皆様自身の幼少の頃の一番記憶に残っている古い事って何歳の時のどんな記憶なのでしょうか・・?
「あなたの一番古い記憶は何歳頃のもの?」と質問をされると多くの皆様は
3歳頃の記憶を最も古いものとして挙げられるのかもしれないですね。
私自身はそのあたりは大変曖昧ですね・・
自分自身の記憶がある程度鮮明に残っていそうなのは基本的には小学校入学以降なのかもしれないですね。
ただそうした中でもなんとなくですけどうっすらと記憶が残っているというのか、換言すると脳内にぼんやりとした映像というのか
残像が漠然と残っているシーンが幾つかあるという感じですね。
私自身、このブログで何度も語っている通り生まれは青森県、育ちは基本的には高校までは東北です。
だけど実は3~8歳前後の頃、亡き父親の仕事の異動の関係で東京都・千葉・長野で住んでいた時期があり、
小学校に既に上がっていた長野県に住んでいた時の事はかなりはっきり鮮明に残っていますね。
一昨日の記事は、ボケの兆候・認知症の初期症状のチェック項目の一つとして、
「出身学校の校歌の歌詞が出てくるか・・?」というものがあるという事を記させて頂きましたけど、
長野の松本のとある小学校の校歌の歌詞は今でもスラスラ~っと出てきますし、松本の冬はとにかく厳寒であった事とか
松本の夏休みは短い代わりに秋に中間休み、冬場に寒中休みというものが存在していたとか
多分ですけど長野県民ならば一度ぐらいは歌った事があるのは間違いなさそうな「信濃の国」の歌の歌詞は
今でもはっきりと出てきます。
(諏訪出身の東方の早苗さんも「信濃の国」は歌えるのかも・・? 笑・・)
だけど小学校に入学する前あたりの頃の記憶ってあんまり残っていないですね・・
あくまで一般的な話なのですけど、人は3歳頃以前の記憶は覚えていないものらしいです。
冒頭で記した「「あなたの一番古い記憶は何歳頃のもの?」という質問に対しては、
3歳頃の記憶がもっとも多いとの事で、これは年齢や国の違いに関係なくほぼ同じような結果が得られているそうです。
そして何よりも大変興味深いのは、3歳以前に最も近いと思われる幼稚園児や小学生に聞いても、
上記の質問に関しては、概ね3歳という年齢を境にそれより前の記憶が無いという結果はデータとして表れているそうです。
若ければ3歳以前の記憶もあるのかと思いきや、そうでもないようというのが
「幼少期の頃の記憶」という事なのかもしれないですね。
うちの奥様は私が言うのもなんですけど、率直に言って「こんなに記憶力がいい人間を今まで見た事が無い!」と
感じるくらいとてつもない記憶力の良さを誇っていて
過去の私の「今度機会があれば××買おうとか△△に行こう!」という不用意な発言(汗・・)をことごとく脳内に
記憶していて、そうした私のその時の気分とノリによるテキトー発言をいまだにしつこく突っ込んでこられる事も多々あり、
私も対応に苦慮する事があったりもします・・(汗・・)
「あの時確かにああいったじゃん!」と言われると、そんな事を言ったかもしれないし言っていないのかも判別出来ない私は
黙ってその場をごまかしてやり過ごすしか対処できないです・・(汗・・)
そうしたうちの奥様は、なんと・・!
2歳前後の離乳食を食べ始めた時の記憶があるとか何とか言っていましたけど、
それってどうなんでしょうね・・?
科学的データによると、「幼児期の記憶を鮮明に覚えている」という人がいるけど
そのほとんどは「いつわりの記憶」という事が多いらしいです。
後になって自分の幼児期の写真やビデオを見せられ、あるいは「あの時はこうだったのよ」などと教えられ、
「そうだ、そうだったかもしれない」と、あたかも自分の記憶のように錯覚してしまうことで、
こういった偽りの記憶が形成されていくことが多いらしいです。
記憶とは、時間や場所やそのときの感情の記憶とも言えると思うのですけど、
3歳頃までは、こうした「感情の記憶」がうまく機能する事が出来ずに後になっても思い出すことができないのですけど、
3歳以降はそうした機能がうまく働く事によって現在に繋がる記憶として堆積していくというのかもしれないですね。
そして人の記憶と言うものはある意味面白いもので、勿論人によって多少の違いはあるのかもしれないですけど、
3~12歳前後のいわゆる思春期に入る前の頃の記憶と
12歳以降の思春期から現在の記憶においては、印象度・鮮明度がかなり違ってくるというのもあるとの事です。
つまり幼少期の頃の記憶の方が人間にとっては印象度が強いと換言出来ると思います。
例えば6歳の頃に感じた記憶・印象というものは、その時点においては1/6のキャパでの記憶という事になるのだと思いますが、
25歳頃の記憶・印象というものは、その時点においては1/25のキャパでの記憶という事になり、
60歳の頃の記憶というのはその時点では1/60のキャパでの記憶という事になる事を考慮すると、
年を重ねれば重ねるほど経験値とか実際に一度体験した事によって「初めての経験」という事が少なくなっていき
子供の頃に感じていたドキドキ感とかワクワク感が少なくなっていき
多少の事にはあんまり驚かなくなっていくという事になっていき、そうした事が大人になって以降からの記憶が
どんどん曖昧になっていくけど子供の頃の記憶は意外とはっきりと覚えているという事に繋がっていくのかも
しれないですね。
要は最初の時の感動は大きいけどそれに慣れていくと感動も希薄になっていくという事なのかもしれないです。
私自身はどちらかというと子供の頃の記憶は乏しいけど、このブログでも散々書いている通り、
高校の頃に聴いた秋田県立花輪高校吹奏楽部と岡山県就実高校の演奏が思春期の私にとてつもないインパクトを与えた
という事を考えると、記憶の面では遅咲きという事なのかな・・?
そして今後もそうなのですけど、もっともっとアニメでも小説でもゲームでも音楽でも仕事面でも何でもいいですから、
常に新しい感覚とか刺激というものは磨き続けたいものと思っています。
上記で3歳以前の子供の頃の記憶は後付けによる偽りという可能性が高いと記しましたけど、
例えばなのですが、私の記憶ではほんの子供の頃に
青森県の八戸の漁港の砂浜にイカのはらわたがぼんぼんと置かれていて、それを食べに来た鳥によって砂浜が
覆い尽くされていたような記憶があったりもします。
だけど青森県に私が住んでいたのは3歳以前の話ですので、そうした鳥たちがイカのはらわたを食べにくるという記憶は
さすがにありえないのかな・・と思っていたのですけど、
中学の頃に読んだ記憶がある青森県八戸出身の作家の三浦哲郎の「笹舟日記」というエッセーの中では、
まさにそうしたシーンが記されていましたので、
やはりこれは私自身の「記憶の偽り」という事なのかもしれないですね。


東方のさとり様の能力は「相手の心を読み取る程度の能力」と言われていますし、さとり様は自ら
「戦闘はあまり得意ではない」と言われていたりもします。
さとり様の場合、
相手の「心の闇」とか「深層心理」とか「現在ではなくて過去のトラウマ」という事を瞬間的に見破るという訳ではなくて
あくまで今現在この人が何を考えているのかという表層心理を読み取るというレヴェルなのですけど、
相手との対話・バトルを通して
相手の過去の蓄積された記憶や深層心理を容赦なく抉るとる事により相手の動揺を誘い、
その動揺から相手の「過去のトラウマ」という
一番触れて欲しくない所をグイグイと精神攻撃していくみたいな側面もあったりするのですけど、
なんかこれは少しだけハピネスチャージプリキュアの「アンラブリー」に近いものがあったりしそうですね。
そうした相手の過去の記憶といういわば古傷をぐいぐいと抉るさとり様は、見た目はとてもキュートな面が多々あるのに
そうした意味ではやはり「おっかない妖怪」と言えるのかもしれないですね。
上記のフィギュアもそうですし公式立ち絵もそうですし、さとり様の全体的な雰囲気はなんだか哀しそうです・・・
「さとり様、そんなに哀しそうなお顔をされないで・・」とぐぐっとさとり様を後ろから抱きしめてあげると
お燐ちゃんによって「私のさとり様に何するんじゃー!」とか言われてネコの爪で顔中引っかかれてしまいそうな
感じもありそうですね・・・(汗・・)
胸元のサードアイはやはりとてつもなく不気味だと思いますし、さとり様は別に何もしていなくても
サードアイにじーーーっと見つめられると
こちらの過去の記憶やトラウマや心の深層や本音が全てさとり様に見透かされてしまい、さとり様から
「この人、口では美辞麗句ばかり言っているけど心の奥底では私の事を忌み嫌っているよ・・」と見透かされてしまいそう・・
やっぱりさとり様はすてきでも、サードアイ自体は不気味である意味脅威なのかもしれないですね・・
古明地姉妹は、さとり様もこいしちゃんもどちらも大好きです! 当ブログでは、さとり様もこいしちゃんも昨年同様
どんどん記事にしていきたいと思っています。
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3歳より前も記憶自体はあるのでしょうが、それを説明するだけの自我がまだ成立していないころの記憶なのでしょうかね。意味のないものは存在しないも同意。思い出せなくても仕方ないかもしれません。