくて名古屋国際会議場になっていくのかもしれないですね・・

解体される事が既に決まった普門館ですけど、とにかく「ありがとうございます!」と感謝の言葉は伝えたいと思います!

普門館で演奏するという憧れの気持ちが無ければ、私は10年間もクラリネット奏者を続けることは出来なかったし、
今現在もこうしてブログで吹奏楽やクラシック音楽の事を語る事も多分無かったと思います。
普門館は解体されますけど、私の心の中には私が死ぬ瞬間まで「普門館」は私の心の中でずっとずっと
受け継がれていくのだと思います!









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上記で書いている通り、私自身は結局10年間の吹奏楽生活において一度も「普門館で演奏する」という夢は実現する事が
出来ずに幕を閉じてしまい、今でも「響け!ユーフォニアム」の麗奈ではありませんけど
「悔しい・・・悔しくて死にそう・・」という感情がいまだに心を霞める事さえあります。
それだけ夢中になれるものがあったという事ですし、結果的に吹奏楽を通して「クラシック音楽」という深い森の中に
迷い込むことが出来た訳ですし、確かに負け惜しみなのかもしれませんけど、
10年間の吹奏楽生活は、私にとっては本当に「誇り高き10年間だったな」と思ったりもしています。

当時なんであんなに「普門館」で吹く事にこだわっていたのだろう・・・・?

あの当時の心境としては、別に都大会でも全国大会でも何でもいい、とにかく一度でいいから「普門館」で吹いてみたい!!
普門館でコンクールに出場出来さえすれば別に賞は銅賞でもタイムオーバー失格でも何だった構わない・・
一度でいいから、普門館のステージの上で演奏してみたい・・・
そして舞台の上から客席がどのように見えるのか自分の目でしかと確かめたいといったそんな気持ちでしたね。
当時としては、花輪高校・秋田南高校・就実高校などの全国大会での素晴らしい演奏を聴いている内に
「自分もいつかは同じ舞台で演奏してみたい」みたいな「純粋な憧れの気持ち」だったのだと思います。

そうした意味において、普門館の取り壊しというものは、私にとっては10代から20代の頃の「聖地」・「憧れの場所」が
この世から姿を消すという事でもあり、寂寥感だけでは拭い去る事ができないほどの心にポッカリと穴があいたような
気分になってしまいそうです。

だけど、これは仕方がない事だと思います。

SSの中で咲・舞が言っているように・・・
「形あるものはいつかは無くなってしまうものであり、それを嘆いても仕方がない・・・
形は変わっても私達の心の中にずっと生き続けていくもの」という事なのだと思います。
全国大会は今現在は、名古屋国際会議場センチュリーホール等で開催され都大会も府中の森芸術劇場等で
行われていますけど、今現在の現役奏者の視点で見てみると、
「吹奏楽コンクールの聖地は名古屋国際会議場センチュリーホール」という事になるかと思いますし、
そういう「憧れの気持ち」だけは
時代やコンクール開催の場所が変わっても永遠に受け継がれていってほしいなとも思ったりもしますね。

普門館は大変大きなホールで5000人程度収容できました。
(名古屋国際会議場センチュリーホールは3000人程度です)
結果として、5000人の聴衆の存在という事で俗に言う「普門館フォルテ」という爆音系の演奏がここ数年減ってきているようにも
感じられるのは普門館から会場が変更になって良かった点なのかなとも思います。

物事は、失うものもあればそれによって得るものもある・・

世の中は、バランスが取れるようになっているものなのかもしれませんよね。








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私自身、このブログの吹奏楽カテゴリの中で、過去の吹奏楽コンクールの全国大会・支部大会の
感想をあくまで「私的感想」として書かさせて頂く事も多いのですけど、たまにですけど、
「私自身、全国大会はおろか支部大会にも一度も出場した事が無い私自身がこんなエラソーな事を
書いていていいのだろうか・・?」と自責の念にかられる事もあったりします。

あんなエラソーなコンクール批評記事を書いている当の本人は、
1978年の中学1年のコンクールから1987年の東京都大会予選までの10年間で10回「吹奏楽コンクール」に出場しているものの、
結果は、いわゆるダメ金(上位大会代表に選出されない金賞)が高校の時の2回のみ
タイムオーバー失格 1回
銀賞 5回
銅賞 2回
ほとんど良い成績は取っていません・・(汗)
大学の4年間も無慈悲な都大会予選落ちの連続で、ダメ金すらも取れず、4年間のうち、銀2回 銅2回という結果で幕を閉じ、
毎年毎年江戸川区民ホールでの都大会大学の部予選の成績発表の際はとにかく悔しくて仕方がなかったです。
(中学の時も、県大会銀賞ばかりだったのですけど、あの時は、
 とにかく音楽を無理やりやらされている・・・
 おっかねー指揮者の先生に「こう吹け!!」と言われたから言われたまま吹くという感覚しかなかったから
 成績発表の際に、銀と発表されても、
 「やっと終わった・・」という開放感しか無かったです。
 高校の時は、さすがに「ダメ金」だったから、とてつもなく悔しかったですね)

2015年の4月から6月で放映されていた「響け! ユーフォニアム」第一話の
麗奈の「なんでダメ金で喜べるの? 私達、全国大会目指していたんじゃないの・・・!?」というセリフは・・・
その当時の自分の心の声、
「何で都大会予選銀賞で喜んでいるの? 私達、都大会本選出場を目指していたんじゃないの・・・!?」という
と見事に重なるものがありますね。
(久美子の「本気で全国で行けると思っていたの?」という反応は、さすがユーフォの失言女王・久美子に相応しい言葉でも
あったのかもしれないですね・・汗・・)

勿論、「音楽」とは決してコンクールだけの勝ち負けではありませんし、「音楽」とは、本来は、
音楽を聴いて、「あ・・・楽しいな・・・」などのように何かを感じる事の方が大切なはずだとは思います。
だけど、当時の私は、そうした事すらも中々気が付いていなかったと思います、
「音楽」を純粋に楽しめるようになったのは、むしろ現役奏者を引退して社会人になって以降というのも
何か少し皮肉な感じもするのですけど、「普門館」を目指していた自分もすてきだけど
「音楽」を「聴く楽しさ」を味わっている自分もすてき・・
そんなように自己愛みたくも感じたりもしますね・・(汗・・)








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考えてみると、支部大会・全国大会に出場できる人って、ごくごく少数なのです!

吹奏楽に携わった皆様の大半は多分私のように、地区予選・県大会で散ってしまった人たちばかりだと思います。
だからこそ、支部大会・全国大会に出場出来た皆様たちは
そうした「過去の出場経験」を是非是非、「生涯の誇り」として感じ取って頂ければ幸いですね。

そして何よりも音楽がそうした吹奏楽経験者の皆様に少しでも「生きるチカラ」になってくれていれば
それはそれで素晴らしい事なのだと思います!
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コメント

吹奏楽に縁のない私は、普門館なるものを知りませんでした。しかし、そういった場所があるのですね。いや、今後はあった、になってしまうのですね。時の流れは時に残酷ですが、思い出はいつも美しいです。ぬくぬく先生だけでなく多くの方に愛されたものは、きっと多くの人の心のなかに残ることでしょう。そうして、別の場所、別の時代にいずれ復活のときを迎えることもあるかもしれませんね。

普門館=甲子園

八咫烏(全力稼働中) 様


多くの球児たちが甲子園を目指すように、
吹奏楽経験者の中でも、私のようにひたすら「普門館のステージ」に立つことを目指して日々の練習に励んだ人間は
かなり多いと思います!
今にしてみると「無謀な憧れ」なのかもしれないですけど、現実の結果はともあれ、私自身に与えた影響は
かなりのものがあり、それが結果的に今現在でも私自身の「音楽大好き」に繋がっていますので、
私自身が彼岸の彼方に旅立つまでは、永遠に私の心の中で普門館は立っているのだと思います!

この普門館は本当にとてつもなく広く5000人収容できるホールというのも日本ではほとんどないのかもしれないですね~

普門館

そういえば、自分も(いろいろな意味で)縁がなかったですね…

正直、後輩(普門館経験者)から話を聞いても、
普門館そのものの存在を知らなかったので
「フモンカン?何それ?」状態でした。
(大学と一般・職場の部の全国大会は、普門館ではなく全国各地の持ち回りだった)

社会人になっても、同じ楽団のメンバーや職場内の吹奏楽経験者から
「○○さん、全国行ったことあるんだったら、普門館に行ったことあるんだよね~、うらやまし~」と、あらぬ誤解。

むしろ、高校時代は柔道部だったので、あこがれの地は普門館ではなく、日本武道館でした(笑)

いつかはこの日がやってくると思ってましたが。。。

いつかはこの日がやってくると思ってましたが、いざ現実のものになるとやはり残念であります。
今にして思うと2005年大会は普門館及び関連施設の改修工事で使用できなかったんですが、あのとき耐震工事も一緒にやっていればとも思います。でもそれから数年後に、まさかあんな巨大な地震が来るとはあの時点では予想できませんでしたからねぇ…。
それでも管理人様は何度も普門館に入っているので羨ましいです。自分はそれすら叶いそうにないので…。
合唱コンクールだったら、「NHK学校音楽コンクール」を「NHKホールの老朽化と耐震不足で使えない、そしてホールを解体する」のと同じ感覚でしょう。「名古屋国際会議場」で2005年初めて開催され、後にCDを購入して聴いた印象は「確かに爆音は減ったけど、逆に音が響いていない」「この年からKING RECORDでの収録・販売になったからだけではない」と思ったのは自分だけではなかったのではと思います。
やはり北海道・東北地方から名古屋は遠く感じます。座席数・バスの駐車場などの問題はありますが、例えば「所沢市民文化センター・ミューズ」とか愛知県の隣になりますが「アクトシティ浜松」とか同じ東京の「東京文化会館」とか大学職場一般の部の全国大会開催実績のある関東地方のホールで出来ないものか?と思ってしまうんですが…。

残念でありますが、吹奏楽少年少女の憧れの舞台だった普門館、私の地元秋田からも多くの中学・高校がこのステージで演奏できました。当時全国大会のステージで演奏した皆さんには思い出として残っていることでしょう。(秋田県湯沢市からも湯沢南中学校と湯沢北中学校が素晴らしい演奏をしてくれました)
普門館に「吹奏楽少年少女に夢をありがとう!」と感謝ですね!

普門館!

某大学の卒業生 様



いやいや! たとえ普門館で無くても全国大会に3度も出場され、あの神大や中央などと同じ舞台で
演奏できたという事はとにかく尊いものがあると思いますし、生涯の誇りとして捉えて頂きたいと思います!

1977~78年の普門館開催の全国大会日程はかなりの過密だったようでして、
例えば中学の部が終わった直後に職場・一般の部を開催していましたので、今ではありえない話でしたね・・

ちなみに私の母校の卒業式は日本武道館でした~!

普門館は永遠に・・

一秋田県民 様


普門館の歴史は間もなく閉じられますけど、吹奏楽経験者皆様の胸には間違いなく「普門館への憧憬」みたいなものは
残っていくのだと思いますし、とにかく今後も日本の吹奏楽の発展を心の底よりご祈念させて頂きたいと思います。

普門館開催前ですと、秋田・宮城・北海道等でも全国大会が開催された事もありますけど、
最近の吹奏楽人気を考慮するとある程度の客席数はキープしないといけないし、中々難しい問題ではありそうですね。
ちなみに東京文化会館の音響の悪さは以前から定評がありますし、所沢のミューズは客席数が少ないですし、
私的には理想の会場に近いのは、浜松アクトシティか都内の文京シビックホールなのだと思っています。

普門館での名演は数多くあれど、やはり花輪と秋田南の存在感は光っていると思います!

私の中では普門館最高の圧倒的名演の一つが花輪のシンフォニーポエムだと思いますし、あの演奏を生で聴く事が
出来たのは私の生涯の宝物なのかもしれないですね!

時は変わる

 花輪高校のベルク、でこのブログに到着しました。
 
 1979年と1983年の高校の全国大会、普門館で聴きました。秋田南の鮮烈な演奏に刺激されて、邦人作曲家の作品に目覚めていったもんです。あの頃は吹奏楽で現代音楽の理想像を具現化させようしていた時期だったと思います。普門館解体、時代は変わるのですね。現代音楽聴いたNKホール(NHKではない)もないですしね。

 ベルクはカット部分で評価がもらえなかったのかな、と別の所で聴いて感じました。また、課題曲と抱き合わせで通して聴くと意味合いが変わりそうかも知れません。
 ベルク、市民オケで可能ならトライしてみたいですけど、猛反対食らうのが目に見えて・・・新ヴィーン学派は聴くだけでも覚悟がいるからね。自分は実は好きですけど、オケ仲間からは変人にみられてしまいます、トホホ・・・

訂正です。
聴いたのは1983年でなく1982年でした。
1983年は、実は自分、母校を一度だけ振った年でした。傍若無人な演奏でしたが・・・

82年の全国大会の邦人作品の演奏は素晴らしかったですね~!

とりあえずホラ吹き 様


すてきなコメントを頂きありがとうございます!

しかも「1983年の花輪の三つの管弦楽曲~行進曲」という私が過去において何度か記事にさせて頂いたものの
ほぼ無反応であった記事にコメントを頂けて感謝感激です!
当ブログで何度も執拗に書いている通り、私自身は1982年の東北大会ダメ金ですけど
花輪高校のウィリアム・ウォルトンの交響曲第1番~終楽章の素晴らしき名演によって、音楽に覚醒したという
事情もあったりもします。

最近の吹奏楽事情はとてつもない進化を見せてくれていて、新ウィーン楽派の中でもベルクのルル組曲とか、
ディティユーの交響曲を自由曲に選ぶなどその進化は目を見張るものがあると思います、
私自身は新ウィーン楽派の中ではウェーベルンの「六つの管弦楽曲」が結構好きだったりしますし、あの第4曲は
吹奏楽コンクールの自由曲として演奏しても意外と面白そうなものはありそうな気もしますね・・

1982年の全国大会・高校の部では仁賀保の矢代秋雄の交響曲とか秋田南の深井史郎/パロディー的四楽章とか
屋代高校の松村禎三の交響曲第三楽章など
素晴らしき邦人作品も登場していて素晴らしい大会だつたと思います。
ちなみに82年の高校の部の聴衆にその松村禎三も聴きにきていたという話もあるそうです。

1982年

とりあえずホラ吹き 様


とりあえずホラ吹き 様が母校で指揮された曲がはたして吹奏楽オリジナル作品なのか
アレンジ作品なのかもなんだか興味があるお話ですね~!



ちょいと返答

 素性がばれると何なのですが(とはいえ、単なる一音楽愛好家にしか過ぎませんが)。

 自分がOBとして指揮したのは課題曲が白鳳狂詩曲でした。自由曲はアレンジもので編曲者はライデン、途中で原曲よりも1音低くなるもの。1年生で初心者も結構いたので、無難な作品でした。強引に選んだのですが、その際、東京文化会館の音楽資料室で花輪高校のレコードも参考にしました(ここまで言えばお察しが付くと思います)。コンクールでは中の下の評価で、前の年よりは一寸だけ評価が上がり、その際は高校生からは感謝されました(但しスパルタ指導だったため、けむたがれていた面も・・・)。 
 実はこの時のコンクール、同じ大会でベルクを取り上げた学校があったようですが、評価されなかったとのこと。果敢に現代ものに挑戦した指導者、当時は意外といたようですが、演奏するのは高校生。その高校生がどこまで内容が把握出来たかは・・・この辺、部活とは、教育とは、という面が絡んでくるので何とも言えませんが(自分はずっと会社勤めでしたので教育云々を言える資格はないです)。

 ヴェーベルンの6つの管弦楽曲、原典版はTrp,Trb,Hornが何と6本ずつ!でも迫力でなく、音色の均一性の追求したための結果で、第5曲では不気味なTrbの6重奏によるコラールが聴けます。尤も改訂版では編成はスリムになっていて、全体的にも洗練された雰囲気に。第2曲と第4曲、原典版ではEsClの叫び、嘆きが改訂版ではピッコロ変えられていたりしています。自分は原典版を好んでいるかな。

 矢代秋雄の交響曲、のちのチェロ協奏曲やピアノ協奏曲が尾高賞をとっていたのに漏れていました。日本フィル委嘱第1作でN響でも演奏されたのになぜ、と思っていたら、なんとその時は黛敏郎の涅槃交響曲が受賞していた模様・・・なんてことまで受験勉強せずに調べていたので、みごとに浪人しました。

 ま、何はともあれ吹奏楽部に中学で3年間、高校で合唱経験1年の後吹奏楽に鞍替えしたので、器楽中心の音楽生活が未だに続いてます。大学では鑑賞のほうが多かったので、どちらか言うと耳年増。現代音楽も聴きますが、リズム感の後退している武満徹の一部作品は世間の高評価に対して違和感も。ま、かなりの偏ったクラシック愛好家ですわ。

 あと1982年の全国大会高校の部は午前中の途中から聴いています(深井史郎あたりから聴いたかな)が、インパクトの点では1979年のほうが強く残っています。


花輪の展覧会の絵

とりあえずホラ吹き 様


あ~、という事は当時の自由曲は「展覧会の絵」だったのですね・・!

花輪の演奏は、ババヤーガの小屋~キエフの大門という大変盛り上がる部分はやらないで前半の地味な部分を
選曲していたのもいかに花輪高校らしい話だったと思います。

新ウィーン楽派で多分唯一なのかもしれないですけど、吹奏楽オリジナル作品を残していたシェーンベルクですけど
その「主題と変奏」は私的には渋くていい曲だと思いますが、吹奏楽コンクール的にはほぼスルーというのも
演奏効果という側面が大きいのかもしれないですね・・

矢代秋雄の交響曲は吹奏楽コンクール的には第四楽章ばかり取り上げられていますけど、
原曲の第二楽章の「テンヤ・テンヤ・テンテンヤ・テンヤ」という独特のリズムが実はとっても大好きです!
この交響曲は邦人にしては珍しく色々な音源がありますけど、渡邊暁雄指揮日本フィルの演奏は、とてもあの演奏が
ライヴ演奏とは思えない研ぎ澄まされた名演が大変印象的でした!

ちなみに私的には吹奏楽コンクールの高校の部というと、1980年が大変印象的で、
秋田南の交響三章、花輪のハチャトゥーリアンの交響曲第2番、就実のル・シッド、名曲の名演が
続出していたと思います!

バレバレですなあ

 自由曲、演奏した部分は一般的な部分でしたが、この時の評価が、例のベルクよりも上だったので、正直驚いたものでした。尤もこのベルクは、花輪高校のとは異なり、第1曲の前奏曲だったようですので、演奏効果が上がらなかったのかも知れません(あくまでも推測ですが)。

 1980年の春頃、日本コロムビア等から現代音楽のレコードが結構再販され、その中に三善晃の「交響三章」(ベルクの作品を意識してそう)がありました。自分も購入して、もしかしてどこかの学校が吹奏楽コンクールで演奏しそうかも、なんて思っていました。
 また矢代秋雄の「交響曲」もそうですが、何を血迷ったか、「交響三章」もスコアを入手してしまい悦に入っていました。まあ、ちゃんと読みこなせる訳もないのですが、それでも今見てみると、意外とスッキリしているようにも思えます。「春の祭典」や、それこそベルク等新ヴィーン学派のほうがよっぽど複雑に見えます。

 シェーンベルクの「主題と変奏」、この曲の影響が兼田敏の「パッサカリア」にもあると思うのは考え過ぎかなあ。調性はあるものの確か12音音列使っているし、ヴェーベルンの「パッサカリア」とも絡んでもいそう。とはいえ、シェーンベルク聴くなら自分は管弦楽のための「変奏曲」か「5つの作品」かな。調性の残渣のある「ペレアスとメリザンド」もいいかも。無調の作品(月に憑かれたピエロ、ヤコブの梯子、等々)も面白く思えてしまう自分、ちとヤバいかも?

兼田敏

とりあえずホラ吹き 様


ベルクの「三つの管弦楽曲」のあの地味な第一曲を花輪に先駆けて演奏したチームが在った事は驚きの一言です!
貴重な情報を教えて頂きありがとうございます!
最近の全国大会でもディティユーやシュミットのシンフォニーというどうみても演奏効果が上げにくい曲を選曲している
以上にある意味大変な難曲であったと思います。
かつて玉川学園が演奏していたストラヴィンスキーの「カルタ遊び」に匹敵する地味さなのかもしれないです。

交響三章は実は大好きな邦人作品の一つなのですけど、あの曲は夏の錯乱・響紋以上に「滅びの美学」みたいなものも
漂っているように感じられたりもします。

兼田敏ですけど、実は新ウィーン楽派との関連性を指摘している人も一部にいるみたいでして、
例えば「シンフォニックバンドのためのファイブイメージス」という曲は誰がどう聴いても
意味不明で抽象的な不思議な音の塊りがそこに漂っているような感じになったりもしますね・・


兼田→保科⇒ベルク?

 兼田敏、保科洋、お二方とも学校でドイツ系の作曲の先生に師事しているらしいので、新ヴィーン学派に関連していることは確実に思えます。特に保科洋の作品は、ベルクの歌劇「ヴォツェック」に近い響きを感じらます。この歌劇、とにかく生半可な気持ちでは聴けない難物ですが、「管弦楽のための3つの作品」の発展形ともみなせると思います(歌劇、というより声楽つき交響曲、と自分は勝手に見なしています)。
 ベルクの演奏を体感された方々の一部には、その難解性ゆえにトラウマになってしまった、という話も聞いたことがあります。悲しい話ですが、コンクール参加後に年月を経て再び音楽に触れ直す、という方も世の中多くいるようです。
 きっかけは様々でしょうが、音楽愛好家がより増えて、音楽の世界がより広く、深化して言ってほしいと思っています。人気はありませんが、無調、12音技法、さらにはミュージック・セリエル等、少しでも分析して鑑賞すると面白いものだと思いますよ。


ベルク/ヴァイオリン協奏曲

とりあえずホラ吹き 様


兼田敏の早過ぎる死は本当に残念なものがありましたし、晩年の作品の近い
「ウインドオーケストラのためのファイブイメージズ」という謎めいた曲を聴くと、
「この御方の真意は最後はシェーンベルクみたいな作風を模索していたのかな・・?」と感じたりもします。
晩年になるにつれて作風が難解になってきたといえるのかもしれないですけど、保科洋の場合は70年代の頃は
あんなに渋くて難解な曲を書いていたのに最近は「復興」に代表されるようにわかりやすさと明確なメッセージを
伝えているのはこの二人の御方のすてきな対照性と言えるのかもしれないです。

私の場合、ベルクは花輪の三つの管弦楽曲→ルル→ヴォツェックと入っていき、最後の方で
あの二重の意味のレクイエムとも言えるヴァイオリン協奏曲に出会い、ベルクには清純さとわかりやすさといった曲も
あったんだという事に気付いたというのもなんだかヘンな話なのかもしれないですね・・
一番最初にあの曲の第二楽章のバッハの引用を耳にした際にはとにかくあの美しさにはっ・・とさせられたものでした!

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