真島俊夫 / 吹奏楽のための交響詩「波の見える風景」(1985年度全日本吹奏楽コンクール課題曲B) → 音楽そのものから「海」の情景が感じられる素晴らしい名課題曲の一つです!

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1985年の全日本吹奏楽コンクール課題曲B「波の見える風景」は本当に素晴らしい名課題曲だと思います!
1985年当時のプログラム表記では「波の見える風景」と記されることが多かったと思うのですけど、この曲の
正式タイトルは、吹奏楽のための交響詩「波の見える風景」です。

私は、本当にこの課題曲は大好きでした!!
冒頭のゆっとりとした二拍子の感じとか、「海」というよりは「心象」に近いような揺れ動く雰囲気から後半の大変な迫力や
音楽にストーリー性も感じさせる音楽的表現の幅広さとか、一つの音楽に喜怒哀楽が全て詰めこまれたあの雰囲気は
交響詩というのか4分半程度の短い曲ながらも音楽的物語という要素に満ち溢れていたと思います。
この課題曲は私自身の大学2年の時の吹奏楽コンクール課題曲でしたけど、この波の見える風景と87年の風紋を
コンクールに演奏した曲として吹く事が出来たのは大変幸せな事だと思っています。
この年の自由曲はドビュッシーの「三つの夜想曲」~Ⅱ.祭りだったのですけど、
ドビュッシーというと管弦楽曲でも吹奏楽アレンジ作品でも大人気な曲というのが管弦楽のための三つの交響的素描「海」だと
思われますが、
同じ「海」をモチーフにしながらもドビュッシーの海は、あくまで見た人が「私はこのように感じた」という海の感じ方であり、
真島俊夫の「波の見える風景」は、心象風景に近いながらも、ベースはあくまで「一つの景色」という事が
両者の違いなのかなとも思ったりもします。
波の見える風景は、そうした意味ではどちらかというと具体的な場面とか具体的な箇所を描写しながらも、そこに見ている人の
感じ方も取り入れたという曲のようにも感じられます。

私自身の総括でもあるのですけど、1978~84年までの吹奏楽コンクールで私自身が吹いた課題曲の中では、
自分自身が素直に感情移入出来てしまう課題曲はほとんど無かったように感じられます。
たとえば、ジュビラーテ・・幼い日の思い出・北海の大漁歌・イリュージョン・アイヌの輪舞あたりは
吹いていて「楽しい」とはあまり思わなかったですし、コンクールが終わってしまうと聴くのも吹くのも
「もうコリゴリ・・」という感じの曲が大変多かったように感じられます。
唯一の例外が1983年の課題曲C/カドリーユだったと思います。
カドリーユは曲自体大変薄く書かれていて、クラリネット奏者にとってはあの「軽快感」を出すのは大変難しい曲でしたけど、
やりがいはある曲でした!
そんな中、この真島俊夫の「波の見える風景」は、コンクールが終わった後でも
「ずっと聴き続けていたい」と思わせる本当に素晴らしい課題曲のひとつだと思います。
私自身、都大会予選・大学の部で自ら出場した上で、都大会や全国大会を聴かさせて頂きましたけど、
私自身が吹いた土俗的舞曲・嗚呼!は都大会や全国大会で聴くと「ちょっと勘弁してよ・・」という感じでもあったのですけど、
波の見える風景と風紋は、たとえ自らがあんなに練習した曲であっても
「もっと聴いてみたい!」とか「他校の演奏ももっと聴いてみたい!」と感じさせる課題曲であったと思います。

私の中ではこの「波の見える風景」は、一歩抜きん出ている存在ともいえる課題曲の一つだと思います。

「波の見える風景」は少し不思議な感じもする曲で、私個人の感覚なのかもしれないですけど、
吹いているだけで無性に感情がこみ上げてくるような曲だったと思います。
別に涙は出ないけど、吹いているだけでなんか「泣きたい気持ち」にさせられてしまう雰囲気すら持っていた曲だと思います。
この感覚は、ミッチェルの「海のうた」をかつて吹いていた時の同じようなものがあったと思うのですけど、
もしかしたら人間にとって「海」という風景そのものが人の感情を揺り動かす何かを持っているのかもしれないですね。
冒頭はチャイムから開始されゆっとりとした二拍子から開始されるのですけど、この二拍子から徐々に音のうなりが
積み重ねられていき、フルート・クラリネット・オーボエの木管ソロ楽器に美しいハーモニーが引き継がれていき、
段々盛り上がっていき、ラスト近くの壮大なクライマックスへとなだれこんでいきます。

1985年の全日本吹奏楽コンクールの高校の部においては、天理高校の「セント・アンソニー・ヴァリエーション」と
愛工大名電の「プラハのための音楽1968」の二つの歴史的名演が登場したという事に尽きると思うのですけど、
天理の「波の見える風景」はかなり豪快に鳴らしている印象があります。
曲のエンディング近くでは、ドラが相当の音量でゴーーーーンと鳴り響いていたのは相当のインパクトがありました。

「波の見える風景」の高校の部での最優秀演奏は、私は習志野高校だと思います。
とにかく音色がデリケートだし、それ程豪快に鳴らしている訳ではないのに力強さも感じました。
何よりも、目を閉じて聴いていると、何か自分だけの海のストーリーが出来てしまうような
感受性豊かな演奏でもありました。
習志野高校の場合、特に秀でていたのはあまりにも美しい洗練されたサウンドであり、
フルート・オーボエ・クラリネットのソロの完成された音色の美しさだったと思います。
そして更にいうと目を黙ってあの演奏を聴いてみるとそこには音楽としての物語が展開されていたようにも感じられます。

私が初めて真島俊夫の名前を耳にした際は「これからの活躍が期待される若手作曲家」というフレーズが
結構多かったものですので、3年前の真島氏のあの早すぎる死はとても残念でしたし、「まだこれからの作曲家なのに・・」という
言葉しか出てこなかったです。
とにかく真島氏のご冥福を改めてお祈り申し上げたいと思います。

「波の見える風景は」1988年に改定新版も出ているのですが、
大変申し訳ないのですけど、私はこの改訂新版はあんまり好きではありません。
改訂新版の演奏時間は大体7分程度の曲なのですけど、これはあくまで私の感じ方なのですが、
改訂新版の余計な箇所を削ったら、元の課題曲Bに戻ってしまうみたいな印象すら感じたものでした。

こうした事って実はクラシック音楽でもたまにあったりするものでして、例えばプロコフィエフの交響曲第4番という大変
マイナーな曲があるのですけど
(プロコフィエフの交響曲第2~4番は悪趣味でグロテスクな曲という印象が大変強くて、交響曲第5番のあの瑞々しい清らかな
雰囲気と同じ作曲家とは到底思えないです・・
そしてプロコフィエフの生涯最後の交響曲の交響曲第7番「青春」のあの童心とわかりやすさも、やはり第2~4番と
同じ作曲家には全く思えないです!)
実はプロコフィエフの交響曲第4番にはやはり「改訂版」が存在していて、元の原典版の演奏時間は26分なのに
改訂版は42分前後になっています。
そしてこの改訂版の余計な部分とか分かりにくい部分をバッサリと注ぎ落としたら、原典版の交響曲第4番になってしまった
と感じさせる点は、私にとっては真島俊夫の「波の見える風景」の原典版と改訂新版の印象の違いと
もしかしたら同じなのかなぁ・・と感じさせるものがありました。
余談ですけど、吹奏楽コンクールで頻繁に演奏される大栗裕の「吹奏楽のための神話」は、20分近い原曲を
コンクール用に8分前後にカットしたものなのですけど、
あれに関しては、作曲者の大栗先生には大変失礼な話なのかもしれないですが、
吹奏楽のための神話または管弦楽のための神話の原曲版は私にとっては結構贅肉的に聴こえる箇所も多々あったりして、
その贅肉部分を見事にカットしてストーリー性をググッと凝縮したのがコンクールのカット版と思えてなりません。

吹奏楽コンクールにおいては原曲のカットというのは昔から指摘され続けている問題なのですけど、
「吹奏楽のための神話」に関してだけは
「カットというのも音楽の濃縮という意味では悪くは無いのかも・・」と感じてしまいますね・・(汗・・)
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