E.ワルトトィフェル / スケーターズワルツ →とっても優雅な作品で黙って目を閉じて聴いていると本当にスケートを滑っている気分になれそうです・・

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ワルトトィフェルの「スケーターズワルツ」は優雅な作品であり、
目を閉じて聴いていると「スケートをする人々」をイメージさせる曲のようにも思えますし、
自らがスケートリンクで氷の上を滑っているかのような感覚になったりもしますね。
ちなみにワルトトィフェルの他の曲と言うと、ワルツ「女学生」が有名ですが、
これは別にJKとか女子高生を意味したものではなくて、
本来の意味は、「学生の楽隊」という意味なので、「女学生」はほぼ間違いなく誤訳だと思います・・(汗)
ただ私個人としては「女子高生」とか「JK」という言い方は大好きですので(汗・・)、このまま今後も女学生という表記で
構わないと思います。

スケーターズワルツは元々は管弦楽のために作曲された作品なのですけど、ピアノ曲としても大変人気が高く、
よくジュニア用の発表会でも演奏されることは多いようにも感じられます。
19世紀のワルツというと言うまでもなくヨハン・シュトラウス一家が大変有名ですけど、シュトラウスの絢爛豪華な
作品に比べると、ワルトトィフェルのワルツ・ポルカは、このスケーターズワルツも含めて曲の構成はシンプルそのもので、
スコア上も2分音符が中心ですけど、その作風は大変大らかで優美で親しみやすい美しいメロディが特徴だと
言えると思います。

19世紀後半のパリ上流階級で、ワルツに劣らず流行していたのがスケートであったらしいのですけど、
この「スケーターズワルツ」からは当時の流行のスケートとスケートに興ずる人たちが簡単に想像できる点が
凄いと思いますし、この曲は「シンプル イズ ベスト」を立証した作品とも言えると思います。

クラシック音楽の上では「永遠に冬の定番音楽」と言えるのかもしれないですね・・(笑)

曲の構成としては、

ホルンによるのどかな序奏→穏やかで優美な第1ワルツ→力強さが加わったのが第2ワルツ
→歌謡的な第3ワルツ→情感豊かで美しい第4ワルツ→短いカデンツを挟んだコーダによる第1ワルツの再現
という形で大変分かり易いです。

私自身、スキーよりはスケートの方が馴染みがあるように感じられます。
小学校1~3年の時のわずか3年程度でしたけど、長野県松本に住んでいた事があり、冬場の体育の授業は、
校庭が積雪で使用できない事情もあったと思うのですけど、
近隣の田んぼを地主さんのご厚意で冬場にスケートリンクとして使用させて頂く事も授業の一環としてあり、
その体験が、私自身、スキーはやった事ないし全然興味が無いけど、スケートは少しは滑れるからスキーよりは
興味があるという事に繋がっているのかもしれないです。
だけど田んぼのスケートリンクというのは、氷面が粗いし表面がゴツゴツしているので、普通のスケートリンクよりも
はるかに転ぶ確率は高いようにも感じられたものでした。

私自身が30人以上の人たちと音楽の授業以外で、何か曲を演奏したというのは、
もしかしたら小学校の特に入っていた管楽器クラブでの「スケーターズワルツ」なのかもしれないです。
そしてこの曲は、毎年秋に開催される学芸会では定番の一曲だったと思います。
恐らくこの「スケーターズワルツ」だと思います。
管楽器クラブ時代の私が担当した楽器はティンパニ等の打楽器でしたけど、スケーターズワルツで私が担当したのは
ヴィヴラフォーンでした。
ちなみにヴィヴラフォーンとは鉄琴の親玉みたいなもので、電気を通すことで音が共鳴する事で、うわわーーんと
音の揺れを表現できる鍵盤楽器です。
スケーターズワルツにおいてのヴィヴラフォーンの出番は、8小節程度でほとんど目立っていませんでしたけど
そうした鍵盤楽器を叩くことは無性に嬉しかったような記憶がありますね・・(笑)

当時私が在校していた小学校と、中学校は隣同士で、
中学校においては、毎週月曜日の朝八時半から校庭で全体朝礼をやっていて、
吹奏楽部が演奏する行進曲に乗っかる形で在校生が入退場をしていましたので、
その吹奏楽部が演奏するマーチが当時とても眩しく感じられましたし、
時に吹奏楽部が校庭で練習しているマーチングの練習風景とかマーチングの衣装がとてもかわいらしく感じていましたし、
小学校時代の管楽器クラブでのスケーターズワルツ当の合奏で「全員で音を奏でる楽しさ」みたいなものに漠然と興味を
感じた当時の私にとって、隣接の中学の吹奏楽部のマーチの音はたまらなく魅力的に感じたものでした!

だから中学校に進学した私は迷うことなく吹奏楽部に入部したものでした・・

だけど現実は残酷なものですよね・・・

希望に燃えて中学の吹奏楽部に入部し、そこで待っていたものとは、

〇無理解な顧問=指揮者による体育会みたいな強制的な練習

〇「指導」という名の下の上級生による下級生に対する「いじめ」

〇足の引っ張り合いと告げ口し放題の部員達

〇全然楽しくない練習に、コンクールに向けての練習三昧の日々

一気に音楽に対する興味を失い、音楽を聴くのも楽譜を見るのも嫌になってしまったというのが
中学時代の私だったのかもしれないですね。

そうした「私の音楽嫌い」が真に変わっていったというか、「メンバー全員で音楽を創り上げる楽しさ」に
気が付いたのは、いつぐらいなのかな・・?
私の高校は音楽の先生がいなかったので、当時は毎年生徒たちの中から指揮者を選出し、自分たち自身で練習方法を考え、
自分たち自身が練習という過程を経て「音楽」を創りあげていきましたので、確かにその責任とか難しさは
先生指導によるものに比べたら雲泥の差はあったと思うのですけど、
結果的にそうした時代から私自身の「音楽」に対する向き合い方も変化していったように感じられますね。

例えば「ロングトーン」一つとっても、
中学の時は、指揮者の先生から
「一つの音又は音階を一音10秒程度吹き続けろ」と言われるだけで
朝練習は大抵このロングトーンの繰り返しでしたけど、 「なぜロングトーンの練習をしなくてはいけないのか?」とか
「どういう意味合い、効果がロングトーンにはあるのか」という理論上の教えは皆無で
「それがうちの伝統だ!」とか「お前たちはオレの教えたとおり吹いていればそれでいい」という上から目線的な練習ばかりで、
ひたすら強制的に吹かされただけという感じだったと思います。
高校に入ってからは、 パートによって出す音を毎回変えたり、弱奏と強奏を交互にしたりとか色々工夫はしていました。
同時に、毎回毎回聴こえる音が異なっているので、
自然と耳に「和音の構成」というか、音の構成によってサウンドも明るくなったり暗くなったり
色々変化するという事が自然と理解できましたし、 ロングトーンの本当の意味合いは、
運動部で言う所の「ストレッチ」みたいなものである事も初めて理解できたものです。

要は、中学や高校に入ったばかりの生徒なんて「迷える羊」というか何が分からないのかもよく分からないという感じであり、
そうした奏者たちをいかに「分かり易く丁寧に」理由づけをはっきりさせた上で導いていくのが指導者の役割だと思うのです。
かつての中学時代の私のように、強制的に一方的に押し付けられても
決して「真の意味で自分のモノ」にはならないと思うのです。

その辺りの「自発性」というのを自然に引き出させ、音楽を奏でる楽しさに気が付かせるという事が
スクールバンドの指導者に最大に求められる事なのかもしれないですね。
そしてそれが出来ないで強圧的に音楽づくりをやらせてしまうと、かつての私のように音楽嫌いの人間を増殖させる
結果にもなりかねないですので、やはりスクールバンドの指導者に求められる事は
大変重いものがあるといえるのかもしれないですね。

あれれ・・・随分と「スケーターズワルツ」から話が逸脱してしまいましたね・・・(汗・・)

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