昨年の春~初夏のころにかけて新型コロナウイルスの感染リスクが高まり全国に非常事態宣言が発令されていた頃は
三密回避とかソーシャルディスタンスの確保という事で、吹奏楽団もプロの管弦楽団もコンサートはほぼすべてが中止となって
いたのは当時はとても残念に感じていたものでした。
だけど新型コロナウイルスは主にマスクを着用しない状態での飛沫を伴う人と人との会話が主な要因になっていますので、
コンサート会場の客席は確かに三密ですけど、基本的にはクラシック音楽のコンサートホールでは人と人との会話は
避けることは全然可能ですし、おとなしく演奏を聴いて拍手をすれば別に他人との会話や接触をする必要はありませんので、
大体昨年の8月あたりからそうした規制も解除され、コンサートホールの収納人数のほぼ100%を収納して演奏会を開催しても
構わないという流れになっていたのは当然至極だと思いますし、
結果論になりますが、吹奏楽コンクールの開催も本当は問題なかったようにも感じられます。
ただ吹奏楽コンクールは早い地区では6月ぐらいから地区予選が開始されますし、練習での飛沫回避という問題は
今現在も完全には解消されてはいませんので、やはり当時の吹連の判断は正しかったといえそうです。
そしてできれば飛沫回避という観点からも吹奏楽コンクールにおける演奏終了とほぼ同時のあの過激で喧しい
ブラボーコールは規制すべき方向で検討して頂ければ幸いでもあったりします。
それにしても改めてですけど音楽は素晴らしいものですし、こうした生の演奏会を聴くことができるというのは本当にハッピーな
事なのだと痛感しています。
管弦楽団の演奏会を聴く楽しみの一つは、曲によっては管楽器のソロがたまらなく魅力的という事が多々ある事です。
吹奏楽で使用している楽器はほぼオール管楽器という事で、その響きは確かに華麗で色彩感に溢れてはいるのですけど
弦楽器+管楽器+打楽器の構成体である管弦楽の響きに到底敵わないというのはある意味当然の事だと思います。
管弦楽の場合、メロディーラインのメインは弦楽器であり、管楽器が果たす役割は、そのメインの管楽器に対する
スパイス的な役割という事でもありますので、管弦楽曲で管楽器がソロとして使用されると演奏効果が
吹奏楽の響きよりもかなり効果的に聴こえるのはその辺りに理由があるのかもしれないです。
私自身は一応はクラリネット奏者の経験の他に短期間ですけど打楽器奏者としての経験もあったりするせいか、
管弦楽団の演奏会でティンパニ以外の各種打楽器が多彩に使用される曲ですと、打楽器奏者の動きを
見るだけでなんだかとてもワクワクドキドキするものがあったりもします。
管弦楽曲のソロというと、これはあくまで私個人の好みですけど
ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」の冒頭のファゴットの超高音域で開始されるソロを思い出してしまいます。
作曲者としては、「鳴らない音を必死で出そうとする感覚」が欲しかったとの事ですが、
奏者にとっては迷惑千万という感覚もあるのかもしれないですけど、作曲当時の事情はどうか分かりませんけど、
今現在のファゴット奏者はあのような超高音域でも楽々と音を出してしまいますから、ストラヴィンスキーが求めた
悲壮感はあまり感じられない感じもあったりします。
だけどあの春の祭典の冒頭ファゴットソロの感覚はいつ聴いてもミステリアスさは伝わっていますね~♪
確か1985年頃のある演奏会のプログラムですが、「管弦楽の中のソロ楽器」と銘打たれた演奏会の企画がありまして、
要は管弦楽曲・交響曲で使用される「管楽器・打楽器のソロ」に焦点を当ててみようという企画だったと思います。
その演奏会で構成された曲目は、当然ながら管楽器奏者たちのソロがたくさん含まれる曲がかなり勢揃い
していましたので、あの時ソロを担当した管楽器奏者たちのプレッシャーはもしかしたら相当なものが
あったのかもしれないです。
どんな曲がプログラムとして構成されていたのかは、30年以上前の話で私もほとんど記憶に残っていないのですが、
〇オーボエ⇒イペール/交響組曲「寄港地」より、Ⅱ.チュニスからネフタへ
〇コールアングレ⇒ベルリオーズ/序曲「ローマの謝肉祭」
〇ティンパニ⇒小山清茂/管弦楽のための木挽き歌~Ⅳ.フィナーレ
〇ホルン⇒R・シュトラウス/交響詩「ティル・オイレンシュピゲールの愉快ないたずら」
〇トランペット ⇒ ムソルグスキー=ラヴェル編曲 / 組曲「展覧会の絵」~プロムナード
〇クラリネット⇒ガーシュイン/ラプソディー・イン・ブルー
〇フルート⇒ラヴェル/ バレエ音楽「ダフニスとクロエ」第二組曲~Ⅱ.パントマイム
などが組まれていました。
他にどんな管楽器のソロがあったのか、その曲目は何だったのか、そもそも指揮者と演奏団体は誰だったのか等の
情報は全然記憶にないのであいまいなのですが、
お客の入りもあまり良くないガラガラの客席での東京文化会館の夏の演奏会でしたが、とても楽しかった記憶は残っています。
当時はまだ都内にサントリーホール・東京芸術劇場・すみだトリフォニーホール・オーチャードホール等が
完成する前の時代でしたので、都内のプロの管弦楽団はN響を例外とするとほぼ例外なくほとんどの管弦楽団は
上野の東京文化会館を使用せざるを得ない時代であったというのも今では到底信じられない話ですね~
オーボエの「寄港地」については素晴らしい選曲だと思います。
オーボエのソロが有名な曲というと他にも例えばチャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」とか
ボロディンの歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りなども大変名高いものがあると思うのですけど、「寄港地」の第二曲の場合、
演奏時間3分半程度の中で、ほぼ丸ごとすべてオーボエのソロが朗々と響き渡っていますので
あんなにも長時間の単独ソロというのも極めて珍しいとも感じられますので、私にとっては
「管弦楽曲における管楽器のソロ」というと誰が何と言っても真っ先にイベールの交響組曲「寄港地」~Ⅱ.チュニス~ネフタを
思い出してしまいます!
余談ですけど、私自身はクラリネットは通算して9年間吹いていた事になりますけど、クラリネットが大活躍する管弦楽の作品
というと、私自身が実際に演奏経験があり尚且つソロを担当した曲と言うとリムスキー・コルサコフの「スペイン奇想曲」が
大変印象的です。
実際に吹いた事はないですけど、聴いていて「素晴らしいなぁ・・」とうっとりさせられるクラリネットソロがある曲と言うと
シベリウス作曲の交響曲第1番第一楽章の冒頭のクラリネットのとてつもなく長いソロが大変印象的でもあります!
あの部分のクラリネットには、シベリウスらしい「北欧のほのかなうすくらい情熱」が溢れ出ているようにも感じられ、
この曲のミニスコアを後日入手した私は、あの第一楽章冒頭のクラリネットソロを自分で吹いてみたりもしたものですけど、
なかなかあの「ほのかな情熱」みたいな音を引きだす事はできなかったです。
交響組曲「寄港地」なのですけど、イベールの第一次世界大戦中の海軍士官として地中海を航海した経験とかローマ留学中の
イタリア~スペイン~チュニジアの旅行時の経験が見事に曲に活かされていると思います。
イベールが地中海各地で受けた印象をそのまま組曲にまとめた「華麗なる音の絵巻」という感じが
非常に濃厚な一曲だと思います。
目を瞑って聴いていると蛇遣いの妖しい雰囲気とか情熱的な感じとかアラビアの砂漠とか
色々とイマジネーションが勝手に起きてくるのは、さすが・・・!!という感じです!
20世紀の作品なのに、こんなに分かり易くて粋で楽しい作品はあまり無いような気さえします。
この交響組曲は、下記の三曲から構成されています。
Ⅰ.ローマからパレルモへ
Ⅱ.チュニスからネフタへ
Ⅲ.ヴァレンシア
Ⅰ.ローマからパレルモへは、あまり印象に残らないのですが
Ⅱ.チュニスからネフタへの音楽は、まさに「アラビアンナイト」の世界で、
いかにも妖しげなヘビ遣いが、ドロドロと壺の中からへびを出そうとしている妖しい音楽です。
また、聴き方によっては、アラビアの妖しいお姉さん達が
何かだるそうに男を誘惑しているようにも聴くことも可能と言えば可能なのかもしれないですね・・
Ⅲ.のヴァレンシアは一転してスペインの情熱的なカラッとした晴天の音楽です。
後半のカスタネット・タンバリン・シロフォーン・ドラを交えた音楽の高まりとリズム感は情熱そのものです。
それにしてもⅡとⅢのオーボエ奏者は大変プレッシャーがかかる曲だと思います。
一つの楽章においてほぼ丸々と一つの楽器がソロとして使用されている曲は極めて珍しいと思いますし、
オーボエ奏者の腕の見せ所に尽きると思います。
またⅢにおいてもオーボエはソロとしても使用されていますし、オーボエの第一奏者と第二奏者のアンサンブルもありますし
組曲の間中は、オーボエ奏者は一瞬も気が休まる事は無いとすら感じてしまいます。
Ⅲのヴァレンシアの情熱の発散も実に素晴らしいと思います。
Ⅱ.チュニス~ネフタのオーボエのバックのリズムは、ラミッミミ、ラミラミ、ミッミ~という独特な4拍子+3拍子の変則リズム
なのですけど、あの少しギクシャクしたリズムを伴奏に奏でられるオーボエソロは本当に妖しく美しい響きなのだと思います。
そうそう、イベールは日本ともほんの少し関わりがありました。
1940年の「紀元節2600年」の際に日本政府から委嘱を受けて、記念作品として作曲されたのが「祝典序曲」です。
面白い事に、特に日本的なものを意識されて書かれた部分は全く皆無で純粋に喜びに溢れた音楽が14分近くも展開されます。
同じく紀元節の記念作品として委嘱を受けたイギリスのブリテンは
「シンフォニア・ダ・レクイエム」という鎮魂歌を日本政府に送り付け
当然のごとく当時の日本政府から演奏拒否&抗議の洗礼を受けていますが、それもまたブリテンらしい話だと思いますし、
ブリテンは第二次世界大戦後に来日した際に何事もなかったかのようにこの「シンフォニア・ダ・レクイエム」を
N響を使って演奏していたりもします。
ちなみにブリテンとは「青少年のための管弦楽入門」と歌劇「ピーター・グライムズ」で大変名高い御方です。
最後に、交響組曲「寄港地」というと吹奏楽コンクールでも1970年代以降定番の自由曲として今現在でも演奏され続け、
数多くのⅡ.チュニス~ネフタのオーボエソロがお披露目されています。
その中では、これはあくまで私個人の感想ですけど、1981年の習志野高校のオーボエソロを超える演奏は
いまだに出てこない感じがあります。
そのくらいあの習志野高校のオーボエ奏者は素晴らしかったですし、あの年の習志野高校が全国大会初出場とは
到底信じられないのびのびとした名演だったと思います。
新妻先生時代の習志野高校は洗練された美しいフランス音楽を得意にしていて、後年もダフニスとクロエ・海・スペイン狂詩曲
などの名演を残されていますけど、81年の寄港地の翌年の1982年だけはなぜか・・!?バーンズの「呪文とトッカータ」という
バリバリの吹奏楽オリジナル作品を後年の習志野では絶対あり得ないような凄まじい粗くてワイルドな音で豪快に
鳴り響かせていたのは今にして思うと逆にそ意外感がたまらないです~♪
(1995年にも寄港地を習志野高校は自由曲として取り上げていますけど、あれはすいません・・凡演でしたし結果も
1984年以来の銀賞という結果だったのは妥当だったといえそうです)

ららマジの器楽部においては前述の通り、オーボエ奏者はいなくてコールアングレ奏者の白石陽菜のみです。
多分ですけど、オーボエの音色が必要な場合は白石陽菜が楽器を掛け持ちしているのかもしれないです。
白石陽菜は高校2年生のJKさんで血液型はO型です~
気品と度胸あふれるおてんばなお嬢様という設定です~♪
コールアングレ(コーラングレ)は外見的にはオーボエと大変よく似た楽器です。
楽器の先端部が洋梨と形容されるように丸く膨らんでいるのが外観的な特徴で、オーボエよりはサイズは一回り大きいです。
指使いはオーボエとコールアングレは全く同じであり、コールアングレはオーボエより完全5度低い音が出ます。
オーボエは高音域が特に魅力的な音を発するのですけど、コールアングレはオーボエに比べて低い音域を奏でていて、
あの牧歌的だけどどこか内省的な低音域の音はとにかく渋くて魅力的です~♪
オーケストラではオーボエ奏者が持ち替えて演奏することが多いですし、吹奏楽コンクールでもオーボエ奏者が場面場面で
持ち替えることが比較的多いです。
普段はコールアングレを担当している白石陽菜がオーボエに持ち替えてどのように寄港地のチュニス~ネフタを妖しく
美しく響かせるのかは興味津々です~♪

「響け! ユーフォニアム」第二期のオーボエ奏者はみぞれです。
「響け! ユーフォニアム」ではオーボエ奏者はみぞれ一人だけでしたけど、実際の吹奏楽コンクールでは2人奏者が
いる事がほとんどだと思います。
曲によっては一人の奏者がコールアングレ(イングリッシュホルン)を持ち替えする事も多々あったりします。
私的にはオーボエという楽器は人間の声に一番近くて、その音色は素晴らしい癒しの効果があると思いますし、
例えばボロディンの歌劇「イーゴリ公」~ダッタン人の踊りやイベールの交響組曲「寄港地」~Ⅱ.チュニスからネフタへや
チャイコフスキーのバレエ音楽「白鳥の湖」~第一幕への情景などの
あのオーボエのソロを聴くととてつもなくうっとりとさせられるものがあると思います。
オーボエという楽器はクラリネットほどではないにせよ、大変神経質な楽器であるとも言えると思います、
神経質というか大変デリケートと言った方がいいのかもしれないです。
そこにあるのはダブルリードの調整というものだと思いますし、前日まであんなに調子よく吹けていたのに翌日になったら
全然不調で音さえロクに出ない・・という大変好不調の波が激しい楽器とも言えると思います。
だからオーボエ奏者は練習する時間よりもリードを削ったり調整している時間の方が長いとよく揶揄されたりもするのです・・
- 関連記事
-
スポンサーサイト
雰囲気的にはシェエラザートの妖しいアラビアのお姉さんみたいな感じもありますし、ヴァレンシアの情熱の発散も鮮やかだと思います。
吹奏楽コンクール的には地味かもしれないですけど、91年の基町のオーボエ奏者の巧さも大変印象に残っています。
今年はなんとか制約ありでも吹奏楽コンクールは開催してほしいものです。