池上敏 / 変容-断章(1984年全日本吹奏楽コンクール課題曲A) → ついでに少しばかり「瞑と舞」についても触れさせて頂きたいと思います。

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吹奏楽コンクールの課題曲は年々演奏難易度は高くなっているような気もしますし、その音楽的充実度には
目を見張るものがあると思います。
反面、ちょっと内容的に難しすぎて後世まで演奏され続けられるような課題曲が以前よりは少なくなっているような気もします。
例えば、バーレスク・風紋・波の見える風景・稲穂の波などと言った課題曲なんだけど自由曲としても
十分演奏効果があり内容がある曲が減ってきているのかな・・とも感じたりもします。

吹奏楽コンクールの課題曲を振り返る時、一つの節目というか転換点になった曲があるように思えます。

私自身は「オールド吹奏楽ファン」と言えるのかもしれないですけど(汗・・)、私の世代よりも一回り~二回り上の皆様ですと、
1964年の課題曲/序曲「廣野を行く」あたりを一つの転換点として推されるのかもしれないですね。
この年以前の課題曲は、マーチがほとんどであったのに対して、マーチ以外の曲想の課題曲が
登場した初めての年と言えるのかもしれません。
当時、序曲「廣野を行く」は「難しい」と敬遠気味だったそうですけど、
現在の視点から聴くと、「この曲の一体どこが難しいのかな・・・?」とも感じてしまうのですけど
それは「吹奏楽コンクールの進化」という事にしておきましょうね・・
別の意味の転換点と言うと、先日の記事でも触れさせて頂きました1974年の課題曲B/高度な技術への指標を
挙げたいと思いますし、あの課題曲は「革新的」というか極めて斬新だと改めて感心したりもします。

話が冒頭からそれてしまいましたけど、そうした課題曲の転換点として挙げたい曲の一つが
1979年の課題曲B「プレリュード」だと思ったりもします。
どうして節目なのかというと、課題曲の歴史の中で初めて、
「無調音楽」のような現代音楽の感覚と形式を初めてコンクール課題曲として成立させたのが「プレリュード」だと思います。
プレリュードの譜面を初めて見たのが、1979年の中学2年の時でしたけど、最初に見た時はびっくり仰天でした。
というのも、打楽器のティンパニ以外のパートのパート譜は冒頭部分から1分程度あたりまでの50小節あたりまでは、
全パートが完全休止状態だったからです!(この部分はティンパニの完全ソロです!!)
それ以降も変拍子に次ぐ変拍子でメロディーラインが全然分からないという俗にいう「歌」の無い曲でしたし、
当時は「訳のわからんヘンな曲・・・」というのが当時の吹奏楽部員全員の感想だったと思います。
私が在籍していた中学はこんな課題曲を消化できる技術も感性も全くありませんでしたので
課題曲はC/幼い日の想い出でしたけど、私個人は課題曲A/フェリスタスを吹いてみたかったです! (笑)
とにかく「プレリュード」が吹奏楽コンクールの課題曲の歴史の中で果たした意義は大変大きいように感じたりもします。

それから3年後に「序奏とアレグロ」と、こちらは無調音楽バリバリの課題曲が登場しました。
「プレリュード」は無調音楽らしきものという事で、厳密に言うとメロディーらしきものと言うのか聴き方によっては
「鄙びた和の世界」は伝わっていると思います。
だけど「序奏とアレグロ」の世界は本当に無機質な無調音楽そのものだと思いますし、
そうした意味においては、プレリュードと序奏とアレグロが後世の吹奏楽コンクールに与えた影響度ははかりしれないものがあり
それが最高の音楽に近い形で到達したのが、1988年の三善晃の「吹奏楽のための深層の祭り」なのだと思います。

そして序奏とアレグロの更に2年後に「変容-断章」というこれまでの課題曲の常識を破壊する
課題曲が登場する事になります。
この「変容-断章」は当時あまりの難しさゆえに序奏とアレグロほど演奏される今度は低くて、この課題曲を評価される方は
少ないようにも感じられるのですけど、私としては無調要素と和の融合を「プレリュード」以上に究めた作品として
高く評価させて頂きたいです!

「変容-断章」は、「瞑と舞」の作曲者の池上敏が作曲した作品ですけど、
技術的には課題曲の歴史の中でも最難関の一つだと思います。
(歴代最難関課題曲No.1は1994年の課題曲Ⅲ・饗応夫人であるのはほぼ間違いないようにも思えます)
この「変容-断章」の意義は単に技術的に難しいという事ではなくて、
難しさの中に日本的な「さび」とか「鄙びた感じ」・「枯れた感じ」・
能を想起させるような「幽玄さ」、そして能の世界のリズムみたいな打楽器の響きが曲の随所に感じさせ、
79年のプレリュードや82年の序奏とアレグロみたいな西洋音楽としての現代音楽ではなくて
日本の「和の心」・「和の響き」として課題曲を構築していることにその意義があるように私的には感じたりもします。

使用している打楽器は、トムトム・ティンパニ・マラカス・ドラ・サスペンダーシンバル等全て西洋楽器で、
いわゆる和太鼓系は一つも使用していません。
だけどトムトムのあの響かせ方は、何となく能の「間」の取り方を想起させますし、
前半の木管楽器のトレモロなんかは、日本の怪談の「ヒュードロドロ」みたいな感覚を思い出させてくれますし、
後半にティンパニ奏者が撥からマラカスに持ち替えて、マラカスでティンパニを叩くことによって
ティンパニーの和音に何かカラカラという音をmixさせる辺りは
日本の村祭りの盛り上がりみたいなものを何かイメージさせてくれます。

あまりの難しさゆえにこの課題曲を選ぶチームは極めて少ないのは残念でしたね。

現代音楽の形式に和の雰囲気を持ち込むような課題曲は、この課題曲を契機に例えば、
86年の吹奏楽のための序曲とか88年の深層の祭りとか96年の般若とか色々出てきますので、
そうしたパイオニアとしての要素ももう少し今となっては評価されても良いような感じはします。

1984年の全国大会では、この課題曲は6団体しか選びませんけど、
この内5団体が(ヤマハ浜松・神奈川大・天理・花輪・土気中)金賞を受賞し、出雲高校のみ銅賞でした。
神奈川大は正直良い出来ではありませんし、土気中の演奏を評価される方は当時も今も多いのですけど、私的には
やはり技術的未消化が気になってしまいます。
天理の知性的で切れのある演奏は素晴らしかったですし、花輪の小林先生の感性が和のドロドロ感をうまく表現されて
いたのも素晴らしかったですけど、技術的完成度の高さと和の極みという意味ではヤマハ浜松が最高の名演だと思います。
ちなみに1984年のヤマハ浜松は原田元吉氏の最後の全国大会での指揮となり、その意味でも大変意義がある演奏です。

ここから先は少し余談ですけど、池上敏の吹奏楽オリジナル作品として決して忘れていけない名曲として
「瞑と舞」が挙げられると思います。
そして全国大会・支部大会でも池上敏の「瞑と舞」という作品が細々とではありますけど、
いまだに演奏され続けていることを嬉しく感じます。
確かに少々とっつきにくく、陰気な邦人作品という感じも否定はできないのですけど
この「和の感覚」・「鄙びた感覚」は、日本人でないと絶対に分からないような「わびさび」みたいなものも感じたりもします。

「瞑と舞」を初めて聴いたのは、1981年の全国大会の中学の部の、旭川・神居中学校の
神がかりとしか言いようがない何かに「憑りつかれた様な」奇跡的なウルトラ名演なのですけど、
それから数年後に、チャンスの「呪文と踊り」を聴いた時、この曲の構成、何か瞑と舞に似ているのかも・・?」と感じたものです。
静かな序奏から、打楽器の絡みから徐々に盛り上がっていく構成がそのような印象を持たせたのかもしれませんけど、
実は意外とその印象は当たっていました。
後で色々と池上敏の事を調べていくうちに、「瞑と舞」はチャンスの「呪文と踊り」に色々な面で影響は受けたとの事です。
最初の感覚としては、「瞑と舞が呪文と踊りに何らかの影響を与えたのかな?」と思っていたら
実際は逆でして、作曲年としては「呪文と踊り」の方が早く作曲され
「呪文と踊り」が「瞑と舞」に多少の影響を与えたと言えるのだと思います。

この「瞑と舞」ですけど、サンベンダーシンバルに乗っかる形でピッコロのソロで開始され、
その後すぐにピッコロからバトンタッチされる形でフルートにメロディーラインが移っていくのですけど、
ピッコロ奏者がフルートを掛け持ちする事が多いような気がします。
神居中もそうした素晴らしい見事な持ち替えでした!
その後すぐに、クラリネット・オーボエにメロディーラインが受け継がれていき、一旦静かになった後、
打楽器セクションによるアンサンブルが静かに開始され、徐々に盛り上がっていき
ここから「舞」の部分が開始されていきます。
ちなみにこの曲の打楽器は、
ティンパニ、トライアングル、ボンゴ、タンバリン、サスペンデッドシンバル、合わせシンバル、タムタム、
大太鼓、スネアドラム、テナードラムを使用していますが、
「舞」の開始部分は上記の打楽器アンサンブルから開始されるのですけど
この部分のボンゴ・テナードラムの響きはかなりの効果があるように思えます。
「舞」が開始されて以降は、金管の響きに乗っかる形で大太鼓がズドンと要所で決めていますけど
この「ズドン」というのが実に気持ち良く決まるので、これだけでも爽快な感じになったりもします。
「舞」では部分的に静と動を対比させながら進展していき、
そのクライマックスでは、やはり大太鼓がズドンと締めてくれます。
その過程の中で、「バストロンボーン」が不気味な音を展開したり、ミュートを付けたトランペットが乱入したり、
同じくミュートを付けたトロンボーンの絡みがあったりと聴きどころも満載です。
そしてラストは、序盤の「瞑」と同じようにピッコロのソロで静かに閉じられていきます。

全体的には、やはり「日本的な」香りが濃厚だと思います。

イメージとしては、巫女さんの舞とか、龍の舞とか、民衆の土俗的祭礼とか、神官の祈りとか
そういったワードがこの曲を聴くだけで脳裏をかすめたりもします。

「瞑と舞」の吹奏楽コンクール・全国大会での素晴らしい演奏は三つほど挙げられると思います。

〇1977年/富田中学校

〇1981年/神居中学校

〇1986年/伊丹東中学校

あ、どれも全て中学生の演奏でしたね。

富田中の演奏は、一言で言うと非常に野暮ったい演奏で、洗練さはほぼ皆無です。
だけど民衆のエネルギーというか土俗的祭礼みたいな雰囲気は非常によく出ています。
全体的に「泥と土の香り」がします。
神居中の演奏は、非常に知的でスマートな演奏です。
音色の透明感が実に素晴らしいし、奏者と指揮者が完全に一体化し、
「自分達の音楽」としてこの曲をほぼ完璧に自分達のものにしている印象が強いです。
伊丹東中は、指揮者のアクの強さが漲っていて、正直好き嫌いははっきりと分かれる演奏だと思います。
少しやり過ぎというか演出過剰という感じもしますけどいかにも永澤先生らしい個性の強い演奏です。

最後に余談ですけど、結果的に神居中は、「瞑と舞」の素晴らしい名演を残していますが、
曲のラストのピッコロの弱奏で、普門館の会場内で赤ん坊が思いっきり泣いてしまい名演に水を差しています・・・(泣)
その鳴き声と喚き声はレコードにはっきりと収録されています。
同様に1986年の伊丹東の「瞑と舞」のラストの弱奏で、やはり赤ん坊が泣いてしまっています。
うーーん、赤ん坊には、「瞑と舞」の世界は不気味に恐怖に聴こえるのかな・・・??
この時代の普門館は、赤ちゃん・幼児同伴でも会場に入ることが出来たのですね!
今では信じられない話だと思います。

ついでに書くと、1981年の逗子開成高校の自由曲「海のうた」でも同様の事件が起こり、
前半のゆったりとした部分で、赤ん坊が演奏中に泣いてしまって、
その泣き声が更に演奏を興醒めにしているのは少し気の毒です。
(これも当時のレコードにしっかりと収録されています)
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